忘れられた偉人ーこんな素晴らしい日本人がいた

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丹養塾幼稚園児の素晴らしさで思い出した人がいます。
佐久間艇長です。

私が生まれたのは錦帯橋のある山口県の岩国市です。岩国港に近い山の中腹に記念碑があり、それが佐久間艇長の記念碑だと子供の頃に教えられました、しかし、その偉大さを知ったのはずっと後年になってからです。

佐久間艇長のことを知る人はほとんどいません。
忘れ去られた偉大な日本人のことをご紹介したいと思います。

明治43年、佐久間艇長の指揮する潜水艇が岩国の新湊沖で沈没しました。その頃、世界的に潜水艦事故が相次いでおり、潜水艦を引き上げハッチを開けると、乗組員がハッチの回りに殺到して、我先に逃げようとして死んでいるのが見つかっていました。

潜水艦事故は悲惨な死です。
そのため、ハッチを開ける際には駆けつけた遺族は立会いを許されませんでした。ところがハッチを開け中に入ると、艇長以下14名はそれぞれが持ち場に着き、自分の任務を最後までまっとうしながら死んでいるのが発見されました。
引き揚げられた潜水艇を検分した吉川中佐は、それを見て号泣し、泣き崩れたと言います。

更に驚いたのが佐久間艇長の遺書でした。

ガソリンが充満し、息苦しく意識が遠のく中で書かれた遺書には、部下を死なせてしまったことへの謝罪、部下が最後まで沈着に任務をまっとうした事、この事故が将来潜水艇の発展の妨げにならないよう願うこと、沈没の原因とその後の処置、最後に公遺言として、部下の遺族が生活に困窮しないことを明治天皇にお願いしていました。

その内容は、翌日の新聞紙上で発表され、更には世界に伝わり感動の嵐を巻き起こしました。
佐久間艇長の遺書のコピーと英訳は、ホワイトハウスの独立宣言の近くに展示されていました。
イギリス海軍では現在も潜水艦乗組員の範として伝えられています。

佐久間艇長の遺書は次回ご紹介します


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