日本語―人を敬うことば


言葉は時代とともに変化するので、新しい変化を拒否しつづけることはできません。

しかし言葉とともに失われてゆくもののあります。

最近の日本語の変化には、その本質において考え方、生き方の変質を思わせるものがあります。


9年前に書いた「人を敬うことば」という記事を久しぶりに読み返してみましたが、言いたいことは変わっていません。 

最近では、NHKのアナウンサーまで同じような言葉づかいをするようになッてしまったので記事を再掲することにしました。



最近、若い人が「勇気をもらう」、「元気をもらう」という言葉をよく使います。

「勇気づけられる」、「元気づけられる」という言葉に慣れた耳には何か違和感があります。

なぜ違和感があるのでしょうか。

文法的には、「勇気をもらう」が他動詞で、「勇気づけられる」が自動詞ですが、どうもそのような事ではなさそうです。


「もらう」の反対は「あげる」です。目上に対してあげるとは言いません。

誰かにあげる、誰かからもらうという言い方は、遠慮のない対等な間柄を示します。


「勇気をもらう」という言葉の違和感は、その人に対する敬意が感じられないことにあるようです。

「勇気を頂く」であれば違和感はありません。


若い世代の言葉の変化は、総じて人間関係の距離感が縮まっていることの表れのような気がします。

年齢や地位に対して遠慮や気兼ねがなくなり、その結果として屈託のない表現に変化しているのでしょう。

そのことは必ずしも悪いことではありませんが、年長者を敬う心が薄れ、日本語の特徴である豊かな謙譲語や尊敬語が失われてゆくとすれば寂しいことです。


また最近、若い人たちがインタビューに答える時に共通する言い方があります。

たとえば、「今日の試合はどうでしたか」と聞かれてこう答えます。


「今日は勝ちたいと思っていたんで、勝ててうれしいです」

思っていましたので」と丁寧に答える若者は、ほとんどいなくなりました。

たまにスポーツ選手が丁寧な答え方をしてるのを聞くと、ホッとします。

その代表が山下泰裕さんです

image.gif


このようなことを考えていた時、読売新聞の編集手帳にこんな記事が載りました。


「ドイツのソプラノ歌手エリカ・ケートさんは言葉の響きや匂いに敏感であったらしい。

歓談の折に語った比較論を「劇団四季」の浅利慶太さんが自著に書き留めている。


   イタリア語を「歌に向く言葉」、フランス語を「愛を語る言葉」、ドイツ語を「詩を作る言葉」と評した。

   日本語は・・・浅利さんの問いに彼女は答えたという。

   「人を敬う言葉です」

     (文芸春秋刊「時の光の中で」)

日本語がいつまでも人を敬うことばであってほしいと思います。



≪関連記事≫

  「言葉は民族性

 「日本語の多様性

  「日本語の力






国際有機認証「しらい田七人参」がどこよりもお値打ちに買える
スポンサーサイト

短歌

ブログ内検索

QRコードメーカー



フリーエリア