運命について考える 何不自由なく恵まれた一生を送る人がいる一方、生まれた時から肉体的、経済的なハンディを背負って生まれて来る人がいます。それは不条理で不公平なことでしょうか。運命とは何か、なぜ運命があるのかについて考えてみたいと思います。自分の身に起きて来ることはすべて偶然で、必然的な運命など無いと考える人もいるかもしれません。しかしどのような親から生まれて来るか、親の経済的な状況はどうか、自分に与えられたDNAはどのようなものかなどによって人生は大きく左右されます。さらに、どのような友と会い、どのような師につき、どのような異性と出会うかなどによって人生は変わってきます。見えない糸によって導かれ、結ばれ、操られることがあります。その見えざる糸、見えざる手も運命の計画と考えられます。(運命か偶然か)運命を考える時、人の魂は永遠で輪廻転生を繰り返すものでなければ説明がつきません。魂が存在せず人生が一回きりであるなら、生まれる前からの人生の筋書きが存在するはずがないからです。人生はすべて偶然の産物であり、人生で学んだことは死と共にすべて失われるのであれば、人生にたいした意味はありません。(魂の成長)人は生まれ変わりを繰り返し、様々な人生を経験して魂を成長させます。人は自分の魂の成長にもっともふさわしい両親・環境を選んで生まれて来ます。もし大金持ちで優れた遺伝子を持った親を選べば、三次元的には恵まれた人生が約束されますが、そのような人生が魂の学びにとってふさわしいかどうかはわかりません。以前の記事「本当に幸せな人」でご紹介したCoCo壱番屋の創業者・宗次さんのように、両親を知らず孤児院で育つような厳しい環境のなかで魂を成長させた人もいます。宗次さんは、そのような環境を選んで生まれてきて、見事課題をクリアーしたのだと思います。しかし人は本当に両親や家庭環境や自分の肉体的条件を選んで生まれてきたのでしょうか。そうであると思える証拠があります。そのことは次に記したいと思います。 スポンサーサイト