供養について考える

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先だって母親の法事で実家に帰った時、永代供養をどうするかと聞かれたので、「必要ないと思う」と答えました。

その理由は後に記しますが、仏教の儀式については、形式化し意味がわからず行っているものがすくなくありません。

日本人と供養の歴史について考える手掛かりが墓にあります。
日本に個人の墓ができたのは(貴族や権力者の墓を除き)江戸時代中期か、せいぜい江戸時代前期と言われます。
中世まで墓が無かったのは、人は死ねば極楽浄土に往生すると考えられていたからですが、墓に入るよりはるかに好ましい死生観です。

現在の墓の主流である、「~家の墓」という家族墓に至っては明治時代に一般化したといわれます。
(東大の本郷教授によれば、綱吉の生類憐みの令以降に家族墓ができたといわれています。)
私たちが当たり前だと考えている墓や墓参りが、比較的最近になってできたものであることに驚きます。

なぜ江戸時代になって墓ができたのかはっきりしませんが、中世までの戦乱の世では、人々は厭離穢土(おんりえど)、けがれてつらいこの世を去って、極楽浄土に往生することが何よりの願いでした。
しかし江戸時代に入り、世の中が安定し人々が生活を楽しむようになると、人は死んでもこの世に執着を持つようになったのではないでしょうか。

そうしてあの世に帰らずこの世に執着する霊が増えると、人々の生活に支障が出てきます。
成仏しない魂に対して死んだら墓に入ると教えることで、人々の日常生活と死者の世界の住み分けをはかったのかもしれません。

死んだら墓に入ると思いこんだ霊は、帰るべき光の世界がわからず、成仏できずにこの世に留まることになります。
供養とは魂を光の世界、浄土に帰すことです。
しかし、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌、あるいは永代供養などというと、何回供養すれば魂をあの世に帰すことができるのか疑問に思います。

(兄弟親族が集まる場としての法事は、みんながバラバラに暮らす現在では貴重な出会いの機会であることは間違いありません)

浄土信仰は、仏像という物質を有りがたがり、僧侶の読経によって極楽に往生できると考える他力信仰となりました。
しかし光の世界に帰る為には、光の世界にふさわしい心でなければなりません。
生前、自己中心的でまわりの人々を不幸にした人間が、いくら死んだ後にお経を読んでもらっても光の世界、浄土に帰ることはできないはずです。
そのような魂は、あの世で自分の過ちに気付くまで、光の世界に帰ることはできません。

経とは経糸(たていと)のことです。
経糸がぐらついては、しっかりした織物はできません。
人生の指針となる、永遠に変わることの無い真理を経と呼んだのです。
お経は生きている人間が理解し行うべきものであり、死者に聞かせるものではありません。

仏教はお釈迦様の説いた原点に帰らなければなりません。

参考:
戒名とは何か

佐藤弘夫著「死者の花嫁―葬送と追想の列島史―」
死者の花嫁とは現在の山形県村山市で、独身のまま亡くなった男子に花嫁を添わせた絵馬を作り、死者を弔う風習をさします。

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