日曜喫茶室と東京大空襲

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はかま満緒さん

NHK・FMで毎月の最終日曜日、12時15分から放送されている「日曜喫茶室」という番組があります。
放送作家のはかま満緒さんが喫茶店のマスターとなり、様々なゲストの興味深い話や楽しい話を聞きだすもので、今年4月に40周年を迎える長寿番組です。

最近もはかま満緒さんの張りのある元気そうな声を聞いて、この分だとまだ10年位は大丈夫かなと思っていましたが、2月16日に心不全で突然この世を去られました。
亡くなる前日にNHKで「日曜喫茶室」の収録をされていたようで、こんな死に方ができる人は少ないなと感じました。

先だって林家三平さんを偲ぶ番組で、はかまさんが東京空襲の際、青山の表参道あたりでたくさんの死体を見たと言われたのと、大正生まれの林家三平さんのお笑いの台本を書かれていたのでかなりのお歳と思っていました。78歳だったのは意外でした。
往年の歌手や俳優が亡くなるたびに、思っていたより年をとっていなかったことに驚きますが、それは子供の頃、テレビで見る人がはるかに大人に見えたことと、自分が歳をとったためでしょう。

「日曜喫茶室」が今後どうなるかわかりませんが、3月27日はこれまでの放送の中から再放送をするそうです。是非お聴きください。

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時忘れじの塔

先の「昭和の爆笑王 林家三平を偲んで」という番組に、三平さんの奥さんである海老名香代子さんが出演されていました。香代子さんのお父さん、お母さんはともに昭和20年3月10日の東京大空襲で亡くなられています。
香代子さんは東京大空襲の犠牲者を悼む慰霊碑を上野恩賜公園内に建立し、東京大空襲を風化させない活動をされています.

一昨年の供養式を前にした朝、香代子さんが起きようとすると体が重く板のようになって身動きができなかったそうです。
その時、38歳で死んだお母さんの「かよこちゃん、かよこちゃん」という声が聞こえ、それに対し現在80歳を超えている香代子さんが、「かあちゃん、かあちゃん」と叫ぶと、お母さんは香代子さんに手を差し伸べて体を起こしてくれたそうです。

ベッドに起きあがった時にはお母さんの声は消えていましたが、家事と家業でガサガサだったお母さんの手の感触ははっきり残っていたと言います。涙でぐしゃぐしゃになりながら家族が待つ階下に行き今の話をすると、「親ってありがたいね」とみんなが泣いたそうです。

いつまで経ってもお母さんは子供の心配をし、見守り続けているのだなとあらためて教えられました。いつも自分を犠牲にして育ててくれた母に感謝するとともに、その百分の一も恩返しができなかった自分の親不幸を思います。


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東京大空襲

東京大空襲は過去の大火が春先の強風時期に集中しているというデータに基づき、3月10日未明に行われました。軍需施設ではなく市民が暮らす下町を選び、木と紙でできた日本家屋を焼き尽くすために特別な焼夷弾を開発しています。
わざわざ砂漠に日本家屋を建てて実験を行ったのです。

使用した焼夷弾は1平方メートルあたり3発(2000t)に及びました。
東京大空襲の責任者カーチス・ルメイ少将は、自分たちが行ったことが虐殺であることをよく認識していました。。

アメリカの国防長官であったマクナマラは、グアム島で司令官ルメイの指揮下で働いていました。
「マクナマラ回顧録」にこう書いてあります。
〈たった一晩で、われわれは10万人の民間人ー男、女、子供を殺した。戦争に勝つためなら、一晩に10万もの民間人を殺していいのか。戦争が終わってからルメイはぼくに言った。もし敗けていたら、おれたちは戦争犯罪人だね、と。その通りだと想う。〉


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砂漠での実験によりM69油脂焼夷弾を開発

死者10万人を超える東京大空襲は、原爆に匹敵する大虐殺です。そのことを恨みに思わない日本人の高潔な心は誇りに思います。しかし同時に原爆も東京大空襲もその責任は日本にあると教え込まされた自虐史観については知っておかなければなりません。

参考東京大空襲

日本の戦後に行われたこと



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