理解されない男の優しさ

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履いていたサンダルを、裸足のストレートチルドレンの少女にプレゼントするリオデジャネイロの観光客


先だって我が家のネコに似た野良猫を、カサの先でいたずらしている子どもがいたので思わずたしなめたのだったが、少しバツの悪そうな顔をしたあどけない顔に悪気はなかった。

子どもは無邪気でありながら残酷なものだ。
思い出してみれば自分もずいぶん残酷なことをした。トンボのシッポを切って枝を差して飛ばしたり、カエルに2B弾という火薬を咥えさせ火を着けたりもした。今ならとてもそんな残酷なことはできない。

子供が残酷なのは善悪の判断ができないことや、他の命の痛みを感じる想像力が無いこと、また好奇心が旺盛なせいだろう。
人は成長するにつれ子どもの残酷さから脱却する。それは自分を客観視することができるようになるからであり、人の痛みや悲しみを自分の痛み、悲しみとする想像力を得るからだ。
自分がされたくないことは人にしてはいけないということに気づくことが社会生活の第一歩となる。

ところで男と女のどちらが残酷だろうか。一般的には男のほうが平気で残酷なことをするように思えるし、事実残酷な事件は男によって行われることが多い。
しかし夫婦の間においては女の方が残酷なことがよくある。
女房と口げんかして勝てる亭主はいない。なぜなら、男はこれ以上言ってはいけないことは言わないのに、女はそれを平気で言う。
それに対する反論は言ってはいけないことに属するので男は沈黙するしかない。女はその優しさに気づくことなく勝利宣言する。
自分がされたくないことは人にしてはいけないという黄金律を、女は亭主に対して適用しない。

藤原正彦さんの著書「この国のけじめ」で、内館牧子さんの「女は三角、男は四角」が紹介されていた。


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・・・・【たとえば結婚以来二十数年、私に会った女房の友達のほとんどが、「優しそうな人ね」と後日女房に伝えた。私は「そうか、やっぱり隠しきれなかったんだ、ボク」などと喜んでいた。ところが、内館さんの「女は三角、男は四角」という数学的な題の本にはこう書いてある。「女たちには取っておきの言葉がある。この言葉は脚が短かろうが、頭が悪そうであろうが、ファッションセンスがハチャメチャであろうが、まったく問題ない。どんな男にもピタリとハマるほめ言葉があるのだ。『「優しそうな人ね』これである。」

さらに追い打ちをかけてこう書く。「もしも、これを読んでいる男性読者が、妻か恋人から、『友達があなたのこと、優しそうな人ねって言ってたわ』と伝えられたら、それは『ほめようのない男』ということに等しい。」 ウルサーイッ。】

そうだ! ウルサーイッ。




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