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日本の色

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秋田 刺巻湿原


日本ほど色彩の豊かな国はありません。
せんだって、オバマ大統領が韓国を訪問した時の民族衣装での歓迎式典を見ながら、あらためて日本人の稀有な色彩感覚を思っていました。


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四十八茶100鼠(しじゅうはっちゃ・ひゃくねずみ)という言葉があります。
江戸時代、茶系の色だけで四十八色、鼠色だと100色もあるという意味です。実際に鼠色系は100近くあり、茶系色は四十八でなく60以上が同定できているようです。

その中には現在だと茶系やグレー系に入れない色もありますが、これだけ茶系と灰色系が増えた理由は、江戸時代後期の奢侈禁止令により、庶民が派手な色の着物を着ることを禁じられたため、地味な茶色と鼠色の中に色彩の変化を求めたためだといいます。

驚くのはその一つ一つの色に名前がついていて、しかもセンスが良いことです。
たとえば「城ヶ島の雨」の歌詞、“雨はふるふる 城ケ島の磯に 利休鼠の雨がふる”は、利休鼠色の雨が降るという意味ですが、利休鼠の名前の由来は、地味でくすんだ色が侘茶を想像させ、さらに利休を連想させたことによるものです。
たくさんの微妙な色合いを創り出し、それを再現できた技術力にも驚くほかありません。


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江戸時代の日本人の興味深いところは、浮世絵や歌舞伎や芸事を楽しむ一方で、徹底的にものを大切にしていたことです。
文春文庫のベスト・エッセイ集「片手の音」に掲載された、友禅職人の岩原俊さんの「貸しふんどしの話」は、日本人の物を大切にする心が如何に徹底していたかを示すものでした。

江戸時代、参勤交代で江戸屋敷づめになった単身赴任や独身の侍は、ふんどしの洗濯を下男にさせるわけにいかず、何日間に一度届けられる貸しふんどしを利用していたそうです。
こうしたレンタルのふんどしは、古くなってくたびれる前に業者が買い取り、小紋のデザインを藍染してから野良着に仕立てて東北地方で売っていました。

六尺ふんどし四本で野良着が一着、もんぺなら二本できたようです。こうして再生した野良着がぼろぼろになると、また集められて江戸に運ばれ、古くなった庶民の藍染の普段着などと一緒に洗濯したあと臼でつかれました。


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藍染

藍染は植物の藍に含まれるインディゴを発酵、酸化させて藍色にします。酸化した藍は元に戻らないので、臼でつくと藍の微粒子が繊維から離れ臼の底に沈殿します。そうして集められた藍の成分にニカワを混ぜて小指ほどの大きさに固めます。

それは藍棒と呼ばれ青色の染料になりました。水を入れた小鉢の中で藍棒を刷ると青色の水になり、薄めれば水色になります。
江戸時代、青色は藍棒によって得られていました。鉱物系の顔料としてはブルーの群青、グリーンの緑青がありましたが、大変高価だったため、高名な絵師の屏風絵や襖絵などにしか使えません。葛飾北斎や安藤広重の浮世絵の美しい青も、元々はふんどしを染めていた藍だったかも知れないのです。
但し、北斎の「冨嶽三十六景」など、後年にはオランダ船によって持ち込まれたベロ藍が使われています。

黄色は南方の植物、オトギリソウの樹液から作られていましたが、これを藍棒の水色と混ぜるとグリーンになります。
グリーン系の色はすべてこの組み合わせでできていました。

藍の色素を抜かれた木綿は、さらに臼で叩かれてこまかい繊維にされ、高級な紙の原料として使われていました。
現在でも木綿を叩解したパルプからボンド紙という高級印刷用紙が作られていますが、江戸時代の日本人の、物の命を使い尽くすもったいない精神と知恵には驚くほかありません。エセ環境意識を振りかざす現在とは比較を絶しています。

四十八茶100鼠に見られる同系色の多様さには、日本人の色彩に対する繊細な感覚に加え、やさしさ、おだやかさ、慎み深さという日本人の繊細な心が現れているように思います。
こんな国民は他にいません。失われつつある日本のすべてが、かけがいのない文化遺産です。


日本の伝統色

藍について




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