冬の海であったこと

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日本の内閣府職員がゴムボートの中で死んでいた事件で、韓国から日本にゴムボートで帰ろうとしたのだろうと言われています。しかし自分のささやかな体験から、そんなことはありえないと思っています。

高校一年の夏休み、友達と一緒に合板で平底のボートを作り、夏休みも終わるころ、借りてきた船外機を取り付けて海に乗り出しました。ガソリンは当時あった大きなビール瓶に入れて持って行ったので、2リットルも無かったでしょう。
自分たちのモーターボートで船出するうれしさで、これから何かが起こるなど考えもしませんでした。しかし沖合1kmも行かないところでエンジンが停止してしまいました。
夏の日差しの中、そう遠くないないところに陸地が見えていたので、何とかなるだろうと不安はありませんでした。

積んでいた櫓を漕いで帰ろうとしましたが、慣れない櫓はいくら漕いでも進みません。
そうやってもがいているうちに潮目が引き潮に変わり、陸地はだんだん遠くなって行きます。
気付くとボートの中には少しずつ水が入ってきていました。容器で水を汲みだしながら、ようやく不安が募ってきました。
遭難するなど考えもしなかったので、救命に係るものは一切積んでいませんでした。

見る見る陸地は遠のき、沖合の島がだんだん近くに感じられてきました。
水を掻きだしながら、何時間海の上でもがいていたでしょうか。夏の終わりの日暮れは早く、いつの間にか夜の暗さがあたりを覆っていました。空腹は感じませんでしたが、母親が心配していることが気がかりでした。何も言わずに出てきたのでした。(この頃、勉強は一切せず、母親を心配させてばかりの毎日でした)

瀬戸内海で漂流しても、いつかは発見されるだろうと今なら思います。しかし夜の海は怖く、「遭難」と言う言葉が頭をよぎり出していました。
ところが潮目が満ち潮に変わった途端に、ボートは推進装置がついているかのようにどんどん海岸に向かって移動します。

多分、自分たちが思っていたほど沖合ではなかったのでしょう。しばらくして、出発した場所からほど遠からぬ場所にボートは着きました。
「助かった!」と心からほっとしました。それまでの人生で初めて味わう安堵でした。
家に帰ってもその時の話はしなかったので、ミニ遭難があったことは、私と友人だけの秘密でした。


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夏の終わりの瀬戸内海と違い、波の荒い冬の対馬海峡を、200kmもゴムボートで渡ってくることは、不可能であると思います。もしそれを知らずに、ゴムボートで冬の海に乗り出しても、その試みが不可能であることをたちまち理解するはずです。
第一、ゴムボートの中に大量のガソリンを積むことはできず、日本に直接行くことは不可能です。

今回の事件はスパイ映画のような話で、自分のささやかな経験と比較もできないことですが、亡くなった方は冬の海でさぞ怖い思いをしたことでしょう。
心からご冥福をお祈りします。





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