不幸は神の光をさえぎること

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先だって知人が「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんと話をした時、木村さんは人間の不幸は欲や虚栄心で神の光をさえぎるために生じると、下記の絵を描きながら話をされたそうです。
無農薬栽培の失敗を繰り返し、10年近いどん底の生活の中で、欲も虚栄心も捨てざるを得なかった木村さんが語る言葉には説得力があります。

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人間が欲や虚栄心を捨てることは至難の業です。
数千万あるいは数億円の宝石で身を飾っていても、さらに新しいものをほしがります。
本人はみんなから注目されていると思い、喜びを感じているのでしょうが、木村さんの言葉を借りれば、神の光を遮るために大金を使っていることになります。

自分を大きく見せたい、美しく見せたい、人より優秀だと思われたいという虚栄心は、自我の大きな部分を占めており、それを小さくするには、余程の環境に身を置かない限り難しいことです。
木村さんの、歯のない天真爛漫な笑顔を見ると、もしかしたら無農薬リンゴの栽培は、そのことを悟るための仕組みだったのではないかという気がします。


娘が目の見えない子猫を拾ってきて飼っています。
これまでどうして生きてきたのか不思議ですが、元気になるとともに、あちこちに頭をぶつけながらやんちゃに動き回っているといいます。
目が見えないハンディを猫はまったく意識せず、今を精一杯生きていることに感心します。


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       右側のねこ

勿論、目の見えない猫が、プラス思考で明るく生きているのではないので感心する必要はないのですが、動物や植物には否定が一切なく、また過去も未来もなく現在だけを生きています。

自意識をもった人間が同じように生きることは困難なことですが、聖書のマタイによる福音書で、イエスは現在だけを生きるように教えています。

「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。・・・・空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。・・・・だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

欲と虚栄心を極限まで削ぎ落としたマザー・テレサが残したものは、サリー2枚とそれを洗うバケツ、そして僅かの袋類だったといいます。
なんと豊かな人生だったのでしょうか。



すべては宇宙の采配すべては宇宙の采配
(2013/05/24)
木村 秋則

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木村秋則さん「すべては宇宙の采配


婿養子に入ってすぐの、23~24歳ころです。
実家から持たされた持参金で外国製の大きなトラクターを買い、さらに雑草か生い茂っていた土地を買いました。その土地で、新たにトウモロコシを作ることにしたのです。
  わたしの憧れはテレビで見た広大なアメリカ農場でした。地平線まで続くような広々とした畑を作ってみたいと思ったのです。
そんな畑を作るには、ちょっとやそっとのトラクターでは面白くありません。アメリカからカタログを取り寄せて、150万円もする45馬力のトラクターを購入しました。半分趣味の世界ですが、さすがは大規模農地を耕せるトラクターです。みるみるうちに荒れた土地を立派な耕作地に変えていきました。

  栽培を始めたのは農薬をパンパン散布していたころです。りんごも順調にとれていましたし、始めてすぐの年からトウモロコシも順調に育っていきました。
憧れていた見渡す限り一面の農作物、デキも良好で、すべてが順風満帆でした。
しかし、トウモロコシが収穫できるくらい大きく育つと、動物による被害が頻発するようになりました。なんの動物かはわかりませんが、きれいに実をつけたトウモロコシをどんどん食うやつが現れたのです。

  これはたまりません。山にはクマやカモシカが出ることは聞いて知っていましたが、もしかしたら、近くで飼われている犬が散歩の途中で食べているのかもしれませんし、想像もつかないような動物が夜ごと畑に現れているのかもしれません。どんな動物の仕業かわからないことには手の打ちようがないと思いました。
「ヨッシャ、ちゃんと犯人を見つけよう」
もし本当にクマがかかったらどうしょうかと思いましたが、とりあえずトラバサミを仕掛けて様子を見ることにしました。

  翌日に畑に行くと、罠に動物が掛かっていました。予想していた種類ではなく、タヌキでした。よく見ると子供のタヌキ。
付近にタヌキが出るという話は聞いたことがなく、大変驚きました。想定外の結果でしたが、動かぬ証拠です。
捕まえてはみたものの、殺す気はありません。トラバサミにかかった子ダヌキを逃がしてやろうとしましたが、おびえているのか、罠を外すために近づくと歯を剥いて、「シャー!」と威嚇するのです。
小さなタヌキですが、このままではおちおち外すこともできません。可哀想でしたが、足で顔を踏んづけて、動かないようにして触ることにしました。

仕掛けが外れて自由になった瞬間、飛んで逃げるだろうと思われた子ダヌキでしたが、どういうわけか逃げないでそのまま留まっていました。すると、母ダヌキと思われる大きなタヌキが警戒しながら現れて、怪我をした子ダヌキの足を、その場で舐めはじめたのです。 しばらくのあいだ、親子は動こうとしませんでした。
 
タヌキからしたら、人間は憎き敵です。恐怖を感じる相手でもあるでしょう。わたしが怒って、母子もろとも叩いて懲らしめてやろうと思えば、余裕で届くような距離なのです。さっさと逃げるのが普通です。
しかし、母親はその様子を、見せつけるかのように続けました。
延々と子ダヌキの足を舐めている母ダヌキを見なから、なにかすごく悪いことをしてしまったという、申し訳ない気持ちになっていました。

自然を利用している農家にとって、そこに生きる動物と雑草は、仲間でも同志でもなく敵です。自然を人為的に操ろうとしている人間にしてみれば邪魔者です。
そのことに疑問を持ったことはなく、深く考えたこともありませんでしたが、このとき初めて、人間側の一方的な論理であることに気がついたのです。

わたしがトウモロコシを栽培したのは、元々タヌキの住処で、平和に暮らしていた場所だったかもしれません。そうだとすれば、タヌキのほうが被害者になります。「土地は買った人のものになる」ということなど、タヌキはまったく与り知らぬことです。「畑にタヌキが入ってきて被害を受けた」というわたしのほうが間違っているではありませんか。
  だからといって、荒らされつづけるのは困りますので、タヌキと共生する道を選ぶことにしました。
  その日以降、粒が欠けて売り物にならないトウモロコシを畑の横に積み上げ、タヌキたちに提供しはじめました。
  置いた次の日は、綺麗さっぱりなくなっていました。その場で食べてもよさそうなものですが、食べかすはまったく残っていませんでしたから、どこかに運んで食べたのでしょう。
  これを収穫のたびに行ったのですが、結果は毎回同じで、結構な量の不良品トウモロコシを積み上げておいても、ごっそりなくなっていました。
  「下手をすれば餌付けになってしまうなぁ」
  タヌキが増えて被害が大きくなることを恐れましたが、逆に最初にトウモロコシを提供した日から、被害はまったくなくなったのです。提供されたものにだけ手をつけ、収穫前の瑞々しいトウモロコシには一切触れませんでした。もうトラバサミが仕掛けてあるわけでもないのにです。
  気持ちが伝わっているとしか思えない出来事です。
  トウモロコシを栽培していた3年間ずっと交流は続き、動物による被害は全然ありませんでした。
  最初にトラバサミに子ダヌキがかかったとき、現場にいたのはわたしだけでしたが、1時間か2時間経ってから、洗濯を済ませた女房がやってきました。
  「トラバサミに、なんかかかった?」
  女房に訊かれましたが、こう答えました。
  「いや、なんもかかってなかった」
  女房はわたしの性格を知っていますから、薄々気づいていたようです。あとで顛末を知
って、
  「本当はお父さんが逃がしてやったんだろうって思ってた」
  といっていました。
  タヌキがどう思っていたのかはわかりませんが、「お前たちが住む場所を奪ってごめん。これをあげるから、もう荒らさないでくれよ」という気持ちでトウモロコシを積んでおいたら、被害がパッタリとやんだのは事実です。
  この出来事は、ほかの農家と同じように農薬を使い、人間側の都合だけを全面に押し出して作物を栽培していたわたしに、大きな変化をもたらすきっかけになりました。


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