源氏のトラウマ

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丸谷才一さんのエッセイ、「後朝(きぬぎぬ)」は『源氏物語』を題材にしたものですが、最近読み返してやはり感心しました。
長い引用になりますがご紹介します。

*後朝(きぬぎぬ)とは、互いに衣を重ねて共寝した翌朝、それぞれ別れるときに身につける衣服のことです。



『後朝』

『源氏物語』夕顔。十七歳の年の秋、光源氏は久しぶりに六条の御息所を訪ね、一夜をすごす。御息所は二十四歳である。
霧の濃い朝、源氏の君は御息所の侍女に何度もせき立てられ、眠そうな様子で、嘆き嘆き帰ることになる。(帰るところを人目につかぬようにするのが作法)
中将といふ侍女が格子を上げて、お見送りなさいませといふ気持ちらしく几帳をずらしたので、女君は頭をもたげて視線を外に向ける。植え込みが色とりどりに咲き乱れてゐるのを素通りしかねてたたずむ源氏の君の姿は比類の無い美しさである。

車に乗るため中門廊へゆかうとすると、中将が見送りに来る。紫苑いろの表衣(うわぎ)に薄絹の裳を結んだ腰がなまめかしい。源氏の君は振り返って、御息所の位置からは見えない、外側の欄干に中将を座らせ、じっと見つめて、

咲く花に
心が移ると
言われるのは心外だが
折らずに過ぎるのは辛い
今朝の朝顔

「さてどうしたものか」と手を取ると、中将はいかにも馴れた態度で、

朝霧の
晴れるのも待たず
お立ちとは
花には
気のないらしい様子

と、女主人の代わりといふ心で返歌を詠む。
大野晋さんと二人で行った『源氏物語』輪読のとき、(これをまとめたのが『光る源氏の物語』上下)、このくだりで、大野さんから問ひ詰められ、わからなくて困った。

大野 光源氏は眠そうな顔で六条御息所のところから帰ろうとしました。この先のところ、「中将のおもと御格子一間(ひとま)上げて、『見たてまつり送り給え』とおぼしく後几帳ひきたりやれば」。そこ、どうですか。
丸谷 どうですかって・・・・・。
大野 中将の御許は、六条御息所に向かって御格子を一間上げて。
丸谷 見送りなさいと言って、几帳を横にずらしたんでしょう?
大野 なのに?
丸谷 「御髪(みぐし)もたげて見出だし給へり」というのは、起き上っただけだと。
大野 そう。まだ、寝ているんですよ。これ、どういう意味ですか。
丸谷 ・・・・・。
大野 つまり、六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。
丸谷 あ、そうか、ぐったりしていた。うーむ。
大野 起きられないから、彼女は頭を上げるだけで源氏を見送ったというんです。それほどであったのに、源氏はまた中将にちゃんとこれだけ働きかけるバイタリティーを有するということが皮肉のように書いてある。
丸谷 おっしゃるとおりです。
大野 「御髪もたげて見出だし給へり」、これだけで作者はその一晩を全部表現した。こういうところが時々あるんですね。

まるで、出来ない学生が演習でしごかれてゐる図で、写してゐて厭になるが、それでも敢えて書き写したのは、わたしの鈍感浅薄な読み方が在来の「源氏物語」解釈を代表してゐるからである。素人はもちろん玄人だって、たいていの現代日本人はわたしのような調子で読み、大事なところを見逃してゐた。しかし作者は、なまなましい描写を行間で行ってゐて、それを当時の、おそらく百人もゐなかったと思われる読者たちはきれいに読み解き、しきりに面白がった。それが近世以降、駄目になったのである。
  -以下略ー


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まず紫式部の表現力と、それを教えてくれる大野晋さんの読解力に感心します。
そして当時、『源氏物語』の読者が100人以下だったと言われて、なるほど、紫式部は宮中の僅かな読者を想定してこの傑作を書いたのだと気づかされます。むしろ知識と教養のある特定の読者を意識しているが故に、僅かな瑕も許されなかったのでしょう。

ところで『源氏物語』が分かっているようなことを書いていますが、残念ながら通読したことがありません。
高校時代の古文の時間にいやと言うほど泣かされたので、源氏は自分の手にはおえないというトラウマがあります。

以前、アメリカのある研究所にいた先輩を訪ねた時のこと、研究助手のアメリカ人が、不定冠詞「a」が母音の前では「an」になることを知らなかったと聞いてびっくりしたことがあります。しかし、文法を知らなくても自由に読み書きができるのに、文法は必要なのでしょうか。少なくとも日本の教育は、文法に偏りすぎているのではないでしょうか。

文法について、楽しく学んだと言う人は余りいないでしょう。
高校時代の古文の時間は、下二段活用とか、サ行変格活用とか、大半が眠気を誘う授業でした。
当然楽しいはずがなく、何も覚えていません。

文法を教えるのではなく、もし引用した大野晋さんのような授業だったら、源氏の本当の面白さを知ることができたのではないかと思います。
但し、当時の高校生は、「六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。 」と解説されてもその意味が分からず、せっかくの紫式部の表現力や大野先生の深い理解も無駄に終わったかも知れません。

今から思えば「古文」と言うタイトルからして、教育の方向が間違っているように思います。学ぶべきは瑣末な文章の解釈ではなく、「古典」に現れるかっての日本人の情緒や考え方や言葉の美しさであるはずです。
和歌や枕草紙や徒然草などの古典に興味を持ったのは、ずっと後に日本と言う国の文化に関心をもってからでした。

「野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて・・」、秋には必ず思い出して感心する一節ですが、世界で始めての小説が、内容においても比肩し得るものの無い傑作であったことを理解する知識が無いのが残念です。

かっての日本人は凄かった!とあらためて思います。







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コメント

Re: タイトルなし

Yumiさん

私も西洋かぶれで日本かぶれです。
本物はどこの国のものであれ、人の心に響きますね。

音楽や絵画や小説など、すべての芸術は作者の創作意欲に従って出来たもので、学問として作られたわけではありません。
鑑賞する人が、それから感動や喜びを感じられれば、芸術作品の目的は達せられています。

研究対象となった途端に芸術は、無味乾燥な、魅力のないものになってしまいます。
科学や実学と違い、芸術はどこまで教育の対象になるのかが難しいところです。

本物の魅力を伝えることの出来る教師は、その感動を伝えることのできる人だと思います。
そのような教師は、残念ながら多くありません。

Yumiさんのように、自分で絵を描き、和歌を読み、花を活けることができれば、芸術教育をしなくても、子供は自然に芸術が好きになりますね。
やはり原点は、家庭教育ではないでしょうか。

2011/08/21 (Sun) 00:08 | パック #- | URL | 編集

パックさんこんにちは
先日生徒さんと色々お話をしている時に外国かぶれ??的なことをいわれました・・・・
それで自分でもゆっくり考えたのですけどね、私日本のこと大好きなんです、でもそれは確かに今の日本じゃなくてこんな今パックさんが教えてくださったような繊細でクリエイティブな古典の世界のような和の世界はとっても好きなんですね。
確かに昔習った古典は難しすぎて、、、、
ただ小学生の時に百人一首を100枚頭に叩き込んだからかその音の響きが好きで古典の歌の世界は好きになったのですけどね、古典文学はまったく理解できずにいますがでもとても惹かれるのでたまにそんな世界感を感じられる本を手に取ったりしてます。でも源氏物語をこのように解説してくれている本があるのですね。。はじめて知りました。そして私も読んでみたいですね~~(^^)
でもパックさんのおっしゃるようにこのような高次元の紫式部の感性を教えることの出来る古典の先生ってどのくらいいるのでしょうかね。。。。。
古典だけじゃなくて英語もそうかもしれませんが美術も同じだと思います。。。
日本の美術教育は想像力とかがどこまでも広がるような表現を伸ばすことより点数をつけたがるので絵は苦手という大人を増産してしまうようです。。。。。音楽だけはこのごろは点数を低くつけられてもバンドなどに憧れて楽しむ音楽をする人が増えていると思うのですけどね、絵画はまだまだ上手な人下手な人みたいな垣根があるようで残念に思っています。。。。源氏物語のようなセンスを現代の海外の人がみても美しいと思えるような絵にしてみたいと以前から思っているのですが、今回パックさんのお話をお聞きしてその思いをまた思い返しました(^^)

2011/08/20 (Sat) 18:06 | Yumi #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

タヌ子さん

ヴァイオリンの幼児教育、スズキメソッドの創始者である鈴木鎮一先生は、母国語の教育法と言われました。
難解といわれる日本語を、幼児は苦も無く覚えます。当然文法などありません。

外国語の習得も同様に、繰り返し耳に入れることが基本だと思います。
たぬ子さんが言われるように、日本人が外国語が苦手な理由は、この言い方は間違っていないだろうかという恥ずかしさにあるように思います。

文法を知っていた方が良いこともあるでしょうが、英文科や国文科の学生が学べば良い事まで、教える必要はないと思います。
語学の習得は、習うより慣れろでしょうね。

2011/07/24 (Sun) 21:42 | パック #- | URL | 編集

子供は文法を学ぶ前に話し、読み書きを学びますよね。
母国語を話す、書く際にいちいち文法を意識してる人なんていないし、外国の日本語学習者から文法についての質問を受けても、自信を持って答得られる人は少ないのではないでしょうか。
日本の語学のテストは『括弧の中に正しい前置詞を入れよ』と言った無意味な物が多いですよね。
前置詞など間違えてもどうにか通じるものです。
間違えてはいけないという教え方が語学嫌いを生んでしまうのだと思います(私もその一人)。
古文も多く読めば文法も徐々に分かってくるはずなので、最初から文法を叩きこむのではなく『読み方』を教えてもらえれば、それなりの面白さが分かったのにと思うと残念です。
先日清少納言と紫式部のライバル関係について書かれた本を読みましたが、そういう背景を知った上で両者の作品を詠み比べると面白いでしょうね。

2011/07/24 (Sun) 06:44 | タヌ子 #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

amiさん

紫式部日記がそんなに面白いのであれば、まずそちらからチャレンジします。
生身の紫式部が何を感じ、何を思っていたか、興味があります。

人間は昔からそんなに変わっていませんが、平安期よりむしろ後ろ向きに変わった事が多いのかも知れません。
読書には旬があり、旬を逃してしまったことが残念です。

2011/07/23 (Sat) 21:20 | パック #- | URL | 編集

バックさん。
源氏物語は読んだことない?と思いますが、紫式部の日記、、というのを読んだことがあります。
すごく面白くて、当時の様子が目の前に浮かぶようでした。
中には、ジョークもあって、その当時からあったのか?とか 流行の色、、とかあったようで とっても興味をそそりました。
紫式部は日本でも、、女性で初めて位にズボンをはいたり、、、国際恋愛したり、、、と。
あの読んでいた感動感を思い出しました。ami

2011/07/23 (Sat) 19:24 | ami #- | URL | 編集

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