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縁を生かす

今日(9月6日)の日本経済新聞と産経新聞、北海道新聞他の地方紙に『致知』の一面広告が掲載されました。
しかし、他の全国紙を読まれている方々にも、この感動的な実話を知って頂きたくご紹介します。

en090602.jpg

その先生が五年生の担任になった時、
一人、服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」
とある。間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると、「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。

三年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」

後半の記録には
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」
とあり、四年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」

先生の胸に激しい痛みが走った。ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い! きょうはすてきなクリスマスだ」

六年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」

それから六年。またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で先生に担当してもらって、
 とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」

十年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と父親に叩かれた体験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
 あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、
 神様のように感じます。
 大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
 五年生の時に担任してくださった先生です」

そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。

「母の席に座ってください」

と一行、書き添えられていた。

・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。。・゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。・゜゜・。。・゜゜

本誌連載にご登場の鈴木秀子先生に教わった話である。

たった一年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。

人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。

『致知』2005年12月号 総リード



人との出会い、本との出会い、様々な出会いの感動が人生を変えます。
出会いを生かすためには、美しいもの、善なるものに感動できる素直さが必要ですが、もののあわれを知る日本人には、その心が連綿と受け継がれているはずです。

『致知』という雑誌の発行部数は12000~13000部程度のはずです。
資金力の無い(失礼)『致知』がこれほどの新聞広告を出すのは、方向性を見失った日本人が立ち返るべき道は、かつての日本人が目指した徳の道以外に無く、一人でも多くの人にそのことを伝えたいとの強い願いからだと思います。
『致知』のメルマガもありますのでご覧ください。






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Tag: 到知

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2013/09/09 (Mon) 15:15 | # | | 編集
Re: 相談

白石精英さん

私自身は幼いころから、母親に連れられてキリスト教会に行っていましたが、父親は仏教でした。
親兄弟でも考え方や価値観が違い、自分の考えを強制することはできません。

仏教とキリスト教の教えは、もし双方が真理を説いているのであれば一つのはずです。

塩が強アルカリのナトリウムと、強酸の塩素が中和して中性になるように、あるいは物の運動が与えられたエネルギーと重力との平衡で静止するように、物理法則はバランス(調和)が根本にあります。
宇宙のあらゆる法則の根源は調和であり、心の法則も調和にあります。
争いや憎しみや怒りは不調和であり、優しさや思いやりなど、愛から生まれるものは調和です。

キリストが誕生した当時のイスラエルは、殺人や暴行などの犯罪が頻繁に起きる、荒れた危険な時代でした。
そのような時代に、イエスがまず説かなければならないのは愛でした。

一方、仏陀が生まれたインドは気候は温暖で農作物に恵まれ、人々の心は穏やかでした。
仏陀は八正道に基づいて自らを反省することにより、心は調和され真のやすらぎが得られると説きました。

イスラエルとインドと言う環境の違いにより、真理の説き方も変わっていますが、イエスもブッダも心の調和こそが人間が目指すべき道であると説いているはずです。

ただし、仏教は2500年の時の経過で哲学化し、わけの分からないものになってしまいました。
特に日本の仏教は哲学化するとともに堕落し、仏陀の教えを正しく伝える力を失っています。

愛とは調和であり、如何に真理を説こうとも、争いや不調和は愛を失うものです。
ご家族と調和され、楽しく生きられることが何よりの愛の実践だと思います。

2010/11/26 (Fri) 19:18 | パック #- | URL | 編集
相談

 私は3人きょうだいですが、私だけがクリスチャンで二人は仏教しかないとクリスチャンになろうとしませんし、教会で母親の記念会を持ちたいと相談しましたが、出席もしてくれないとの事で悩んでいます、私一人で記念会を遣る羽目に成りそうです。教会に連なる私は四面楚歌の状態です、未だきょうだいとして助けあって行きたいのですが如何すれば良いですか、兄は母にかってに戒名をつけ仏壇に位牌を置いて祭っています。そして墓石にも私が入院中に戒名を刻んでいます。母親はクリスチャンですでに天国に召されています。戒名は関係なく行っています。私はきょうだい達とともに仲良く暮らしたいと願っています。

2010/11/26 (Fri) 17:47 | 白石精英(しらいしよしひで) #hCXY9i2I | URL | 編集
Re:

白石精英さん

パソコンが壊れたのは、単に物理的な理由だと思いますので、お気遣いいただかなくても大丈夫です。
ご心配をお掛けしました。有難うございます。

2010/10/24 (Sun) 01:43 | パック #- | URL | 編集
お詫び

パソコンが壊れたのは僕のせいです、貴方が英語で打とうとした時に私のパソコンとごちゃになって僕はノートンで対処しました、文章一つは駄目に成りましたが他の文章は助かりました。ご免下さい。

2010/10/23 (Sat) 15:55 | 白石精英(しらいしよしひで) #hCXY9i2I | URL | 編集
Re: 御無沙汰しておりました。

冬日向さん 

しばらくでした。
ブログを休止されたので、ひふみさんと心配していましたが、戻って来られて安心しました。
健康上の理由ではないと思っていましたが、色々ご心痛があったようですね。
冬日向さんの俳句や写真の才能を拝見できないのを残念に思っていましたが、妨害に負けずに立ち直られて本当にうれしく思います。
ひふみさん、ひろさんと共に応援させて頂きます。
これからも宜しくお願いします。

2010/09/16 (Thu) 11:14 | パック #- | URL | 編集
御無沙汰しておりました。

パックさん

御心配いただきましたのに御挨拶が遅れました。
以前の場所に戻って綴ろうと思います。
心が彷徨ってばかりでお恥ずかしく。

「致知」一年間購読致しました。その時は感動するものの、自分の生活には生かしきれなくて、購読を止めたのですが、、、、、今日の記事を拝見してまた読んでみたくなりました。

人の縁とは不思議なものです。素晴らしい方向にも、悪しき方向にも。
何気ないやりとりであっても、良い方向に進む人間関係を少しでも持てたら、また人に対してもそうあれたら、幸いですね。
ありがとうございました。

2010/09/16 (Thu) 09:26 | 冬日向 #nae0fTVQ | URL | 編集
Re: No title

yumiさん

若い時は外見ばかり気にしますが、肉体は必ず老化して行きます。
しかし、yumiさんが小学校の時に覚えた百人一首が、今の短歌の素養になっているように、若い時に培った知識や教養は、歳を取った時の輝きになりますね。

学ぶことに手遅れはありませんが、若いころから学んで来なかった人間が、歳をとってから学ぶのは難しいことですから、子供の頃に学ぶ習慣をつけることが重要だと思います。
できれば、中学の頃に戻って勉強し直したいと思っています。

キューブラー・ロスが、あの世に帰って聞かれることは、「人のために何をしたか」だと書いています。
この問いに、自信を持って答えることが出来れば、有意義な人生だったと言えるのでしょうが、人から協力し、助けてもらったことは沢山あっても、人のために自分はこれだけのことをしたと、自信をもって言えることがありません。
何か小さいことから始めなければならないと思っています。

2010/09/09 (Thu) 10:16 | パック #- | URL | 編集
No title

本当にそうですね。。。。
人を外見でなく内面でみる。。。。これは私もずっと胸に刻みたいところなんです。
若い頃はよく外見をとってもよくすることにこだわっていた時がありました。でもそのメイクばっちりの姿から体調を崩して体ぼろぼろになって気持ちまで落ち込んだ時の外見になったときに色んなところでいろんな人の態度が違うことを体感しました。。。。
人はやっぱり外見で判断するのだなと痛感しました。
なので今はメイクしないでどこまでいけるかしら?なんてことやってます(^^;)できるだけ素のままの自分で輝けるにはどうしたらいいかと考えてます。眉くらいはきれいに整えますが。。。。(^^;)

今私が短歌を楽しむことができるのも小学校の時の先生の影響です。5,6年生の時の担任の先生が百人一首クラブの先生だったのでクラスでも100枚覚えていることが珍しくない状態でした。その時に頭に叩き込んだリズムが大人になっても忘れないのでしょうね。。。。
子供のころにどんな先生に出会ったかってとても大きいものですね。。。。

そして大人になってから出会う出会いもとても大切ですよね。人生で色んな挫折があるたびに色んな出会いで救われてきました。救ってくれた一人の女性は私もそうだったからわかるのよ。だから私に何かを恩返ししようとしないで同じ状況の人がいたら同じように話を聞いてあげることが恩返しになるからと言われました。人の出会いで自分がどれだけ大切なことを教えられてきたか。。。きっとこれからもそうなのだと思います(^^)

2010/09/08 (Wed) 22:59 | Yumi #- | URL | 編集
Re: No title

タヌ子さん

子供の悩みや苦しみに気づけば、多くの先生が同じようなことをするかも知れません。
しかし、子供の表面だけを見て、心の叫びに気づかないことが多いのではないでしょうか。
あるいは親でさえ、子供の叫びに気づいていないかも知れません。

救いの手を差し伸べるにも勇気が要り、それを継続するには愛が必要ですね。
一時的な愛の施しには参加できても、それを継続することになれば自己犠牲が伴います。

豊かになれば人の苦しみが分からなくなります。
このような話を知るだけで、人の心の中に隠された悩みを気付くきっかけになりますね。


2010/09/08 (Wed) 09:34 | パック #- | URL | 編集
Re: No title

アラレさん

貴重な時間を取らせてしまいました。
これからコメントを頂く時は、「面白かった、つまらなかった」だけで結構です。

たしかに、「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」な子供だったから、先生の愛に応えることができたのでしょう。
一方で、先生が手を差し伸べなければ、そのような資質はすべて埋もれて一生を終ったかも知れません。

『致知』には「ぼん!きゅっ!ぽん!」が無いのが残念ですが、感動的な記事、読み応えのある記事が満載で、
しかも読みやすく、アラレさんなら、きっと積読にはならないと思います。

2010/09/08 (Wed) 07:05 | パック #- | URL | 編集
No title

こんな短い文章なのに、目頭が熱くなりました。
救いの手を伸べる側にも愛と勇気が必要ですが、差し伸べられた手を握る側にも同じように愛と勇気が必要です。
差し伸べられた手に気がつかない人、気がついてもその手をつかむ勇気が無く、崖を滑り落ちて言ってしまう人。
途中までは手を差し伸べてみたけれど、重さに耐えかねて途中で離してしまう人が多いのが今の日本社会なのだと思います。
でも、このまま弱者切捨ての傾向が続くと、崖から落ちかけた人を足蹴にするような社会になってしまうかもしれません。
この先生もは差し伸べた手をしっかり握って、自分の足でも確かな岩場を探しながら上ってきてくれた少年にどれだけ感謝したことでしょう。
いつもパックさんが仰っているように、やはり基本は双方の感謝の気持ちですね。

2010/09/08 (Wed) 01:07 | タヌ子 #- | URL | 編集
No title

明日が休みということで、腰をすえて今回の記事のコメントを書こうと2時間以上格闘しました。

結局まとめられずに挫けます。
ただ、その時間そのものが私にとってはとてもありがたい時間でした。
少年の事、先生の事、出会いのタイミング、色々思いをめぐらせました。
私としては、1年生のときの担任の書いた記録の「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。 勉強もよくでき、将来が楽しみ」が、いろいろな点でとても重要だったように思えます。

『致知』読み応えがありそうですね。
こちらからのリンクをたどってホームページを拝見し
購読を検討しています。
ただ、活字離れが甚だしくなっていますので、
「積んどく」で終りそうで二の足を踏んでいます。

「ぼん!きゅっ!ぽん!」が載っていれば、
迷わず購読なのですが(^_-)-☆

2010/09/07 (Tue) 20:06 | アラレ #- | URL | 編集
Re: No title

Midoriさん

この話を読んで、自分の子供時代を振り返りましたが、印象に残る先生はいませんでした。
子供の頃にもっと感動体験があれば、ひょっとして、もう少しましな人間になれたのではないかと残念ですが、
勉強せず、遊んでばかりいたので自己責任です。

日本文化を最も理解しているのがフランス人だろうと思いますので、美意識は日本人に似ているのでしょうが、もののあわれはどうなんでしょうか。言葉にしにくい感覚ですね。

2010/09/07 (Tue) 14:35 | パック #- | URL | 編集
Re: No title

えんくんさん

北海道新聞でご覧になったのですね。
「致知」は年間購読で1万円ですから、月にしたら830円程度です。
良かったら購読してみてください。

人は感動で変わりますね。
素直な子供の時に感動を受けることは、人生にとって何より大切なことだと思います。

最近、「致知」のことばかり書いていますが、無論宣伝料はもらっていませんよ。(ノ´∀`*)

2010/09/07 (Tue) 14:19 | パック #- | URL | 編集
Re: No title

この話を読んでいて、風光さんがやられていることは、この女の先生と同じだと思っていました。
塾生たちの心を真剣に見つめなければ、問題がどこにあり、何が解決策であるかが見えてこないでしょう。
そして、そうでなければ子供たちは心を開き、信頼を寄せることはないでしょう。

教育は人の一生を左右する重大な仕事であり、これからも一人でも多くの子供たちを導いて下さい。

2010/09/07 (Tue) 14:07 | パック #- | URL | 編集
No title

パックさん、こんにちは。一分もかからずにさっと目を通せる短い文章なのに、深く心に残るお話ですね。時間は限られていますから、活字もよいものを選んでいきたいものです。この逸話をフランスの人はどう聞くのだろうかとふと考えました。もちろん訴えるところはあって、よかったことと肯定されるでしょうが、それだけではない日本人ならではのしみじみとした捉え方があるような気がしてなりません。それがもののあわれ知るという感覚でしょうか。

2010/09/07 (Tue) 04:58 | parismidori #SQbl7Cak | URL | 編集
No title

パックさん、こんにちは。

いい話ですね。
人との繋がりを失った、無縁社会とも言える殺伐とした社会が悲しいですね。
こういった、先生に出会ってみたかったです。
「致知」の広告、北海道新聞に出てました。
安岡正篤さんを読んでたんで名前だけ知ってたんですが、パックさんによると致知はかなり良心的な会社との事なので、ちょっと調べてみますね。
いい話ありがとうございました。

2010/09/06 (Mon) 22:41 | えんくん #- | URL | 編集
No title

読み終えた後に、すがすがしさが残りました。
相手に関心を持ち、自分が出来る事が何なのかと考えた時に、
その「自分が出来る事」が自然な行動として出来るようになればいいなぁ~と思います。
目の前に悲しい人が居た(現れた)ならば、
悲しみから救ってあげたいと言う思いはどんな人にもあると思います。
ただ思った後、実際に行動に移す人は少ないですね。
見て見ぬふり・・・残念ながら現況では、この社会ですね。
記事のように、与えた喜びは必ず自分にも喜びとして返ってきますね。

国内では年間三万数千人の自殺者がいますが・・・
日本は先進国の中ではトップの自殺国となっています。
世界でもトップグループの経済大国ですが、
経済力はトップでも、命の重さが感じれない社会になってしまったようです。
その原因に人の希薄さがあるように思われます。
日本は、今、人間の関係をしっかりと考えなければならない時だと思います。

2010/09/06 (Mon) 18:27 | 風光 #- | URL | 編集

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