教育勅語を読んでみる

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国民道徳協会


教育勅語は軍国主義教育に繋がるものとして、昭和23年に排除されましたが、一体、その内容のどこに問題があるのか読んでみました。
不勉強で、教育勅語を読むのは初めてのことです。

以下が教育勅語が説く、12の徳目です。

1.親に孝養をつくしましょう(孝行)
2.兄弟姉妹は仲良くしましょう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしましょう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合いましょう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしみましょう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべましょう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけましょう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばしましょう(知能啓発)
9.人格の向上につとめましょう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう(遵法)
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう(義勇)
(Wikibooks)

当たり前のことばかりで、どこに問題があり、なぜ否定されなくてはならないのか理解できません。
要は明治天皇の言葉であること、天皇中心の国家観が許せなかったということでしょう。思想や良心の自由を否定しているなどの議論は付けたしに過ぎません。
第一、良心の自由などと言うものがあるのでしょうか。仏陀やイエス、あるいは偉大な思想家たちの言葉が我々の心に響くのは、真理が個人や時代の価値観を越え、永遠不変であることを示しており、良心と個人の主観とは無縁なはずです。

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勅語発布50周年記念切手(1940年発行)wikipedia

大阪の塚本幼稚園南港さくら幼稚園の籠池靖憲園長は、教育勅語を園の柱にし、毎朝園児たちに国家斉唱と教育勅語を朗誦(ろうしょう)させています。
この話が共同通信から全国の新聞に配信されると、全国から毎日2000通ものメールが送られてきました。
その内容は抗議や中傷ではなく、「塚本幼稚園、がんばれ」というものだったと言います。
教育崩壊の中で、真の心の教育を多くの人たちが求めている証でしょう。

知致」の5月号に籠池園長の対談が掲載されていました。

『当園では毎年4歳児には伊勢神宮に参拝させます。数年前、不思議なことが起こりました。参拝の際、玉垣の前で園児が教育勅語を朗誦した時に、すだれが風に舞ったのです。それも一時的にではなく、教育勅語を朗誦中にずっと続きました。
神主様をはじめ、関係者も皆驚きまししてね。「あぁ、神様まで喜んでくださっているんだな」と思いました。』

『今年の卒園式では、なんと園児たち全員が声を上げて泣いてくれました。それを見た先生方や親御さんたちも感動の空気に包まれました。
私は、これは子供たちからのメッセージだと捉えています。「頑張って」と。
その瞬間、我々は感動教育、心の教育の大切さを骨の髄まで感じました。』

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南港さくら幼稚園より拝借 クリックで大


この幼稚園で学んだ子供たちに、弱い者いじめは無いはずです。人生で大切なものは何かを学ぶはずです。以前の記事「6歳児が書いたお別れの言葉」でご紹介した「丹養塾幼稚園」を思い出します。

戦後の日本的精神の排除は、皇室や軍国主義など、表面のレッテルだけで、善も悪も吟味せずに否定するものでした。その短絡した分かりやすさが、安易な断罪を許したのでしょう。
アメリカの映画や音楽が伝える自由と豊かさへの憧れも、日本的なるものの放棄を促した一因だったでしょう。

教育勅語に代わる「教育基本法」の無機質と対比してみると、僅か315文字の教育勅語は暗誦に耐えうるものであり、その徳目を心に刻みつけるのに適しています。
尚、教育基本法は平成18年の安倍政権の折に、国を愛する文言が付け加えられましたが、この時、それが押し付けであると反対した教師の集団がありました。
信じられないことですが、国歌斉唱を拒否した人が首相を務める、今の日本の病根の深さが現れています。

明治天皇が教育勅語を出されたのは明治23年10月30日で、わが国の守り続けるべき大切な心の規範が、洋学偏重の世相の中で軽んじられることを危惧され、発布されたと言います。

自分さえ良ければ人はどうでも良いと考えるエゴイズムや、金や物だけを追いかける拝金主義が蔓延し、日本人の心が崩壊しつつある今、教育勅語とは何であったのかを、先入観なしに考えてみるべき時にあるのではないでしょうか。



【参考】
【教育勅語の口語文訳】
私(注:明治天皇)は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。 

  国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

  このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
(国民道徳協会の訳文)

≪読み下し文≫
朕(ちん)惟(おも)フニ、我ガ皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。
我ガ臣民(しんみん)、克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ、億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ済(な)セルハ、此(こ)レ我ガ國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実ニ此(ここ)ニ存ス。

爾(なんじ)臣民、父母ニ孝(こう)ニ、兄弟(けいてい)ニ友(ゆう)ニ、夫婦相和(あいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょうけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)ニ及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常ニ國憲ヲ重(おもん)ジ、國法ニ遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)ニ奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。

是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕ガ忠良(ちゅうりょう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしょう)スルニ足ラン。
斯(こ)ノ道ハ、実ニ我ガ皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)ニ遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今ニ通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)ニ施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。
朕、爾臣民ト倶ニ拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日
御名 御璽(ぎょめい ぎょじ)




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コメント

Re: 御礼

ガラシャさん

お便りを有難うございます。
拙ブログがご縁で致知出版社に入社されたとのこと、本当にうれしく拝見しました。
「致知」のような雑誌があることが日本の誇りであり、救いであり、希望であると思っています。

おっしゃる通り、混迷を深める日本が目指す道は富国有徳だと思いますが、「致知」はその道を照らす灯台です。
ガラシャさんのように志を持たれる方を、「致知」は求めていたことでしょうし、そのきっかけを作ることが出来ただけで拙いブログを綴ってきた意味がありました。
これからのご活躍を切に祈ります。
日本のために頑張って下さい。

御礼

いつもブログを拝見させて頂いているガラシャと申します。
「心と体に光を」を約二年前から拝見させて頂いており、このブログで致知を知り、二ヶ月前、遂に致知出版社に入社をしました。
この縁のきっかけはパック様の素晴らしいブログが発端であって、いつか御礼を伝えたいと思っていました。日本の荒廃に何もできない自分が嫌で、思い切って転職をしました。
まだまだ見習いで会社に貢献をできてはいない身ですが、致知をたくさんの方に広めて日本を元気にしていき、またパック様のような博識で徳が香るような人になっていけたらと思います。
富国有徳の日本を目指して、志を胸に励んで参ります。

Re: No title

yumiさん

私自身が教育勅語を初めて読んで、まさに日本の教育の軸としなければならないことだと思いました。
これまで知らずに、教育勅語の廃止は当たり前のことだと思っていた不明を恥じています。

時代や民族が違えば真理の説き方が変わりますが、仏教もキリスト教も、同じ真理を説いているはずです。
そうでなければ真理とは言えませんね。
一方に振れ過ぎた振り子は、揺り戻してバランスを取らなければならず、戦後65年経って、日本のすぐれた心を取り戻す時期に来ているのではないかと思います。

おそらくこのように知らずに否定してきたことが、他にもあるのだと思います。
先入観無しに学んでみなければならないと感じました。

No title

教育勅語ってこんなことを言っていたんですね☆
これって今まさに日本の教育の軸にすえたいところですよね~~☆誰が言ったからとかではないいつの時代にも
不変的なこのような核心をついた徳を説いているならばこれを日本の教育の軸にしたらいいのに~~とすら思います。
うちのRの保育園はクリスチャンで家族では仏教でということはあるものの、教えられている大切にするべきことって同じことなんですよね。神様に祈る心、感謝する心など教えてもらっているところはとても嬉しいことだと思っています。何が大事なのか、何を軸とするべきかがしっかりわからないで勉強だけでは本当の教育とはいえないのでしょうね。。。。
教育勅語という言葉は知っていたけれど、その内容までは全然知らなかった。。。。これが恥ずかしながら私の状態ですが、でもきっとこれが今の教育のあり方の結果なのでしょうね。何年に教育勅語というものがあったということよりその内容の大切さをこれからの子供たちにはおしえて欲しいな、、、いえいえ、自分も親なのですから子供が教育勅語のことを学校で習ったときいたときにはちゃんと話して聞かせてあげたいと思った貴重なお話でした(^^)

Re: No title

midoriさん

戦後教育を受けた私も、教育勅語については時代錯誤の代物と思い込み、知ろうという気も起きませんでした。
今回初めて通読し、その内容は日本人のみならず、世界中の人に必要であり、もし世界の人がこの心を持つことが出来れば、世界は紛争や戦争から開放されるのではないかと思いました。

ドイツは第一次、第二次大戦に敗れても教育権を放棄しませんでしたが、日本は何より大切な教育権を放棄させられてしまい、脈々と引き継いできた日本の大切な心を奪われてきました。
しかしそれでも尚、世界で日本人が高い評価を受けているのは、私たちの祖父や親の世代が伝えてくれた心の伝統が、まだ今の日本人に息づいていることの証だと思います。
願わくばその心が、私たちの子供や孫の世代まで途絶えることなく受け継がれることを願います。
midoriさんに。お子さんがいらっしゃらないのが残念です。

Re: No title

荒野鷹虎さん

教育勅語と言うだけでネガティブなイメージがあり、読む気にならなかったのですが、今回読んでみて、必要にして当然のことばかりで、なぜこれが否定されなければならないのか理解できません。
今この精神があれば、日本の問題はほとんど解決すると思いました。

No title

パックさん、こんにちは。はじめに”教育勅語”という言葉に違和感というか、ちょっと注意するべきものというような意識が、戦後教育のなかで育った私には当たり前にあったことということがわかりました、何も知らないくせに・・・・。その上で、今日の記事を読ませていただいて、パックさんのおっしゃるとおり、どこにも問題が感じられないばかりか、その尊さに感動さえおぼえました。明治生まれの祖父母たちが私の両親の世代を生み育て、その子供である私たち(そして私には子供がありませんが・・・)、そんなわずかな世代の交代のうちに風潮というものは、驚くほど変ってしまうものなのですね。そもそも、教育の理念は、そう簡単に変わるべきものではなく、普遍的な信念であってほしいと思います。簡単に揺らぐ意識でもって真白な状態で生まれてくる子供、次世代に教育を施そうとすること自体が不遜ではないでしょうか。パックさんが再三説いておられるように、戦後の日本は誤って大切なものをたくさん捨ててしまったようですね。それでも、その中で辛うじて伝わってきた日本人の心、その仕事ぶり、人としての謙虚さや和の保ち方などが、いまだ海外で感じられる日本人の評判でもあるのです。今朝、とても清々しい日本人のご家族をお送りしたところですが、温かいご両親のもとできちんと躾けられた二人の小さな息子さんたち、昨晩は夕食に同席したフランス人の友人も主人も、聞き分けのよい子供たちの様子に驚いていました。

No title

教育勅語は現代教育にも、充分通じるものと感嘆いたしました。この精神があれば、現代の悲惨な事件は起こるはずがありません。天皇の項目だけ除かねばなりませんが、後は是非、教育改革に、参考にしてもらいたいと痛感しました。!

Re: No title

風光さん

ご自宅に教育勅語の額を飾られていて、それがお母さんから頂いたものとは良い話ですね。
風光さんは、子供たちを教えるのが天命であったのではないかと思いました。

教育が如何に大事であるかは、中国を見れば良く分かります。
四書五経を生んだ国でありながら、社会主義国家となってからは信義礼知を失い、自分のことしか考えない国民になってしまいました。
日本はそこまでひどくなることはないでしょうが、平和ボケしている間に、中国に乗っ取られてしまう可能性が出てきました。

誇るべきものが分からなければ、守るべきものも分かりません。
本来の日本人の姿を、是非生徒さんたちに伝えてください。

No title

教育勅語は、額の形の中に文字が鋳造された置物が私の部屋にあります。
20代の時に母から頂いたものです。
当時母に説明を受けたものの、忘れてしまった30代にあらためてその読みと意味を調べて、今尚飾ってあります。
その素晴らしいと思う言葉に忘れることが無いように自分に言い聞かせる為に時々読んでおります。

ここ数日ブログを更新しようとしており、人を育てる意識の無い現在の教育方法や家庭の姿に危惧した記事であったのですが、バックさんの記事に充分なる説得力を感じました。
日本のあるべき姿と今後の日本の姿を描けない現首相は、その心に日本を持っていないとしか考えられません。
日本人が日本人であるべき姿、世界における日本の姿が薄れてしまった今、温故知新ではないですが、先達の良き知恵と行動に目を向けることも必要だと思っています。




Re: No title

タヌ子さん

頂いたコメントが言い尽しています。
正しいことは、国を超え時代を越えて共通ですが、敗戦国の悲哀で、大切なものの多くを否定されてしまいました。

国を愛することが悪いと教えられたのは世界でも日本位でしょうが、その結果、菅首相のように国歌を歌うことを拒否するような人間が首相に就いてしまいました。(国会の代表質問で否定していましたが、YOU TUBEに証拠をアップされてしまいました。今は削除されています。)

最近の若い人たちはネットで真実を知り、日本の原点回帰を願うようになってきました。
今、日本の将来に希望を抱くとしたら、このような若者が増えてきたことでしょうか。

No title

教育勅語はキリスト教の教えにも近いものがありますね。
12の国のためにというのがひっかかるのかも知れません。
これを読んで、己を殺して他人に尽くす、所謂滅私奉公型の教育だと考えてしまうことがいけないのですよね。
どこにも己を殺せとは書いていないし、己を大切にしていない人はこのような教えを実行できないはず。
最近は個性を大事にしようという教育方針で、子供の意思を尊重するところが多いようですが、まだ人格が出来上がっていない子供の意思だけを尊重すると、単に我儘な人間になってしまいます。
個性と我儘をはき違えてた人間の集団になってしまったら、もはや社会生活は成り立ちません。
日本の学校教育で、もっと礼儀をきちんと教えれば、自然と他人に対する思いやりも生れてくるのではないかと思います。
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