正義感の落とし穴

《追記》
過去の記事「神は悪を許しているか」に、今回の記事に関連する内容を書いています。ご覧いただければ幸いです


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正義の女神 Wikipedia


正義感の強い人ほど人を許すことができずません。
人を裁く判断基準が、自分の中の正義感ですから、身勝手な人間、傲慢な人間を許せないのは当然のことであり、それが自分の生き方だと信じています。

正義感が強い人は、会社や組織に不満を抱きやすく、身勝手な上司、傲慢な上司に強く反発し、いつでも辞めてやると口にします。しかし残念ながら「いつでも辞めてやる」と言う人間ほど辞めることはありません。こうした不満はどの組織にもあり、上司に反抗する人間を受け入れてくれる組織を探すのは困難であり、出世から取り残され、しかし辞めるに辞められず、会社生活を終えるケースが大半です。

課や部であれば、課長や部長、会社であれば社長の命令は絶対です。組織は組織の長の命令に従うことが前提で成り立っています。良い悪いではなく、それが組織の宿命です。
春に咲く花の中で、自分は秋に咲きたいと言っても通る話ではありません。その時は、秋に咲く花を探すしかないのです。

イエスは、「人を裁いてはいけない。自分が裁かれないためである」と言っています。上司の傲慢さや身勝手さを裁くその刀が、作用反作用の法則によって自分を裁きます。

昔、「復讐するは我にあり」という映画がありました。新約聖書の、「『主言い給う。復讐するは我にあり、我これを報いん」から取られています。
悪に対して悪で報いてはならない、悪を裁くのは神であると言うことですが、クリスチャンならともかく、神を信じない人間に信じろと言っても無理でしょう。第一、神が一々の悪人を裁くことをイメージできません。

この意味は、神が定めた宇宙の法則である「原因結果の法則」によって、悪をなした人間には、それに等しい結果が返ってくるということだと思います。
「原因結果の法則」によって、自らが自らを裁きます。「復讐するは我(自分)にあり」です。

この世で多くの悪を重ね、人を不幸にしながら安楽に生涯を終える人間がいます。その時、神も仏も無いのかと思われますが、もし、この世で「原因結果の法則」が現われなければ、あの世、あるいは来世で、その結果が100%自分に返って来るはずです。
「原因結果の法則」が存在するためには、命・魂はこの世限りではなく、永遠に輪廻転生を繰り返すことが前提となります。

正義感によって、人を裁くことのできる人間がいないことを表す、イエスの有名なエピソードがあります。
姦淫の罪を犯した女を取り囲んだ人たちが、ユダヤの律法により石を投げつけて殺せと口々に叫ぶ中、イエスは「汝らの中で罪なき者のみ彼女に石を投げよ」と言いました。
その言葉に一人去り二人去り、すべての人が去って行きました。

人を裁くとは、自分の顔についた汚れに気づかず、相手の顔の汚れを取れと言うことであり、正義感とは、人の顔の汚れが気になる性格だと言えます。

相手の性格が変えられないように、相手の顔の汚れを取ることはできません。
自分が裁かなくても、相手が自分自身を裁くのだと考えれば、正義感の呪縛から開放されます。

但し、社会悪については十分に真実を見る目を持ち、みんなでしっかり汚れを取り除く努力をしなければなりません。






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コメント

Re: No title

えりさん

日月神示についてはもう一度整理する時間がないので、黙示録の観点から記事を書きたいと思います。
極めて宗教的な内容になり、否定意見も多いだろうと思いますが、避けるべきではないようです。

様々な不正や愚かさや悪が渦巻く中で、「人事を尽くし天命を待つ」ことは、我々の成すべき最善の選択ですね。

有難うございました。

2010/06/12 (Sat) 08:23 | パック #- | URL | 編集
No title

パックさんへ
真摯なお返事を頂きまして、本当にありがとうございます。ご多忙と存じながら、ご無理を言って申し訳ありません。本当にありがとうございます。
やはり「日月神示」とご縁の深い方なのですね。

私が感ずるところは、予言云々の判断は、そういった能力は無いためできないのですが、(お節介ながら、貴ブログも大変意義のある素晴らしい内容であるので、予言の実現に関する判断までは、私は求めませんので、どうぞ、曖昧にしておいてください。※万が一悪意のある人に攻撃されてはいけないので。)

ただ、日月神示が説く、
人としての在り方、心の持ち方、世の中の捉え方に、
曇りを見つけることが出来ないのです。
もう、政治も経済も教育も、医療も福祉も、かなり切羽詰まったところにきているというのに、
個人レベルでの生活は特にいつもと変わらず平和であるため、まるで眠っているように生きている感覚です。

私生活を通して「人事を尽くし天命を待つ」という生き方をしようと決意しました、周りに馬鹿にされると思いますし、実際身内にさえも鼻で笑われる始末ですが、
そのように生きて、たとえ2012年に何も起こらなくたって、自分は何一つ損なうものはないじゃないか、と気がついたのです。

「神が許さぬものは一つも身につかんぞ。」という言葉が心に残り、神意に適わない物事はどんなに求めても、身につかないのだ、と。

気持ちが噴き出るように書いてしまい、長々とすみません。

ですが、素直に、パックさんのコメントが嬉しかったです。
これからもどうぞよろしくお願いします。

2010/06/12 (Sat) 02:58 | えり #- | URL | 編集
Re: 初めまして

えりさん 初めまして。

日月神示については深く勉強したことがありません。
しかし今から15年位前に、日月神示を書いた岡本天明さんの奥さんとお会いしたことがあります。
当時、すでにご高齢でしたので、現在も御健在かどうかわかりませんが、とても上品できれいな方でした。

結論から言えば、当時の人類の状況と私の判断力では、日月神示に書かれていることを、否定も肯定もできませんでした。

その後、日月神示について改めて勉強しておらず、内容についても定かに記憶していませんが、2012年が近づいた今、少なくとも黙示録に書かれた内容が、今の状況を的確に指摘していることに驚いています。

フォトンベルトが人類の大転換期であることは、間違いないと思っています。
極めて宗教的な内容になるので、これまで記事には書かずにいましたが、やはり避けて通ってはいけないようです。

日月神示を改めて勉強する時間がなく、きちんとしたお返事を差し上げられませんが、黙示録の観点から、一度記事にしたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

2010/06/11 (Fri) 10:54 | パック #- | URL | 編集
初めまして

初めまして。・・・いつも、興味深くブログを拝見させて頂いておりましたが、なかなか書きこむ勇気が無く、今日に至りました。

パックさんは、とても深い洞察をお持ちの方と思いますので、是非ともお考えをお伺いしたいと思い思い切って書き込みを致しました。

私は最近「日月神示」という神道のお筆先に関心を持っておりますが、どうも、日月神示の中でも、新約聖書の黙示録と共通する内容が書かれており、次元上昇を示唆するような内容も書かれており、それが辰の年(一番近くて2012年)だと書かれているのです。
私は正直言うと、ある出来事を機に、徐々に直感が働くようになってきたというか、鼻が利く(?)ようになってきたのですが、どうもこの筆先の内容を一文字も疑う気持ちになれません。

「縁ある魂には必ずこの神示を知らせる」、というようなことも書いてあったので、もしかしたら読んでいらっしゃるかもしれませんが、もし未読でしたら、ウィキペディアでさらっと目を通して頂けないでしょうか。

あなたのように、理性的な判断が出来る方、そして、
ご自身の哲学がしっかりと確立されている方の、
冷静なお考えというか、感じ方を知りたいのです。
また、あなたは、とても文章表現に無駄が無く、
すっきりとされていて、また心に響くものがあります。

お忙しいかもしれませんが、どうかお情けだと思って、
暇な時で構いませんので、取り上げて頂けないでしょうか。

勿論必要であれば、私のメールアドレスも私自身の見解(というか感ずるところ)もお知らせ致しますので。


2010/06/11 (Fri) 01:28 | えり #- | URL | 編集
Re: No title

midoriさん

悪への対処は、個人と社会で分けて考えた方が良さそうです。
個人の関係では、悪に対して悪で報いる限り、憎しみや対立は増幅し、学びや解決策は出てこないのではないでしょうか。
無論、その悪が犯罪であれば、しかるべき対処をしなければならないでしょうが、そうでなければ、自分も他人に同じような行動をしていないかを振り返ることが、人間性の向上に不可欠ではないかと思います。
許せる範囲を広げることは、自分にとっても生きやすくなります。

一方、社会的な悪についてはmidoriさんがおっしゃるように、許されないこと、許してはならないことがあります。
そのような悪に鈍感になれば、他人の不幸や災難を平気で見過ごす社会になってしまいます。

戦後の日本の不幸は、国家間の悪に対して、謝るべきでない謝罪を繰り返し、その場逃れの対応を繰り返して来たことです。
そのような悪は断固拒絶すべきでした。
国家間では、悪に対し善で報いることは、不可能かも知れません。

昨年9月の記事「神は悪を許しているか」をご覧いただければ幸いです。
正義と悪の問題では、ブログで書けない事がいくつかあり、もどかしく思います。

2010/06/10 (Thu) 01:25 | パック #- | URL | 編集
No title

パックさん、こんにちは。
世の中には、どう考えても悪いこと、許されないこと、許してはならないことは絶対にあるのですが、人間同士が他人の非を責める時には、自分の高まる気持ちを一旦抑えて、それを行った人に極力、自分を重ねて考えてみるような、一瞬のためらいが必要ではないかとも思われます。
果たして同じ境遇に生まれ育ったり、同じ状況に陥った時に、それでも自分は、それをはねつけるだけの強さ、正義感をもちつづけることができるかどうかと考えてみること、それでも気持ちが変らなければ、その正義は自分のあり方、生き方でもあり、自分の責任で貫く意味があると思うのです。皆が一様に、神が、または本人が自分で裁くからといって、高まる怒りに蓋をして、知らん顔をするのが得策だと考え始めると、その無関心は人間関係の希薄さを生み、自分だけがよければというエゴイズムにつながるとも考えられます。考えるにつけ、悪を裁くことは一人間にはあまりにも大きすぎる課題だと思いますが、反面、人間同士は、褒め合い、譲り合い、高めあおうとすることや、人やものに対しての優しさを示していくことに、よりいっそうの努力をしてよいのではないかと感じました。きょうも大切な視点のご提示をありがとうございました。こちらへのご訪問と温かなコメントをいつもありがとうございます。とても嬉しく、励みとさせていただいております。

2010/06/10 (Thu) 00:03 | parismidori #SQbl7Cak | URL | 編集
Re: No title

風光さん

以前風光さんが、良いところを探すのが難しい子供に対して、きれいな手をしてると褒めた
との記事に感心したことがあります。

悪いところはすぐに目につきますが、良いところを見つけるのは簡単ではなく、意識して見つける努力をしなければならないと感じました。

子供はきっかけがあれば、心の汚れを取るのが大人ほど難しくなく、そのきっかけを与えるのが大人の役割であり、汚れたり、ゆがんで見える子供の心の中の、丸くて光る本当の心を見つけるためには、大人の真剣さが必要なのだと思います。

傷つき助けを求める子供が多すぎますが、そのことが日本の将来の影になっています。
風光さんの仕事を通して、一人でも多くの子供が救われることを願います。




2010/06/09 (Wed) 16:49 | パック #- | URL | 編集
No title

毎日塾生の顔を見て、昨日と違う今日の顔にその成長が嬉しく思う事も多くあります。

初対面から暫く時間を同じくして、その子の欠点と思う事もありますが、それは私の判断でそれを指摘し直すように強要することは今の私には無くなりました。

それよりも、いかにその子の利点・長所を伸ばすかを考えることが多いです。

人を善悪で判断することは、悪であれば、その悪を自分が持っているからこそ気付くことであり、自分も同じ悪を持つと思うようにいつしかなってきました。
善行を見て喜び、それを伝えることが良いのではと思っております。

自分で自分に悪のレッテルを貼っている子もいましたが、いつしか剥がれ落ちてしまったようです。

人の目や言葉には、相手の心を歪にする力が有りますが、同じく円くする接し方もありますね。

本日も良き記事を拝読いたしました。
この記事を読む必要があったのではと、数日間、自分に問いかけていました。

感謝。

2010/06/09 (Wed) 14:37 | 風光 #- | URL | 編集
Re: No title

せばすてぃあんさん

今回の記事は、かっての自分自身のことを書いています。
曲がったことが大嫌いで、相手構わず正義感を振りかざしていました。
仕事が出来れば良いだろうと、思い上がっていたんですね。
上司から見たら、扱いにくい人間だったと思います。
世の中、音楽と一緒で、調和が大事ですね。

2010/06/07 (Mon) 22:46 | パック #- | URL | 編集
No title

こんばんは!

今回の記事、わが事かと思いました。
会社に意地張っている身勝手な正義感。
まさに僕です^^;

色々考えさせられましたね、どうもありがとうございます!

2010/06/07 (Mon) 22:04 | せばすてぃあん #- | URL | 編集
Re: No title

タヌ子さん

おっしゃる通り、出世する人間の多くは、日和見主義や長いものには巻かれろタイプです。
余程能力があれば、人間的に問題があり、反抗的な態度をとっても出世しますが、出世に限界があります。

私自身は、正義感の塊だと思っていました。
筋の通らないことは、相手が誰であっても受け入れることができず、それが自分のポリシーだと信じていました。
いくつかのプロジェクトを成功させ、得意の絶頂にいる時に左遷させられた経験があります。
その屈辱の中で気づいたことがたくさんあり、今から思えば貴重な体験でした。
少し回り道をしなければ、見えない景色がありますね。

2010/06/07 (Mon) 10:59 | パック #- | URL | 編集
Re: No title

アラレさん

政治家の発言を見ると、右も左も自分こそは正義だと言っています。
対立は、すべて自分が正しいと思うことから始まるのではないでしょうか。
マスコミは自分達が正義であるかのように振る舞いますが、都合の悪いことは発信していません。
世の中は味方によって、白か黒かが逆転することがあります。
子供たちに正義感は実は厄介なものであることを教えることは、ものごとをバランス良く見るために必要なことですね。



2010/06/07 (Mon) 10:28 | パック #- | URL | 編集
Re: No title

yumiさん

世の中に悪が多すぎて、怒りたくなることばかりですが、一々怒っていたらストレスで身がもちません。
正義感の危険なところは、自分自身の正義の基準が正しいかどうか分からないことです。
自分が怒らなくても、すべて相手に返って行くと考えだしてから、怒りから解放されました。
思い方一つですね。

コメント有難うございました。

2010/06/07 (Mon) 10:04 | パック #- | URL | 編集
No title

出世する人は、ある意味、日和見主義、長いものには巻かれろタイプの人が多いですね。
これは彼らの処世術なのだから、批判すべきことでもないとは思うものの、こういう人たちが次々トップになり、世間を牛耳っていくのだから、そこで筋を通そうとするのは難しいですね。
正義感とは違うかもしれないけれど、自分の主義を曲げない人はなかなか出世できないものです。
本当に悪いことばかりしても罰せられる事も無く、ノウノウと楽な生活を続けている人が世の中にはどれほどいることか・・・
これは不条理として諦めるしかないのかなとも思いますが、やはりどこか納得できない部分が残ります。
血筋や縁故が重視にされる世の中が変わらない限り、汚れを落とすのは難しいですね。

2010/06/06 (Sun) 22:32 | タヌ子 #- | URL | 編集
No title

私も含めて、この国では子供(特に男の子)の頃からヒーロー物のアニメや特撮ドラマで正義をたやすく振かざせるもののように、そしてそれを口にすれば相手を力尽くで叩きのめせる、それは格好良い事だと勘違いさせられて育ちます。

私自身には子供がいませんが、最近その事がとても気になっています。

本当の正義と、わがままや独りよがりの違いを、私を含めて大人でさえ分からずに、たやすく正義を振りかざしているように思います。


2010/06/06 (Sun) 22:26 | アラレ #- | URL | 編集
No title

パックさんこんにちは☆
私も悪いことしている人を見てもその人を責めるのはやめるようにしてます。その人の責めはその人自身が負うことになるのだからと思っているので。。。。。。だから可哀想に。。。。とは思います。

コメントありがとうございました♪
納豆、実はこれから作ろうとしている善玉バクテリアの水質改善剤はまさにヨーグルトと納豆と他にも色々ですが材料で入っているのですよ♪このことはまた作成するときにはアップしますね♪
人にも地球にも優しい花育てをしたいものですね♪

2010/06/06 (Sun) 21:56 | Yumi #- | URL | 編集

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