和をもって貴しと為す

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人は育った環境や教育で、異なった価値観やものの見方ができあがります。
身体の特性も考え方に影響し、人にはそれぞれの考え方があって、何が正しいかを一概に決めることはできません。
自分の意見が絶対だと言い張ることは、その意見が正しいかどうかに関わらず、他の考えを認めず、和を乱すことにおいて間違っています。

ものの見方や感じ方は相対的で、大切なことは調和であると説かれたのが、聖徳太子でした。

平城遷都から今年で1300年、その更に100年前の聖徳太子の教えは、近年まで日本人の心性に素直に響きました。
聖徳太子は仏教を篤く信仰しましたが、太子はもともと和が第一だと考えており、仏教の調和に自らの信念との一致を見たのではないでしょうか。

「和をもって貴しと為す」、この言葉は日本人なら誰でも知っているはずです。(もしかしたら、最近の小学校では教えていないかも知れませんが)
17条憲法は、心の法則を基に官吏の心得を述べています。
全部をご紹介出来ませんので、「十七条憲法」をご覧ください。下記現代語訳は、このサイトを参考にしています。


(第一条)
「和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。人みな党あり、また達(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。」


(意味)
和を何よりも大事にして、争いを起こさないことを根本としなければならない。人は徒党を組みたがり、本当に道理が分かった人は少ない。君主や親のいうことに従わなかったり、近隣の人たちとうまくいかないのはこのためだ。
上の者も下の者も協調して議論をするなら、自然と道理にかない、すべて成就して行くものだ。

*人の世で、まず第一に大切な事は和であり、和がなければどんな仕事も為すことはできません。例え正義によるものであっても、組織の調和を乱せば、仕事を達成することが困難です。


(第七条)
「~ 事(こと)大少となく、人を得て必ず治まり、時に急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。
これに因って、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危うきことなし。故に古の聖王は、官のために人を求め、人のために官を求めず。」


(意味)
事柄の大小にかかわらず、任に適した人を得られれば必ずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、危うくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。

*今の日本の混乱は、国を治める総理大臣以下の職責が、それに適した人ではなく、欲得や党の利害によって決められることにあるでしょう。

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 夢殿

(第十条)
「忿(こころのいかり)を絶ち、瞋(おもてのいかり)を棄て、人の違(たが)うを怒らざれ。
人みな心あり、心おのおの執(と)るところあり。彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。
われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫のみ。是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。

相共に賢愚なること鐶(みみがね=耳環)の端なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われ独り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。


(意味)
心の中の憤りをなくし、それを表情に出さぬようにし、他の人が自分と異なったことをしても怒ってはならない。
人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分は良くないと思うし、自分がこれこそと思っても相手は良くないとする。

自分は聖人で、相手が必ず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。
そもそもこれが良いとか良くないとか、だれが定めうるのだろう。お互いだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。

*解説の必要はありません。考えや価値観は相対的であり、独善にならず、人が怒る時は自分に否が無いか振り返って反省しなければならない。その通りです。


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(第十四条)
「群臣百寮(官吏)、嫉妬あることなかれ。われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。ゆえに、智おのれに勝るときは則ち悦(よろこ)ばず、才おのれに優るときは則ち嫉妬(ねた)む。ここをもって、五百(いおとせ)にしていまし賢に遇うとも、千載にしてもってひとりの聖(ひじり)を待つこと難(かた)し。それ賢聖を得ざれば、何をもってか国を治めん。


(意味)
官吏は嫉妬の気持ちを持ってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬は果てしない。自分より英知が優れている人がいると喜ばず、才能が勝っていると思えば嫉妬する。
それでは500年たっても賢者に会うことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することも困難である。
聖人・賢者といわれる優れた人材がなくては国を治めることはできない。

*こちらが好意を持てば相手も好意を持ち、嫌だと思えば相手もそう思う。嫉妬も怒りも恨みも妬みも、ネガティヴな感情は意識すればするほど増幅し、自らを苦しめると共に、その相手となる人間から応分の感情が帰ってきます。
最近の精神世界で語られる鏡の法則を、太子は1400年前に書いています。

日本の歴史において、重要な節目節目で人物が現れ、国を救い、立て直してきました。今、日本建国以来の国難の時に、そのような人物が見当たらないのは、やはり今の日本人が、それにふさわしい徳を失ってしまった結果ではないでしょうか。


(第十五条)
「私(私心)に背きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、憾(うらみ)あれば必ず同(ととのお)らず。同らざれば則ち私をもって公を妨ぐ。憾(うらみ)起こるときは則ち制に違(たが)い法を害(そこな)う。故に、初めの章に云わく、上下和諧(わかい)せよ。それまたこの情(こころ)なるか。


(意味)
私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、必ず不和が生じる。不和になれば私心で公務を執ることとなり、結果として公務を妨げる。恨みの心がおこってくれば、制度や法律を破る人も出てくる。上の者も下の者も協調の気持ちをもって論議しなさい。

*私心を去ることは、人の上に立つ者、公に奉仕する者が、まず第一に心掛けなくてはならないことであり、それはその立場に立つ日本人が、当然の義務として心得ていたことでした。
現在の政治家、天下り役人の姿を見ると、太子のこの言葉が空しく響きます。


(第十七条)
「それ事は独(ひと)り断(さだ)むべからず。必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。故に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。


(意味)
ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

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五箇条の御誓文

*明治天皇の「五箇条の御誓文」にある「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」の一文は、十七条憲法の、この一条の心を述べたものでしょう。

良くご紹介する雑誌「致知」4月号で、拓殖大学日本文化研究所客員教授 山内健生先生が聖徳太子「十七条憲法」に学ぶと題して寄稿されていて、その中で興味深い意見を述べられています。

「昭和59年、聖徳太子がお札から消えました。そして、ちょうどその頃から日本はおかしな方向に進み始めました。
私はこれも単なる偶然ではないような気がします。

自分たちが日本という国の過去と未来を繋ぐ一点に今いること。そして、この国の精神的支柱に「十七条憲法」があることを、私は最後に改めて強調しておきたいと思います。」

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*お金はエネルギーであり、善でも悪でもありません。しかし、欲望の対象となるため、悪いエネルギーが付きやすく、お札に聖徳太子を印刷することは、無意識の中に聖徳太子の聖徳を刻印していたのかも知れません。

大和の国は、まさに大いなる和の国でした。その和の礎を築いたのが聖徳太子でした。
聖徳太子が亡くなって100年後に編纂された「日本書紀」に、太子が亡くなった時、世の中は光を失い、人々は泣き続けたとの記述があります。

聖徳太子の徳の高さを物語り、同時に、当時の日本人の徳への尊敬の強さを物語るものです。
聖徳太子を生んだ国、その教えを大切にした民族、何と素晴らしい国、素晴らしい民族であったかと、今更のように思います。





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コメント

Re: No title

荒野鷹虎さん

最近の小学校で聖徳太子を教えているのか気になります。
個人主義、能力主義、拝金主義が蔓延している現在こそ、和の心を教えていかなくてはいけないと思います。
日いずる国が、斜陽となってしまった原因は心にあるはずであり、教育こそ国の未来であることを、為政者に真剣に考えてほしいと思います。

2010/06/25 (Fri) 23:30 | パック #- | URL | 編集
No title

以和為貴は日本人の道徳の基本ですね。大和の国の言われも、なるほどと思いました。いつも高度で、本来、当然の教えを分かりやすく解説いただき、大変、ためになります。徳育の大切さが、痛感いたしました。
教育改革の、喫緊の課題が忘れられています。有難うございました。!

2010/06/25 (Fri) 18:06 | 荒野鷹虎 #- | URL | 編集
Re: No title

えりさん

通貨には様々な意図があり、デザインや金額も意図があって決められているようです。
日銀は株式が店頭公開されていて、誰でも買うことが出来ます。
株式会社である以上、大株主の意向に左右されます。
「石屋」が関わっていると言えばお分かり頂けると思います。

昭和から平成に移る頃に、日本は決定的な間違いをいくつか犯しました。
罠に嵌ったといっても良いでしょう。
その頃に思春期を送った世代のの特徴については考えたことがありませんが、
当然時代精神が影響しているはずですね。

頂いたメールアドレスに連絡させていただきます。
有難うございます。

2010/06/24 (Thu) 06:59 | パック #- | URL | 編集
No title

パックさんへ

最近昭和60年のことを調べていたので、昭和59年に聖徳太子のお札が消えた、の一文に背筋がゾッとする思いでした。引用文の通り、どうやらこの辺りが日本の分岐点であったように思います。

私の実感でいうと、この時期に生まれた世代、と言うよりは、この時期に多感な青春時代を過ごした世代の歪みを感じます。勿論全ての人がそうだと言うわけではないのですし、真面目にやってきた方だって沢山いるはずです。
ただ、今この世代が子育ての年代であり、社会の中間世代となっている状態なのが非常に気掛かりです。
その次に団塊の世代に育てられた子供たちが中間世代になる時代が来ますが、果たしてどうなるか・・・。

※メールアドレスを入力しておきます。先日の記事で、
内容を相当考慮して頂いたのだと思います。
憚らずお考えをお聞かせ頂けるのであれば、私と致しましては、心から大歓迎です。

2010/06/24 (Thu) 00:53 | えり #- | URL | 編集
Re: No title

風光さん

頂いたコメントの内容は、私も実感しています。
私も色々な現場に立ち会ってきましたが、暑さ寒さの中、現場で大変な作業をする人たちの給料が安く、ホワイトカラーが高給をもらっていることに不合理を感じていました。

昔、地方のあるメーカーで年配の作業員と話をしていた時、この人がエレベーター(エスカレーターだったか)に乗ったことがないと言うのに驚いたことがあります。
高校で機械を勉んだと言っていましたが、ずっと溶接の仕事をしており、デパートにも大きなスーパー行ったことが無かったのでしょう。(信じられないことですが)

そのことだけで幸不幸を決めることはできませんが、人生のスタートで付く学歴と言うハンディキャップを、生涯埋めることができないことが最初から分かっていたら、誰も一所懸命に勉強するだろうなと思ったことが何度もあります。

多くの企業、特に大手は学歴だけで出発点とゴールが違います。
しかし日本はヨーロッパのような階級社会と違って、生まれた時から乗り越えられないハンディがあるわけではなく、まだ実力社会に近いと言えるでしょう。

現在は大学を出ただけで、能力が無いのに出世できる時代ではなくなってきました。

2010/06/22 (Tue) 18:03 | パック #- | URL | 編集
No title

学閥と言う言葉を知ったのが高校を卒業する少し前の事。
有名大学卒が企業においても優先して職を選べる時代。
高卒はブルーカラーと言われ、製造部門への配属が決まっていた。
私は、技術部門に配属されたが同時に夜間の大学に入学。
しかし夜間は大卒と認められにくい。

それから数年後に実力社会という言葉を聞き、変に期待感を夢見た事もある。
しかしそれは言葉だけの事で・・・。
後輩の配属は生産技術部門止まり。
会社の食堂で現場部門と技術系・事務系部門の差は作業服の汚れで容易に判断できた。

冠位十二階は知っていた。

そして今は「落ちこぼれ」と言う言葉がある。
落ちこぼれの意見は排斥される。
レッテルを貼られたら、それを学生自身が剥がすことは容易ではない。
諦めて暴動に走る。
諦めて登校拒否になる。

すみませんバックさん、記事を読んでいまして、こんな事を考えてしまいました。

「和をもって貴しと為す」
あらためて考えされられました。

2010/06/22 (Tue) 16:31 | 風光 #- | URL | 編集
Re: No title

タヌ子さん

公のために自分を捨てることのできる政治家が、今の日本に何人存在するのか疑問です。
タヌ子さんの言われるように、日本の将来についてビジョンを持たず、場当たり的な票取り作戦ばかりを繰り返しています。

残念ながら日本のマスコミは、NHKを始めとして反日勢力が支配し、国民はそのプロパガンダに乗せられて、反日政党を選んでいます。
参院選挙で民主党が勝てば、日本は終わりです。
その時は、日本脱出を考えなくてはいけないでしょうから、いつかタヌ子さんのお側でひっそりと暮らしたいと思います。

昔の1万円札は重さがありましたね。
それが聖徳太子の風格だったのかと気づかされました。
「1000円札に聖徳太子を!」、国民運動が必要ですね。

コメント有難うございました。

2010/06/22 (Tue) 07:35 | パック #- | URL | 編集
No title

今の政治家は日本の将来について語ることを忘れ、私利私欲に走り、それぞれの政党は常に票取り作戦に徹し、勝てば内部分裂、政党同士の足の引っ張り合いばかりで建設的な部分が全く見えません。
国会でも、相手の意見を聞くことを知らず、とにかく反対意見だけを述べればよいと思っているようにも感じられます。
和がなければ一つのものを構築していくことは不可能で、このままバラバラになった日本がどういう方向に向かっていくのか全く先が見えない状態ですね。
貨幣価値の変化と言う事もありますが、聖徳太子が描かれた一万円札はとても価値のある有難いもののように感じていました。
これを大切に使おう!と思っていたものです。
この辺でもう一度聖徳太子に復活していただきたいものですが、一万円札としてではなく、子供でも使う機会の多い千円札として登場していただき、同時に明日の日本を担う子供にも和の心を伝えて欲しいものです。

2010/06/22 (Tue) 00:07 | タヌ子 #- | URL | 編集

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