教育が未来を作る

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ヨゼフ・ピタウ大司教

バチカンの教育省次官を務めた、ヨゼフ・ピタウ大司教の記事が読売新聞の「時代の証言者」に連載されています。宣教師として来日した日本で、30年近く教育に携わってきた方です。第1回目の記事から抜粋します。

「2003年、バチカンの教育省次官であった私は、定年の目安である75歳を迎えたことから、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世に退官を申し出て認められました。日本に戻りたいとの願いは、翌年かないました。

生まれ育ったイタリアではなく、日本をついの住み家とした選択を不思議に思う人もいますが、私にとっては自然なことでした。イエズス会の修道士として宣教のため、一生を日本に捧げる覚悟で渡ったのですから。
まさか途中で呼び戻され、24年近くローマとバチカンで過ごすことになるとは思っていませんでした。

日本は、私が司祭に叙階された特別の思い入れのある国です。司祭としての礎を築いてくれた国でもあります。
私が日本へ始めてやってきたのは24歳の時、1952年のことです。当時の日本は、まだ敗戦の痛手が残り、困窮した状態でした。
最初のクリスマスにイエズス会の教会がある山口県内を回り、目にした光景は忘れません。爆撃で崩壊した建物が残存する中、どこの町でも一番立派で新しい建物は学校でした。運動場やプールもありました。

親たちは食べるものが十分でなくとも、子供により良い教育環境を与えたいと頑張っていました。
国を立て直すのに、まず教育に力を入れる日本に驚くと同時に、深い関心、尊敬、そして愛を感じました。
日本はすごい国になるのでは、と肌で察しました。 ・・・・」



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  山辺学校歴史民族資料館(松本)

日本の戦後の発展を支えたのは、間違いなく教育でした。しかし、日本人が昔から教育に力を入れてきたのは、立派な人間を作るためであり、経済的発展はその結果でした。

国際派日本人養成講座」から、江戸時代の教育水準の高さを示す記事をご紹介します。
このブログは必見です。日本人にまつわる多くの感動的エピソードが紹介されており、同時に現代日本の病理を鋭くえぐっています。

(群を抜く教育水準)
「・・・・専門家の推定では、幕末の嘉永年間(1850年頃)での江戸での就学率は70~86%。これを以下のデータと比較してみよう。

・イギリス 20~25% (1837年での大工業都市)
・フランス  1.4%   (1793年、フランス革命で初等教育を義務化・ 無料化したが) 
・ソ連    20%    (1920年、モスクワ)

 江戸日本の教育水準がいかに群を抜いていたかが分かる。なぜこれだけの差がついたのか、単に物質的豊かさだけなら、産業革命に成功し、7つの海にまたがる広大な植民地を収奪したイギリスの方が、はるかに有利だったはずである。その秘密を探ってみよう。

 当時の江戸には、1500余りの寺子屋や塾があった。幕末の全国では、1万5千にものぼる。僧侶や神官、武家、農民などが運営していたもので、幕府は直接的には一切、関与していなかった。
これらの人々が自宅などに、10人から、大きいところでは100人程度の生徒を集め、読み書き、算術、地理、さらには、農業用語や漢文まで教えていたという。現在で言えば、正規の小中学校がなく、すべて町中の書道教室や学習塾のようなものだけだったと想像すれば良い。

 江戸時代に作られた教科書は、実物が残っているものだけで、7千種類以上もある。大まかに250年で平均してみれば、年間30種類も出ていたことになる。・・・・」


日本はまさに圧倒的な教育国家でした。識字率の低い国は今でも世界に数多くあります。
文字を読めないことを知られたために殺人を犯す小説があり、今年公開された映画、「愛を読む人」も、文字が読めないために人生が暗転する映画でした。このテーマが欧米で理解されるのは、依然として識字率が低いためです。

これほどの教育国家であった日本の子供たちの数学嫌いが、今世界でトップクラスになってしまいました。「ゆとり教育」の結果です。「国際派日本人養成講座」の、「ゆとり教育の現場から」引用します。

・・・・「ゆとり教育」が実施されたのは昭和55年であるから、その5年後くらいから、影響が出始めて、犯罪件数が増えだしたと考えられる。文部科学省での「ゆとり教育」のスポークスマン、寺脇研・大臣官房審議官の目指す所が実現できたのかどうかという点で、検証してみよう。寺脇氏自身の実績も、この指摘の正しさを実証している。

氏は平成5年から8年の間、広島県の教育長を務めており、高校進学希望者は入試で0点でも全員入学できるという「高校全入」政策を押し進めた。その間、広島県の学力は急降下し、国公立大学入試センターで平成2年には全国都道府県中21位だったのが、8年には45位と全国最下位レベルとなった。
犯罪を犯す少年の比率は、千人当たり23.9人と全国一位(平成9年)である。こういう失敗をした人間が、その責任も追求されずに中央官僚として「ゆとり教育」をさらに押し進めているのである。・・・・」



今、民主党によって高校無料化政策が検討されており、何か「高校全入」に似た危うさを感じます。
ヨゼフ・ピタウ大司教の記事にあるように、戦後の日本は、食うや食わずの中で、何をおいても子供の教育のために努力してきました。そして子供も親の苦労を見ながら育ち、親の恩に報いるよう努力してきたのです。

高校無料化には、一説によれば5兆円以上の予算が必要だと言われます。無論、それが本当に必要であれば惜しむべきではありませんが、しかし、自分が学ぶために親に負担を掛けているという思いも子供の教育の一面であり、そうでなければ教育はさらにお手軽なものとなってしまいます。

最近の調査で、日本の貧困率が15%を超えたというニュースがありました。高校の授業料が払えない家庭があることも事実でしょう。しかしその場合は育英資金を充実させるべきであり、ましてや、金の掛かる私学が補助の対象にならないのであれば、人気取り政策と言わざるを得ません。

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  フィヒテ

18世紀末、ナポレオンのフランス軍がドイツに迫る中、哲学者でありイェナ大学教授であったフィヒテは、「ドイツ国民に告ぐ」という有名な講演で教育の重要性を訴えました。

「我々は、未来の生を現在の生に結びつけなければならない。それにはドイツはドイツの教育を抜本的に変革する必要がある。その教育とは国民の教育であり、ドイツ人のための教育であり、ドイツのための教育である。
この講演の目的は、打ちひしがれた人々に勇気と希望を与え、深い悲しみのなかに喜びを予告し、最大の窮迫の時を乗り越えるようにすることである。ここにいる聴衆は少ないかもしれないが、私はこれを全ドイツの国民に告げている。」

第二次大戦後、ドイツは教育権を放棄しない条件で降伏しました。教育が国の未来であることを、深く認識していたためです。
しかし敗戦によって日本は、何より大事な教育権に他国の介入を許し、過去から連綿と受け継いできた日本的精神性を失ってしまったのです。
そして残念ながら、戦後教育で日本精神を失ってしまった政治家や役人、指導者が、人気取りや深い人間理解も無しに、場当たり的に「教育改革」を行っています。

「日本国民に告ぐ」という警鐘を発する真の指導者がこの国に必要であり、私たちも雑音の多い情報の中で、何が真実かを見極めたいものです。



参考:「松岡正剛の千夜千冊




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コメント

Re: タイトルなし

アラレさん ご意見有難うございます。

モンスターペアレントについては、色々な逸話を聞いていますが、
自分さえ良ければ、人はどうなっても構わないということでしょうね。
そのような親に育てられた子供、またその子供の子供は、一体どんな人間になるのでしょうか。
もはや日本人とは言えません。

教師の現場は良くわかりませんが、このような子供を教えるだけでも大変なのに、
すぐに親が文句を言いに来るのであれば、まともな教育はできないと思います。
アメリカ式に、PTAを設置したことが、日本の教育の重い足かせです。

そしてマスコミの問題が大きいと思います。
体罰などを与えると、さも大事件のように報道します。
報道する側も戦後教育を受けており、何が重要か分かっていません。

戦後の日本の病理が教育に集約されており、逆に、教育改革こそ、
日本復興のカギだと痛感します。
ただし、民主党には期待していません。

今の教育に関して言えば、独身で子育ての経験もないので実感するものは無いのですが、教える側の教師や、育てる側の親の質、人間性にこそ問題がありそうだと思います。
少子化問題、子育て支援にしても、親の虐待やいわゆる「モンスターペアレント」といった問題を後回しにしてただただ産めよ、増えよではあまりにも無責任な気がします。

もちろん、子供の教育以上に、教師や親の「教育」は難しいでしょうし、かといって子供の成長は待ったなしでやり直しも出来ないとすれば、私などには何も解決策が思いつきません。

その上学校教育があまりに声高に問題化されると、例えが古いですが戸塚ヨットスクールのような極端な教育法や教育者が溢れ返りそうで、無責任なマスコミや世間の噂に、これまた無知で無責任な親がたやすく飛び付きそうで怖いです。

教える側や育てる側も含めて「学力の向上」よりも「人間性の向上」。言うほど簡単ではないのでしょうね。

Re: タイトルなし

midoriさん ご意見ありがとうございます。

明治以降の日本の急激な発展を支えたのは、世界一の教育にあったことは明らかです。
日本が敗戦後に奇跡的な復興を遂げたのは、戦前の教育を受けた人々の懸命な努力に拠るものでした。
今、日本は自信を失い、進むべき方向を見失っています。
工業生産だけではなく、文化立国かも知れません。

この百年間、フランス文化は世界を圧倒しました。
音楽、絵画、文学、工芸、どれをとっても世界の頂点にありました。
それぞれのジャンルに天才的な才能が出現し、その影響で新たな才能が開花したのでしょうが、それを育み、評価するフランス国民の土壌が、それを可能にしたのだと思います。
識字率1.4%の国民に、どんな教育改革があったのか、興味があります。

いつも大切なご意見、ご提案をありがとうございます。興味深く読ませていただいております。
江戸での就学率70~86%に対しての、フランス1.4% (1793年、フランス革命で初等教育を義務化・ 無料化したが)には驚きました。教育、知育は、読み書き算盤だけではなく、道徳や社会性を学ぶことでもありましょう。暮らしてみての感覚的、主観的なものに過ぎませんが、日仏の社会の機能の仕方、効率性を比べてみても日本の優位さは明らかで、これはいまにはじまったものではないということだと思います。一方、フランスにあって日本に欠けているものもあるのでしょう。人間性が育つためにどういう教育が不可欠なのかにも関心があります。バランスのとれた政策が期待されると感じました。

Re: タイトルなし

風光さん こんにちは。

昔の日本人は、子供の能力がどれほど優れているか、良くわかっていました。

子供はいくら詰め込んでも、どんどん入る能力を持っています。
大人になれば、今聞いたことをすぐに忘れますが、子供の頃に覚えたことは、
いつまでも残っています。
記憶力の衰えた今、子供の頃にもっと詰め込むべきであったと思っています。

詰め込み教育という言葉自体が、大人が考えた誤った言葉です。

如何に記憶さすかという方法論に、素読があります。
素読は先人の知恵を魂に刻む優れた方法であり、見直すべき知恵です。

日本の優れた点を一切合切否定してきた戦後教育が、現在の日本を作ってしまいました。
道徳心は日本の根幹であり、それを失って日本という巨木は根腐れを起こしています。
戦前の教育を受けた人たちが、それぞれの分野の第一線を退いた現在、
日本は、開国以来の危機にあるのではないでしょうか。

教育ママと言う言葉が紙面を飾った頃から
教育の本質が単に詰め込む教育としてとらえられていたと思われます。
教育の本質は、学問を教える事と人を育てる事が両輪として回転していかないと人間形成は前に進んでいかないと思います。

詰め込むことはダメだ、だからゆとりを持たせるという安易な考え方の道筋をたてた日本の教育制度が間違っていたのだと思います。

学問は受け入れる人の心が整っていないと、学びとる事は出来ないと思います。
このゆとり教育を考えた関係者は、教育の本来の意味を知らなかったのでしょう。
改正すべきは、教え方であって、学ばなければならない知識を削ってまで、授業時間を短縮する事は無かったのです。
教育を単純な競い合いと感じている者が考えた愚かな策だったのだと言わざるを得ません。

愚は過去に学び、賢は歴史に学ぶという言葉がありましたが、
一日も早く憲法が改正されて、日本の良き教育の歴史と道徳が正しく教えられる世になればと思います。

Re: タイトルなし

せばすてぃあんさん こんばんは。

偉そうなことを書いていますが、高2まで余り勉強しなかったですね。
できれば中学からやり直したい程です。
日本は戦後、ずっと坂の上の雲を目指して進んで来ましたが、
今は進むべき方向が分からなくなっています。
これからの子供たちが、希望を持てる国に戻したいですね。

こんばんは!

ピタウさんの記事は僕も読売で読みました。
教育と言うのは本当に大事ですよね。
今の教育が正しいかと言えば、何か正しくないと思います。
勉強以前の問題も多くて、将来の日本に不安を禁じません。

Re: タイトルなし

yumiさん こんにちは。

ゆとり教育を考え出した人間は、教育というもの、人間と言うものを全く理解していませんでした。
これからも、同じような人間が教育を牛耳る可能性があり、子供の教育を学校任せにできません。

武士道、華道など道と付くものこそ日本精神ですね。
忍耐や調和、質素や簡潔などに美しさを見出した、日本人の美意識そのものです。
昔アインシュタインが、「日本のような国を作っておいてくれたことを、神に感謝する」と言いましたが、
それは日本的精神に対してでした。
ナショナルなものこそインターナショナルであると言われますが、本質は芸術を愛し、自然を愛し、
動物を愛する優しい心が、すべての人の心に響くのだろうと思います。
コメント有難うございました。

まさに子を持つ親としては他人事では済まされない教育という問題ですね。。。。
ゆとり教育は私も間違った政策だったと思います。
大人になったときに心にもゆとりがでるためにもいろんなことを沢山経験、知識としても得ることが出来たほうがいいと思います。そのためにも一番スポンジみたいに吸収することができる時季に与えないのはかわいそうなことですよね。。。。。。
教育現場にも日本人としての生まれ持った資質を伸ばしていくべきものがあってもしかるべきとも思ってました。海外では自分の国らしさを学ぶことがもっと盛り込んであるように思えるんです。
英語も大事ですけれど、武士道、華道など道と付くものが持つようなそんな素晴らしさを日本の独自の教育に盛り込んでいるところがあったら素敵なのになっておもうんですけどね。。。。。。日本人が持っている感性の豊かさ繊細さは家庭でも見せていくことが出来ると思うので今は学校教育についてはまだ先の話だったりあまり変えていくことが出来ないのかもしれないですが、おうちでできることをやっていきたいですね。。。。
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