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仏陀とマツリカ(茉莉花)

お釈迦様とマツリカ(茉莉花)にまつわる話があります。
マツリカとはジャスミンのことです。

今から2500年前、インドの北部にコーサラ国がありました。お釈迦様が生まれたマガダ国の隣で、ヒマラヤに近い所です。
その首都、舎衛城にヤージャアダッタというバラモンの大金持ちがいて、その召使の一人であるカピラーという女がジャスミンの花園の手入れをしていました。
カピラーは、顔は不器量ですが心のきれいな女でした。

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ある朝、祇園精舎から托鉢に出てこられた仏陀を見たカピラーは、仏陀とも知らず自分が昼食に持ってきた食べ物を布施しました。自分はお腹がすいても、僧侶に布施した喜びで満足でした。

その日、国王パセナディは狩に出ていましたが、獲物を追っているうちに兵たちと離れ離れになり、一休みしようとしてヤージャアダッタのジャスミンの花園に入って行きました。

カピラーは入って来たのが国王だとは知らず、「さあ、どうぞ」と、自分の着ていた着物を1枚脱いで敷き、その上にパセナディ王を座らせました。そして「足をお洗いになりますか」とたずね、蓮の葉に水を入れてきて王の足を洗いました。

「顔をお洗いになりますか」
「水をお飲みになりますか」
それから、
「少し横になられませんか」と自分の着物をもう1枚脱いで王を横にならせ、足をもみ、体をさすって疲れを癒しました。疲れていた王は、自分が何も言わないのに、自分の思う通りに世話をしてくれるこの女の賢さに感心しました。

王は、誰の娘かと聞きました。
「ヤージャアダッタ様の召使いでございます」
王は探しにきていた兵に命じて、ヤージャアダッタを呼びにやりました。

「この女はそなたの召使か」
「この女を妻にしたいと思う」
王はヤージャアダッタに結納金を払い、宮殿から着物や装飾品を取り寄せ化粧をさせ、自分の馬車に乗せて宮殿に帰りました。

カピラーはやっとそれがコーサラ国の国王パセナディであることに気づきました。
宮中に入ると様々な学芸、書や画、歌や舞を習い、何一つできないことがない女性になりました。
天性の心の美しさに磨きがかかり、五百人の女たちからも尊敬されて第一夫人となったのです。

カピラーは心の美しさと、王と出会ったジャスミンの花園にちなみ、「マツリカ」と呼ばれることになりました。

マツリカは自分が布施をした人が仏陀であることを知り、自分が仏陀に布施した功徳で妃になったのだろうかと考え、パセナディー王の許しを得て祇園精舎に仏陀を訪ねました。

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祇園精舎

マツリカはその足もとにひれ伏して訊ねました。
「女と生まれても、顔かたちの醜いものもあり、貧乏で苦しむものもあり、身分の卑しいものもあります。それはどうしてでしょうか」

仏陀は言われました。
「怒りやすい女は顔かたちが醜くなる。欲張りで人に施すことを好まない女は貧乏になる。他の人の成功をねたむ女は、卑しい身分に生まれる」

この言葉を聞いたマツリカは、
「わたくしは前世において怒りやすかったに違いありません。それでこのように醜く生まれたのです」
「また前世において、少しは施しをしたことがあったに違いありません。それでこのように財産を持つようになったのでしょう」
「人が成功したことを自分のことのように喜んで、決して人の成功をねたまなかったのに違いありません。それでこのような高い身分になったのでしょう」

「わたくしは、これからは決して怒らないように注意します。また、他人の成功をねたまないようにいたします。仏陀と教団に帰依いたします。生涯の間、殺生と盗みと邪淫と嘘と飲酒をつつしむことを誓います」
そう言って城に帰ると、王にも仏陀に帰依するように勧めました。

ある日パセナディー王はマツリカに訊ねました。
「マツリカよ、そなたはこの世で誰を一番愛するか」
しばらく考えたマツリカは、
「王さま、わたくしは、わたくし自身を一番愛します。自分以上に愛しいものがあるでしょうか」

王はその答えが気に入りませんでした。
当然、「王さま、わたくしは王さまを一番愛します」と答えてくれるものと期待していました。
身分の低いマツリカを妃に取り立てたのですから当然です。

しばらくじっと考えた王は、マツリカが言うことが正しいように思えてきました。
「マツリカよ、自分もそなたが言うことが正しいように思えるが、祇園精舎に行って仏陀にお聞きしようではないか」
そう思った王は、急いで馬車を駆り、仏陀を訪ねて教えを乞いました。

「人の思いは、どこへでもおもむくことができる。
しかし、どこにおもむこうとも、人は自分より愛しいものを見出すことはできない。
それと同じように、他の人もまた、自分をこの上なく愛しいと思っている。
そうであれば、自分を愛しいと思うものは、他の人にも慈しみを与えなければいけない」

仏陀は答えました。


「自分が一番愛しい」という言葉は利己主義のように感じますが、利己主義は自分を不幸にします。

この世には、原因結果の法則が働いています。
良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が帰ってきます。もし、真に自分を大事にするのであれば、良い結果が帰る行いをしなければなりません。

一番愛しい自分を幸せにできるのは自分だけです。そして、自分を許すことができるのも自分だけです。
人は良い行いをしたい、立派な人間になりたい、もっと頑張りたいと思いながら、自分の弱さに負けてしまいます。
しかし、良く頑張ったじゃないか、これからもう一度頑張ればいいんだよと自分を許すことも必要です。
人が許してくれても、自分の中に後悔や罪悪感があれば自分を責め続けることになり、それは創造的な思いではありません。

しかし同時に、自分を許すなら人も許さなければなりません。
イエスが言われた「人を裁いてはいけない。自分が裁かれないためである」との言葉のように、悪口には悪口が、怒りには怒りが帰り、一方、優しさには優しさが、思いやりには思いやりが帰るのがこの世の法則です。

一番愛しいのは自分であるがゆえに、人は正しく生きなければならないことをマツリカの言葉から気づかされます。

注:イエスが悟った後、キリストになったように、釈迦族の王子、ゴーダマシッタルダが悟った後、
  仏陀となります。
  

参考:園頭広周著「仏陀をめぐる女性たち」絶版




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コメント

Re: タイトルなし

風光さん

因果応報という言葉は宗教的な感じがしますが、物理法則だと思います。
原因結果の現れ方が複雑過ぎて、法則として見えにくいのでしょうね。
報恩感謝も因果応報と一体だと思います。

報恩感謝を行為として表せる人間になりたいと思いますが、まだまだです。

2009/09/20 (Sun) 10:16 | パック #- | URL | 編集

拝読しながら、因果応報、因果律を考えていました。

同時に報恩感謝も・・・。

生きている中で身にしみてこの事を知る出来事に出会う事がありました。

今、この記事を拝読し更に気づく事も多々あります。

感謝。

2009/09/20 (Sun) 09:15 | 風光 #- | URL | 編集
Re: はじめまして

まりみさん はじめまして。

マツリカというジャスミンの名前に、このようなエピソードがあったのですね。
その香りのように、良い話だと思います。
コメントをありがとうございました。

2009/09/19 (Sat) 23:55 | パック #- | URL | 編集
はじめまして

美しいお話ですね。
感動しました。

ジャスミンが大好きなので
心に響くものがあります。

2009/09/19 (Sat) 23:40 | まりみ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

yumiさん こんばんは。

そうですね。自分を大事にできなければ、人も自分を大事にしてくれないのかも知れません。
又、自分が人を大事にしなければ、人も自分を大事にしてくれないのですね。
マツリカの話は、召使という最下級の身分から后になったのはフィクションかも知れませんが、
きっと本当のことだろうと思います。
マツリカの香りをyumiさんにお届けしたいですね。
コメントありがとうございました。

2009/09/19 (Sat) 22:11 | パック #- | URL | 編集

花の名前でよばれるようになるなんてそれだけ心が清らかだったのでしょうね。。。。。。
私はいつも自分を愛せない人は人からも愛されないって思ってます。
自分を好きになること、許せることは他人に対しても寛容になれるとそれが人と接する時にどれだけ楽に接することができるのか。。。。。自分でもこれが完璧に出来ているわけではないので立ち止まるといつも「今の自分が好きか」を自問自答します。そして好きな自分を取り戻す努力をするように心がけるのですが、いたらないのでそれを何度も繰り返しているのですけれどもね☆
素敵な茉莉花の話をありがとうございました(^^)

2009/09/19 (Sat) 20:23 | Yumi #- | URL | 編集

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