自分に素直になる

P1011148.jpg


人間は自分を美しく見せたい、賢く見せたい、偉く見せたい、大きく見せたいという様々な虚栄があります。
ある有名な僧侶がこんなことを言っていました。「食欲、性欲は歳を取るに従って少なくなるが、尊敬されたいという名誉欲は衰えることがない」
正直な感想ですが、それ程虚栄心を抑えることは難しいということでしょう。

スウェーデンの経済学者、トルンクイストが収入と消費の関係をトルンクイスト理論として表しています。
簡単に説明すれば、例えば戦後、まず第一に必要なのは鍋や包丁などの生活必需品です。
これらの道具は生活するために最低限必要なものですが、必要以上には要りません。いくら金持ちでも包丁やまな板を何十も持ちたいとは思いません。これらの生活必需品を第一グループとします。

第二グループにはテレビ、ステレオ、パソコンなど、生活を豊かにする製品が入ります。収入が増えて生活が安定すれば、これらの製品の購入が増えますが、部屋数以上に欲しい人はいないでしょう。

第三グループには、宝石、衣類、アクセサリー、バッグ、靴などが入ります。これらの身を飾る製品はこれで十分だという限度がありません。金さえあれば次々に新しいものが欲しくなります。独裁国歌の元首が失脚した後、奥さんの靴が5千足出てきたと言うのも、自分を飾る欲望がどれだけ強いかを表わすものです。

虚栄心は自分を縛り、生きにくくする大きな原因となっています。人の目を気にせず、自分をさらけ出すことができれば、人はどれほど自由に生きることが出来るでしょうか。


abs.jpg
アラレさんからお借りしました

月刊誌「知致」の9月号に鈴木秀子さんが、「自分を低くして、この幼な子のようになる者が、天の国でいちばん偉いのである」という、新約聖書のマタイによる福音書の言葉を引用し、記事を書かれています。
一部をご紹介します。

『クラスを感動させたみっちゃんの勇気』

「最近、私は都内のある中学校で三年生を相手に命の尊さについてお話する機会がありました。
その中で私は、命を大切にするというのは何も大きなことに取り組むことではなくて、日常生活の一瞬一瞬、その時、目の前にいる人を大切にすることに尽きるのですよ、という思いをお伝えしました。

その上で、実際にあったお話を紹介しました。
それは、皆からみっちゃんと呼ばれていた中学一年生の女の子のお話です。

みっちゃんは中学に入って間もなく白血病を発症し、入院と退院を繰り返しながら、厳しい放射線治療に耐えていました。家族で励まし合って治療を続けていましたが、間もなくするとみっちゃんの頭髪は薬の副作用ですべて抜け落ちてしまうのです。

それでもみっちゃんは少し体調がよくなると、「学校に行きたい」と言いました。不憫に思った医師は家族にカツラの購入を勧め、みっちゃんはそれを着用して通学するようになりました。

ところが、こういうことにすぐに敏感に気づく子供たちがいます。皆の面前で後ろからカツラを引っ張ったり、取り囲んで「カツラ、カツラ」「つるつる頭」と囃し立てたり、ばい菌がうつると靴を隠したり、悲しいいじめが始まりました。
担任の先生が注意すればするほど、いじめはますますエスカレートしていきました。見かねた両親は「辛かったら、行かなくてもいいんだよ」と言うのですが、みっちゃんは挫けることなく毎日学校に足を運びました。

死後の世界がいかに素晴らしいかを聞いていたみっちゃんにとっては、死は少しも怖くありませんでした。反対に亡くなったお祖父さんと再会できるのが楽しみだとさえ思っていました。しかし、何より辛いことがありました。それは、かけがえのない友達を失うことだったのです。辛いいじめの中でも頑張って学校に通ったのは「友だちを失いたくない」という一心からでした。

二学期になると、クラスに一人の男の子が転校してきました。その男の子は義足で、歩こうとすると体が不自然に曲がってしまうのです。この子もまた、いじめっ子たちの絶好のターゲットでした。
ある昼休み、いじめっ子のボスが、その歩き方の真似をしながら、ニタニタと笑って男の子に近づいてい行きました。
またいじめられる。誰もがそう思ったはずです。ところが、男の子はいじめっ子の右腕をグッと掴み、自分の左腕と組んで並んで立ったのです。

そして「お弁当は食べないで一時間、一緒に校庭を歩こう」。毅然とした態度でそのように言うと、いじめっ子を校庭に連れ出し、腕を組んで歩き始めました。

クラスの仲間は何事が起きたのかとしばらくは呆然としていましたが、やがて一人、二人と外に出て、ゾロゾロと後について歩くようになったのです。男の子は不自由な足を一歩踏み出すごとに「ありがとうございます」と感謝の言葉を口に出していました。
その声が、仲間から仲間へと伝わり、まるで大合唱のようになりました。みっちゃんは黙って教室の窓からこの感動的な様子を見ていました。

次の日、みっちゃんはいつも学校まで車で送ってくれる両親と校門の前で別れた直後、なぜかすぐに車に駆け寄ってきました。そして着けていたカツラを車内に投げ入れると、そのまま学校に向かったのです。
教室に入ると、皆の視線が一斉にみっちゃんに集まりました。しかし、ありのままの自分をさらす堂々とした姿勢に圧倒されたのでしょうか、いじめっ子たちは後ずさりするばかりで、囃し立てる者はだれもいませんでした。
「ありがとう。あなたの勇気のおかげで、自分を隠したり、カムフラージュして生きることの惨めさが分かったよ」。みっちゃんは晴れやかな笑顔で何度も義足の男の子にお礼を言いました。

しばらくすると、クラスに変化が見られ始めました。みっちゃんと足の不自由な男の子を中心として、静かで穏かな人間関係が築かれていったのです・・・・

みっちゃんに死が訪れたのはその年のクリスマス前でした。息を引き取る直前、みっちゃんは静かに話しました。
「私は二学期になってから、とても幸せだった。あんなにたくさんの友だちに恵まれ、あんなに楽しい時間を過ごせたことは本当に宝でした」と。

ありのままの自分でいい その喜びを伝えたい

講演後、私は中学生の心にこの話がどれだけ伝わっただろうかと気になっていました。すると一週間ほどして担任の先生から一本の電話がありました。先生がおっしゃるには、それまでクラスで物も言わず、学習意欲に欠け、そのうちに病気になるのではと心配していた男子生徒が突然、先生を訪ねて、こう切り出したそうです。

「先生、この前の講演で僕は勇気をもらいました。僕のお母さんはいまガンで入院しています。皆からいじめられる思うと、そのことを誰にも話せなかった。けれども、講演を通して堂々と生きるのが一番いい、ありのままの自分でいいんだということがよく分かりました。その喜びを伝えたくて先生のところに来たんです」

これを聞いた先生は思わず生徒を抱きしめました。
「そうだったの。大変な問題を抱えて頑張っていたんだね。気づかなくてごめんなさい。これからは先生も友だちも、皆で応援すると約束するよ」

先生はクラスの仲間に男子生徒が抱える事情を話しました。すると、この日から男子生徒の態度は明るくなり、クラスの雰囲気は一変したといいます。男子生徒の話は、私の講演に参加した他のクラスにも伝わり、そこでも良い変化をもたらしているようです。私にも、これは大きな喜びでした。

私は「幼な子のように」というキリストの言葉の重みを、いま改めて噛みしめています。」


鈴木秀子さんは臨死体験をし、その時、命の光というべき大いなる存在を体験しています。
「私は一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、それまでに見たことがないような美しい光に包み込まれました。そこは、白っぽい金色の輝きに満ちた、一面の光の世界でした。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。 それは、生命の深い部分で自分とつながり、交流している、生きた光だと感じていました。これこそ至福の境地なのだ。完全な自由なのだ。 この生命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受け容れられ、許され、完全に愛されている」 と直感しました。鈴木秀子さんはその時、三つのメッセージを受け取りましたが、これらのことは、すべての人に対しての神の祝福だと思います。

・『あなたは大切な、かけがえのない存在として、深く愛されている』
・『たとえあなたが後悔や自己嫌悪で自分を苦しめているときも、あなたは許され、温かく見守られている』
・『あなたは、たとえ自分には価値がないと思っているときも、生きている価値がある』

鈴木秀子「臨死体験ー生命の響き」
鈴木秀子の愛と癒しの世界 ―『臨死体験―生命の響き』を中心に―


☆ リンクフリーです。ご連絡頂ければ相互リンクさせていただきます




国際有機認証「しらい田七人参」
スポンサーサイト

コメント

Re: タイトルなし

yumiさん こんいちは

みっちゃんや片足の不自由な男の子は、これまでたくさん辛いことを経験してきたのでしょうね。
そして、その学びから強くなったのだと思います。
転ばぬ先の杖と言いますが、人間は転んで見て、痛さを知ることも必要なのでしょう。
yumiさん、お体は大丈夫ですか。
残暑の厳しい毎日ですので、ご自愛ください。

2009/08/26 (Wed) 09:02 | パック #- | URL | 編集

こんにちは

みっちゃんや片足の男の子のように何かに不自由しないと心は強くなれないのでしょうか。。。。。。なぜ健常者がこの子達のような心になれないのでしょうか。。。。。なんだか考えさせられますね。。。。
心のレベルで言えばみっちゃんや片足の男の子のほうが健常者ですよね。。。。。

2009/08/26 (Wed) 02:58 | Yumi #- | URL | 編集
Re: こんにちは

時音さん ご無沙汰しています。

私も感動しました。
最後の言葉が魂に響くのは、私たちが魂の根源で神の大いなる愛を
知っているからではないでしょうか。
許され、愛されていること、素晴らしいことですね。

2009/08/25 (Tue) 17:31 | パック #- | URL | 編集
こんにちは

深く心に響きました。
最後の三行、まるで自分が許されたようで涙が出そうに成りました。

2009/08/25 (Tue) 11:16 | 時音 #zLTxOIGE | URL | 編集
Re: タイトルなし

アラレさん 幼子の絵を有難うございました。

アラレさんの記事を読んでいつも思うのは、自分をさらけ出すことのできる人だと言うことでした。
「謙遜や遠慮の仮面」ではなく率直さだと思います。
こんな素直に生きれる人になりたいと思っています。

コメント有難うございました。

2009/08/24 (Mon) 11:11 | パック #- | URL | 編集

パックさん、いつも素晴らしいお話をありがとうございます。今回は私などのつたない絵まで使っていただき、ありがとうございます。ただただ、恐縮しております。

人間は、「鏡」という存在のおかげで本来見えるはずのない自分の顔、姿を自分で見るという行為を、当たり前のことと勘違いしているのではないでしょうか?本来見えるはずのない自分の外見を、たやすく見えた気になれてしまうことで、本当はいつでも見えているはずの自分の内面、自分自身が見えなくなってしまっているのではないでしょうか?
あるいは、本当の自分の姿など元々みたいと思わないからこそ、化けたり飾ったりするのでしょうか?化けたり飾ったりすることで、自分を勘違いしたいのでしょうし、勘違いするためには「高価な値札」というのは一番分かりやすい目安なのでしょう。


私自身の見栄や虚飾は、どうやら謙遜や遠慮という仮面をかぶっているようです。あるいは、一番性質(たち)が悪いのかも知れません。

2009/08/24 (Mon) 02:01 | アラレ #CJ549cZM | URL | 編集
Re: タイトルなし

せばすてぃあんさん こんにちは。

私も自分をさらけ出せたら、こんなブログ書いていません。
本当に難しいことです。
奥さんが実家に帰った休日は、音楽鑑賞ですか。
しかし、暑くて音楽にも集中できませんね。
ゆっくり昼寝でもして疲れを取ってください。

2009/08/23 (Sun) 11:34 | パック #- | URL | 編集

こんにちは!

自分をさらけ出す。
これはほんと大事な事ですよね。
仕事の上でも、それは言えます。
人間同士の付き合いですから、
さらけ出せたら良いのにと思うこともしばしば。

病気で苦しんでいる子に対する、今回の記事のようないじめは
ホント多いのではないでしょうか!?
心が痛みます。
でも、今回のみっちゃんや義足の子はエライですね。
逆に教えられました。

2009/08/23 (Sun) 10:27 | せばすてぃあん #- | URL | 編集
Re: 見えぬもの、見失うもの。。。

風光さん

動物や植物も生きるために自分を飾っており、人間が虚栄を捨て去ることは難しいことだと思います。
しかし人間は、外側を飾ることだけでなく、内側を光らせることができます。
ハンディーをさらけ出すことができれば、それが自分を輝かすことなのだと思います。
コメントありがとうございました。

2009/08/23 (Sun) 09:20 | パック #- | URL | 編集
見えぬもの、見失うもの。。。

バックさん、おはようございます。
私の誕生日にメッセージを頂きありがとうございました。

そして本日記事を読ませていただきました。
頷く事が多く、朝から良い話を聞いて今心穏やかです。

私の塾生の中にも、小6で脳腫瘍の手術をした女子生徒(現在高3)が来ています。
そしてサラリーマン時代に部下だった右腕が無い男性を想いだす事が出来ました。
それぞれが私に生きる意味を強烈に知らしめた出会いでした。

58歳の私には、まだまだ見えぬものがたくさんあります。
どうぞ今後ともブログにてお教え頂ければと願っております。

-感謝-

2009/08/23 (Sun) 09:06 | 風光 #- | URL | 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する