戒名とは何か

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テレビであるお坊さんが戒名について、こう言っていました。
「三途の川を渡る時、俗名では渡れない。だから戒名が要る。」

お坊さんに言われればそうなのかと思いますが、それならキリスト教徒やイスラム教徒など、戒名が無い魂はあの世に帰れないことになります。

いい加減な理由をつけて脅し、金儲けを正当化してはいけない。

戒名の由来はお釈迦様とその弟子、舎利子(シャーリープトラー)に由来します。
舎利子は本名を「ウパティッサ」と言います。
ウパティッサが仏陀に帰依した時、仏陀はウパティッサに、
「お前のお母さん、シャーリーは賢婦人として有名な方である。お前もしっかり修行してお母さんのような賢い人間になりなさい」と言って、お母さんの名前のシャーリーを取り、シャーリープトラーと名付けました。

戒名とは仏陀の教えを学ぶにあたり、自分を戒めるために付けたものであり、死んでから付けるものではありません。ましてや平等である人間の魂に、金銭で上下をつける戒名など、お釈迦様の教えとは何の関係もないものです。

お釈迦様の時代、今から2500年以上前のインドは貧しい人が多く、学校もありませんでした。
昼間は農作業などの労働をし、夜に仏陀の話を聴きに来る無学文盲の人たちに、仏陀は難しい言葉は一切使わず、例え話で誰でも理解できる話をしました。
その分かりやすい教えが、日本の仏教の中で哲学かされ、訳の分からないものになってしまったのです。

ちなみに、夜、お釈迦様の話を聴こうとすると蚊や虫が寄ってきます。これらの虫を寄せ付けないように薬草を焚いたのが線香の由来であり、ロウソクも照明として使われた松明の名残です。

お経とはお釈迦様が説いた、正しい考え方、生き方の教えであり、生きている人間が学ぶものであり、死んだ人に向かってあげるものではありません。

お経の「経」は織物のタテ糸を意味します。タテ糸(経糸)がブレたら、しっかりした織物はできません。
地球の経度もタテ糸を現しています。
そのように、正しく生き、幸せになるための人生の教えをお経と呼んだのです。


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お釈迦様が法を説かれたのは2500年以上前のことであり、誤って伝えられていることがたくさんあります。
祈れば救われる、願いが叶うという他力信仰など一切説かれていません。
正しく思い、正しく生きることが幸せへの道であり、不幸は自己中心的な考え方、生き方の結果として起こる、と説かれたのです。(縁起

人間関係における正しさとは相対的なものであり、自己中心の考え方を改め、相手の立場に立って考える中道の中に正しさがあります。
人間の目は外を見るように出来ています。そのため、人の欠点は良く見えますが自分の間違いには気づきません。
自分の間違いに気づくためには、目をつぶり、反省しなければなりません。
お釈迦様はその反省の方法として八正道を説かれました。

大金を出して立派な戒名を付けることが亡くなった人の供養ではなく、残された人たちが争いの無い、幸せな人生を過ごすことが最大の供養であるはずです。

仏教はお釈迦様の説いた教えを分かりやすく伝える、本来の役目に立ち帰らなければならないでしょう。


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コメント

Re: お願い

白石さん

神様の声が聞こえるようですが、神様が直接人間に語りかけることはありません。
菩薩や如来などと名乗って出て来るものも、99.99・・%が偽物です。
そのようなものの言うことを聞かないでください。
どうぞ自分の内なる神に祈って下さい。

お願い

私も64歳に成ってしまいました、心に不満を感じて居ます。神様の言うとうりに行動して居るのに、神様の反応が遅いのです。生きて居るうちに結果、顛末が見たくあります。

Re: クリスチャン

白石さん

吉永小百合さんですか。
うちにも来てほしいと思いますが、100%ありえません。
幻覚はそれを見ているものにとっては現実ですが、3次元のものではありません。
3次元の現実であれば、必然性がないのに突然現れ突然消えることはないはずです。

自分の心を風船のように丸くイメージしてください。
明るい大きな玉のようにイメージしていれば、こわいものが現れることはないと思います。
幻覚の原因はいくつかありますが、白石さんの心が疲れているのかも知れません。
多分、夜寝られないのではないでしょうか。
メンタルクリニックで精神安定剤を処方してもらい、夜ぐっすり寝ることが必要です。
寺院や神社、霊的な場所には近づかないでください。

女のこわさは自分なりに分かっていますので、なるべく近づかないようにしています。
しかし、こわさの本質は男の弱さにもありそうです。
吉永小百合さんに戒名はいりませんし、そもそも戒名に意味がないことは、以前の記事で書いている通りです。


>  今、吉永小百合さんが僕の内に来て居ます、食べられそうです、僕など相手にせずに松井秀樹さんを食って欲しい、こひゃくごうは男を食って生きる動物です。わたしはクリスチャンだから只祈るだけです。人間の運命を食い尽くすこの女性を貴方は如何思いますか。神様は未だ助けに来ては呉れない。クリスチャンに成れば、彼女も救われると思いますが如何なもでしょう。僕は只祈る事しか出来ない、女の怖さを貴方は知っていますか、自分さえ良ければ他の人が傷つこうが問題視しないのです。自分さえ美しく栄えていれば、他の者が苦しもうが、死のうが問題ではないのですよ、僕は祈ります自分の為に世界中の人の為に。アーメン。戒名は彼女はどのようなものが良いと考えて下さい、お願い致します。


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Re: 戒名は要らない!

荒野鷹虎 さん

おっしゃる通りです。
別に戒名が無くてもあの世に帰れますが、親戚兄弟、あるいは世間体がありますので、
戒名を付けないはならないでしょうが、しかし高すぎます。

仏教界の堕落の原因の一つが戒名です。
戒名の由来をみんなが知れば、高額の戒名料が是正されて行くかも知れません。
仏教界は、人の生き方を教える、本来の役割に立ち返ってほしいと願います。



戒名は要らない!

戒名はあっても良いですが、高額すぎます。
最近【葬儀はいらない】という本が売れています。
宗教法人も、税金を相当に、払うべきと思います。
お布施も、住職が決めるのも、可笑しな話です。
檀家の、自由な、気持で施すのが自然だと思います。
モット、この問題を社会的、話題に挙げて欲しい物です。

神様

 コメント有難う御座います。私真摯にクリスチャンを目差しています。真実一路、至誠一貫を歩んでいます。如何か世界の人が平和で神様の恵みが在ります様祈っています。神様、如何か全ての人を御守り下さい。アーメン。

Re: NoTitle

白石精英さん

金を出せば救われると説くことほど、人の魂を冒涜するものはありません。
神が創った宇宙と魂であれば、すべて神のものです。
神が金銭を要求することなどありません。
そんな簡単な事でも、現世利益と脅しで、人は信じてしまいます。
私も天国は存在すると思っています。
「音の世界からあの世を考える」という記事を書いていますので、お読みください。
実は私も洗礼を受けています。

コメント有難うございました。

NoTitle

 私はクリスチャンですが、貴方の意見に賛成です、行動で生き様を示すべきだと想います。初めて同じ意見の人に出会いました。有難う御座います。この宇宙は全て神のものです。もう仏教はないのです。神様のみがこの世を支配されて居られるのです。将来、神様が人間の霊も残そうと考えられるなら、地獄も復活されるでしょう。天国も今は現実に存在して居ます。神に認められた人達です。お互い天国を目差しましょう。

Re:        しらいしよしひで

白井精英さん

神は愛であり、光です。
太陽の光は善人にも悪人にも平等に降り注いでいます。
神は自分のかわいい子だけに愛を注ぐような、小さな存在ではありません。
神は愛であると共に愛の法則です。その法則は調和です。
愛の法則に反する思いと行いはすべて自分に帰ってきます。
それが裁きです。天にツバすれば自分にかかるのと同様です。

仏陀は神ではありません。しかし神の意思、愛の法則を悟った方です。
その教えの本質はイエスが教えたことと同じです。
イエスの時代のイスラエルは人々の心がすさみ、殺人や強盗などが日常でした。
神の愛を説き、愛に反する行いに対する裁きを教えなければ、人の耳に届かないほど闇が覆っていた時代です。
殺してはいけないことまで教えなければならない時代でした。
このような時代に説く法は、インドの民に説く仏陀の教えとは説き方が異なります。
仏陀が生まれ育った、コーサラ国はインド北部で、さらに恵まれた気候風土の地です。

神を信じるだけでは意味がありません。
神の心、愛の法則を実践する人間だけが神の国に入れます。
クリスチャンであろうが、仏教徒であろうが、無心論者であろうが同じことです。
何を信じるかではなく、何を思い、何を行うかです。
如何に愛を語っても、足元のゴミを拾えない人間には何も出来ません。
(これは私のことです)

コメント有難うございました。

       しらいしよしひで

 私は、クリスチャンです、仏教の霊はほとんど、神がきつくなって消されてしまいました。素晴らしい、人生を歩んだ人だけが、霊として残される様になりました。残念な事です。地獄、ヨミの世界はなくなりました。天国のみが、ある時代になりました。神に貢献した人のみ、天国に召されるように成りました。あまりにも沢山の霊を、神様は整理されたのです。人でも素晴らしい働きをした白州次男さんの様な人は天国に召されています。心して人生を歩みましょう。神様を信じましょう。そして天国をめざして苦しくても、人の為に成る様な人に代えて頂き、努力して天国を目差しましょう。天皇陛下様でも霊が残るか如何か、判りません、暢気な人生等ありません、皇后様でも同じです。クリスチヤンでも同じ事なのです。優秀な人生を歩んだものだけが天国に行けるのです。皆、平等なのです。私も懸命に生きてきましたが、天国に、神のみくにを約束された訳ではありません。残りの人生を掛けて、頑張るつもりです。

Re: タイトルなし

アラレさん こんばんは

親兄弟や親戚がいる以上、戒名を付けないと仕方がないのでしょうね。
私自身は洗礼を受けているのですが、実家が曹洞宗なので、
戒名を避けることができないかも知れません。
家内には戒名が意味の無いことを伝えてありますので、
付けるとしても一番安いものにしてもらいます。
葬式は音楽葬にして坊主を呼ばず、安くあげたいと思っています。

アラレさん、まだまだ先は長いですから、きっとバラ色の結婚生活が
待っていると思います。

コメント有難うございました。




今回も、色々考えさせていただきました。ありがとうございます。

戒名の由来は、般若心経にも出てくるあの舎利子だったんですね。
私の家は代々浄土真宗ですが、正直私はその程度のことも知りませんでした。

宗教者の中には、「カミ」よりも「カネ」を信じ、救いを求めている輩がいます。「神、仏」は金を取らなくても、教団、宗派などという集まりになると諸々の維持費の名目で金が必要になるのでしょうから。それは仏教だけに限らないでしょう。「神、仏」の名を使いながら所詮は人間のやっていることです。時が経てば経つほど、汚れ錆びついていってしまうのでしょうね。逆にいえば、その教え自体も不完全だったということなんでしょう。

「戒名」についていえば私自身もおかしい話だとは思っていますが、それでもいずれ来る両親の死に際しては、本人たちの為というよりは、残った我々家族の見栄や世間体のために檀那寺の坊さんからそれらしい「戒名」を貰うことになるのでしょう。私自身も、たとえ本人が生前に「戒名」などいらないと言ったとしてもおそらくは、それらしい「戒名」を付けられるのでしょう。まあ、このままいけば私の家は私たちの代で絶えるので弔ってくれる者がいるかどうかも分かりませんが。

Re: 万教帰一

風光さん ありがとうございます。

正しい宗教の見分け方は、金を取るかどうかだと思っています。
神仏が金を使うはずがないので、多額の金を要求する宗教は
避けるべきですね。
残念ながら日本の仏教も、戒名の点では失格です。
神社仏閣に行った時は、お願いをせずに感謝だけして帰るようにしています。
心が平安になれればそれで十分ですから。
自分を見つめ、気づきを得る、そのきっかけに色々な宗教があるのではないでしょうか。

万教帰一

バックさんのお考えに同感です。

私は自分が思い悩んだ時に般若心経や観音経を唱えます。

人間としての自覚を観るためにです。

確かに御仏壇の前でも唱えます。
御仏壇の中の観音様が私を観ています。
先祖の位牌も私を観ています。

私は「今日も頑張ります」と誓います。

本来宗教は万教帰一のはずですね。
できれば、自分を見つめる時間として宗教を考えて欲しいと。。。

そんな事を思います。

Re: タイトルなし

yumiさん こんばんは。

日本の仏教は葬式仏教になってしまい、本来の人を救う役割をまったく果たしていません。
思わずきつい文体になってしまいました。
ご主人のおっしゃるように、お正月だけ神社仏閣にお参りすることは、日本人の宗教観の
滑稽なところかも知れません。
お釈迦様は、誰でもわかるように人生の教え、宇宙の法則を説かれました。
私はキリスト教の洗礼を受けていますが、イエスの教えも仏陀の教えも同じです。
その本質は調和です。
八正道は分かっていてなかなか実践できません。
yumiのように優しく誰からも愛される人間になりたいと思います。

こんばんわ☆
うちは主人が仏教徒なので私も結婚と同時に仏教徒ということになりました。しかし仏教の真髄は理解してません。時々主人が色々なことを話すときになるほどなって思うことはあります。色々な献金目的の宗教団体をみて、仏陀はお金を欲しいなんて言った事ないとか、普段お参りしない人たちがお正月だけお参りする姿が滑稽だとか、、、、なるほどなって思います。
八正道も私の頭の中にもっとバシッと入っているときっと迷いや悩みはもっと少なくシンプルに何をすべきかクリアになるのかななんて思いました(^^)
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