残暑お見舞い申し上げますーありがとうの反対語

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      オーヴェル・シュル・オワーズ  ゴッホ終焉の地で

残暑お見舞い申し上げます。

立秋を過ぎて暑さが戻ってきましたが、入道雲が姿を消し、夜、耳を澄ませば虫たちの声が聞こえます。
夏の中に秋の気配がただよってきました。

「マラルメは、例年より早めに到来した夏が、黄金色に染め始めていた平原を私に指さした。
『見てごらん、あれは、秋のシンバルが大地に打ち下ろす最初の一撃なんだよ』、と彼は言った。

秋が来たとき、彼はもういなかった。」  ヴァレリー『最後のマラルメ訪問』

夏休み中ですので過去の記事からご紹介します。今読み返してみて、自分自身、「ありがとう」を
もう一度意識しなければならないと思いました。(コメントはお気遣い頂きませんように)




「ありがとう」の反対語は、「あたりまえ」だそうです。
言われてみればその通りです。

花が咲いて、新緑が萌えること、雨が降り、日が射すこと、新聞や郵便が配達されること、電気があること、車が動くこと、着る服があり、住む家があること、仕事があり、給料がもらえること、当たり前のことです。

料理を作ってくれること、洗濯してくれること、掃除をしてくれること、親に育てられること、
家族がいること、友達がいること、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、健康であること、
生きていること、当たり前のことです。
私たちは、与えられているものが失われるまで、有難いことだと思いません。

今日の延長で明日が来て、あさってが来て、あたりまえのように一日が過ぎてゆきます。
明日になれば朝が来て、朝になれば目が覚めて、そこに家族がいるはずです。当たり前のことです。

今日一日、健康でいられたことを、「自分自身」に感謝しようとして気づいたことがあります。
「自分自身」に感謝することは出来なかったのです。
私たちは意識して呼吸をしていません、意識して消化吸収をしません、意識して体温を36度に保っていません。
心臓も肺も肝臓も腎臓も胃も腸も、それぞれが勝手に自分の役割を果たしてくれています。
協力し合って体を維持してくれています。
何一つ自分でコントロールしていません。体が勝手に生きてくれています。

「自分自身」に、有難うと言うことは、自分自身の内側にあり、自分を生かしてくれている力、体全体を調和させ、命を維持してくれている力に対しての感謝でした。
その力は、人間を、動物を、植物を生かしている命です。すべてに共通する唯一つの命です。

人間が死に、動物が死に、植物が枯れた時、その有様はすべて一様です。
生けるものに宿る命、その命が失われた生と死の様は、すべて一様です。
その命を神と呼ぶとすれば、私たちの中に神が宿り、自分も他人も、犬も猫も、木や花も、すべてが神の命を生きています。

太陽の光や空気や水は、命を維持するために欠かせないものですが、あまりに当たり前に与えられているため、それに感謝することはありません。
私たちは無数の「有難い」ことを与えられて生きています。

昔の日本人が、今在ることは普通ではない、今与えられていることは、簡単なことではない、こうして生きていられることは、得がたいことであると考え、「有難い」と言い慣わした言葉には、深い叡智がありました。

私たちの心から感謝や愛の心を奪う危険な無意識、「あたりまえ」を無くすために、いつも「有難う」を意識したいものです。


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コメント

Re: タイトルなし

風光さん こんにちは。

常々、幸せは平凡な日常にあると思っています。
豪華な食事をすることでもなく、海外旅行をすることでもなく、
昨日と同じ朝が始まり、何も無く夜を迎えることができれば幸せです。
最近、各地で起きる洪水や地震など、突如として起こる不幸に遭遇して、
わずか数分前までの当たり前の日常生活が如何に幸せだったか、
どれだけ有難いことだったか実感します。
残念ながら今の日本の価値観は、高価なものを身にまとい、豪華な食事をし、
高級住宅に住むことが幸せなのだと思っています。

健全な価値観、倫理観を教えることを放棄した、日本の悲しい現実です。
コメント有難うございました。


2009/08/16 (Sun) 11:58 | パック #- | URL | 編集

当たり前こそが有難いと私は思っています。

先日私の置き手紙に、ある方が“終戦記念日に思う”を記載してくれました。
私は戦争体験者ではありませんが、日本国の為に出兵を半ば強制され亡くなって逝かれた方々の唯一の想いは両親であり兄弟であり友達であり総じて日本国を守るためであったと思います。

今の日本を、亡くなって逝かれた方々や子供を戦地に見送った方々が見たならば、嘆くことは間違いのない事と思うのです。

四季の移ろいもあふれた食材も全てが当たり前のように考えているのならば、また物欲を優先したり自我の主張を当たり前のように思う人の心は刺々しい荒廃した環境を創りだしていく他ないと思うのです。

また、〇〇デーとか〇〇週間というような飾り言葉では本当の感謝の心を知ることはできないように思います。

倫理感を育て本当に生きて感謝する心を育てなければ表面的な笑顔からはなにも生まれないと思いつつ拝読させて頂きました。



2009/08/16 (Sun) 11:05 | 風光 #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

薄荷グリーンさん おはようございます。

お盆はゆっくりされましたか。
今日、16日は大文字焼きですね。
学生時代、下宿の窓から見ていました。
当時は四季折々の京都の行事を、当たり前の出来事として見ていました。
京都を離れると、どれもこれも貴重な体験でした。
一期一会の精神こそ、感謝の気持ちなのだと分かります。

コメント有難うございました。

2009/08/16 (Sun) 07:42 | パック #- | URL | 編集
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2009/08/16 (Sun) 03:53 | # | | 編集
Re: タイトルなし

コトママさん こんばんは。

ものが有り余っている現在ほど、ありがたい気持ちを失った時代はないですね。
「ほたるの墓」を見ていて、あんなおいしいドロップをわれわれは味わうことができません。
無くして初めてそのあり難さが分かることばかりです。
生まれてから一人前に育つまで、200万人以上の人がわれわれの衣食住を作り出すために
たずさわっていると言います。
無数の人たちの努力の上に生きていられることを、ありがたいと考えたことがありません。
終戦の時を迎えて、ものの有難さを考えてみたいと思います。

コメント有難うございました。

2009/08/15 (Sat) 21:48 | パック #- | URL | 編集

そうですね。
ホントに生きている事が有難い事です。
電気やガス、生活必需品が揃っていて、有難い事です。
全てのものに感謝の心を忘れてはいけないと思います。

残念ながら、当たり前という生活が出来ない人がたくさんいらっしゃる事も事実です。
世界中で・・・
この日本にも・・・
今日は終戦の日ですね。
戦争は全てものを奪います。
2度とそんな事がない事を願って、有難く生きさせて頂いている事に感謝です。

2009/08/15 (Sat) 16:15 | コトママ #- | URL | 編集

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