子供を花のように愛する日本(2)

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大阪の宿舎前の孤児たち

過去の日本人の感動的なエピソードを知ることはうれしいことです。日本人の心が変質してしまったのではないかと思う昨今ですが、このようなエピソードに感動できる日本人がいることは、優しさ、思いやり、親切心という、日本人の美質がまだ失われていない証だと思います。

ポーランド孤児孤救出と支援に係わった人たちは、心からの慈愛に突き動かされて奉仕をしたに過ぎず、それこそが日本人の本質と言えるものです。

1961年、チェロの巨匠、パブロ・カザルスがスズキメソード(才能教育)の子供たちの演奏を聴き、感激に声を震わせてスピーチしました。それは、日本人が失ってはならない心のあり方を示すものです。

<承前>

「我々はいつまでも恩を忘れない」

大正11年(1921年)、孤児たちの帰国を受け、ヤクブケヴィッチ副会長が感謝の手紙を送ってきました。

「わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表してくれた以上、我々ポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない。
・・・ポーランド国民もまた高尚な国民であるが故に、我々はいつまでも恩を忘れない国民であることを
日本人に告げたい。・・・
ここに、ポーランド国民は日本に対し、最も深い尊敬、最も深い感恩、最も暖かき友情、愛情をもっていることをお伝えしたい。」

一方、無事帰国した孤児たちはたくましく成長しました。彼らの中には、医者、教師、福祉事業家、法律家、技術職人など、公の為に尽くす職業を志したものが多かったと伝えられています。

その一人、イエジ・ストシャウコフスキは、後に孤児院の院長に就任して社会福祉の改善に尽くすとともに、日本との友好を深める「極東青年会」を結成し、会長として活躍しています。

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日本を訪れた元孤児のストシャウコフスキ氏(左)と
林啓三日赤社長(当時)

ヤクブケヴィッチらがシベリア奥地で粗末な小屋に身を隠していたポーランド人母子を見つけ出した時、母親は我が子だけでも救ってほしいと訴えたそうです。
彼はその母子の別れのシーンをこのように記録しています。

「息子を我々に託す母親は、粗末なテーブルに洗いざらしのクロスをしき、マリア像をそっと置いて祈りを捧げた。祖国を知らず、また満足な母国語もしゃべれない息子を前において、『お前は祖国独立のために闘った祖父や父の息子なのだ』と噛んでふくめるようにさとしていた。それはあたかも息子に蜂起者の魂を植え付けているように私には聞こえた・・・」

昭和14年(1935年)にナチスドイツ軍によるポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発した際、イエジを中心に少年兵「イエジ部隊」を編成、祖国守護の先頭に立ちました。

昭和19年(1944年)8月1日には、再びナチスに対してワルシャワ市民が決起します。有名な「ワルシャワ蜂起」です。イエジキ部隊は、この時も懸命に奮闘しました。
第二次世界大戦下を辛うじて生き残ったイエジは、76歳を迎えた昭和58年(1983年)、積年の感謝を述べるため来日しています。
彼は日本を「第二の祖国」と呼んでいるほどです。

「日本の被災児に恩を返す」

ところで、ポーランドとわが国との関係はこれで終わったわけではありません。実は平成7年(1995年)1月阪神淡路大震災が発生した時、ポーランドはいち早く救援活動に入りました。
しかし、同年8月には、痛手を負った日本の被災児たちを一ヶ月近く招待し、ワルシャワやその他各地に歓迎し、心からの激励をしてくれたのです。

被災児の中には肉親を亡くした児童たちもいましたが、慈愛に満ちた接待を受けています。そして、被災児とのお別れパーティーが開かれた時、かってのポーランド孤児の方々が地方から駆けつけてこられたのです。

すでに80歳を越えるこの方々は、日本の被災児にバラの花を一輪ずつ手渡し、心から激励してくれたそうです。
その様子については、当時ポーランド大使を務め、この場面に立ち会われた兵頭長雄氏の著書「善意の架け橋」に詳しく紹介されています。

*日本人の優しい心と高い道徳性を知る貴重な資料、「善意の架け橋―ポーランド魂とやまと心 」は絶版となっています。この本の感動的なエピソードは、「Their Voiceless Devotions 」に紹介されています。

かってヤクブケヴィッチが手紙の中に「いつまでも恩を忘れない」と記した通り、765名の孤児の命を助けた大正日本人の尊い行為に対して、平成日本の被災児にその恩を返すことで、ポーランドは約束を果たしたのです。

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平成14年(2002年)7月、天皇・皇后両陛下がポーランドをご訪問になりました。ポーランド国民の歓迎の中、両陛下にどうしてもお会いしたいと三人のお年寄りが申し出ました。大正時代に日本が
救った孤児の方々でした。

両陛下はワルシャワでこの3人と対面されています。この時、アントニーナ・リロさんという86歳のお年寄りは、皇后陛下の手を握ったまま離そうとしませんでした。なぜでしょうか。実は80年前、日本で治療を受けていた自分を訪ねてきて、元気になるよう抱いて励ました方がいたのです。その方こそ大正天皇の皇后であられた貞明皇后でした。

人生の晩年に至って、ようやく得られた喜びを満面に浮かべたリロさんの表情は、テレビにも映し出されていました。
ヤクブケヴィッチが手紙に綴ったように、現下日本の私たちもポーランドや先輩である大正日本人の偉業にならって、「高尚な国民」たらんと努めたいものです。」

月刊誌、「致知」の今年3月号、福岡県立太宰府高等学校教諭、占部賢志さんの記事、「子供を花のように愛する日本」より。
写真は「人道の港 敦賀ムゼウム」からお借りしました。

<関連サイト>
大和心とポーランド魂
世界に知られた才能教育 スズキ・メソード 鈴木鎮一
「日本人が失ったもの」
エルトゥールル号の遭難


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コメント

Re: タイトルなし

小林一さん こんいちは。

ご訪問ありがとうございました。
日本人の心のあり方を模索していますので、
これからも宜しくお願いします。
ご紹介頂いたサイトをのぞいて見ます。
コメントありがとうございました。

2009/07/22 (Wed) 13:45 | パック #- | URL | 編集

初めてお邪魔いたします。

色々検索しておりまして、

で検索していたらここにたどり着きました。

とても興味深い記事を書かれていますね。

私の知り合いに、このような活動をされておられる方がおられるので、是非遊びに来てくださいね。

http://hakuchu.blog58.fc2.com/

2009/07/22 (Wed) 12:02 | 小林 一 #OdaEQhE. | URL | 編集
Re: 国境なき素晴らしい愛

ys_tate様

ご無沙汰しています。
ご多忙の中、ご訪問いただき有難うございます。
おっしゃるように、「愛」「人」「地球」「宇宙」は一つのものであり、
その中心は愛だと思います。
愛(神・光)は宇宙のすべてを創造し、万象万物のエネルギーとして降り注ぎ、
私たちの心の奥で輝やいているはずです。

世界経済の破綻、環境問題、戦争、そのすべての原因は、自分さえ良ければいいと言う、
自我、我欲から生まれているのでしょう。
人のために生きられる人間になりたいものです。

コメント有難うございました。

2009/07/18 (Sat) 00:28 | パック #- | URL | 編集
国境なき素晴らしい愛

パック様
お世話になります。
ys_tateです。

社の業務拡張でごたごたし、
少しご無沙汰いたしました。
また本日は記事を4件拝読させていただきました。

私の中で日々少しづつ欠けてしまう『何か』。
その「何か』はパック様のお話をお読みすることで、
再び満たされております。

そしてその「何か』とはパック様のいわれる『光』であり、
「愛」「人」「地球」「宇宙」の成立要素なのだ、と確信いたしております。
しかしながら、まだまだその本質の理解に至りません。
益々学習に励んでまいりたい所存です。

それらをお伝えしたくて、
足早では御座いますが、
コメントを添えさせていただきました。
これからも宜しくお願い申し上げます。
素晴らしいお話を有難う御座いました。

2009/07/17 (Fri) 20:26 | ys_tate #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

こんばんは。

ポーランドがこれほど親日的だったとは知りませんでした。
約束を守る国民はすばらしいですね。
ショパン・コンクールで日本から優勝者が出ないのが
残念です。

パブロ・カザルスのスピーチも感動的です。
読んでみて下さい。

2009/07/16 (Thu) 22:53 | パック #- | URL | 編集

こんばんは!

感動しました。
ポーランドって東側の国と言うイメージで、
どこか、敵国のような感じがありました。
今回の記事で、まったくもって払拭されましたね。
どうも、良い話ありがとうございます。
しかし、
皇后と言う方たちは、なんか慈母のような雰囲気があるのでしょう?
不思議ですよね。

2009/07/16 (Thu) 21:54 | せばすてぃあん #- | URL | 編集

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