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気づきの旅

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先日、ある大手新聞社の社会部長をされていた知人が、しばらくぶりに遊びに来られました。
退職後の現在は、週に3日大学に通い、仏教の勉強をされています。
今年の1月から3月にかけて、四国八十八箇所、1300km以上を遍路された話をお聞きしました。

冬はお遍路の季節ではないそうですが、敢えて困難な時期を選んで巡礼されたのは、この方らしい選択でした。
普段歩かない生活をしているために、出発が近付いてからは、自宅から3時間かけて大学まで歩いたとのことです。

冬の遍路道は厳しく、四国とはいえ山の上は零下になり、誰一人歩いていません。やっと辿り着いた宿泊施設も休業している所が多く、寺の宿坊さえ閉まっています。
ある時、次の宿泊地まで、まだ15kmの寒い山道を歩いていた時、何でこんな旅をしているのだろうか、もう止めて帰ろうかと思い始めました。

山道を抜けた所に廃校があり、そこに悄然と腰をおろしていると、校門の前に車が止まり動こうとしません。
余り長く座っているのは不審がられると思い、立ち上がって歩き始めると車のウインドウが開き、これを食べてくださいとお菓子を差し出されました。有難く受け取ると、後部座席にいたお母さんも、何か買って元気を出して下さいと600円を差し出しました。

その人たちが去った後、有難くて、うれしくて、涙がとめどもなく流れ、いつまでも嗚咽が止まらなかったと言います。

この話を聞いて驚いたのは、丁度その前々日、作家の神渡良平さんの講演で同じ話を聞いていたからです。
神渡良平(かみわたり・りょうへい)さんは、38歳のとき脳梗塞で倒れ半身不随となりましたが、必死のリハビリで再起されました。闘病生活中に安岡正篤師の本に触れ、どんな人にもなすべき使命があってこの地上に送られていることを知ります。
闘病後に書いた、『安岡正篤の世界』他、多くのベストセラーを出されています。

神渡良平さんも四国八十八箇所を遍路されました。もともと脳梗塞のリハビリで健康を回復された方であり、健脚というわけではありません。
ある時、足が痛くて歩けず、道端に座ってもう止めようと思った時バイクが止まり、降りてきたおじいさんが200円を差し出し、これでジュースでも飲んで頑張って下さいと励してくれました。

神渡良平さんは有難く有難くて、涙が止まらず、鼻水を垂らしながら嗚咽したと言います。

まったく同じ体験を立て続けに聞いて感じたことは、普段なら有難みのない小銭に込められた優しさが、極限の心にとっては何にも増して励みになること、そして、精一杯頑張ってこれ以上は頑張れないという状況になった時には、不思議な手が差し伸べられ、勇気と励ましを与えてくれるのだと言うことでした。

このお二人の話にはまだ共通点がありました。
神渡さんは遍路道を歩くことは「瞑想」であると言い、知人は「立禅」であると言いました。
ひたすら無心に歩くことが、自分を見つめる時間となり、自分と人生について、多くの気づきを得たと言います。

神渡良平さんは、スペインの巡礼路である、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」も歩かれました。

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この巡礼路は、9世紀にイエス・キリストの12使徒、ヤコブの墓がスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラで発見され、ヨーロッパ各地からこの地を目指す巡礼が始ってできたものです。
ヤコブの墓は、天使のお告げと導きによりに発見されたと言われており、墓の上に大聖堂が建てられ、世界遺産となっています。

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サンティアゴ・デ・コンポステーラの関係者が、四国八十八箇所の遍路道と姉妹関係を結ぶために調査に来ていましたが、冬の遍路道は誰一人歩いておらず、困惑していたところにお遍路さんの格好をした知人が差し掛かりました。

早速インタビューと撮影を受け、是非サンティアゴ・デ・コンポステーラに来てほしいと招待を受けたと言います。
スペインの調査スタッフも、英語で質問に答えるお遍路さんに、驚き、喜んだことでしょうが、これも天の配剤と言うべきかも知れません。

知人は途中で心がくじけそうになった時、何回も亡くなった父親が出てきたと言います。
お父さんは、自分は肺結核で肺を半分切り、100m歩くと息が切れて歩けなかった、おまえは立派な体を持っているじゃないかと励ましてくれたそうです。

四国八十八箇所のお遍路の意味について知人は、多くの寺が納経のお布施で豊かな経営をしており、僧侶も自分を高めるための修行をしているように見えない、お遍路とは納経したり願を掛けることに意味があるのでは無く、自分を見つめ、精一杯の努力をすることによって与えられる気づきに意味があるのでしょうと話していました。




先日の講演会で神渡良平さんが、ニック・ブイジッチさん紹介されていました。この方は生まれつき手足がありません。8歳の時に、自殺を考えたと言います。
しかし、人と自分を比べない、あきらめたら人生は終わりだと考え、すべてを受け入れ、喜んで人生を送るようになりました。

you tubeには、ニックさんがある学校で話をしていて、突然壇上で転んで見せる映像が出てきます。
手足が無くてどうして起き上がるのでしょうか。ニックさんは1冊の本があれば、手足が無くても立ち上がれることを見せてくれます。
笑っていた生徒たちは、感動に涙を流します。

この映像を見て、以前「ヘレン・ケラーの恩人 、 塙 保己一」でご紹介した中村久子さんの言葉を思い出しました。

「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。
生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。
すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」


☆ご訪問いただき有難うございました
  


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コメント

Re: タイトルなし

ひろさん、こんにちは。

つらい時の思いやり、優しさ、慰めこそ、人間と人間を結ぶ絆なのですね。

その人にお返しすることのできない恩がありますが、それは自分の気づきや

他者への思いやりでお返しできるのでしょうね。

コメント有難うございました。

2009/07/06 (Mon) 09:28 | パック #- | URL | 編集

人はひとりでは生きていけない。

ひとりで生きてきたわけでもない。

つながりの中で、

支えあって、生かされている。

思いやりの心と優しさを忘れずに、

有難うと伝えたい。

そんな気持ちになりました。

今日も好き日に…

2009/07/06 (Mon) 05:42 | ひろ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

yumiさん こんばんは

子供の頃、虫を観察するのが好きでしたが、死にかけた虫を見ると、かわいそうだからと思い殺していました。
しかし今思えば、それは自分の勝手な考えで、虫や動物たちは、どんな状況の中でも命の限り生きています。
人間だけがこのように弱いのは、未来に対して希望を失うからでしょう。

ニックさんが、まだ手足が生えてくることを信じていると言っていましたが、再生医療の進歩で本当にそうなるかも知れません。
100回やって諦めればそれで終わるけれども、101回目で成功するかも知れないと言えるのは、ニックさんがそれをやり通したからでしょう。

バングラデシュの不幸な人たちも、自分の運命を受け入れて精一杯生きているのですね。
日本人と比較して、野の花と温室の花を見るようです。

コメント有難うございました。



2009/07/03 (Fri) 23:27 | パック #- | URL | 編集

またまた色々感じました。
先日もお邪魔して動画も全て拝見していたのですが、再度見たいとおもいコメントせずに帰りました。今回また見てとてもとても感動しました。ニックブイヂッチさんの話にはまた涙なしでは見れませんでした。今まで目標を立てること、目標達成が一番の成果だと思っていたときには自分ができていないこと、できるのかわからないこと(やりたいこと)を頑張ることに意味があるのか?それは諦めが肝心なのか?出来ないかもしれないという恐怖感をぬぐえず踏み出せないでいることはどうしたらいいのか?などと考えてました。でもニックブイヂッチさんは出来るまで頑張れる強さ何度でもチャレンジできる強さをもって生き抜くことができるかが大切とおっしゃってるのをきいて深くうなずきました。五体満足な自分がまだ弱さの中でしか生きてないことを思い知らされたように思います。
バングラデシュに行った時にも戦争で両手、片足をなくした人が道路に立ちながらも物乞いなどしてでもとてもとても強く目をギラギラさせて強く生きているのをみて人間はここまで強く生きられるものかと思ったものです。

2009/07/03 (Fri) 22:27 | Yumi #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

midoriさん こんにちは

知人と会うのは1年ぶりで、神渡さんの講演はある方の誘いで参加しました。
同じ体験を同時期に聞くのは、きっと自分を見つめ直せという意味ではないかと感じています。
無心に歩くことは自分を見つめる良い方法ですが、midoriさんがされたように
流れる雲、青い空をぼんやり見つめることも、気づきに繋がるのだと思います。

フランスの郊外のゆったりした景色の中で眺める空は、心を大きくしてくれることでしょうね。

「われもまた いつか訪ねて 仰ぎ見ん 
         風吹き渡る ボルドーの空」

2009/07/03 (Fri) 17:43 | パック #- | URL | 編集

こんにちは。旅される方の気づきの核心が、お遍路もコンポステラの道でも、目に見えること~立ち寄るお寺の有りようや、終着点の聖地の荘厳さからではなくて、道行で出会う人や、自然から与えられるということ、また、ニックさんの映像からは、”無いこと~目に見えないもの”は、実は有ることよりも、時として偉大な影響力とメッセージをもつことを思い知り、とても感動しました。声はこうして聴くものなのでしょうか。深い計らいを感じずにはいられません。パックさんのお話をきっかけに、空を見上げてしばらくの静かな時をすごさせていただきました。ありがとうございました。

2009/07/03 (Fri) 16:14 | parismidori #SQbl7Cak | URL | 編集
Re: ありがとうございます

冬日向 さん こんばんは。

人間は幸せの中で気づくことは難しく、困難の中で初めて気づきを得ることができるのでしょう。
この世で与えられた困難は、すべて気づきのための宿題であると思います。
しかし、つらい人生の中で気づくことは容易ではありません。
それが可能であれば、ほとんどの人が賢明な人生を送っています。
ニックさんの映像を見て、人間は心一つで、明るく生きられることを再認識しました。

私もいつか、ひたすら歩いて気づきの瞑想したいと思っています。

コメント有難うございました。

2009/07/01 (Wed) 22:50 | パック #- | URL | 編集
ありがとうございます

小さな自分を守るために、きゅうきゅうとする自分。
ご紹介いただいた映像を拝見して吹き飛びました。
苦しみや悩みや囚われは人それぞれ。
そのそれぞれの哀しみを、果敢に明るく笑顔で潜り抜けている表情を見て、
力をいただきました。
人間ってすごい!
可能性、信じる力、強い心。
あきらめたら何も生まれない。
子供たちにも見せたいと思う映像と文章でした。


そして私も時間が許すならただひたすら歩いて、瞑想をしたいと思います。
いつかそんな日がくるでしょうか、、、、楽しみにしたいと思います。

ありがとうございました。

2009/07/01 (Wed) 21:23 | 冬日向 #qsvP4ThM | URL | 編集

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