敵国から尊敬される武士道ー工藤中佐(2)

shincho20081218gra1s.jpg
週刊新潮12月18日号誌面

戦後教育を受けた多くの人がそうであるように、私も「君が代」が歌えず、戦前の日本のすべてが悪かったと考えていました。しかし、あるきっかけで過去の日本を否定する戦後教育の過ちを知り、日本人が失った精神の偉大さを痛感するようになりました。
無論、すべてを美化すべきではなく、多くの過ちがありました。しかし良いものは良いと認め、それを継承する冷静な判断力を失ったことが、現在の日本の価値観の喪失と混乱に繋がっているのだと思います。

工藤中佐のエピソードが最近まで知られていなかったように、精神性の高い多くの無名な日本人が、この国を築いてきました。過去形で言わざるを得ないのが残念ですが、誇るに足る民族であったと思います。

承前
ーフォール卿の人生を変えた工藤中佐とは、どういう人物だったのですか。
恵 「工藤中佐は明治34年、山形県の農家に生まれました。軍人になろうと決意したのは、小学校3年生の時に、広島湾(注:岩国港沖)で起きた第六潜水艇の沈没事故が大きなきっかけでした

この時、艦長の佐久間勉大尉は、酸素が消耗していく艦内で、天皇陛下に対して事故の責任を詫び、「部下の遺族をして窮する者なからしめ給わんことを」という遺書をしたためたのです。
(佐久間艇長については過去の記事「忘れられた日本人ーこんな日本人がいた」をご覧下さい)


navy-rokugo20.jpg
第六潜水艇の沈没現場を望む

佐久間大尉の遺書は、工藤中佐が通っていた小学校でも校長の訓示と共に伝えられました。これにいたく感動した工藤中佐は、担任の教師に、「農民でも海軍士官になれますか」と聞きます。
「もちろんなれる」という返事に勇気を得た工藤中佐は、地元の米沢興譲館中学に入学するために猛勉強を始め、その目標の第一歩を歩むのです。

米沢興譲館は藩政改革で有名な上杉鷹山が創設した藩校で、そこは伝統的な武士道教育が行われていました。工藤中佐は海軍士官なるべく志を固め、大正八年、当時超難関とされた海軍兵学校に入学しました。

ー青雲の志に燃えていた。
身長180センチを超える巨漢で柔道は相当の腕前でしたが、ただ人間的には無口なおっとりとした文学青年だったようですね。温厚で強さを表に出すことをしない。細かいことには一切口を出さないが、締めるところは締めるというように、硬軟を使い分ける明治の海軍軍人を彷彿とさせる人間ではなかったかと私は思っています。
海軍兵学校時代、工藤中佐の人格形成に大きな影響を与えたのが、入校時の校長、鈴木貫太郎中将(当時)ですね。

mumyouanH03.jpg
 鈴木貫太郎

ー終戦時の総理ですね。
そうです。鈴木校長の教育方針は武士道でした。工藤中佐が薫陶を受けたのは半年間でしたが、この間、鈴木校長は武士道に基づき、従来の教育方針を大転換するのです。その一つが鉄拳制裁禁止、つまり下級生を暴力で屈服させてはならないという教えでした。

実際、工藤中佐ら兵学校51期生は、この教えを忠実に守って鉄拳制裁を行わなかったばかりか、下級生を怒鳴りつけることもなく、自分の行動で無言のうちに指導したといいます。私はここに武士道の原点を見る思いがします。

ー駆逐艦「雷」でどのような艦長として見られていたのですか。
周囲から大仏と呼ばれるくらい、やはり普段はおっとりとして身辺を飾ろうとしなかったようです。
その指揮の仕方は駆逐艦長としてはかなり型破りで、着任の訓示も、「本日より本艦は私的制裁を禁止する」というものでした。
それに日頃から仕官、下士官に対し、「兵の失敗はやる気があってのことであれば、決して叱ってはならない」と、口癖のように言っていたといいますね。
見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違って報告した時も、「その注意力は立派だ」と、逆にほめたといいますから。

800pIJNDestroyerIkazuchis.jpg
駆逐艦「雷」(Wikipediaより

ー艦を率いるには」、やさしさだけでなく厳しさも必要ではないのですか。
工藤中佐について調べるにあたって、私が疑問だったのは、「もしかしたら戦闘意欲が乏しかったのでは」ということでした。
しかし工藤中佐は戦闘指揮官としてもかなり優秀だったのです。彼は艦長時代、敵潜水艦から合計5回の雷撃を受けていますが、全部回避して生還し、うち3回は相手に反撃して撃沈しています。それだけ卓越した戦闘指揮能力をもったリーダーだったのです。

武士道というと強さばかりが強調されがちですが、工藤中佐は強さだけでなく、それと同じくらいの深い温情を持っていたのではないでしょうか。

こういう逸話がありましてね。
海軍艦船では士官食堂と兵員食堂では食事の内容がかなり違っていました。もともとサンマ、イワシなどの光り物が好きな工藤中佐は、士官食堂で出たエビや肉料理を皿ごと持って、草履をパタパタさせながら兵員食堂にやってきて、「おーい、誰か交換せんか」と言ったというのです。艦長といったら水兵たちにとっては雲の上の存在でありましたから、このような型破りの行為は他の艦船ではありえない話でした。

このほか士官兵の区別なく酒を酌み交わしたり、兵の家庭が困窮している事情を耳にすると、下士官に命じて、その兵が家庭に送る送金袋にそうっと、自分の俸給の一部を差し入れたという話も残っています。
工藤中佐着任後二ヶ月もすると、「雷」の乗組員は中佐に感化され、「この艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」とまで公言するようになります。

trd0806071405011-p3.jpg  trd0806071405011-p2.jpg

ー英兵の救助活動で、その総合戦力が見事に発揮されたのですね。
まさにそのとおりです。敵潜水艦が行動する海面で、長時間、艦を止め救助に当たるのは、この上ない危険な行為です。しかも救助する対象は敵兵です。それを決断した工藤中佐も立派ですが、その英断を信じ、危険を承知で救出にあたった「雷」乗員の努力にも心を打たれずにはいられません。

救出時には様々な逸話があります。浮遊木材にしがみついていた重傷者が最後の力を振り絞って艦まで泳ぎ着き、救助用の竹竿に掴まると同時に安心したように水面下に沈んでいくという光景も多く見られました。

甲板上の乗組員たちは涙声になって、「頑張れ、頑張れ」という声援を送る。そのうちに、これを見かねた水兵が独断で海中に飛び込み重傷者の体にロープを巻き付ける。続いて二人の水兵が飛び込んで救助に当たる・・・。そうなるともう敵も味方もありません。国籍を超えた海軍独特の仲間意識がそこに芽生えるのです。

工藤艦長はさらに遥か遠方に漂流するたった一人の敵漂流者を発見しても決して見捨てず、乗組員総出で救出した。そして救助した彼らに自分たちの貴重な飲み水や食料、衣類を与えて手厚くもてなす。これを武士道精神と言わずして何というのでしょうか。

ーその後の工藤中佐についてお話ください。
工藤中佐は「雷」艦長としての任務を終えた後、駆逐艦「響」の艦長などを務めました。戦後は奥様と二人、故郷の山形に帰り、庭師として生活しました。その後、奥様の姪が埼玉県川口市に医院を開業すると、工藤中佐は事務員として、奥様は賄い婦として働き、昭和54年に78歳で亡くなるのです。子宝や地位、金銭に恵まれることもなく、戦後ひっそりと生き、人知れずその生涯を閉じるわけです。

167.jpg

ー自分の功績は誰にもはなさずに。
日本の職業軍人に対する評価は戦後180度変わりましたしね。それに「雷」はその後、撃沈され乗組員全員が散華(さんげ)されました。工藤中佐はこれに心を痛め、兵学校のクラス会に顔を見せることもなく、毎朝戦死した部下たちの冥福を祈るのが日課だったそうです。
そこには大業を成しながら、己を語らず、黙してこの世を去った男の美学を見ることができます。

しかし、私は工藤中佐の生涯は、今の日本人に大変なものを残したと思うのです。それは、日本人が失ってしまった武士道精神、誇りというものです。さらにこれを今回、旧敵英国海軍士官によって、逆に日本人が教示されたのです。

残念ながら現在、社会の指導的地位にある我々戦後世代には、欧米のエリートが当然堅持している愛国心や使命感が希薄です。このままでは日本は衰退し、さらに国際社会で孤立していくことでしょう。工藤中佐が示されたリーダーシップや勇気、さらには自己犠牲の精神こそ学校教育に早急に取り入れるべきです。」

参考記事:
フォール卿特集
博士の独り言


このブログはリンクフリーです。



国際有機認証取得、信頼の「しらい田七人参」
田七人参の最高峰 「しらい田七人参定期購入会員」のお問い合わせ


スポンサーサイト

コメント

Re: タイトルなし

parismidoriさん

コメント有り難うございました。
フランスに在住されていると、返って日本を適確に見ることができるのだと思います。
重要な内容を含んだご意見ですので、この場で簡単にコメントのお返しをするより、新しい記事として考えてゆきたいと思います。
parismidoriさんのブログをいつも楽しく拝見しています。
今回の記事も、フランス大好き人間として、興味深く(うらやましく)拝見していました。
これからも宜しくお願いします。

こんにちは。おくればせながら、前回、今回の記事をじっくりと読ませていただき、まず感動いたしました。そして、嬉しく思いました。フランスの人も日本人とみると、時折、サムライ、ブシ、ゼン(禅)などの言葉を投げかけてきますが、恥ずかしながら私にはその心がはっきりとはつかめずにおりました。また、以前にこちらで扱われた桜の花を愛でる歌の特集にも同じように感動しましたが、一方、その眼差しの深さ、情緒なども現代日本からはどんどん薄れているような気がしてなりませんでした。どうやら今の日本では、美しいもの、善なるもの、美徳なるものを茶化したり、真面目であることが馬鹿にされがちとも聞きますが、それはとても残念なことだと思います。海外にいれば、そんな日本でも、その仕事ぶりは依然として正確で丁寧、責任感や勤勉さの優位は明らかです。まだ遅すぎないと思います。深遠な精神性とともに、日本人の誇りを次の世代にも伝えられたらと心から願います。貴重な記事をありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

Re: タイトルなし

Yumiさん

コメント有難うございました。
武士道精神は日本人の精神性の土台でした。
その中心軸を否定され、骨抜きにされたのが現在の日本人の姿です。

日本人を骨抜きにすることが、アメリカの占領政策の中心でしたが、
その政策は見事に成功しました。

過去の日本人の偉大さを知ることが、日本人復活の鍵だと思います。

大変お勉強になりました。
日本人としての尊厳を見直せたというのも大きいのですが、それと同時にそのかつてあった武士道精神がいまや全く見られなくなった、というより今の日本に必要な心だと思いました。ゆとり教育とかいうことではなくて日本もこういう武士道精神をそういった美学を学ぶ機会を作ったほうがよっぽどいいでしょうね。私は今までも時代劇が好きだったり、武士の世界のようなものにとても惹かれるものがありましたが、その一番の魅力はこの精神ですね。地に落ちた日本人のモラルや美学を再度見直す必要があるときにとてもいいお話を伺いましてありがとうございました。私も沢山の人にこの話を知ってもらいたいと思います(^^)

大変ためになりました。

Re: タイトルなし

ひろさん、こんばんは。

日本人を甦らすためには、そのことが一番重要だと思います。
昔、子供たちに尊敬する人物を書かすと、野口英世だとか
吉田松陰だとか歴史上の人物を挙げていました。
最近はおとうさん、お母さんが多いようです。
それも悪いことではありませんが、歴史上の偉人の存在を教えていれば、
子供たちの理想も変わって来るはずです。
教育が国の原点ですね。

パックさんの紹介する、精神性の高い日本人たち。

誇り高き、自己犠牲を厭わない

武士道、あるいは美学をもった人々。

子供たちの道徳の時間に、

そんな人々が日本にいて、

日本を命を賭けて支えてきたことを

伝えるべきでないかと、

僕は思います。

Re

patapataokanさん。
コメントありがとうございます。
「戦後の教育は日本人をダメにする教育だったのではないかと思う位です。」と書かれている通り、戦後教育は、再び日本が脅威にならないよう、アメリカが日本を骨抜きにするための教育でした。
今の日本を見れば、見事な占領政策でした。
そのことを早く改めなければ、日本は奴隷国家から抜け出せないと思います。

ほんとそのとおりですね。
戦後の教育は日本人をダメにする教育
だったのではないかと思う位です。
日本の悪いところばかり子供達に教えては
愛国心など育つはずがありません。
愛国心と言うとすぐ戦争に結び付けますが
家族を愛するのと同じで国をまず愛さないと
国家は衰退すると思います。
もっと日本人のよさを伝えるためにも
パックさんがんばって下さいね。

Re

アカシさん。
コメントありがとうございます。
アカシさんのようにボランティアで世界を回っている人も、
精神性の高い日本人の一人だと思います。
過去の日本人の特徴の一つが無私の心でした。
それは国家主義、全体主義などと否定されるものではなく、
マザー・テレサのような優れた宗教家だけが到達できる心境で、
その心境に、無名の多くの日本人が到達していたことは驚きです。

精神性の高い多くの無名な日本人

こんにちは、パックさん。
今日の記事に鼓舞されました。
精神性の高い無名な日本人が沢山いたことを
このブログで伝えていって欲しいと思います。
私たち、日本人のもつ素晴らしい性質を
伸ばし、よい文化・習慣を継承していくことは
とても大事なミッションだと思います。
これからも、楽しみに読ませていただきますっ!

Re

せばすてぃあんさん  こんにちは。
そうですね。
どこの国民も自分の国が好きで、誇りを持っています。
愛国心という言葉自体を、恐るおそる使う国民は、日本以外にいないはずです。
和歌、俳句、絵、茶道、華道など等、これほど精神的に高い文化を
つくり上げた日本という国を誇りに思わなければいけないですね。

Re

コトハママさん、こんにちは。
昔、ユダヤ人の長老である、ラビ・トケイヤが「日本人は死んだ」
と言う本を書きましたが、その通りですね。
他国の干渉を受けても何も言えない国になってしまいました。
特にアメリカの言うことに100%従っており、植民地です。
先日、イタリアの人と話をしていて、イタリアに対してもアメリカが
色々指図してくるが、蹴っていると言っていました。
同じ敗戦国でも立派ですね。

こんにちは!
戦前の日本がすべて良いとは思いませんが、
やはり、戦後教育では愛国心は育たないですよね。
僕も、海外に行った時、向こうの方が国家を歌えるし、
自国の歴史に誇りを持っていることに感銘を覚えました。
自分も、そうありたいと思いましたし、
知らない事を恥じ入りました。
日本には素晴らしい文化があるのに、
知らないなんて勿体ないですよね!

いいお話をありがとうございます。
まさに日本人として誇る方がいらっしゃった事を誰も語ろうとしません。
敗戦以来、日本人としての誇りも語るに語れない状況です。
又、教育本にも他国から指示を受けるという事は敗戦国が故アメリカの属国になってしまっているからでしょうか?
同じ敗戦国のドイツ・イタリアに比べて世界に対しても発言出来ない。
独立していない国のように思えます。
いいお話は後世に伝えていきたいものですね!
非公開コメント

短歌

ブログ内検索

QRコードメーカー



フリーエリア