敵国から尊敬される武士道ー工藤中佐(1)

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    工藤俊作 中佐

このブログで何回かご紹介しています、「致知」という月刊誌があります。このような雑誌が存在すること自体、日本人の心が死んでいない証とさえ言える雑誌です。

3月号に、「仇敵に師と仰がれる日本人の生き方」と題して、ジャーナリストの恵隆之介さんのインタビュー記事が載っています。

昭和17年、スラバヤ沖海戦でイギリス艦船が撃沈され、多数の将兵が海に投げ出されました。
そこに一隻の日本の駆逐艦が通りかかりました。「雷(いかづち)」です。敵潜水艦が多く潜む中、艦長の工藤俊作は、「敵兵を救助せよ」と命令し、乗組員の約2倍の422人の敵将兵を助けました。
工藤中佐のこの行為は、英国海軍将校の魂を揺さぶり、真の武士道と言われました。

この事実は最近まで知られていませんでしたが、テレビの『アンビリバボー』でも紹介されたようです。
以下、恵隆之介さんのインタビュー記事です。

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  恵 隆之介さん

恵「平成15年6月、NHKラジオの「ワールドリポート」を聴いていて、私は身震いするほどの感動を覚えたのです。それはロンドン発のリポートでした。リポーターは、「このような美談が、なぜ日本で報道されなかったのだろうか」と興奮した口ぶりで語っていました。
番組に情報を提供したのは元海軍大尉で、後に駐スウェーデン大使などを歴任した、サムエル・フォールという元外交官でした。

ー工藤中佐に命を救われた一人だったのですね。
「はい。番組はフォール卿の次のような話を報じていました。
その時、400人以上の将兵たちは24時間近くジャワ海をボートや木板に乗って漂流しながら、皆すでに生存の限界に達していたと言うのです。
中には軍医から配られた自決用の劇薬を服用しようとする者もいました。

そういう時、目の前に突然駆逐艦「雷」が現れる。これを見たフォール卿は、「日本人は野蛮だ」という先入観から、機銃掃射を受けて殺されると覚悟を決めたといいます。ところが、「雷」は直ちに救助活動に入り、終日をかけて全員を救助した。

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    漂流するイギリス兵

フォール卿がさらに感動したのはこの後です。重油と汚物にまみれ、弱りきった将兵を帝国海軍の水平たちが抱えながら服を脱がせ、汚れを丁寧に洗い流し、自分たちの被服や貴重な食料を提供し、友軍以上に厚遇しました。
さらに工藤中佐が英国海軍士官を甲板に集めて敬礼し、「私は英国海軍を尊敬している。本日、貴官たちは帝国海軍の名誉あるゲストである」と英語でスピーチしたというのです。

ー感動的なお話ですね。
フォール卿も、「奇跡が起こった」「夢を見ているのではないか」と思って自分の腕をつねったと語っていました。そして最後に工藤中佐のこの行為を、「日本武士道の実践」と絶賛していたのです。

戦後生まれの私は、大東亜戦争中、日本は悪いことばかりしたという自虐史観の中で育ちました。
それだけにこの証言を聞いて言葉にならないほど感動を覚えました。
「ああ、自分が思っていたとおり、帝国海軍はやはり偉大だったのだ。これぞまさしく真の武士道だ」と。
文筆活動を通して、後世のためにもこの史実と工藤中佐のことを書き残さなければならないという使命感が、この時沸いてきたのです。

ー顕彰の動きはどのように進んだのですか
私はすぐにでもイギリスに飛んで、この老紳士に会いたいという思いに駆られました。フォール卿について調べていたところ、この年の10月に来日するという情報が入りましたので、横須賀で会っていただくことにしたのです。

ー印象はいかがでしたか。
すでに84歳という高齢でしたが、やはり本物だと思いました。心から工藤中佐と帝国海軍に感謝し、その姿勢を高く評価していました。帰国後、自伝を送ってくださったのですが、その本を開いて驚きましたね。巻頭に「この本を工藤中佐に捧げる」と記されているじゃないですか。

フォール卿と工藤中佐が同じ艦に乗っていた時間は、救助されオランダの病院船に引き渡されるまでのわずか二十時間ほどです。しかし当時20歳の彼にとって工藤中佐は、人生を変えるほどの影響力を与える人物となったのです。

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 救助されたイギリス兵                            フォール卿

ー忘れられない出会いとなった
実はフォール卿が来日したのには意味がありましてね。彼は戦後ずうっと工藤中佐の消息を探していました。しかし昭和62年、その8年前に中佐が他界していたという事実を知るのです。高齢でありながら来日を決意したのは、人生の締めくくりとして艦長のご遺族に感謝の意を伝え、中佐の墓前に参じたいという思いがあったからです。
しかし、残念ながら当時ご遺族の消息は分からず、その願いを果たすことができませんでした。そこで彼は「墓参もしたいし、艦長のご家族や「雷」の関係者に会ってお礼がしたい。是非力をかしてほしい」と私に頼んだのです。

ーご家族の消息はつかめましたか。
最初は難航しました。昭和59年に」亡くなったことは分かっていましたが、子孫に恵まれず家系は絶えていたのです。しかし数少ない「雷」の関係者を捜し当て、その一人の協力で、フォール卿と出会って三ヶ月後にようやくご遺族とお墓を突き止めることができました。
それを知らせた時のフォール卿の嬉しそうな声が今も耳に残っています。

ーフォール卿と恵さんとのお付き合いはその後も続くのですね。
翌年、私は返礼の意味を込めてイギリスにフォール卿を訪ね、工藤中佐について取材をしました。
フォール卿は心から喜び、戦友お二人をご夫妻で招いてパーティーを開いてくれました。
私はそこで日本の戦後の自虐史観を批判したところ、彼らは共感し、同時に工藤中佐に関する多くの情報を聞かせてくれました。

ただ帰り際、「貴君は武士道について知っているか」と質問された時、ハットしました。お恥ずかしながら、私は武士道とは単なる腹切だと思っていたからです。そしたらフォール卿は得々と話を始めました。
「武士道は日本人の道徳の規範だった。そして戦いにおいては、勝者は敗者の健闘を称えいたわることが武士道の基本である」と強調されたのです。

その説明を聞きながら私が痛感したのは、「武士道」という言葉を排斥し、日本人から誇りを奪ってきた戦後教育についてでした。
工藤俊作という実例を通して武士道というものを、この日本に甦らせることもまた自分の使命だという思いを私は強くしたのです。

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ーその後、フォール卿の墓参の夢はかなったのですか。
積年の願いがようやく実現したのは、昨年(平成二十年)十二月、ほんの最近のことです。

ーよろこばれたでしょう。
もちろんです。嬉しいことに、この時は政財界の有志を中心とする海軍中佐工藤俊作顕彰会が発足し、フォール卿を歓迎することができました。

ーフォール卿はご自身の思い出をどのように語られましたか。
式典を終えた後、私の手を握りながら、「人生最大の恩師の墓参を果たし、また日本の皆さんに対してスピーチができた。いま自分は人生最高の幸せを味わっている」と、感極まった様子で話してくれました。89歳で積年の願いを果たされた心中を思うと、私も胸がいっぱいでしたね。」

工藤俊作中佐の生い立ちや人となりにつきましては、次回ご案内します。
人は美しい花や風景を見て感動するように、美しい心と行いに感動するように作られています。
自らの魂が本来持っている真なるもの、善なるもの、美なるものが共鳴するからでしょう。
この内在された魂の崇高さは、真善美に触れることにより、本来の輝きを取り戻すことができるのだと思います。


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コメント

Re

とりぶうさん、こんばんは。
コメント有難うございます。
武士道の根底に人間としての生き方があるから、世界に通用するのでしょうね。
とりぶうさんの記事をいつも楽しんでいます。
ほんわかした絵も記事とぴったりあってますね。
リンクも有難うございました。
今後ともよろしくお願いします。

こんにちは!
武士道というのはじつは日本だけで通じるものではななく、どの国においても尊敬されうる地球人としてまっとうな姿勢だったのですね。
日本人として、こういうお話に触れるとすごくすくわれる気がします。
ところで、リンクありがとうございます!
わたしのほうもリンクさせていただきますね。
これからもよろしくお願いします!

Re

コトママさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
ザビエルの時代から、世界の多くの国の人から賞賛されてきた
日本人の心は、ほとんど死んでしまいましたね。
完璧な人間がいないように、完璧な国もありません。
日本にもまちがっている所がありましたが、戦後、良いところの
多くが否定されてしまい、心の無い国になってしまいました。
残念ですね。

いつもいいお話をありがとうございます。
そうですね!
戦後の日本人教育は日本人の悪い歴史のみを教えて・・・
私達は海外に肩身の狭い思いをして世界貢献をずっとしてきていると思います。
いい日本人達がいっぱいいらっしゃった事も後世に伝える価値があると思います。
尊敬できる人はもっと公表するべきですね!

Re

アラレさん
すばらしいコメントを有難うございました。
戦勝国による日本弱体化政策により、日本人の美質の多くが失われてしまいました。
見事な戦略だったと言えます。
「3S政策」-スポーツ、セックス、スクリーン(映画・テレビ)に夢中にさせることによって、
思考力を奪うことに成功したと言われています。
武士道の安売りは、武士道の何たるかが理解されていない結果だと思います。
一方で、農民、町民が地べたに頭を擦り付けるような支配を受けていたことも
ご指摘の通りで、それだけに支配者が被支配者の立場に立って責任を取る、
いわゆる「ノブレス・オブリージュ」が機能しなければ抑圧政治でしかありません。
武士道がもっとも日本に根付いたのが明治維新であったという記事を、
「吉田松陰から思うこと」に書きました。
明治時代は、武士道が支配者である武士のものではなく、国民のものに
なっていたと考えています。
日本人が価値観と進む方向を失った今、武士道を考えることが
日本人の解決策のひとつだろうと思います。

いつもながら、素晴らしい話ですね。また一人、素晴らしい日本人を知ることが出来ました。
日本の戦後教育、というより国民全体の精神面の軟弱化が、戦勝国の意図によるものなのか、日本の気兼ねによるものなのかずっと引っ掛っています。
それとは別に、昨今の「武士道」の安売りのような使われ方や、日本人と「武士」、「武士道」を安易に等号で結びつけようとする風潮にも疑問を感じています。
元々、維新前も「武士」はほんの一握りの特権階級でしかなく、ましてその名に見合うだけの「武士道」を果たしてどれほどの武士が持ち得ていたのか。
大多数の日本人にあるのは、強い人間に逆らえず無理難題にも地べたに頭を擦り付けて従い続けてきた「小作人根性」でしかなかったことを自覚すべきだと思います。
その上に立って、生まれながらの身分差別、区別のない今こそ、心に刃を差すべき時であるはずだと思います。刃の持つ強さと、刃を持つ意味と、刃を使う時と、刃を差し続ける覚悟も持たずに、安易に日本人、すなわち自分自身を「武士」にすべきではないと思っています。

Re

せばすてぃあん さん。こんばんは。
工藤中佐の話は武士道精神からすれば当たり前のことでしょうが、
こうした話を聞くと改めて昔の日本人は偉かったなと思います。
実は私も戦後教育の中で、君が代が歌えませんでした。
国歌を歌えない国民を育てた戦後の教育は、やはりまともな教育では
なかったですね。
おっしゃるように、何より残念なのが日本の文化が失われたことです。
日本は世界に誇る文化がありました。
戦前の日本がすべて悪だったという風潮の中で、貴重な文化が
失われてゆくのが残念ですね。

こんばんは!

工藤中佐の話は、僕も知っています!
良い話だと思いましたし、感動しましたね。
戦後の教育の話が、何かと取りざたされますが、
確かにGHQ主導の下、僕達は骨抜きにされた感はありますね。
日本は悪い、非道な事をした、戦争はいけないとか...
勿論、そういうとこもあります。
でも、現在でも世界中で非道な争いは無くなりませんし、
その後の中国の内輪での争いとか、東欧での独裁者の非道っぷりなど、
何処も同じように感じます。
そして、それ以上に残念なのが、
日本の伝統や文化がどんどん薄れていく事ですかね。
忘れ去るには勿体無いです。
まぁ、そういう僕も何も知らないようなもんです。
日本も西洋化するにしても、日本の文化の上に、
重ねていくやり方が良かったのではないかと思います。
良い話、ありがとうございます!
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