ヘレン・ケラーの恩人 、 塙 保己一(はなわ ほきいち)

hokiiti.jpg  nakamura-2.jpg
    塙 保己一       ヘレン・ケラー

ヘレン・ケラーが昭和12年に初めて来日した時、まっさきに渋谷の温故学会(塙保己一の学問を継ぐ研究所)を訪問して、保己一の木像に触れ、「私は塙先生のことを知ったお陰で、障害を克服することができました。心から尊敬する人です」と、感謝の言葉を述べています。

塙保己一は盲目でありながら大学者となり、「群書類従」と言う有名な古典全集を編集刊行しています。
「群書類従」は、古今・新古今、源氏物語、神皇正統記などなどを編集した、1270種、530巻666冊に及ぶ大変な労作です。これらの膨大な文献を、目が見えなかった保己一が学ぶためには、いったいどれだけの努力を要したのか、想像を絶します。

群書類従」をクリックして、是非目録を確認してみてください。この目録を見て感嘆しない人はいないはずです。我々目が見える人間が、この内何冊を読めるでしょうか。
無論、点字など無い時代です。保己一はおそらく誰かに読んでもらい、それを脳と心に刻み付けたのでしょう。

以前ご紹介しました、日本一の知恵工場と言われる、㈱タニサケさんが「歴史と人物に学ぶー上田三三生著」という小冊子を出しています。この中から塙保己一(はなわ ほきいち)をご紹介します。

jyogakuin.jpg keller.jpg

現在の埼玉県児玉町に生まれた塙保己一は、3歳で眼病にかかり、7歳で失明しました。針やあんまを身につけようと江戸に出ますが上達せず、代わりに学問が好きだったことを認めてくれた師匠や回りの人の手助けで学者の道を志します。血のにじむような努力の結果、水戸藩や幕府の後援を受け、和学講談所という、今で言えば国学研究所を開き、多くの弟子を育てます。

「群書類従」は、我が国の古い貴重な文書が、写本のままで一部しかなければ、焼けたり紛失したりする恐れがあるので、印刷(木版)して全集のかたちにし、後世に大切に伝えようとする保己一の発案でした。

保己一は独力で巨額の費用を工面して、四十数年の歳月をかけ完成します。
水戸光圀「大日本史」は、二百六十年の歳月と、数千人の協力によってできた大事業でしたが、こちらは盲目の学者ひとり(もちろん支援者はたくさんいますが)の力による、「大日本史」に劣らぬ大仕事でした。

今の大学にあたる和学講談所の経営や群書類従出版の功績を認められて、保己一は総検校(盲人の最高位)となり、農民の出身ながら旗本並の待遇を受け、将軍にお目見えを許されました。

かって保己一が源氏物語の講義をしていた夜、風のため灯かりが消え、弟子たちがあわてて、「先生、ちょっとお待ち下さい」と申しました。事情を知った保己一が言うには、「さてさて目明きとは不自由なものだなあ」

「群書類従」の版木は、17,242枚で国の重要文化財に指定され、今も温故学会に保存されています。

hangi_soko.jpg
17,000枚余の版木の一部

ヘレン・ケラーは三重苦(盲聾唖)を克服して、大学まで卒業し、障害者の福祉に貢献した人です。どうして塙保己一のことを知っていたのでしょうか。

電話を発明したグラハム・ベルは、祖父・父・本人と三代続いた唖者教育一家でした。ヘレン・ケラー6歳の時相談を受けたベルは、家庭教師としてサリバン女史を紹介し、両親に保己一のことを語って聞かせました。

ヘレンが生まれる少し前のこと、ベル博士のもとで学び、塙保己一について詳しく博士に話した日本人留学生がいたのです。井沢修二という青年で、後に文部省高官・教育者(信州高遠藩出身、音楽教育や吃音、盲唖教育に力を注ぐ)として著名な人です。「紀元節」の歌の作曲者でもあります。

へレンが感動したように、保己一の話に今も励まされ、勇気づけられる多くの人がいるに違いありません。
文政四年(1821年)七十六歳没

塙保己一のエピソード  ・記憶力  ・集中力  ・怒らぬ誓い  ・保己一の死後


ヘレン・ケラーが来日した時、ある日本の女性と会っています。中村久子さんです

origami.jpg

中村久子さんは幼い頃に脱疽にかかり、両手両足を切断しました。近所の子供たちから「だるま」と呼ばれ、外に出られないほど残酷ないじめに会いました。母親は久子さんが将来一人になっても生きて行けるように、厳しく何でも自分でやらせ、口で針に糸を通し、縫い物までできるようにしました。見世物小屋で、口での裁縫を見せ、暮らしていたこともあります。

こうした人間が味わう最も厳しい人生の中で、

「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。

生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。

すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」


との人生観に至りました。

日本のヘレン・ケラーと呼ばれていますが、ヘレン・ケラーは中村久子さんと会い、「私より不幸な人、しかし私より偉大な人」と語っています。

現在、日本のマスコミは差別用語を使わず、ハンディキャップのある人たちを傷つけないようにしています。
思いやりは人間として大事なことですが、弱者と言う言い方は、能力や可能性を制限するものです。
塙保己一にしろ、中村久子さんにしろ、厳しい環境に打ち勝ち、偉大な人間になりました。
特別な人かも知れません。しかし意思の力と向上心で、人間はここまで強く、ここまで偉大になれることを示してくれました。
真の強者です。

fude.jpg


*リンクフリーです。





スポンサーサイト

コメント

素晴らしい✨

詳しいエピソードのご紹介をありがとうございます。
ある記事で塙保己一さんを知り、もっと知りたくなり検索して、こちらの記事に出会いました。
塙保己一さんにしても、中村久子さんにしても、意志も強く、努力家で素晴らしい人物ですね。
ご両親のお導きもきっと良かったのでしょうね。
是非、ひとりでも多くの方に知って欲しいです。
シェアさせてくださいね。

Re: 記事の紹介

ippnmichiさん 記事をリンクいただき有難うございます。

塙保己一に限らず、過去の日本人の偉大さには驚きます。

これからも宜しくお願いします。  

記事の紹介

詳しい保己一のエピソード興味深く読ませていただきました。

ぜひご紹介させていただきたいと思い、記事のリンクをさせていただきました。

 

Re

コトママさん
お加減はいかがですか。
元気な時は、生きていることを当たり前に思っていますが、
病気になって初めて、健康の有り難さを感じます。
本当は一日一日、今日生かされたことに感謝しなければいけないですね。
お大事にしてください。

生かされている・・・
いい言葉ですね!
私も持病で苦しんでいますが、子供とにゃんずに生かされています。。汗。。

Re

ひろさん
コメント有り難うございました。
中村久子さんのような方の言葉は、人生体験の重みを感じます。
昔は尊敬する人物のアンケートでは、伝記の人物が上位に出ていました。
最近は余り読まれないのでしょうね。
純粋な子供の時に、伝記を読んでほしいですね。
これからもよろしくお願いします。

人生に絶望なし

いい言葉ですね!
素直に感動しました。
子供に教えてやろうかと思いましたよ。
最近、伝記って、教育でないがしろにされているなぁ…

Re

アラレさん
いつもありがとうございます。
塙保己一と群書類従の名前だけは教えられてきましたが、本当の偉大さは目録を見ないと分からないですね。教科書に是非目録を載せてほしいと思います。昔の日本人は偉大だったと、改めて痛感しました。

私も、群書類従目録を初めて拝見して目頭が熱くなりました。
この方たちと、私の使う時間は本当に同じ長さなのかな?
「酔生夢死」意味よりも字面に魅かれて、人生訓のつもりで来たけれども、
やはりただ、自分を甘やかして来ただけだと恥じ入るばかりです。
いつも、良い記事をありがとうございます。

風小僧さん
コメント有り難うございました。
今回の記事を書くにあたり、改めて群書類従目録を見て、目が見えない人間がここまでの仕事をしたことに、感嘆の念を禁じえませんでした。
自分が無為の人生を送っていることが、恥ずかしく思われます。

感謝

この解説記事、痛く心に残りました。
感謝です。
非公開コメント

短歌

ブログ内検索

QRコードメーカー



フリーエリア