争いのなかった日本

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もうかなり前、あるローカル線に乗っていた時のことです。
4人掛けの席の窓際に男性2人が座っており、私はその隣に座っていました。
しばらくして、若い方の男性がもう一人に話し始めました。

「国選で何人もの弁護をしましたが、裁判が終わってお礼に来た人は一人もいませんでした」
それに対して年配の方がこう答えました。
「そんなもんだよ。お礼に来るような人間なら、悪いことをしないから」
二人は弁護士でした。

それを聞いて、なるほどと納得するとともに、弁護士とはなんと因果な仕事であることかと同情を禁じ得ませんでした。世の中には何年もかけて司法試験を目指す人が大勢いますが、人間の暗い部分、醜い部分に係る仕事のどこが良くて一所懸命に勉強するのか、弁護士になりたいと思ったことのない私には理解できません。

争いごとの根底には人間の自我や欲望があり、それらの自制を学ぶのが躾や教育です。
小さい頃から人の生きる道を教えられてきた日本人にとって、嘘をついてはいけないことや人に迷惑をかけてはいけないことは当たり前のことですが、世界を見渡せば、それは決して当たり前のことではありません。

日本人は古代から温和で調和を愛する性格であったようです。聖徳太子が「和をもって尊しとなす」と教えたからではありません。
1万6000年前から3000年前までの縄文時代、人を殺す武器を持たなかったことは、日本人が如何に争いごとを避ける民族であるかを物語っています。

八戸市~1
合掌土偶

青森県八戸市の風張1遺跡から、両手を合わせた土偶が出土しています。縄文後期の出土品で、合掌土偶と呼ばれて国宝に指定されています。
この土偶が、本当に祈りを表しているのかどうかわかりません。しかし世界中で祈る時になぜ手を合わせるかというと、左手と右手を合わせて、陰陽を調和させることが祈りの前提になるからです。
平和を愛し、調和を愛した縄文人なら、祈りのために自然に手を合わせたとしても不思議ではありません。

江戸は人口100万人を擁す世界最大の都市でしたが、この大都市を取り締まるのに、南町奉行所、北町奉行所を合わせて、僅か与力50人、同心が200人でした。他に非公認の岡引が、同心一人につき二人がいましたが、いかに犯罪の少ない安全な町であったかがわかります。

「行列のできる法律相談所」という番組があります。話し合いでの解決でなく、訴訟を勧める番組で、本来の日本の社会にはなじまないものです。
「人の振り見て我が振り直せ」「七たび探して人を疑え」など、昔の日本人は諺で生きる知恵を教えてきました。人を責めるより自分を振り返って人間性を高めれば、争いの無い調和された社会になります。
昔の日本には弁護士はいませんでした。弁護士のいない世界が理想です。






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日本人の優しさ


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北海道で親子が暴風雪に巻き込まれ、父親は9歳の娘に覆いかぶさるようにして凍死していました。
亡くなった岡田幹男さんは一昨年、妻を亡くし、一人娘の夏音さんと2人暮らしでした。
夏音さんは父の胸の中で泣き続けていたといいます。

2年前に母を亡くし、またこのような形で父を亡くした夏音さんの気持ちは、察するに余りあります。
幼くしてつらい経験を重ねた夏音さんが、これから多くの優しい人達に助けられて、明るく成長することを願わずにはいられません。

以前、ホームレスの若い女性のことを書きましたが、公開していない関連記事がありましたのでご紹介します。(最近、過去の記事をほとんどチェックしていないので、書いたのを忘れていました)
下記の関連記事もご覧ください。

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その女性のことを忘れていた11月の終わり頃、娘が駅で半袖で震えながらうずくまっているのを見かけました。
思わず駆け寄って自分の上着をあげようとした時、駅の係員が近寄って来たので逃げ出したと言います。
やはり以前のまま、保護されずにいたのです。

翌日、受け取るかどうか心配しながら、娘が自分の衣類を持って行ったところ、素直に受け取ったと言います。その話を聞いて喜んだのですが、数日後、その女性がやはり薄着のまま、駅で同じように立ちすくんでいたと言います。

しかしその日の夜に再び見かけた時には、ちゃんと服を着ていたといい、もしかしたら、日中は薄着で同情を誘い、施しを受けていたのではないかと思います。しかしもしそうであれば、それはそれで生きるすべを知っていることになり、少し気が楽になります。


日本教育界最大の人物と言われた森信三先生が、シベリア送りになりかけた時、零下20度の厳寒の中で新京を脱出しました。食料もなく生死をさまよい、凍死、餓死寸前のところで命を取り止めましたが、このとき改めて、躾、たしなみ、道徳というものは、ある程度の経済的基盤があってこそ可能だと思い知らされます。

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人生二度なし」致知出版社


若い時の貧しさは、必ずしも心を貧しくするものではありません。むしろ、「かわいい子には旅をさせろ」のことわざ通り、自立して生きる強さを育てます。
心に従って生きる」で紹介した知人の話です。

彼は医学部を中退して仕送りを絶たれました。アルバイトだけで下宿代と生活費を稼ぐことは困難です。ある朝、空腹を抱えて歩いていると牛乳箱が目につき、思わずその牛乳に手をつけてしまいました。飲んだ後、お腹がすいて牛乳に手を付けてしまったことをお詫びし、アルバイトの金が入ったら必ずお返ししますと、住所・氏名を書いたメモを入れて帰りました。

後日、お金を返しに牛乳箱を開けたところ、中に2本の牛乳とメモが入っており、「1本はあなたのものだから、いつでも飲んでください」と書いてありました。
その後、会ったことも無いその家の人とは、何回もメモのやり取りをし、励ましてもらったと言います。


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別の日の朝、彼が大徳寺の山門にたたずんでいると、朝行に出る僧侶の一団が歩いて来ました。
先頭の僧侶が彼を見かけ、肩をトントンと叩き、手を出すように促します。彼が手を出すと小銭を入れ、その後に続く僧侶たちも、一人ひとり小銭を彼の手の中に入れて行きました。彼の姿に窮状を察したのでしょう。
「僧侶の数が多いので、手の中が一杯になりました。托鉢の僧から布施をもらったのは、僕くらいでしょう」と笑っていました。

学生時代から金や地位や名誉を遠ざけてきた彼は、その後、ドイツとスイスで長年生活し、10数年前に日本に帰ってきました。北辰一刀流の免許皆伝で、少林寺拳法の有段者、ギターの名手にして円空仏や陶器の鑑定家である彼は、つくづく医者にならなくて良かったと言っています。
彼がスイスでダライ・ラマの妹さんと出会い、中国大使館に抗議のロウソクデモを行った話はまたご紹介します。

僅かな優しさ、思いやりが人を救い、人の人生を左右することがあります。
美談の多さは、その国の人々の優しさのバロメーターです。かっての日本には数えきれない美談がありました。
それが失われたと思っていたところ、東日本大震災で数多くの美談が伝えられました。
いまだに日本は、優しい人達の住む国であることを誇りに思います。

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