国を売る人

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晩節を汚すという言葉があります。高く評価されてきた人が、後年、その評価を覆すような言動によって名誉を失うことですが、元中国大使の丹羽宇一郎氏の場合は、何と言ったら良いのでしょうか。
晩節を汚すではなく、馬脚を現すと言った方が適切な気がします。

丹羽氏が伊藤忠商事の社長、会長であった時は、伊藤忠を立て直した経営者としてマスコミでもてはやされました。
もし彼が中国大使にならなければ、そのままの評価で終わっていたでしょう。
経済人は基本的に思想を問われません。共産主義者であれ愛国者であれ、あるいは守銭奴であれ正直者であれ、評価の基準は、金儲けがうまいか下手か、あるいは事業を拡大したかどうかであって、思想や人間性は問われません。
勿論、一流経済人であれば文化や芸術に対する理解や人生哲学を持っていますが、そのことは経済人の必要条件ではありません。

しかし経済人であっても中国大使となれば、当然その言動は日本国を代表するもとなるのですが、この人にはまったくその自覚がなく、日本の国益については、かけらも念頭になかったようです。


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われわれ日本人が尖閣を護る 保存版」(高木書房)という本があります。その中に、WILL7月号に載った深田祐介氏の記事の抜粋が紹介されています。

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「丹羽宇一郎氏の情けない発言」

『私は改めて、現役中国大使、丹羽宇一郎氏に取材したときの驚愕と憤激を想い起こした。
当時、丹羽現役大使は日本の一流商社、伊藤忠商事の役員であったが、中国熱に浮かされ、ほとんど発狂に近い陶酔状態にあった。丹羽氏は私に向かい、『「将来は大中華圏の時代到来します』と言い切ったのだ。『すると日本の立場はどうなりますか』と私は反問した。
『日本は中国の属国として生きていけばいいのです』。丹羽氏は自信に満ちてそう明言したのだ。瞬間私は耳を疑い、『この人は痴呆症に入っているのではないか』と思った。

『日本は中国の属国にならなくちゃならないんですか』と私が聞き返すと、『それが日本が幸福かつ安全に生きる道です』と繰り返したのである。
 こういう痴呆的人物、つまり『売国奴』を中国に送り込む感覚もまた痴呆症で、発狂状態を物語っていると言っても良い』
(WILL2012年7月号より)
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丹羽宇一郎氏は、菅直人氏が任命しました。(変換する時、菅直人死となって、こちらを使いたい衝動に駆られました)
丹羽氏を任命する時、当然そのような思想をもっていることを承知していたわけで、つまり日本が中国の属国であることを発信する人事でした。


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中国船が尖閣で領海侵犯し、あろうことか巡視船に体当たりしたにも関わらず、菅と仙石は(敬称略!)、船長以下を即刻無罪放免しました。しかも中国船の体当たりのビデオを、中国に遠慮して公開せず、ここでも中国に対して、日本の弱腰、無抵抗をメッセージとして発信しました。

野田首相が尖閣を国有化したから、中国が領海侵犯を行うようになったと言う人がいますが、民主党の朝貢外交が始まった時から、中国は本気で尖閣を取ることを考え始めています。(もっと前から計画していましたが、民主党になって現実の行動と化しました)

民主党の批判をしていますが、私自信が3年数ヶ月前まで、自民党に対する批判票を民主党に投じていました。しかし前々回の衆院選前に、民主党の実態を調べて驚きました。まるっきり左翼反日の集団でした。

ネットのニュースによれば、丹羽宇一郎氏は最近都内で講演し、中国海軍による自衛艦へのレーダー照射問題について、「首相や防衛相への報告が遅れても許されるような事件だ。メディアも大騒ぎするな」と語ったと言います。
また、「日本に帰国してびっくりしたのは皆さんが勇気ある発言をされない。思っていることを仰らない空気を感じた」
「中国は自然の空気は悪い。日本はもっとたちの悪い空気だ。どっちが本当に国民が幸せなのか」と語ったと言います。

もはや筋金入りの売国奴と言うしかありませんが、このような人間の語ることでも、元中国大使の発言として発信されます。大臣の不祥事に対して任命責任が問われますが、このような人間を中国大使に起用した菅(敬称略!)の責任は極めて重いと言わざるをえません。
(この人間が東日本大震災の時に首相をやっていたことが、返す返すも無念でなりません)

古代ユダヤの石打ちの刑にならって、鳩山、菅(敬称略!!)を見つけたら、石をぶつけても良いと言う法律ができないものでしょうか。


丹羽宇一郎
「レーダー照射ホントにやったのか」加藤紘一元幹事長が仰天発言 




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中嶋嶺雄学長のご逝去を悼む

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秋田の国際教養大学の中嶋嶺雄学長が逝去されました。
突然の訃報に接し、驚きを禁じ得ません。
秋田の小さな公立大学を、あっという間に東大に並ぶような難関大学に育てられ、教育の新しい姿を示されました。
様々なメディアが国際教養大学と中嶋学長を取り上げ、その優秀な学生を求めて、全国から数多くの大企業が秋田に足を運んでいます。今、最も注目されている大学と教育者でした。

中国研究の第一人者である中嶋先生は、中国の脅威について早くから警鐘を鳴らされていました。しかしその忠告に耳を傾けることなく、日本は中国に過大な投資を行い、抜き差しならぬ関係に立ち至ってしまいました。
目先に惑わされず、本質を見抜く目を持った方でした。

1年ちょっと前、秋田でおいしい中華料理をご馳走になりましたが、あのお元気な中嶋学長が亡くなられるとは、想像すらしないことでした。
秋田とのご縁を作って頂きましたことに感謝します。
ご冥福をお祈り申し上げます。

≪追記≫
国際教養大学の学生たちのブログ「国際教養大学を日本全国に広め隊」に、学生たちの中嶋学長に対する思いが語られています。
学生たちから、これほど慕われた学長はいなかったのではないでしょうか。また自分が学長を務める大学を、これほど愛した人はいなかったと思います。
学生の言葉をご紹介します。

『もし自分がまた19歳に戻ったら、という質問に対して
「国際教養大学に入学して学びたい」
とお答えになった学長が忘れられないです。
「国際教養大は中嶋が命がけで育てた大学です。」と学長の奥さん。

どれだけ素敵な大学を創ってくれたのか、感謝の気持ちでいっぱいです。』


中嶋嶺雄
開校から8年、国際教養大学が東大と肩を並べた理由
秋田に起きた奇跡 国際教養大学
国際教養大学を日本全国に広め隊
スズキメソード

本の断捨離は

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昨年、蔵書のほとんどとLPレコードをすべて捨ててしまった。捨てた後の喪失感からいまだに立ち直ってないので、本の断捨離を考えている人には、早まるな、捨てるのはいつでもできる、死んでからでも遅くないとお伝えしたい。無論、邪魔な本なら別です。

これまでも何回も本を処分してきたが、今回は数千冊を古紙回収に出してしまった。学生時代に買った本の中には、当時の下宿代に近いものもあって、貧乏学生がどうして買えたのかわからない。食費を切り詰めて買ったはずはないので、親に仕送りをお願いしたのだろう。親に感謝しなければならないことが、思い出すたびに増える。

捨てた理由は、もう読まないだろうと言うことと、身辺を簡素化したかったからだが、多少身辺の風通しが良くなった意外に、得られたものは何もなかった。

本を読むにはエネルギーが必要で、若さのエネルギーによってしか読めない本がある。また本には読む旬があり、若い時に読まなければ、その値打ちや影響力が大きく減じて、折角の真価が発揮できない本がある。科学系の本を含めて、多くの本が若い人に読まれて価値を発揮する。

本はその内容に応じた気を出していて、良書からは良い気が出ている。ツン読にも意味があるのが、本の功徳の一つだ。
しかし言葉は波動だから、一方で悪書からは悪い気が出ている。悪書はすみやかに処分した方が良い。

学生時代からベストセラーは読まなかった。読むべき多くの古典があるのに、ベストセラーに手を出す余裕が無かったからだが、それは正しい選択だった。若さのエネルギーを失った今、もしドストエフスキーを読もうとしたら、登場人物の名前と人物関係を覚えるのに辟易して、多分途中で投げ出してしまうだろう。
 
処分した本は、ブックオフには持って行かず、廃品回収に出した。ブックオフでは、本の価値が、新しいか古いか、きれいか汚いかで決まるので、古新聞以下の価値しかないだろうと考えたからだった。
ブックオフの出店が増えるに従って、稀こう本(稀覯本)が捨てられる運命にある。便利さには、いつも文化破壊の側面がある。

LPレコードは、大事にしていた50枚位を、LPしか聴かない知人に強制的に引き取ってもらい、他は全部捨て捨てたが、愛聴盤が命を永らえていることが救いになっている。
先日、「心に従って生きる」でご紹介した知人に会った時、本を90%捨てた話をしたら、もったいないと唸っていた。
彼の本棚に並んでいる本の傾向は私と似ているので、今から思えば、一声掛ければ良かったと悔やまれる。

CDとLPを比べたら、音の厚みや繊細さでLPが上回っている。CDのフォーマットが、デジタル技術が未熟な頃に決まってしまったためだ。
レコードの時代、しょっちゅうオーディオ装置をいじり、少しでも音が良くなると喜んでいた。ウイーンフィルやロンドンフィルの音がようやく満足に鳴りだした頃、CDプレイヤーを買ったのだが、その貧しく耳触りな音に失望した。
しかしCDプレイヤーを何台か買い替え、アンプとスピーカーもCDの耳障りな音をマスキングするものに替え、やがて簡便さがLPレコードを駆逐した。便利さはここでも文化を破壊した。

ビデオはDVDに置き換えれば良いのでほとんど処分した。問題はカセットで、去年亡くなった音楽評論家の吉田秀和さんが解説した、NHKFMの「名曲の楽しみ」のカセットが相当数ある。これを処分しようか迷っているのだが、今のところ、捨てるのは死んでからでも遅くないと自分に言い聞かせている。

ところで少し前まで、電車の中では多くの人が本か新聞を読んでいた。今はほとんどの人が携帯に見入っている。
このことが日本の将来にどのような影響を与えるのだろう。




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