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日本の復活はあるか


大手家電メーカーのS社から、韓国のサムスンにヘッドハンティングされた技術者がいます。
彼はサムスンに入り、すぐにここは技術者が夢を実現する場所ではないと気づき退職を申し入れました。
しかし、日本の技術者のヘッドハンティングは李会長からの命令なので辞められたら困る、仕事をしなくても給料は払うので一年間はいてくれと頼まれ、1年間在籍したそうです。サムスンでのことは、辞めても2年間は話をしてはいけないとの契約があり、詳しい話はできないと口ごもっていました。

彼の場合は技術開発の場がなく、技術が流出したのかどうかわかりません。しかし同じようなヘッドハンティングが数多く行われており、長い時間と経費と努力を傾けた日本の技術が、僅かな金額で韓国や中国に流れてしまうことは残念な限りです。

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ところで、現在のテレビのほとんどがスピーカーを中に隠し、外から見えないようにしています。音が悪いことは言うまでもなく、まともな技術者なら絶対に考えないことです。しかしこのサムスンのデザインが世界的に売れたため、日本の家電メーカーも一斉にマネをしました。営業サイドからの要請だったのでしょうが、技術者はさぞかし屈辱だったと思います。

世界を席巻した日本の家電メーカーが巨額の赤字を出し、シャープが台湾企業に身売りするなど、かつては想像もできないことでした。このような状況に陥った原因は、アメリカによって円高を押し付けられ、製造拠点を海外に移転した結果です。為替が日本のアキレス腱であることを見抜いた国際金融資本の戦略は、見事というしかありません。


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プラザ合意

失われた10年、あるいは20年の間、日本はプラザ合意に基づく超低金利、あるいはゼロ金利政策を維持させられ、日本で運用できない資金はアメリカに流れて行きました。
アメリカの流入資金の8割が日本からのもので、長期不況に苦しむ中、日本の金がアメリカを支えてきました。

日本が現在置かれた困難のもう一つは、巨額の赤字国債です。
全国の自治体に、「ふるさと創生資金」がばらまかれたバブルの真っ最中に、赤字国債が発行されていました。
なぜこんなに景気が良いのに、国債を発行するのか、当時不思議に思いました。
バブルの最中に赤字国債が発行された理由は、金融や不動産への適切な課税を怠ったためです。
このことが、日本の巨額な財政赤字を作ってきました。

ごく一部の富裕層が富の大部分を占めることは世界共通です。日本の富裕層の多くが土地と金融によって富を築いており、この富裕層に対する適切な課税が行なわれない限り、消費税だけで日本の赤字は改善しません。
富裕層たちは巧妙に政治家に取り入って適切な課税を阻んでいます。これも世界に共通することです。


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今TPPが議論されていますが、TPPは資本主義の崩壊を引き起こす恐れがあります。
関税撤廃による競争激化によって、生産者は一段のコストダウンを迫られ、さらなる人件費の削減を進めざるをえなくなります。賃金抑制によって購買力は低下し、景気はさらに悪化するでしょう。
資本主義は継続的なインフレを前提にしており、デフレは死に至る病です。

TPPには農業や工業生産だけではなく、国際金融資本が最も得意とする金融や保険などのサービスが含まれており、この部門が自由化されればアメリカの一人勝ちになるはずです。

戦後、日本人の必死の努力によって達成された高度成長は、アメリカのバブルの仕掛けによって破壊されました。
現在の民主党による売国政治は眼を覆うばかりですが、戦後の自民党の腐敗と怠慢が日本の病理を生んだことも事実です。
日本の課題は多く、解決に時間が掛かりますが、自虐史観を捨て、日本に対する誇りと日本人の心を取り戻すことが何より大切ではないでしょうか。
何かを始めるのは心です。

バブルの仕掛けについては、「日本の戦後に行われたこと」をご参照ください。





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日本人と唐辛子

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京都吉兆

七味唐辛子に日本人の知恵が現れているのではないかと考えたのは、一味唐辛子が出てきてからです。
唐辛子はただ辛いだけで風味がありません。コロンブスがメキシコで発見し、ヨーロッパに持ち帰った時は、コショウのような風味が無いため受け入れられず、江戸時代に日本に入って来た時も、繊細な日本料理には合わないため、観賞用として栽培されたそうです。

その後、うどんなどの香辛料に使われ始めた時も、その風味の無さに我慢できず、山椒、黒胡麻、ちんぴ、麻の実他を配合して、七味唐辛子にしたのではないかと思います。そこに日本人の味覚の鋭さと知恵が現れています。

しかし七味唐辛子も十分風味があるとは言えないのに、その後の改良工夫がなかったのは、日本人の知恵が足りなかったのではなく、唐辛子に対する思い入れが少なかったからでしょう。
一味唐辛子は七味唐辛子の工夫を否定するものですが、激辛ブーム以降、日本人の味覚は低下したのではないかと思います。

尚、これが七味唐辛子だと感心させられるものがありますのでご紹介します。
やげん堀七味唐辛子


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京都吉兆

日本文化すべてに共通する価値観は美しさです。料理は美しくなければならず、それは料理の手順や器や盛り付けなど細部に至るまで要求されます。
味が美しいと書いて「美味しい」と読みますが、その言葉の中に日本人の感性が現れています。身体が美しいと書いて「躾」と読むのと同様、規律や規則性の中に美しさがあると考える日本人の特質だろうと思います。

過日、娘がIKEAで包丁を買ってきました。デザインの面白さで買ったようですが、その切れなさは笑いが出るほどでした。IKEAに限らず、世界で絶賛される日本の包丁と比較すれば、どの国の包丁も切れません。
包丁には日本人の美意識と英知が結集しています。

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西洋の包丁は両刃ですが、日本の包丁は片刃です。日本料理は陰陽の考えを基本にしており、刃がついている方を陽、ついていない方を陰と考えます。刺身は刃(陽)で切られた面を返して、表に向けて盛りつけます。
陰陽五行では、偶数は陰、奇数は陽と考えます。刺身を盛る時、陰数の四角い器に盛る時は、3切れ、5切れなど陽数で、ふぐ刺しのような数がわからない場合は、陽である丸い器に盛るのが基本です。

日本人の陰陽の考え方の中心にあるのは調和です。料理の手順、器、盛り付け、あるいは部屋の調度などの全てが調和して料理は完成すると考えます。
フランス料理の食器、盛り付け、味のハーモニーは、日本料理にもっとも近いのではないでしょうか。
世界の108のミシュラン三つ星店のうち、1/4が日本にあるのも当然のことです。
調和を基本とする和食の本質を、いつまでも大切にしてほしいと思います。

丸谷才一さんのエッセイ、「あの無思想に燃えるもの」の中で紹介されていた、現代女流の俳句をご紹介します。

「思想などなし唐辛子赤きのみ」 諒子

日本料理の陰陽の考え方は記憶で書いたので間違っているかも知れません。
ご指摘をいただくために、コメント欄を開けておきます。





丸谷才一さんの死に思うこと

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丸谷才一さんが亡くなりました。
小説については熱心な読者ではなかったけれど、日本語に対する評論や知的で軽妙な随筆の長年の愛読者でした。あの名エッセイがもう読めなくなったことを残念に思います。

丸谷さんの専門は英文学でありながら、万葉、古今、源氏などの古典の広範囲な勉強量と、漢文の素養、さらにあらゆる分野に対する知的好奇心のすさまじさに、いつも圧倒されていました。
今後、このような人が出て来ることはもうないでしょう。
なぜなら、テレビやパソコンや様々な情報に囲まれて暮らす現代人が、「本を読むことが人生で一番立派なことだった」という、読書一筋の人生を送ることはもはや不可能だからです。
昔の日本人は偉大だったと思うことしきりですが、丸谷さんは偉大であった日本人の、最後を飾る一人であったような気がします。

作家の辻原登さんが、読売新聞に寄稿した記事が心に残りました。

「いま、二葉亭四迷、森鴎外、夏目漱石、尾崎紅葉にはじまる「日本近代文学」の巨大な山脈が、私にみえる。これほどくっきりその姿を捉えたことはなかった。
丸谷才一さんが亡くなったからだ。丸谷才一という作家がその眺望を邪魔していたのではなく、彼がその山脈の最後の山塊を形成していたからだ。それは、ため息が出るほど美しい山容だ。
終わったのだ、と私はつぶやく。
・・・・中略・・・・
私たちの「日本近代文学」は、世界に誇る文学山脈である。それは、英文学山脈、仏文学山脈、独文学山脈、ロシア文学山脈に匹敵する規模と高さを持ち、日の光、月の光を浴びて輝くさまは崇高でさえある。
非ヨーロッパ地域で、唯一、日本においてだけ、なぜかくも豊饒な「近代文学」の稔がもたらされたのか。記紀万葉より江戸期に至る千二百年に亘る和文、漢文による豊かな文学地層があったからで、先に挙げた先達たちはみな、そのぶ厚い地層から出て、ヨーロッパ近代文学と出会うことでそれが可能となったのだ。日本古典と漢文古典とヨーロッパ近代文学との幸福な出会いが、日本列島で奇跡的に実現した。
丸谷才一は、その出会いの最後の体現者、主峰のひとつだった。

丸谷才一の死によって、「日本近代文学」の命脈は尽きた。あとには、荒涼とした、うすら寒い光景が広がっているばかりだ。どんな細道を行けばよいのか。・・・・・」

読売新聞編集手帳より
「丸谷才一さんが音楽学校で英語を教えていた頃の逸話が、まことしやかに伝わっている。丸谷さんの声があまりに大きいので、隣の教室で合唱の授業をしていたクラスが離れた教室に避難したという。合唱も打ち負かす伝説の大声をじかに浴びたのは、3年ほど前である。食事をご一緒した折、質問をした。村上春樹さんの小説が芥川賞の選に漏れたとき、丸谷さんは選考委員でしたね。いま顧みて、「しくじった!」という感想をお持ちですか?」。
「僕が!僕が、ですか?」。空気が震え、グラスのワインが波立った。
「Aだ」。丸谷さんはある作家の名前を挙げた。「Aが村上の才能を恐れて受賞に反対した。僕と吉行(淳之介)はAに抵抗したが、力が及ばなかった」。30年も前の選考会を昨日のように振り返り、血をたぎらせる。日ごろ穏やかな紳士だからこそ、大音声の爆発がサマになった。洒脱なエッセーなどで親しまれた丸谷さんが87歳で死去した。・・・・」

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昨年、丸谷さんが文化勲章を受章した祝宴の写真に、丸谷さんが英語を教えていた桐朋学園の教え子、小澤征治さんと、音楽評論家で桐朋学園の創立者の一人であった吉田秀和さんが愉快に談笑している姿が映っています。
今年5月、吉田秀和さんが亡くなり、今、丸谷才一さんが亡くなりました。
知の巨人たちが育つ豊かな土壌が、いつまでも日本に残ることを心から願います。





言葉は民族性

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言葉は時代と共に変化します。「当たり前」と言う言葉は、「当然」が変化したものであり、「新しい(あたらしい)」は、「新たし(あらたし)」が変化したものです。

言葉の変化を承知していても、最近若い人がインタビューに答えて、「~しているんで」とか、「~と思うんで」と言っているのが気になります。
「~していますので」、あるいは「~と思いますので」と礼儀正しく答える若者はいません。

先のロンドンオリンピックでは、どの選手も、「勇気と感動を与えたい」と言っていました。これは目上の者が目下の者に対して使う表現ですが、それが非礼であることを注意する監督やコーチはいなかったのでしょうか。もしかしたら敬語の感覚が、急速に乱れてきたのではないかと思います。

最近の中国や韓国の言葉づかいを見ると、外見は日本人と似ていても、その内面性はまったく別ものであることがわかります。かの国の為政者たちは、従軍慰安婦や領土問題が嘘であることを知りながら、平然と嘘をつき、日本を貶めながら利益を得ようとします。
不正や嘘を嫌い、損と知りながら正直であろうとする日本人のメンタリティーは、彼らとはまったく無縁であることを肝に銘じなければならないでしょう。


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今年7月、欧州合同原子核研究機構(CERN )が、ヒッグス粒子がほぼ発見されたと世界同時発表しました。存在が証明されたわけではなく、その内容は2~3年前からわかっていた事であるのに、ほぼ確実だと大々的に発表した背景には欧州の経済危機があります。

欧州合同原子核研究機構(CERN )の年間の研究費は800億円に上り、欧州経済危機の中で研究費を確保することが困難になっていました。予算を確保するためには成果を強調する必要があり、そのために仕掛けられたのが今回の発表のようです。

それを悪いと言っているのではなく、むしろ国際化の中で日本も見習わなければならないことだと思います。
日本人は謙遜を尊び、自己宣伝を嫌います。巧言令色少なし仁、言葉に出さずとも真実はいずれ明らかになると信じています。
このことは素晴らしいことですが、一方で上手に発表する技術が養なわれなかった原因でもあるでしょう。

日本の素晴らしい家電が苦戦しているのは、直接的には円高の影響ですが、海外メーカーのように、新製品を宣伝するために、アルバイトに夜中や早朝に並ばさせて、それをテレビ局に取材させるような、偽りの演出を嫌う体質も影響しているのではないでしょうか。

その意味では、余り丁寧語や尊敬語にとらわれず、テレビカメラの前で堂々と自己宣伝ができる若者たちが増えたことは、もしかしたら良いことなのかも知れない、と思うようにしています。





なぜ人を殺してはいけないのか

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「なぜ人を殺してはいけないのか」と子供に聞かれた時、どう答えたらよいでしょう。
文部科学省が、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子供からの質問に対する模範回答を作ろうとして、うまくまとめることができなかったと言います。

宗教のプリズムを通せば、対立する異教徒を殺すことは正義であり、神の名のもとに多くの命が奪われました。
戦争と言う大量殺人も、ジュネーブ条約で国家間の紛争解決手段として認められており、大東亜戦争(太平洋戦争)において、勝った連合国側は正義となり、原爆による殺りくでさえ正当化されたのです。

結論を言えば、この世の善悪、価値の全てが相対的であり、神という絶対的な存在を持ちださずに、人を殺してはいけない理由を提示することはできません。

なぜ人間を殺すのが悪なのかと言えば、人間には魂があり、その魂は神の光だからです。
光を否定すれば、自らが闇に落ちます。
近世まで世界中で、神仏と霊魂、天国と地獄の存在が信じられてきました。良いことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に落ちる、だから殺人を犯してはならないのだと。

現在、日本の殺人事件は、年間1000件余りと言われますが、実際はその30倍以上の殺人が行われています。
その殺人とは自殺です。
自殺は被害者が本人であるため、法律で禁止されているわけではなく、悲しいことであっても、殺人のような悪とは考えられていません。しかし自殺は殺人であることを認識する必要があります。
なぜこのように自殺が増えたのかと言うと、死ねばすべてが終わるという唯物論に支配されているためです。


天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」
(2006/02)
アラン カルデック

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全世界で400万部以上売れた、アラン・カルデックの「霊との対話」ー天国と地獄―に、自殺をして地獄で苦しむ霊たちが紹介されています。信じるかどうかは自由ですが、死後の世界を前提にしなければ、殺人や自殺を抑止する根拠は無くなります。

「霊との対話」-天国と地獄―からご紹介します。

―公衆浴場で自殺した身元不明に男性―

―いま、あなたはどこにいますか?
「分かりません……。ああ、私がいまどこにいるのか教えてください」
「私はまだ生きているのですか…。棺桶の中で窒息しそうです」

≪彼の魂は肉体から離れたとはいえ、今だに混乱したままである。地上で生きていたときの感覚が強くて、自分が死んだとは思えないのである≫

―どうして自殺などしたのですか?
「では、私は死んでいるのですか……。いや、そんなことはない……。まだ、体の中にいますから……。私がどれほど苦しいか、あなたがたには分からないでしょう。ああ、息が詰まる! 誰か、優しくとどめを刺してくれないだろうか?」

―いよいよ自殺をしようとしたとき、ためらいはなかったのですか?
「とにかく死にたかったのです……。疲れ果てていたので、休息が欲しかった」

―「将来のことを考えて思いとどまる」という可能性はなかったのですか?
「私には、将来は、もはやありませんでした。希望をすっかり失っていたのです。希望がなければ、将来のことなど考えられません」

―生命が失われる瞬間は、どんな感じがしましたか?
だいたい、私の生命はまだ失われていません……。私の魂は、まだ体につながっています。ああ、蛆虫(うじむし)が私の体を食っているのが感じられる!」

―死が完了したとき、どんな感じがしましたか?
「死は完了しているのですか?」

≪死んで間もない人が、自分で死んでいるのかどうかも分からない状態になるということは、実に頻繁に観察される。特に自分の魂を肉体のレヴェル以上に向上させなかった人の場合には顕著である。
この状態は、いずれにしても、つらいものである。上の例では、蛆虫が体を食っている感覚があるだけに、苦痛はより激しいものとなっている。さらに、その状態は、彼が命を縮めた年数分だけ続くことになるので、いっそう、つらいものとなるだろう。

ルーヴェ・フランソワ・シモン―身投げをした男性

≪以下のメッセージは、一八六三年二月十二日にル・アーヴルで行われた霊実在主義者の集いにおいて、自発的に降ろされた霊示である≫

「ああ、これほど長いあいだ、これほどひどく苦しんでいる悲惨な者に、どうか哀れみを! 
ああ、空虚……。空虚の中を落ちていく、限りなく落ちていく、ああ、助けてくれ~!

神様、私はとても悲惨な人生を送りました。哀れな人間でした。特に、老いてからは、いつも飢えに苦しみました。だから酒に溺れ、すべてを恥じ、すべてに嫌悪を感じていたのです……。もうこれ以上、生きていたくなくなり、身を投げました。

ああ、神様、何という恐ろしい瞬間! いずれにしても、もうすぐ死ぬはずだったのに、どうして自分から死を選んだのだろうか!?
どうか祈ってください。もうこれ以上、空虚がのしかかることに耐えられません。このままでは体が砕けてしまいます。どうかお願いします。あなたがたは、自殺によって地上を去った人間が、どれほどの悲惨を経験するか、よくご存じです。

≪その後、調査をした結果、一八五七年、七月二十三日の新聞『ル・アーヴル』に、次のような記事が掲載されているのを見つけた。

『昨日、四時ごろ、桟橋を散歩していた人々は、悲惨な事故を目撃して心を痛めた。ある男性が、塔から見を投げて岩の上に落ち、血まみれになっているのを発見したのである。年老いた曳(ひ)き船(ふね)人夫で、アルコール中毒の果てに自殺したものと見られている。名前は、ルーヴェ・フランソワ=シモンという。遺体は、コルドリ街の娘の住まいに運ばれた。享年六十七歳』

この男が死んでから、やがて六年がたとうとしているのに、この男は相変わらず、「塔から落ち、体が岩に激突する」という体験を繰り返している。目の前に広がる空虚を見ては繰り返し恐れおののいているのである。体が落下する恐怖に、絶えずさらされているのだ。それも六年ものあいだである。それは、あとどれくらい続くのであろうか? 彼には、それはまったく分からず、そして、そのことが、さらに苦悩を深くしている。これは、地獄の業火の苦しみに匹敵すると言えるかもしれない。
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現在、いじめによる子供たちの自殺が絶えません。
そのニュースを聞くたびに、彼らが今いるであろう暗く厳しい世界に心が痛みます。
子供たちは、いじめによる地獄のような日々から逃れるために自殺をします。
しかし自殺によって苦しみから逃れることはできず、むしろ百倍も苦しい世界に落ち込むことになります。
そのことがわかれば、自殺を問題解決の手段に選ばないはずです。
子供たちに、魂が永遠であることを知ってほしいと願います。
身近で自ら命を絶った子供がいたら、どうかその子のために祈って下さい。


「音の世界からあの世を考える」
「死の瞬間、死後の様子」 





Tag: 自殺
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