日本は神国か

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日本は神国だと言われてきました。神々によって作られ、神々によって護られているので、神風が吹くと真剣に考えられてきました。

日本は本当に神国なのでしょうか。
まず、神の国とはどのようなところで、そこで暮らすのはどのような人たちなのかを考えてみます。

神の国である以上、みんな優しく思いやりがあり、いつも笑顔で暮らしているはずです。
礼儀正しくて慎み深く、自分より人を優先するはずです。

物を大切にし、足ることを知り、虚栄や虚飾を遠ざけ、清潔で簡素の中に美を見出すはずです。
信義を重んじ、約束を守り、正直で誠実であるはずです。

子供は親に感謝し、親は子供のために自己犠牲を惜しまず、不平不満、愚痴、悪口を遠ざけ、貧しくても、お互いに助け合って暮らし、天の恵み、地の恵みに感謝し、人と人、人と自然が調和して生きているはずです。

これらのことが神の国の属性であるとすれば、明治維新までの日本、あるいは戦前までの日本は、まさに神の国でした。
日本という国を神が作り、護ってくれているのかはわかりません。しかし、そこに住む人々が、神の望む貴い心を持っている国であったことは間違いありません。
アインシュタインが、日本と言う国を作ってくれたことを神に感謝したいと言ったのは、日本という国の中に神の国を見たからでしょう。

明治の開国まで、265年間の平和な時代を作った徳川家康は、多分西洋の国々が貪欲な植民地政策で、多くの人々を残虐に苦しめ、富を略奪したことを熟知していたはずです。
西洋のキリスト教国が、日本的な美徳を破壊する危険な国々であることを知っていたのでなければ、あれほど固く門戸を閉ざす鎖国を行ったはずがありません。(鎖国時代もインドネシアの東インド会社から詳細な年次報告を受けて、世界の情勢を確認していました。)
今にして素晴らしい為政者であったことがわかります。

大東亜戦争に敗れた後、日本人の心を破壊するマインドコントロールが行われました。
その政策を立案し実行した勢力は、不義を喜び、背徳を好み、欲望を貪る自分たちの対極にいるのが、神の望む民族・日本人であることを知っていました。

戦後に行われた、「日本の侵略戦争」と言う嘘のプロパガンダから目覚め、日本の歴史と日本人の心に自信を持ち、正しい教育を取り戻すことが、何より日本に求められていることです。

神の国は心の中にあります。
一人でも多くの日本人が、日本人であることの誇りを持ち、日本の心を失わなければ、日本は神国であり続けるはずです。
光は東から、日本は日いづる国です。



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国際派日本人養成講座 
美しい国だった」
かつての日本が、どれほど素晴らしい国であったかがわかる記事です。
長い引用ですが、是非ご覧ください。

■1.「彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた」■

ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、1871(明治4)年にギリシャ神話上のトロイアの遺跡の発掘に成功して、世界的に有名になるが、その6年前、1865(慶応元)年に日本を訪れている。

日本で最初の、小さな岩ばかりの島が見える地点に到達した。私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。 [1,p101]

シュリーマンの期待は裏切られなかった。入国の際、税関で荷物を解くのが面倒なので、金を渡して免除して貰おうとしたら、断られた。「日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである」と、その役人の高潔さをシュリーマンは讃えた。

また、当時は過激志士が外国人を襲う危険があったので、警護の武士がついてくれたが、「役人たちが欲得づくでこのげんなりするまでの警備に励んでいるのではないことは承知している。だからなおさらのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。
彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである」と感心する。

■2.「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろう」■

シュリーマンからやや遅れて明治11(1878)年に来日したイギリスの女性旅行家イザベラ・バード[a]。女性の身でありながら、アメリカ、カナダ、ハワイ、日本、マレー半島、チベット、ペルシャ、朝鮮、中国、モロッコと、通算30年に渡って世界中を旅した。その体験をまとめて『日本奥地紀行』『ロッキー山脈踏破行』『朝鮮奥地紀行』『中国奥地紀行』などの著作を残している。

これだけ広く世界を旅して、詳細な旅行記を残しているという点で、当時の日本を客観的に語って貰うには、好適な旅行者である。

バード女史から東北・北海道への旅行計画を聞いた英国代理領事は、その時、「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろう」と太鼓判を押している。それは正しかった。

奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほ
ど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。[1,p187]

ヨーロッパの多くの国や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受
けるまではいかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。[1,p188]

■3.「それは美しいものであった」■

バード女史は、実際の旅での見聞をこんな風に語っている。

私達は三等車で旅行した。「平民」のふるまいをぜひ見てみたかったからである。客車の仕切りは肩の高さしかな
くて、たちまち最も貧しい日本人で一杯になった。

三時間の旅であったが、他人や私達に対する人びとの礼儀正しい態度、そしてすべてのふるまいに私はただただ感
心するばかりだった。それは美しいものであった。とても礼儀正しくてしかも親切。イギリスの大きな港町で多分目にするふるまいと較べて何という違いだろう。

さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。
老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。
私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さには及ばない。[1,p184]

ものを紛失した時に、馬子は一里も戻って探してくれ、バード女史が骨折り賃として何銭かあげようとしたが、「旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ」と言って、どうしてもお金を受け取らなかった。

「どこでも警察は人々に対して非常に親切である」し、かならず助力してくれるので、「困ったときはいつも警官に頼む」。

こうした日本人の振る舞いに触れて、バード女史はこう述べている。

この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように----残念ながら実際にはそうではない!----

■4.「日本人にすべてを教える気でいたのであるが」■

バード女史と同時期、明治10(1877)年から13(1880)年まで東京大学で生物学を教えたエドワード・S・モースの談を聞いてみよう。東京で大森貝塚を発見した事で知られている人物である。

外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気
でいたのであるが、驚くべきことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善悪や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである。

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、
挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。[1,p36]

机の上に小銭を置いたままにしても召使いは一切手を触れない。街中の店では、時折店主が店を開けっ放しにして出ていくので、モースは逆に盗みに入られないかと心配するほどだった。
「盗み」などの犯罪が皆無であることに驚嘆し、「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい」。

モースの母国アメリカでは、盗難防止のために、戸外の寒暖計はねじくぎで壁に留められ、噴水のひしゃくは鎖で結びつけられていた。

正直、節倹、丁寧、清潔、その他わが国に於いて「キリスト教的」とも呼ばれる道徳のすべてに関しては、一冊の
本を書くことも出来るくらいである。[1,p39]

■5.「礼儀という点で、日本人にまさるものはない」■

さらに時代を遡ってみよう。元禄3(1690)年に来日してオランダ商館付の医師として、約2年間、長崎の出島に滞在したドイツ人・エンゲルベルト・ケンペル。オランダ商館長に随行して、二回、江戸に上り、将軍にも拝謁している。日本の動植物、風俗、地理、歴史、宗教などに関心を示し、帰国後、ロンドンで出版した「日本誌」はフランス語、ドイツ語にも訳され、ゲーテやモンテスキューなども愛読したと言われている。

江戸への道すがら、ケンペルはこんな感想をもらしている。

旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが 気がついたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で、日本人にまさるものはない。

のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは
国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。[1,p178]

当時の日本は、キリスト教国の侵略から国を守るために、オランダと中国以外の国とは貿易を禁止していた。ケンペルはこの「鎖国」政策に賛成している。当時の日本は自給自足ができており、外国から物資を輸入する必要はなかった。そして、国内は戦争もなく、生活水準が非常に高かった、という理由からである。

■6.「貧しいことを不名誉と思っていません」■

江戸幕府が鎖国政策を採った理由は、キリスト教宣教師を尖兵とするスペインやポルトガルの侵略から身を守るためであった[b]が、戦国時代に来日して、初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルは、純粋に布教を目的としていたようだ。

ザビエルは、日本人アンジロウとインドのゴアで出会った。アンジロウは8ヶ月のうちにポルトガル語の読み書きも会話も完全にマスターし、「知識に飢えていて、真理のことなどすばやく学びます」。他の日本人もアンジロウと同様であるとしたら、布教は成功するに違いない。ザビエルは「日本へ行く夢をあきらめることはどうしてもできません」と思うようになった。

ザビエルは1549年にアンジロウとともに日本に到着した。そして日本での布教の成功を確信した。「日本の国民が、この地域にいるほかのどの国民より、明らかに優秀だからです」。ザビエルは日本人をこう評している。

この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだで
は見つけられないでしょう。

彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人は貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉と思っていません。[1,26]

■7.「性質直にして雅風あり」■

ザビエルから、さらに遡って、西暦636年頃に成立したとされている「隋書倭国伝」には次のような一節がある。日本では聖徳太子が亡くなられた直後の時代にあたる。

人すこぶる恬静(てんせい)にして、争訟まれに、盗賊すくなし。・・・性質直にして雅風あり。[1,p80]
(人はすこぶる物静かにして、争い事は少なく、盗賊も少ない。・・・人々の性質は素直で雅やかである。

同様の記述は、西暦280~290年に書かれたとされる「魏志倭人伝」にも見られる。

婦人淫せず、妬忌(とき)せず。盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし[1,p74]
(婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。盗みをする者はいない、訴え事も少ない)

戦乱の絶える間が無く、騙し騙されが日常であったシナ大陸から見れば、犯罪や争いの少ない、純朴な人々の住む日本は別天地のように見えたであろう。

「美しい国、日本」とは安倍首相の政権構想の中心であるが、それが「国民が美しい心根を持っている国」という意味では、日本は有史以来「美しい国」として、外国人から賛美されてきたのである。

■8.「この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており」■

しかし、今に至って改めて「美しい国、日本」を掲げなければならないのは、現代の我々が、過去の先人達の美しい心根を忘れてしまったという認識からであろう。

この事態は、幕末から明治初期にかけて日本にやってきた西洋人たちによって、すでに予見されていた。幕末において、アメリカ公使館通訳として活躍したオランダ人・ヘンリー・ヒュースケンは、こう語っている。

いま私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩はほんとうに進歩なのか? この文明はほんとうにあなたの
ための文明なのか?

この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところ
に満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのである。[1,p268]

■9.「美しい国」を復活させる道■

日本に帰化して小泉八雲と名乗ったラフカディオ・ハーンも日本人の美しい心根について数々の著書で賛美しつつ[c,d]、同時にこんな警告を発している。

日本の場合は危険がある。古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性である。質
素さを保つ限りは日本は強いだろう。
しかし贅沢な思考を取り入れたら、弱くなっていくと考える。

ハーンは明治時代の欧米文明導入から生ずる危機を予言したが、その後の共産主義思想の侵入や、敗戦後の占領軍による過去の断罪と社会改造、さらには経済大国化やグローバル化により、「古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性」はますます現実となりつつある。ハーンとの交流が深く、万葉集などの詩歌を研究して、東京大学で日本語学教授にもなったイギリス人のバジル・ホール・テェンバレンは、こう述べている。

過去にしっかりと根をはっている国民のみが、将来において花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できるのである。
[1,p193]

我々の先祖が大切にしてきたものを共感を持って受け継ぎ、それを現代文明の中で新しい形として生かしていく。これが「美しい国」を復活させる道であろう。(文責:伊勢雅臣)



参考:日本の戦後に行われたこと
   :
魂と物質







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失くなった携帯電話

田沢湖
秋田県 田沢湖


先日、買ったばかりの携帯電話が失くなった。
会社から出る時にバッグに入れ、車の助手席に置いたはずだが見あたらない。
翌日会社を探したが出てこなかった。

つい最近携帯を失くして買ったばかりだった。もう一度車内を丁寧に捜したが見つからない。
電話の利用停止手続きをして、30分後に車に戻ってドアを開けると、なんと運転席のシートの上に、何事もなかったかのように携帯がある。

見落としていたのだろうか。しかし運転席のシートの真ん中にあるものを見落とすことは、いくら注意力散漫な私であっても難しい。
誰かがいたずらをした可能性はどうだろうか。車のキ―はずっと自分で持っていた。そんなイタズラをする人間もいない。
いよいよボケが始まったのだろうか。こちらの可能性は強く否定できない。(泣)

もう一つの可能性は、携帯電話がどこかに移動し、また戻ってきたということだ。馬鹿なことと思われるかも知れないが、本当にそうだと思っている。いつまでも気づかない私に対して、あることを教えるメッセージだと直感的に思った。その直感が正しければ、メッセージは自分の今後の生き方を指し示すものだった。

学生時代にUFOを見てから、見えない世界の仕組みを研究するようになった。次元の違う世界が関与すれば、瞬間移動や物質化は不思議なことではない。
空中から水晶の玉が出てきたことがあった。何だろうと拾い上げた時にゼリーのように柔らかかったのが、みるみる手の中で硬くなっていった。

いや、そんな事はたいして意味がない。危険なことも多い。そうではなくて大切なことは、魂の兄弟姉妹である守護霊は、いつも私たちに気づいてほしいと様々な形でメッセージを伝えようとしているということだ。たとえばそれは、朝目が覚める直前の夢であったり、散歩をしている時のひらめきや気づきであったりする。

最初にそれを体験したのは、皇居の前を歩いている時のことだった。
前に書いたように、戦後の反日教育を受けて育った私は、天皇や皇室が大嫌いで、君が代を歌うなどとんでもないことだった。君が代を歌わなければならない時は、口パクでごまかしていた。

ところが、ある時皇居の傍を歩いていると、突然「天皇は日本の救いだ」との思いが湧いてきた。それは無条件の説得力で心に響き、その瞬間、天皇陛下に対する思いが一変した。日本の歴史や文化の中心に天皇陛下がおられた。穢れの無い日本的心性の中心に神道の祭祀があり、天皇陛下がおられた。天皇制は日本の救いだった。
その体験が守護霊によるものであることを知ったのは、ずっと後になってからだった。

携帯電話と言えば、印象に残るのは東京大学医学部教授で東大病院救急部長の矢作直樹先生のことだ。
話の最中に、たびたび携帯に掛かってくる電話やメールに、一度も対応されなかった。そのような人に会うのは初めてだった。
矢作先生の持っておられた携帯電話は、銀メッキが剥げた古びたものだった。しかしそれは、昔の日本人の心性を有する矢作先生に、いかにも似つかわしく、物を大切にする美しさが現れていた。


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アーミッシュの写真集「The Gift to be Simple」より


ハリソン・フォードの代表作、「刑事ジョン・ブック」の舞台は、アーミッシュの住むアメリカの田舎だった。
写真のアーミッシュの少女は、アンドリュー・ワイエスの絵のように、素朴な詩情に溢れている。
車や電話や電気製品を拒否して生きる彼らの生活には、シンプルに生きる豊かさがある。
携帯電話などとは無縁な生活をしている彼らが不幸だと言える人は誰もいない。

ところで、携帯電話が消えてまた出てきたのは、もっと物を大切にしろと言う意味だったのだろうか。
それとも単に、ボケの始まりなんだろうか。

参考:「魂とは何か
   :「音の世界からあの世を考える
   :「猫とウサギ

   :「低レベル放射線は体に良い」