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ブータンに教えられる幸せ

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民主主義の生まれた古代ギリシャでも、民主主義は衆愚政治となることが指摘され、プラトンやアリストテレスは優れた指導者による哲人政治を主張していました。
今回、ブータンのワンチュク国王の日本訪問を見て、あらためてそのことを痛感させられました。

テレビと言う媒体から爽やかな映像が流れてきたのは、いつ以来のことでしょうか。
お二人のすがすがしく清潔な映像に、心が洗われる思いでした。
国王の一つ一つの言葉には人間と国のあるべき姿が示され、その多くがかつての日本という国で実現されていたことを誇りにも残念にも思います。

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宮中晩餐会での乾杯の折、皇太子様より背の高い国王と王妃は、自分たちのグラスが皇太子様のグラスの上に行かないように腰をかがめていましたが、そのようなささいな気遣いや思いやりに、国民の幸せを心から願う国王の優しさが現れていました。


ワンチュク国王の国会でのスピーチは、多分官僚に書かせたものではなく、国王自身の言葉ではないかと思われます。

「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。
いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

「ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。」


国民の97%が、自分は幸せだと思える国にも、開発の波は押し寄せ、貧富やストレスや堕落が始まります。
どうかいつまでも幸福な国でいてほしいと、切に切に願います。

過去の記事「幸せは平凡な日常にある」を再掲します。


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幸福とは何かを考える時、忘れられない光景があります。

以前、ヒマラヤの仏教国ブータンを取材した番組で、痩せた段々畑を耕して暮らす一人の女性に、あなたは幸せですかと尋ねた時、「私は幸せです。いつものように今日が過ぎ、いつものように明日が来ます。何の不安もありません」、そんな風に答えていました。

ブータンは世界で最も貧しい国の一つです。もし、幸せが物質的な豊かさを条件とするものであれば、最も幸せから遠い国です。このような国で暮らしたいと考える日本人は余りいないでしょう。
しかし、「私は幸せです。何の不安もありません」と答えられる日本人が、一体どれほどいるのでしょうか。
私達は不況のこと、学校でのいじめのこと、病気のこと、犯罪のこと、将来のことなど、多くの不安にさらされて生きています。

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ジグメ・シンゲ・ウォンチュク国王

日本で暮らすには、最低限度の衣食住が必要であり、ブータンのような自給自足に近い生活と同列に考えることはできないかも知れません。しかし、貧しい生活の中で、幸せを実感して生きている国民がいます。
そこに国民総生産ではなく、国民総幸福を標榜し、豊かさが国民の幸せではなく、人を思いやり、助け合う心こそ国民の幸福だと考える、若き国王の理想の実現を見ることができます。

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私達は幸福を求める時、まず豊かさを求めます。もっと豊かであれば、もっと幸せな人生を送れるだろうし、もし使い切れない程のお金があれば、幸福は保証されたようなものだと考えます。
残念ながら、使い切れない程のお金を持った人がどの程度幸せなのか、経験が無いので分かりません。
しかし、世界一の金持ちと言われたマイクロソフトのビル・ゲイツを知る人が、彼は決して幸せではないと言っていました。先ごろ亡くなったマイケル・ジャクソンも、幸せな人生だったとは思えません。

豪邸で贅沢三昧に暮らしていながら不幸な家庭があり、貧しいながら笑顔の絶えない家庭があります。
豊かさは幸福の決定的条件ではないのでしょう。

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「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は様々に不幸だ」、というトルストイ(アンナ・カレーニナ)の言葉があります。幸福と不幸を入れ替えても同じです。
不幸な家庭では、怒りや不平不満・愚痴・悪口が支配し、幸福な家庭は、感謝、優しさ、思いやりに溢れ、笑顔が絶えないはずです。

人はどんな時に幸福を感じるでしょうか。例えば、好きだと思っていた人の愛が確認できた時、病気から回復した時、ごちそうを食べた時、欲しかったものを手に入れた時、旅行に行った時、つまり、何か良い事があった時に幸せを感じます。

しかし、失って初めて分かる幸せがあります。突然病気になった時は、健全であった昨日までの体の有難さが分かります。家族に不幸があった時は、何も無かった昨日までの幸せを思います。不満を言っていた会社がつぶれた時は、仕事の有難さが分かります。
その時初めて、うれしいことや楽しいことがあった時が幸せなのではなく、平凡な毎日こそが幸せであったことに気づきます。
普通に食事出来ることの幸せ、普通に働けることの幸せ、普通に寝ることのできる幸せ、普通の生活のすべてが幸福の連続であり、朝から寝るまで、すべてが有難いことに気づきます。

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「私は幸せです。いつものように今日が過ぎ、いつものように明日が来ます。何の不安もありません」と語るブータンの女性のように、平凡な日常の中に幸せを見つけだすことができれば、人の一生は幸福なものとなることでしょう。



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