大震災と魂

残暑お見舞い申し上げます。

お盆が終わりましたが、京都五山の送り火のどたばたは、残念というしかないできごとだった。
少数の日本人かも知れないが、東日本大震災の犠牲者の魂を送る送り火に、放射能汚染を理由にクレームをつける人たちがいたことに驚いた。
自分たちを守るためには、犠牲者の魂を送る儀式にさえクレームをつけるなどとは考えられない。

残暑と言うには暑すぎる毎日です。

エリザベス・キューブラー・ロスは、『人生は廻る輪のように』の中で、こう書いています。

「まもなく地球がこの悪行を正す時期がくると、わたしは信じている。人類の所業に報いる大地震、洪水、火山の噴火など、かつてない規模の自然災害が起こるだろう。わたしにはそれが見える。

目には未来の光景が映っているが、わたしのこころはあとに残していく人たちに向けられている。どうか、恐れないでほしい。死が存在しないことを想起さえすれば、恐れる理由はなにもない。恐れることなく自己をみつめ、自己について知ってほしい。そして、いのちを、やりがいのある課題だとみなしてほしい。

いのちの唯一の目的は成長することにある。究極の学びは、無条件に愛し、愛される方法を身につけることにある。
人生最高の報酬は、助けを必要としている人たちにたいしてこころをひらくことから得られるのだ。最大の祝福はつねに助けることから生まれる。

一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  

それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、交流している生きた光なのでした。これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていま した。不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、こんな状態のときなのでしようか。からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。 その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。

 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。 もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることではないかしらとも思いました。真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。 しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。あっ、これが永遠なんだと私は思いました。 心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。

そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」  

 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」と言い ました。それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。そし てさらに、「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛すること、その 二つだけが大切なのだ」というメッセージを私は受け取ったのです。  

臨死体験の主な特徴として「光」体験が挙げられます。多くの体験者の報告する所によれば、この光は人格を持っており、かつ「命そのものの光」であり、この光に遭遇すると、「自分のすべてを知りつくされ、理解され、受け入れられ、赦され、完全に愛しぬかれる」体験が起きるといいます。この愛は恋人や家族から感じる愛情とは比較にならないほど広大で、人間や生物のそれぞれの命が、自然界の大きな秩序の中で役割を果たして調和している様子をこの光の中で感じられたといいます
レイモンド・ムーディによると、臨死体験者のほとんどがこの光に遭遇したとされます
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源氏のトラウマ

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丸谷才一さんのエッセイ、「後朝(きぬぎぬ)」は『源氏物語』を題材にしたものですが、最近読み返してやはり感心しました。
長い引用になりますがご紹介します。

*後朝(きぬぎぬ)とは、互いに衣を重ねて共寝した翌朝、それぞれ別れるときに身につける衣服のことです。



『後朝』

『源氏物語』夕顔。十七歳の年の秋、光源氏は久しぶりに六条の御息所を訪ね、一夜をすごす。御息所は二十四歳である。
霧の濃い朝、源氏の君は御息所の侍女に何度もせき立てられ、眠そうな様子で、嘆き嘆き帰ることになる。(帰るところを人目につかぬようにするのが作法)
中将といふ侍女が格子を上げて、お見送りなさいませといふ気持ちらしく几帳をずらしたので、女君は頭をもたげて視線を外に向ける。植え込みが色とりどりに咲き乱れてゐるのを素通りしかねてたたずむ源氏の君の姿は比類の無い美しさである。

車に乗るため中門廊へゆかうとすると、中将が見送りに来る。紫苑いろの表衣(うわぎ)に薄絹の裳を結んだ腰がなまめかしい。源氏の君は振り返って、御息所の位置からは見えない、外側の欄干に中将を座らせ、じっと見つめて、

咲く花に
心が移ると
言われるのは心外だが
折らずに過ぎるのは辛い
今朝の朝顔

「さてどうしたものか」と手を取ると、中将はいかにも馴れた態度で、

朝霧の
晴れるのも待たず
お立ちとは
花には
気のないらしい様子

と、女主人の代わりといふ心で返歌を詠む。
大野晋さんと二人で行った『源氏物語』輪読のとき、(これをまとめたのが『光る源氏の物語』上下)、このくだりで、大野さんから問ひ詰められ、わからなくて困った。

大野 光源氏は眠そうな顔で六条御息所のところから帰ろうとしました。この先のところ、「中将のおもと御格子一間(ひとま)上げて、『見たてまつり送り給え』とおぼしく後几帳ひきたりやれば」。そこ、どうですか。
丸谷 どうですかって・・・・・。
大野 中将の御許は、六条御息所に向かって御格子を一間上げて。
丸谷 見送りなさいと言って、几帳を横にずらしたんでしょう?
大野 なのに?
丸谷 「御髪(みぐし)もたげて見出だし給へり」というのは、起き上っただけだと。
大野 そう。まだ、寝ているんですよ。これ、どういう意味ですか。
丸谷 ・・・・・。
大野 つまり、六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。
丸谷 あ、そうか、ぐったりしていた。うーむ。
大野 起きられないから、彼女は頭を上げるだけで源氏を見送ったというんです。それほどであったのに、源氏はまた中将にちゃんとこれだけ働きかけるバイタリティーを有するということが皮肉のように書いてある。
丸谷 おっしゃるとおりです。
大野 「御髪もたげて見出だし給へり」、これだけで作者はその一晩を全部表現した。こういうところが時々あるんですね。

まるで、出来ない学生が演習でしごかれてゐる図で、写してゐて厭になるが、それでも敢えて書き写したのは、わたしの鈍感浅薄な読み方が在来の「源氏物語」解釈を代表してゐるからである。素人はもちろん玄人だって、たいていの現代日本人はわたしのような調子で読み、大事なところを見逃してゐた。しかし作者は、なまなましい描写を行間で行ってゐて、それを当時の、おそらく百人もゐなかったと思われる読者たちはきれいに読み解き、しきりに面白がった。それが近世以降、駄目になったのである。
  -以下略ー


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まず紫式部の表現力と、それを教えてくれる大野晋さんの読解力に感心します。
そして当時、『源氏物語』の読者が100人以下だったと言われて、なるほど、紫式部は宮中の僅かな読者を想定してこの傑作を書いたのだと気づかされます。むしろ知識と教養のある特定の読者を意識しているが故に、僅かな瑕も許されなかったのでしょう。

ところで『源氏物語』が分かっているようなことを書いていますが、残念ながら通読したことがありません。
高校時代の古文の時間にいやと言うほど泣かされたので、源氏は自分の手にはおえないというトラウマがあります。

以前、アメリカのある研究所にいた先輩を訪ねた時のこと、研究助手のアメリカ人が、不定冠詞「a」が母音の前では「an」になることを知らなかったと聞いてびっくりしたことがあります。しかし、文法を知らなくても自由に読み書きができるのに、文法は必要なのでしょうか。少なくとも日本の教育は、文法に偏りすぎているのではないでしょうか。

文法について、楽しく学んだと言う人は余りいないでしょう。
高校時代の古文の時間は、下二段活用とか、サ行変格活用とか、大半が眠気を誘う授業でした。
当然楽しいはずがなく、何も覚えていません。

文法を教えるのではなく、もし引用した大野晋さんのような授業だったら、源氏の本当の面白さを知ることができたのではないかと思います。
但し、当時の高校生は、「六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。 」と解説されてもその意味が分からず、せっかくの紫式部の表現力や大野先生の深い理解も無駄に終わったかも知れません。

今から思えば「古文」と言うタイトルからして、教育の方向が間違っているように思います。学ぶべきは瑣末な文章の解釈ではなく、「古典」に現れるかっての日本人の情緒や考え方や言葉の美しさであるはずです。
和歌や枕草紙や徒然草などの古典に興味を持ったのは、ずっと後に日本と言う国の文化に関心をもってからでした。

「野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて・・」、秋には必ず思い出して感心する一節ですが、世界で始めての小説が、内容においても比肩し得るものの無い傑作であったことを理解する知識が無いのが残念です。

かっての日本人は凄かった!とあらためて思います。







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