正しさについて

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 「正義の哲学」で知られるハーバード大のマイケル・サンデル教授の授業は、様々な問題を、「君ならどう考えるか」と問いかけ、代理出産、同性愛結婚、人権など、結論の出ない問題を突き詰めていきます。

NHKの番組でサンデル教授は、日本、アメリカ、中国の学生たちに、原発は必要か、危険な作業は誰がやるべきかなどを問いかけていました。このような討論を行うと自説を主張して激論となり、冷静な議論ができないものですが、サンデル教授は両論を見事にコントロールしていました。無論、結論は出ません。

何が正しいかは状況によって変わり、絶対的な基準がありません。それゆえ、人間の争いの多くが、「正しさ」から生じます。
人の物を盗むのは悪に決まっていますが、鼠小僧のように有り余る金持ちから盗んで貧乏人に施せば、義賊と称され、戦場では多くの敵を殺した人間が英雄になります。この世の正しさは、すべて相対的です。

しかし言うまでもなく、子供に「正しさ」を教える時は、絶対的なものとして厳しく教えなければなりません。
子供は真っ白な状態で生まれてきます。真っ白で生まれるとは、何が正しくて何が間違いかを知りません。
嘘をついてはいけない、人のものを盗ってはいけない、年長者は敬わなければならない、弱いものいじめをしてはいけない、挨拶しなければいけないなど、人間としての生き方を教えられて、初めて子供は人間になります。

お釈迦様は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の、「八正道」を説かれました。
正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をするなど、八つの正しい生き方を示したものですが、肝心の「正しさ」が人によって違うため、その教えを「正しく」理解することは困難です。

お釈迦様の説いた正しさの基準は、調和(バランス)にあります。
正しく見るためには自分中心ではなく、相手の立場に立って考えなくてはならず、お互いのバランスの中に、正しさの基準があります。正しく聞く、正しく語ることも同様です。
つまり、正しさは絶対的基準として存在するのではなく、調和を実現することが正しさの基準となります。

しかし、相手の立場に立って考えることは、簡単ではありません。


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ダスキンの創業者であった鈴木清一さんは、『自分に対しては、損と得とあれば損の道をゆくこと。他人に対しては、喜びのタネまきをすること』を説かれました。

いつも損の道を選べば、会社は潰れてしまいます。しかし、人間はそのくらい相手を優先しなければ、自己中心的になってしまうことを説かれたのだと思います。相手の立場に立つことを、これほど明確に示す言葉はありません。

鈴木清一さんの次のような言葉があります。

『夜もふけて悩みも苦しみもひととおりお聞きした後で、私がどうしてもご返事をしなければならないことになりました。
そこで私は「悩んでください。それが生きがいですよ」とお答えをしました。
人間はどんなに努力をしても良い結果になるとは限りません。しかし、どんな結果もありがたいと思えたら本当の勝利なのです。』

若い頃、鈴木清一さんの葬儀に参列しました。当時の三洋電機の副社長が弔辞の言葉を述べられましたが、鈴木清一という人物を失った悲しみを語る言葉は嗚咽で途切れ、折からのどしゃ降りの雨が、悲しみの涙と感じられました。
いまだに心に残る葬儀でした。

日本が高度成長を遂げていた頃、このような立派な経営者が沢山いました。そして、日本の心を持った多くの日本人が、それを支えていました。

今、東日本大震災からの復興を目指す日本にとって、何より大切なことは、先人たちの心の中心にあった、日本人の原点に帰ることだと、改めて痛感させられます。


参考:戒名とは何か

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