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不条理の意味

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世の中の不条理と見えることにも、すべて理由があるはずだと考えてきました。しかし、東日本大震災で亡くなられた多くの方々や、今も困難な状況に耐えなければならない方々について、どんな必然性があって幸福な人生を奪われなくてはならなかったのか、その答えを見い出すことができません。

単にプレートに蓄積された膨大な力が解放され、その結果、そこに住む人たちが大震災に遭ったのだと考えれば不条理ではありません。
しかし、三次元を支配するのが原因結果の法則であり、善因が善果をもたらし、悪因が悪果を生むのであれば、素朴で忍耐強く、堅実に生きていたはずの人たちが、なぜこのような災害に遭わなければならなかったのか、不条理と言うしかありません。

この世は生まれ変わりを繰り返して学ぶ学校であり、不幸さえも学ぶためにあると考えることもできます。しかしそうであれば、やはり長く生きて様々な人生経験を積むことが望ましいはずであり、若くして命を落とすことの意味を理解することは困難です。


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先日7歳の日本人の女の子が、ローマ法王に「私はとても怖い思いをしています。大丈夫だと思っていた家がとても揺れ、同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか教えてください」と質問しました。

ローマ法王ベネディクト16世の答えに、もしかしたら納得できるヒントがあるのではないかと期待しましたが、「我々は答えを持っていませんが、罪なきキリストがあなた方と同じく苦しまれたということは知っています。
真実なる神は我々と共にいるのです」と答えるに留まりました。

ローマ法王が、まさかこのような安直で凡庸な答えをするとは思いもよらず、大阪弁で言えばスカタンを食らわされた思いでした。しかし誰であれ、この質問に答えることのできる人はいないでしょう。

破壊的な出来事に直面した時、怒りや悲しみを略奪や破壊や暴行にぶつけるのが世界の通例です。しかし今回被災地の人たちが示したのは、お互いに助け合い、譲り合い、悲しみに耐えながら感謝する美しい姿でした。
これまでどこの国においても、大災害の中でこのような美しい心と行為が示されたことはなく、その姿に世界は感動しました。

不条理な出来事に対して、怒りや悲しみや不満をぶつけ、犯罪的行為を行うのであれば不条理に意味はありません。
しかし不条理を受け入れ、それに負けずに未来を作り上げていく姿には、強さと美しさと希望があります。
不条理と見えたことが、新しく生まれるための陣痛であったことになります。

未曾有の大災害が日本にとってどのような意味があったのか、その答えが出るまでしばらくの時間が必要でしょう。
何年か経った時、この大災害によってもたらされた多くの犠牲が、希望を失っていた日本を再生するための尊い献身であったことに気づく日が必ず来ると信じます。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
 ー ヨハネによる福音書 第12章24節

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