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日本の戦いとは何であったか

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坂井三郎氏

ゼロ戦のエース(撃墜王)として、世界に知られた坂井三郎さんの愕然とした体験を、石原慎太郎東京都知事が、文芸春秋12月号で紹介されていました。

ある朝、坂井さんが中央線に乗った時、前に座った学生の会話を聞き、あまりの事に次の駅で降りて心を静めたと言います。

「おいおまえ知ってるか、日本は昔アメリカと戦争をしたんだってよ」
「え、何、そんなの嘘だあ」
「馬鹿、本当の話だよ」
「ええ、マジか」
「マジだよ」
「で、どっちが勝ったんだよ」

坂井三郎さんの自伝「大空のさむらい」、「続大空のさむらい」には、自己を極限まで律し、日本を守るために戦った記録が淡々とつづられています。しかし、命を賭けて守ろうとした日本が、これほどまでに心を失ってしまったことを、坂井さんはどのような思いで見つめられていたのでしょうか。その心中は察するに余りあります。

(「大空のさむらい」は英語に翻訳されてアメリカでベストセラーになり、その後イギリス、フランス、イタリア、ノルウェーなどでも大きな反響を呼び、多くの手紙が坂井さんに送られてきました)

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坂井 三郎

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この若者たちを無知だと笑うだけでは本質を見失います。
なぜこのような若者が生まれたのか、その背景には何があるのでしょうか。

先だって参加したある集まりでのことです。
日本兵によって弟二人が空中に放り上げられ、銃剣で刺殺されたと語るフィリピン女性のDVDを見た人が、日本人としてどのような贖罪ができるのか考えさせられたと発表していました。

この話が真実なのか疑問があります。少なくとも言葉通り受け取ることはできません。
二人の弟が殺されたのであれば、上の子は2歳以上でしょう。体重は10kgはあったはずです。それを放り上げて銃剣で刺すことなどできるのでしょうか。少なくとも一人で出来ることではなく、気違いじみた二人以上の日本兵が残虐を行い、周囲にはそれを制止する日本兵がいなかったことになります。

(「神は悪を許しているか」で赤ん坊を投げて銃剣で刺すドストエフスキーの小説の一節をご紹介していますが、この話しと無関係なのでしょうか)

会が終わった後にこの方に疑問を投げかけたところ、戦争中だからそのようなこともあったのではないかと言われました。
しかし戦争と言う極限状況の中でこそ、民族の本質が現れるはずであり、日本人にそのような残虐性があったとしたら、過去の歴史の中で同様の残虐が行われているはずです。

日本軍にまつわる話にはねつ造が少なくありません。しかし多くの人が戦時中の日本軍の蛮行と言われれば、無条件で受け入れてしまいます。
なぜそのように条件付けられてしまったのでしょうか。


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上記の写真は、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が撮ったものです。
オダネル氏のこの写真についてのコメントを、「ねずきちのひとりごと」から引用します。


佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。

少年の様子はあきらかに違っていました。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。

足は裸足です。

少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。

白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。

男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。

それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。
少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。


長崎に原爆が投下されたのは、昭和20年8月9日午前11時02分のことです。

原爆は浦上地区の中央で爆発し、長崎市を壊滅させました。

亡くなられた方々のご遺体を焼却しているところにあらわれた少年。

幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた。

その子は、泣いちゃいけないと、精いっぱい、涙をこらえて、不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた。

こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライだったのです。(引用終わり)


戦前の日本人は、まさに子供でさえ立派に生きることを教えられていました。
戦争のさ中において、日本人は数え切れぬ感動の逸話を残しています。そのような民族が、人道にそむく事を平気で行ったのでしょうか。

日清戦争、日露戦争においては国際法学者を戦場に同行させ、世界から賞賛された日本が、大東亜戦争においては卑怯卑劣、残虐を平気で行える国に堕していたのでしょうか。

和を尊び、礼儀を重んじ、清廉で繊細な文化を作りあげてきた日本人が、戦中・戦前の一時期にだけ、鬼畜のような民族に成り下がっていたのでしょうか。

戦後の占領下で、日本人が二度と脅威とならないように、すべての責任を日本に押しつける、巧妙な洗脳政策が行われてきました。
現在、日本が抱える問題の多くが、その占領政策に起因するものです。

以前の記事「日本人は死んだか」でそのことを書こうとしましたが、ブログの許容を超えると考え中断しました。
日本が戦後語ることを避けてきた大東亜戦争(「太平洋戦争」は、戦後アメリカが意図があって使い始めた言葉です)の事実と、戦後の占領政策とは何であったかについては次回に書きます。

今日、1月14日は歌会始めです。
そのような日に内閣改造を行い、ご高齢の天皇陛下に任命式のご負担を平気で強(し)いる菅内閣に、日本人の心を失わせようとした洗脳政策の、見事な成果を見いだすことができます。

昭和天皇御製  
  あめつちの 神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を







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謹賀新年

奈良 154


あけましておめでとうございます。

新しい年が皆様にとって、健康で幸せな年でありますようにお祈りいたします


NHKの「日本列島」という番組で、豊かな自然に恵まれ、世界有数の生物種が暮らす日本が、どれだけ奇跡的な条件が重なって出来あがったかを放映していました。

今年はアジアの経済拡大に伴うインフレの懸念や、異常気象による農産物の被害、あるいは戦争の可能性さえあって楽観できる年ではありません。しかしそれゆえに日本に生まれ、日本で暮らせることの有難さを感じる年になるのではないかと思います。

日本の豊かな自然に育まれて形成された日本的な心性と価値観が、なぜ戦後破壊されなければならなかったのかは、改めて書きたいと思います。

本年もよろしくお願い致します。




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