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桜の歌人 再掲

咲きかけた桜が、冬のような寒さにとまどっています。
花冷えという言葉がありますが、桜の時期に冬のような寒さを体験したのは初めてのことです。
この気候は2008年に太陽活動が弱まり、100年振りに太陽黒点が消えたことが原因だと思われます。
(地球の寒冷化については、「情報を疑うー地球は寒くなる」をご参照ください。)

ともあれ、今年も桜が咲いてくれたこと、健康で桜を見ることができたことを、喜び、感謝したいと思います。

4月中に書かなくてはいけない論文があり、しばらく新しい記事が書けません。
昨年の記事、「桜の歌人」を再掲させていただきます。

新緑の頃に、また記事を書きたいと思いますが、皆さまのブログは、できるだけ訪問させていただきます。

追記
「ねずきちのひとりごと」というブログがあります。
過去の日本人の高潔さ、優しさ、無私の心を表す様々なエピソードが紹介されていますが、この中の「真実の物語・・・ウズベクスタン」で、シベリヤに抑留された日本人墓地に、1300本の桜が植えられている理由が紹介されています。日本人は素晴らしい民族であったことを、再認識させられます。

パラオ・ペリリュー島の戦い」は、感動の秘話です。人にこのエピソードを話すたびに、涙が出ます。是非、ご覧ください。


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ナショナル・ジオグラフィクスより
(私の実家の近く、岩国市の錦帯橋周辺の桜です)



櫻ばな いのち一杯咲くからに 
       いのちをかけて われ眺めたり  ー岡本かの子ー



春の喜びを伝える桜ほど、日本人に愛され続けた花はありません。

本居宣長の、「しきしまの やまと心を人とはば 朝日ににほふ山桜花」は有名ですが、寒い冬が終わり、桜の花と共に、いのちあふれる春を迎えた喜びが感じられません。観念的な歌だと思います。
一茶の俳句、「日本は はいり口から 桜かな」の方が、素直に桜を愛する日本を歌っています。



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ナショナル・ジオグラフィクスより

               ぶらんこや さくらの花を 持ちながら  一茶

  

桜を詠んだ代表的な歌人は、何と言っても西行です。

西行の歌には、桜の開花が近づいてきた時の心のときめき、咲いた桜とともにある喜び、咲いた桜がいつはかなく散るのか、気がかりで仕方の無い心の様が、素直に切実に詠われています。
恋人を歌っても、西行が桜を歌ったほどには歌えないでしょう。

次のように歌う西行のこころは、日本人なら良く理解できるのではないでしょうか。


吉野山 こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり

たぐひなき 花をし枝に咲かすれば 桜に並ぶ木ぞなかりける

花見れば そのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける

春風の 花を散らすと見る夢の さめても胸のさわぐなりけり

眺むとて 花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ

いざ今年 散れと桜を語らはん なかなかさらば風や惜しむと

梢うつ 雨にしをれて散る花の 惜しき心を何にたとへむ

西行の桜への哀切な思いは、桜の花の咲く下で死を迎えたいとの歌に集約されています。
ここまで桜を愛した歌人はいなかったでしょう。
そして西行のこの願いは、旧暦如月の頃に死を迎え、遂げられました。


願わくは 花の下(もと)にて春死なん そのきさらぎの望月の頃




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実朝の銀杏

TKY201003100137.jpg Asahi.com

3月10日、鶴岡八幡宮の大銀杏が強風で倒れました。
この銀杏の倒木から、思い浮かべたのが実朝でした。

実朝は源頼朝の二男として生まれ、母は北条政子、12歳で鎌倉三代将軍に即位し、建久三年(1192年)、28歳(満26歳)の時、八幡宮の参拝を終えて帰るところを、この木に隠れていた、甥の公暁(くぎょう)によって暗殺されました。

暗殺に至る前、黒い犬が前を横切り、鳩がしきりに鳴いて、不吉な兆しがあったといわれ、実朝も何かを予感したのか、庭の梅を見て、「出でいなば 主なき宿となりぬとも 軒端(のきば)の梅よ 春をわするな」と詠んでいいます。

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実朝は優れた歌人でした。
22歳から28歳までに詠んだ歌は、金槐和歌集として編纂されており、百人一首には、「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」が選ばれています。
正岡子規は「歌よみに与ふる書」で、柿野本人麻呂以来、最も優れた歌人だと評しています。

「大海の 磯もとどろによする波 われてくだけて さけて散るかも」
雄大で力強く、しかも繊細な歌です。
「縮み志向の日本人」という韓国人の書いた本で、この歌が日本人の縮み志向を表す例として挙げられていましたが、残念ながら表面的な見方です。

大海から押し寄せる荒々しい波が、岩にあたり砕け散る様子を、遠景から身近に引き寄せ、細部を拡大して見せる表現は、映画のクローズアップ手法を先取りする斬新なもので、しかも僅か31文字で完璧に表現しています。
実朝の以前にも以後にも、これほど見事な描写を知りません。

「今朝みれば 山も霞みてひさかたの 天の原より 春は来にけり」 
「桜花 咲きてむなしく散りにけり 吉野の山は ただ春の風」
「箱根路を われ越えくれば伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」

西行の切実な感情移入と異なり(しかし、桁外れの説得力を持った)、実朝の叙情には、暖かく穏やかな眼差しを感じます。

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「ものいはぬ 四方の獣(けだもの)すらだにも あなれなるかな 親の子を思ふ」
「妻こふる 鹿ぞ鳴くなる小倉山 山のゆふぎり 立ちにけむかも」 
「いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子の 母を尋ぬる」

実朝の歌には、もののあわれに対する優しさと暖かさが溢れています。
「いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子の 母を尋ぬる」と詠ったのが、時の将軍であることに感銘を受けます。

「身に積る 罪やいかなる罪ならむ 今日降る雪と ともに消えなむ」

おそらく将軍としての立場から心にそむくことも成さざるを得ず、悔いることがあったのでしょう。
実朝の無垢の心で生きようとするひたむきな思いが、素直に詠われています。

小林秀雄の「実朝」は次の言葉で締めくくられています。
『山は裂け 海はあせなむ世なりとも 君にふた心 わがあらめやも
金槐集は、この有名な歌で終っている。この歌にも何かしら永らえるのに不適当な無垢な魂の沈痛な調べが聞かれるのだが、彼の天稟が、遂にそれを生んだ巨大な伝統の美しさに出会い、その上に眠った事を信じよう。ここに在るわが国語の美しい持続というものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想い見る何かではない事を信じよう。』

小林秀雄は、実朝の歌の中心にある無垢な心を鋭く指摘していますが、実朝を語り、日本語の伝統を語る小林秀雄の言葉にもまた、美しい言葉の伝統があります。

実朝の歌に接した時、無垢な眼差しで写し取られた情景が我々の心に投影され、その美しい言葉が心に響くのであれば、確かに800年の時を経た今も、日本の文化の伝統は我々の心の中に生きていると言えるでしょう。

1000年生きながらえた銀杏が、はかなく倒れた様子に、日本の現状が重なって見えます。しかし、日本という土壌には、歴史で培われた根が生き続けており、再び1000年を経た後も、変わらずに生き続けていることを願わずにいられません。

(補記)
昨夜、実朝の記事をアップしようとして削除してしまいました。さすがにがっかりして、そのことを愚痴のように書いたところ、記事が1970年の日付でアップされているとコメントを頂きました。
こんなブログを丁寧に読んで頂いている方がいることに驚くとともに、心から感謝します。

鶴岡八幡宮の銀杏は、風速7~8mの風で倒れました。台風のような強風でもないのに、なぜ倒れたのか、いぶかしく思います。明治の東京遷都の時に、伊勢神宮の神木が風も無いのに倒れたと言われます。その事を思わせる出来事でした。

征夷大将軍であった実朝が、無垢な魂を持った歌人であったことは、稀有のことです。
パデレフスキーというピアニスト、作曲家が、ポーランドの首相になったことがありますが、絶対的な権力者である将軍とは、意味が違います。

日本人はそのことを不思議とも、有難いことだとも思いません。
慧眼の小林秀雄もそのことに触れていませんが、「実朝」が書かれた昭和初期には、日本人とはそのようなものだと、あたりまえに捉えていたのでしょう。

鶴岡八幡宮の銀杏の倒木に、かっての日本人の素晴らしさを思いました。




がっかり

昨日、源実朝の記事を書いてアップしようとしたら、削除されてしまいました。
自分としては、精一杯の記事だったので、さすがにがっかりして、もう一度書く気が起きませんでした。

しかし、鶴岡八幡宮の銀杏が倒れた機会でもあり、もう実朝について書くことは無いだろうと気を取り直して、もう一度書き、先ほどアップしたところ、又もや削除されてしまいました。

がっかり×2で、もう書けません。残念。 。・゚・(ノД`)・゚・。
(しかし、こんなつまらない記事は、何でアップできるんだろう)

「かくてのみ ありてはかなき世の中を 憂しとや言はむ あはれとや言はむ」
 実朝 



生きる権利とは

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戦後、日本を堕落させた言葉の一つが、「権利」ではないでしょうか。

最近やたらと振りかざされる、「人権」とは何でしょうか。
人は生きる権利がある、平等に扱われる権利がある、最低限度の文化的な生活を営む権利があるなど、様々な権利が声高に叫ばれます。

生きる権利とは何でしょうか。我々は権利があるから生きているのでしょうか。

生きるためには太陽の光や水や空気が必要です。食べ物が必要です。
食べ物が生産されるためにも、水と空気と光が必要です。
水と空気は地球のものであり、光は太陽からです。水と空気の循環も、太陽のお陰です。
大地を区切り、自分のものだと権利を主張しますが、すべて地球のものです。

誰が作ったものでもなく、神が与えてくれたものです。

生命が偶然に出来ることは、確率的にありえません。人工的に作ることも出来ません。
偶然にできないことは、確率を計算すればわかります。
(命が偶然に出来ない確率については、「生命と神」をご覧ください。)

生命とは神の愛の賜物であり、神は生命を維持するために、水や空気や太陽の光や大地を与えてくれています。
神はその権利を主張しません。無償で与えてくれています。

江戸時代まで、日本に権利という言葉はありませんでした。
その代わり、太陽をお日様と呼び、水や火を祭っていました。
農作物の収穫に感謝し、秋の祭りを行っていました。
与えられること、生かされていることに感謝していました。

人権と言うものがあるなら、牛権、豚権、魚権、野菜権もあります。
すべての命に権利があります。
人間は他の生命を犠牲にしながら、命を維持しています。
他の命を犠牲にすることによって生きている人間が、自分の権利だけを主張することは傲慢です。

給食費を払っているので、給食を食べる時にいただきますと言わなくてよい、と教える親がいると聞いて驚きました。
このような親は、自分の権利のみを主張することでしょう。
「いただきます」とは作ってくれた人への感謝とともに、他の命の恵みをいただく感謝の心です。

「権利」と「義務」は対で使われます。言い換えれば、give & take です。
1を与えたら、1をもらう権利があると考えるなら、イエスの、
「自分がしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい」、
あるいは孔子の、「己の欲せざるところを、人に施すことなかれ」でなければならないでしょう。

真に価値あることは、対価を求めずに与えることです。
マザー・テレサは対価を求めて行動したわけではありません。give & give です。

私たちは権利があって生きているのではなく、生かされています。
行き過ぎた自由の主張が放埓になるように、行き過ぎた権利の主張は貪欲となります。
私たちがなすべきことは、生きる権利の主張ではなく、生かされていることを感謝し、与えられた命を輝かせることではないでしょうか。




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ローマの盛衰が語ること

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一つの国が滅びるのは、戦争によってではない。天変地異でもなければ、経済破綻によってでもない。
  国民の道徳心が失われた時にその国は滅びる
」  歴史学者アーノルド・トインビー



古代ローマ帝国は1000年も続き、その規模は一時期、西ヨーロッパ全域に広がっていました。
すべての道はローマに通じ、世界遺産がイタリアに一番多いのは、ローマ帝国の遺産です。

塩野七生さんの「ローマは一日にして成ならず」によれば、ローマ人たちは自分達が、
知力では、ギリシア人に劣り、
体力では、ケルト(ガリヤ)に劣り、
技術力では、エトルリア人に劣り、
経済力ではカルタゴ人に劣ることを知っていました。

ではそのようなローマ帝国が、なぜ1000年も続いたのでしょうか。
古代ローマの研究者によれば、次のような理由です。

・優れた政治体制(王政、貴族政、民主政を総合した)
・戦争による敗者を同化する親和力。
・ローマ市民だけでなく、他の民族を同等に扱う包容力。(負けて譲るのではなく、勝って譲った)

ローマ人はきわめて現実主義的で、事実を直視し、間違ったことを修正する知恵と実行力を持っていました。 
そのローマ帝国が滅んだ理由を、ローマ史を研究したアーノルド・トインビーは、「国民の道徳心が失われた時にその国は滅びる」と結論づけました。

なぜ道徳心を失った時、その国が滅びるのかと言えば、それが調和という宇宙の法則に反するからでしょう。


ローマ11

ローマ帝国が滅びた後、ヨーロッパを支配したのはキリスト教でした。キリスト教は1500年以上、ヨーロッパ人の心の拠り所であったはずですが、戦争は止まず、人間性の向上は見られませんでした。
それはキリスト教の問題ではなく、また人間の本性が悪を意味するものでもなく、何を信じようと、思いと行いを正さなければ何の意味もないことを表しています。

日本は他国に支配されることなく平和に存在してきた結果、和を尊び、美を愛し、貧しさを恥としない清廉さを数千年間維持してきました。それが可能であったのは、島国という地理的な利点だけではなく、日本人の生き方が、この世を支配する調和の法則にかなっていたためでしょう。

敗戦後、アメリカはその日本が再び脅威とならないように、徹底的に日本の良さを潰す政策を行ってきました。その政策とは、日本人の優れた道徳心を破壊することでした。そのことは過去の記事「日本人は死んだか」に書きました。

「死は前よりしも來らず、かねて後に迫れり」と兼好が徒然草に書いたように、バブルの繁栄を謳歌していた時、すでに日本の死が迫っていました。しかし、本格的な道徳心の崩壊は、平成5年以降に始まりました。そのことは、また書きたいと思います。

私達一人一人は無力な存在です。一粒の麦に過ぎません。
その無力な麦に何ができるのでしょうか。

国を変えることも、人を変えることもできません。
しかし、人の悪口を言わず、愚痴や不平不満を言わず、人のせいにしないことは出来そうです。
感謝して生きることは出来そうです。
もしかしたら、そのような小さなことから、われわれの国は再び光を放つ国になれるのかも知れません。

(もう、一郎君や由紀夫君の悪口言うのを止めよぉっと。投票しなければいいんだ。)

youtube「ローマ帝国」




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