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有難い人生

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斉藤里恵さんという、銀座No.1のホステスが話題になっています。
この方は口がきけず、客とは筆談で会話をしています。

筆談をしている内に言葉の仕組みや文字に敏感になり、少し見方を変えれば意味が変わることに気づいたようです。
ある会社の経営者が彼女に、「難題ばかりで、これ以上仕事を続けられない。店に来るのもこれが最後だ」と言った時、こう書いて渡しました。

「難題の無い人生は無難な人生、
 難題のある人生は有難い人生」

客はその言葉に奮起させられ、立ち直ったということです。

世の中には、資産があって頭が良く、性格が良くて容姿端麗、家庭は円満で健康にも恵まれているという、見事に幸せな人がいるかも知れません。おまけに生涯、難題に会ったことが無い人だっているでしょう。
(知らない内に母親が12億円もくれる鳩山由紀夫さんは、政治家にならなければこのタイプだったのでしょう。残念な選択ですね。国民にとっても)

このような人を見ると、今度生まれてくる時は、そんな人生を送りたいと思いますが、魂の成長から見た場合は、難題が無いことが恵まれているとは言えないようです。

小学校、中学校、高校、大学と、成長するにつれて与えられる問題は難しくなります。問題をクリアーすればより難しい問題が与えられ、それに取り組み、乗り越えることによって成長してゆきます。
問題の無い人生は幸せである一方、成長する機会がない人生と言えます。

「神様は乗り越えられない試練は与えられない」という言葉があります。
人間は輪廻転生を繰り返し、生まれてくる時に自分で人生の課題を決め、それを乗り越えるように計画を立てるため、乗り越えられない試練はないという意味でしょう。しかし厳しい3次元の世界で、前世でクリアーできなかった課題を、今回の人生に持ち越してくることが多いようです。

厳しい環境や、つらい人生を選んで生まれてきた魂は、それだけの決意をしてきた魂と言えます。

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ヘレンケラーの恩人」で書きました中村久子さんは、幼い頃に脱疽で手足を失い、まわりの子供たちから‘ダルマ’と囃し立てられて、経済的にも見世物小屋で働くほど厳しい人生を送りました。

これほど厳しい試練の人生を計画し、その試練に打ち勝ったのですから、その魂は聖者に勝る偉大な魂だったのでしょう。
中村久子さんの、「確かなことは自分で生きているのではない。 生かされているのだと言うことです」との言葉には、最も厳しい人生を乗り越えた者だけが語れる、人生の真髄があります。しかし、その人生を追体験しなければ、その言葉の真の意味を理解することはできません。それを望む人はいないでしょう。

人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。
 生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。
 すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ
。」


お釈迦様は、釈迦族の王子として生まれながら、生老病死の問題に悩んで王子を捨て、修行に出ました。
お釈迦様と言えど、何不自由ない生活の中で幸せな一生を送ったとしたら、悟りを得ることはできず、多くの人を救うことはできなかったはずです。
偉大な魂は、問題が無ければ自ら問題を見つけるのでしょう。

「難題のある人生は、有難い人生」と思うことができれば、幸せの時も試練の時も、人生のすべての場面が有難くなります。
やはり、「ありがとう」の言葉は、人生のキーワードのようです。



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三島由紀夫の憂国

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三島由紀夫の「葉隠入門」に、こんな文章があります。

「・・・男性ファッションが、女性ファッションを凌駕するごとくに盛大になったのは、けっしていまが初めてではない。・・・元禄時代の華美な風潮は、衣装のみならず、持ち歩く刀のデザイン、鍔(つば)や小柄(こづか)の意匠にまで、こりにこった華美な流行が人びとの心を魅惑していた。菱川師宣(もろのぶ)の「風俗画巻」の華やかな風俗を見るだけでも、町人文化の華美に影響されたその時代の奢侈(しゃし)が想像されよう・・・」

「・・・また「葉隠」が口をきわめて、芸能にひいでた人間をののしる裏には、時代が芸能にひいでた人間を最大のスターとする、新しい風潮に染まりつつあることを語っていた。・・・」

まるで現在を語るようです。元禄時代も人びとは今日と同様に安逸をむさぼり、華美を好み、芸人がスターとなっていたのです。

「葉隠」は、そんな江戸時代中期(今から約300年前)の風潮に危機を感じた、佐賀鍋島藩藩士、山本常朝(じょうちょう)が武士の心構えを述べたものでした。(「葉隠」は山本常朝の語ることを聞き書きしたもの)

片思いこそ至上の恋だと語る葉隠の「忍ぶ恋」は、当時の節操のない男女間の風潮を心よく思わなかった山本常朝が、自らが理想とする恋の本質を述べたものでしょう。
「恋の至極は忍恋と見立て申し候。逢ひてからは、恋の長(た)けが低し。一生忍びて思ひ死にするこそ、恋の本意なれ」

徳川の250年に亘る平和な治世の中、安逸をむさぼっていた日本人が、幕末の国難になぜ立ち向かうことができたのか、それを日本人の中のDNAだと見ることができれば幸いですが、そうではないでしょう。
武士たちは、安逸の中でも、一旦事あれば、身命を賭して立ち上がる覚悟を忘れずにいました。

戦後日本から武士道精神が失われて行き、いずれ日本的精神が死滅することを危惧した三島由紀夫は、昭和四十五年(1970年)11月25日、市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部においてクーデターを試み、果たせずに割腹自刃しました。

憲法を改正し、自衛隊を軍隊にするために立ち上がれと言う彼の言葉は、マスコミや識者から、時代錯誤の狂信的な行動であると断じられました。自衛隊を軍隊にすれば武士道精神が復活できると考えた三島の行動は、短絡的であり錯誤があります。しかし、今にして分かるのは、日本的精神を失えば日本の未来はないと憂いた彼の先見性です。

三島由紀夫の、「諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ」と叫ぶ声は、自衛隊員の怒号にかき消され、耳に届くことはありませんでした。もし届いたとしても、その言葉に耳を傾けるものはいなかったでしょう。

彼ほどの知性が、そのような行動でクーデターを起こせると考えたはずはなく、たとえ犬死であっても、日本の危機に一命を賭す覚悟だったのでしょう。
三島の著書、「憂国」に、予言的な記述があります。
「・・・自分が憂える国は、この家のまわりに大きく雑然と広がっている。自分はそのために身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諌めようとするその巨大な国は、果たしてこの死に一顧を与えてくれるかどうかわからない。それでいいのである。ここは華々しくない戦場、誰にも勲(いさお)を示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線であった」

三島の行為は、日本のみならず世界でも気違いじみた行動と見られていましたが、その中でフランスはいち早く三島の行為に、祖国に殉じる戦士の姿を見ていました。


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竹本忠雄氏

フランス文学者の竹本忠雄氏の「パリ憂国忌」にこう記されています。
『文芸フィガロ』
「25年このかた、全世界を通じて、自分の祖国の解放独立に挺身した戦士たちが出現し、何百万という人々が彼らをヒーローとしてその信念の継承につとめてきた。このヒーローの名をミシマに拒絶することが、どうしてわれわれに許されようか? 彼の自殺の、いささか「文学的」環境は、その自殺の偉大性、意味をも、けっしてわれわれの目に軽減せしめることはないのである・・・」

東条英機他、A級戦犯の処刑に立ち会った花山信勝師の「平和の発見」のフランス語及びイタリア語翻訳者、ピエール・パスカルの言葉。
「あの日、1970年11月25日、〈夷荻の君臨〉に対して相変わらず不感症のまま日本が、黙々として世界第三位の産業大国となりつつあったとき、ユキオ・ミシマは、その儀式的死によって、みずからの祖国と世界とに対して喚起したのである。この世にはまだ精神の一種族が存し、生者と死者のあいだの千古脈々たる契りが、いまなお不朽不敗を誇りうることを。
己の存在を擲ち(なげうち)、祖国に殉ずることによって、もって護国の鬼(le remords de cette patrie)と化さんと、生の易きに就くよりも、かかる魂に帰一することの方を、ミシマは望んだのであった・・・」

「三島の自己供献が行われた市ヶ谷の丘が、かってそこに帝国陸軍の中枢のあった土地であること、しかしそれ以上に、残酷にも連合軍がわざわざこの地を選び、愛国心のゆえに戦犯を裁いた場所であることーこのことを指摘しなかったヨーロッパと海外の新聞記事は一つもなかった・・・」(ほんとうに「ひとつもなかった」だろうか?)

ピエール・パスカルが三島に献じた短歌。

 この血もて 龍よ目覚めよその魂魄(たま)は 
         吠えやつづけむ わが名朽つとも (竹本忠雄訳)

イタリアの「イル・テンポ」誌に掲載された「東京のハラキリ」と題するマギナルド・パヴェラの記事。
「ともあれ、私はここに告白する。これらの恐るべき秘密をもってわれわれ諸外国の人間のみならず自分たち自身をもいまなお驚嘆せしめる能力をもった一民族にたいして、自分は羨望の念を禁じえない、と。われわれのあいだにもなるほどさまざまの神秘は存在している。しかもそれはこんなに物騒でもない。しかし、日本の、このミシマの自刃に比べると、そんな神秘など、はるかにずっと老いぼれた感じを免れないのだ。いや、じっさいにそれらは、おいぼれてしまっているのである!」

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アンドレ・マルロー

作家でフランスの文化相を務めた、アンドレ・マルローはこう語っています。
「三島については、これはあまりにも偉大な現実的証しというほかありません。そこには偉大な伝統が息づき、儀式がものをいっている。この行為の意義は甚大と言わなければならない!」
「切腹とは死ぬことではない。死を行うことである」

フランス人の日本人にまさる三島の死への評価について、竹本氏はこう記しています。
「いかにも、フランスにあってしばしば私は実見したことであったが、武道や神道、禅、密教にいたるまでの日本の精神性の諸領域の導師たちに対して、フランス人子弟が寄せる尊敬の念たるや、見ていて感動をもようさせられるほどのものだったのである。なまなか、こんにちにの日本人では、及びもつくまいと思わせられるほどに。そのような基盤なくて、現代日本人の自刃行為にたいして寄せられるかくも深い理解はありえなかったことかもしれない。」

三島由紀夫の自刃については、日本では右翼や一部の愛国的な意見を除いて、評価する意見はほとんどありませんでした。
今回、三島の「葉隠入門」と竹本忠雄氏の「パリ憂国忌」を再読し、三島の狂気のような自己犠牲の行為が、40年以上前に日本の死に至る病巣を鋭く見据え、それを気づかせるためのものであったのだと気づかされます。

われわれを生かしている命はすべて神の命であり、自殺であれ切腹であれ、自らの命を絶つことは神への最大の冒涜で許されることではありません。しかし三島由紀夫が大義のために捧げた一身は、神の義を実現するための殉教に似て、無私の行為ではなかったかと、絶望的な混乱にある今の日本を見て思わずにいられません。

  散るをいとふ  世にも人にもさきがけて
              散るこそ花と 吹く小夜嵐  ー 三島由紀夫 辞世






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元気が出るラジオ体操の歌

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朝起きた時に、太陽に向かって「ありがとうございます」と言うようにしていますが、先日ふと「ラジオ体操の歌」が浮かんできました。
そして子供の頃よく耳にしたこの歌が、希望に満ちた素晴らしい歌であることに気づきました。

口ずさんでみると、何の心配もなく、ひたすら楽しかった子供の頃や、日本全体が明日に向かって進んでいた頃のエネルギーが思い出され、今日一日、きっと良い日になると元気が出てきます。

宇宙飛行士の若田光一さんは、地上で若田さんを支えた宇宙航空研究開発機構のメンバーが送ったラジオ体操の歌で起床していました。国際宇宙ステーションの日本実験棟の名前が「希望」なので、歌詞に出てくる「希望」が、きっと元気を与えてくれたことでしょう。
無理やりアファメーション(肯定的な言葉を断定的に口に出すこと)やプラス思考するよりも、この歌を口ずさむ方が自然に前向きになれます。
「新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ 」と口にすると、きっと今日は良いことが起きると、希望が湧いてきます。
疲れている時、気分が沈んでいる時にお試しください。

忘れた方もおられるでしょうから、歌詞をご紹介します。(二番は歌った記憶がありません)

  新しい朝が来た 希望の朝だ
  喜びに胸を開け 大空あおげ
  ラジオの声に 健やかな胸を
  この香る風に 開けよ
  それ 一 二 三

  新しい朝のもと 輝く緑
  さわやかに手足伸ばせ 土踏みしめよ
  ラジオとともに 健やかな手足
  この広い土に伸ばせよ
  それ 一 二 三

  藤浦洸作詞・藤山一郎作曲




藤山一郎版もどうぞ




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