神は悪を許しているか

嘆きの天使 アミアン大聖堂
嘆きの天使 アミアン大聖堂

ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」だったと思いますが、「神が存在するなら、なぜ兵士が赤ん坊を放り投げて銃剣で刺すことを許すのか」というような文章がありました。
神が存在するなら、なぜ戦争を許すのか、なぜ犯罪を許すのか、なぜ人は不幸や災難を避けられないのかという疑問は誰しもが抱きます。

悪とは何でしょうか。なぜこの世に悪が存在するのでしょうか。

自然界には善も悪も存在しません。ボールを投げると重力と空気抵抗で落下して行きます。初速や仰角などが決まれば落下点を求めることができます。必然の世界です。ガリレオが言ったように、自然の書物は数学の言語によって書かれており、必然の世界、自由意志の無い世界には善も悪もありません。価値すら無いと言ってよいでしょう。

ライオンが人間を噛み殺しても悪ではありません。なぜなら、それは餌を求める本能であり、他に選択肢が無いからです。しかし人間が行うのであれば、殺人はもとより、嘘をつくことも悪です。何が善で何が悪かを知っているからです。聖書でアダムとイブが知恵の実を食べたことが罪の始まりだと書かれていますが、悪いと知って行うことが罪です。

ところが、もし無人島に一人で住むのであれば、悪や罪は存在しません。どんなに暴れようが暴言を吐こうが、それによって害を受ける人が存在しないからです。つまり、悪そのものがこの世に存在するのではなく、悪とは人間関係の中で生じるものだと言えます。他者へのいたわりや思いやりを失い、自己の欲望のままに行動することが悪となります。

神はなぜ悪を許すのかとの問いかけは、人間の心を神が作ったのかとの問いかけとなります。
一人ひとりの心をすべて神が作ったのであれば、神が悪を許したことになります。しかし、私たちが生まれた時、心は真っ白です。それが成長するに従い、我がままや欲望に支配され心を汚してゆきます。
神は人間に自由意思を与えています。どのような生き方も自分で選択できます。

光と神ーアインシュタインのエピソード」で書きましたように、冷たさとは熱の無い状態を言い、闇とは光の無い状態を表し、悪とは神の光を失った状態を言います。

雨雲に覆われた空の上にも太陽が輝いているように、私達の心の中心には輝く光があります。光をさえぎっているのは、私達の自己中心の黒い思いです。
善も悪もすべては人間の心が作り出します。美しいものに感動し、価値を作り出すことができるのは人間だけであり、同時に信じられない残酷も行います。神は決して悪を許さず、善も悪もその結果はすべて自分が引き受けなくてはなりません。

今、人類がその結果を引き受けなくてはならない時期に来ていると思われます。それは2012年に迫っているのかも知れません。そのことは改めて書きたいと思います。




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仏陀とマツリカ(茉莉花)

お釈迦様とマツリカ(茉莉花)にまつわる話があります。
マツリカとはジャスミンのことです。

今から2500年前、インドの北部にコーサラ国がありました。お釈迦様が生まれたマガダ国の隣で、ヒマラヤに近い所です。
その首都、舎衛城にヤージャアダッタというバラモンの大金持ちがいて、その召使の一人であるカピラーという女がジャスミンの花園の手入れをしていました。
カピラーは、顔は不器量ですが心のきれいな女でした。

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ある朝、祇園精舎から托鉢に出てこられた仏陀を見たカピラーは、仏陀とも知らず自分が昼食に持ってきた食べ物を布施しました。自分はお腹がすいても、僧侶に布施した喜びで満足でした。

その日、国王パセナディは狩に出ていましたが、獲物を追っているうちに兵たちと離れ離れになり、一休みしようとしてヤージャアダッタのジャスミンの花園に入って行きました。

カピラーは入って来たのが国王だとは知らず、「さあ、どうぞ」と、自分の着ていた着物を1枚脱いで敷き、その上にパセナディ王を座らせました。そして「足をお洗いになりますか」とたずね、蓮の葉に水を入れてきて王の足を洗いました。

「顔をお洗いになりますか」
「水をお飲みになりますか」
それから、
「少し横になられませんか」と自分の着物をもう1枚脱いで王を横にならせ、足をもみ、体をさすって疲れを癒しました。疲れていた王は、自分が何も言わないのに、自分の思う通りに世話をしてくれるこの女の賢さに感心しました。

王は、誰の娘かと聞きました。
「ヤージャアダッタ様の召使いでございます」
王は探しにきていた兵に命じて、ヤージャアダッタを呼びにやりました。

「この女はそなたの召使か」
「この女を妻にしたいと思う」
王はヤージャアダッタに結納金を払い、宮殿から着物や装飾品を取り寄せ化粧をさせ、自分の馬車に乗せて宮殿に帰りました。

カピラーはやっとそれがコーサラ国の国王パセナディであることに気づきました。
宮中に入ると様々な学芸、書や画、歌や舞を習い、何一つできないことがない女性になりました。
天性の心の美しさに磨きがかかり、五百人の女たちからも尊敬されて第一夫人となったのです。

カピラーは心の美しさと、王と出会ったジャスミンの花園にちなみ、「マツリカ」と呼ばれることになりました。

マツリカは自分が布施をした人が仏陀であることを知り、自分が仏陀に布施した功徳で妃になったのだろうかと考え、パセナディー王の許しを得て祇園精舎に仏陀を訪ねました。

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祇園精舎

マツリカはその足もとにひれ伏して訊ねました。
「女と生まれても、顔かたちの醜いものもあり、貧乏で苦しむものもあり、身分の卑しいものもあります。それはどうしてでしょうか」

仏陀は言われました。
「怒りやすい女は顔かたちが醜くなる。欲張りで人に施すことを好まない女は貧乏になる。他の人の成功をねたむ女は、卑しい身分に生まれる」

この言葉を聞いたマツリカは、
「わたくしは前世において怒りやすかったに違いありません。それでこのように醜く生まれたのです」
「また前世において、少しは施しをしたことがあったに違いありません。それでこのように財産を持つようになったのでしょう」
「人が成功したことを自分のことのように喜んで、決して人の成功をねたまなかったのに違いありません。それでこのような高い身分になったのでしょう」

「わたくしは、これからは決して怒らないように注意します。また、他人の成功をねたまないようにいたします。仏陀と教団に帰依いたします。生涯の間、殺生と盗みと邪淫と嘘と飲酒をつつしむことを誓います」
そう言って城に帰ると、王にも仏陀に帰依するように勧めました。

ある日パセナディー王はマツリカに訊ねました。
「マツリカよ、そなたはこの世で誰を一番愛するか」
しばらく考えたマツリカは、
「王さま、わたくしは、わたくし自身を一番愛します。自分以上に愛しいものがあるでしょうか」

王はその答えが気に入りませんでした。
当然、「王さま、わたくしは王さまを一番愛します」と答えてくれるものと期待していました。
身分の低いマツリカを妃に取り立てたのですから当然です。

しばらくじっと考えた王は、マツリカが言うことが正しいように思えてきました。
「マツリカよ、自分もそなたが言うことが正しいように思えるが、祇園精舎に行って仏陀にお聞きしようではないか」
そう思った王は、急いで馬車を駆り、仏陀を訪ねて教えを乞いました。

「人の思いは、どこへでもおもむくことができる。
しかし、どこにおもむこうとも、人は自分より愛しいものを見出すことはできない。
それと同じように、他の人もまた、自分をこの上なく愛しいと思っている。
そうであれば、自分を愛しいと思うものは、他の人にも慈しみを与えなければいけない」

仏陀は答えました。


「自分が一番愛しい」という言葉は利己主義のように感じますが、利己主義は自分を不幸にします。

この世には、原因結果の法則が働いています。
良い行いには良い結果が、悪い行いには悪い結果が帰ってきます。もし、真に自分を大事にするのであれば、良い結果が帰る行いをしなければなりません。

一番愛しい自分を幸せにできるのは自分だけです。そして、自分を許すことができるのも自分だけです。
人は良い行いをしたい、立派な人間になりたい、もっと頑張りたいと思いながら、自分の弱さに負けてしまいます。
しかし、良く頑張ったじゃないか、これからもう一度頑張ればいいんだよと自分を許すことも必要です。
人が許してくれても、自分の中に後悔や罪悪感があれば自分を責め続けることになり、それは創造的な思いではありません。

しかし同時に、自分を許すなら人も許さなければなりません。
イエスが言われた「人を裁いてはいけない。自分が裁かれないためである」との言葉のように、悪口には悪口が、怒りには怒りが帰り、一方、優しさには優しさが、思いやりには思いやりが帰るのがこの世の法則です。

一番愛しいのは自分であるがゆえに、人は正しく生きなければならないことをマツリカの言葉から気づかされます。

注:イエスが悟った後、キリストになったように、釈迦族の王子、ゴーダマシッタルダが悟った後、
  仏陀となります。
  

参考:園頭広周著「仏陀をめぐる女性たち」絶版




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3度目のジャスミン

新しいイメージ

ジャスミンに茉莉花(マツリカ)という種類があります。ジャスミンティーに使われる種類で、花は夜開き、1日で落ちてしまいます。得も言われぬ芳香があり、わが家では毎年5月から6月にかけて2週間ほど咲きます。

この茉莉花が今年は5月に咲いた後、7月の終わりから8月にかけて2度目の花を付けくれました。
思わずありがとうと声をかけました。
この話を知り合いの生け花の先生にしたところ、きっと良い事があるのよと言ってくれましたが、1年に2度も茉莉花の香りを楽しむことができただけでもうれしいことです。

ところが今、今年3度目の花を咲かせてくれています。
特に手入れをしたわけでもなく、もしかしたら、いつも茉莉花に心を向け、「ありがとう」、「頑張ってね」と声を掛けているためではないかと思っています。

植物にも意識があると思わせられたのは、沈丁花の体験からでした。
ある年の春、沈丁花の枝を折り小さな花瓶に挿しました。それがその後しっかり根を張り元気に生きていましたが、翌年の春、庭に咲いていた沈丁花を取り、花瓶に入れてその隣に置いたところ、それまで元気だった沈丁花があっという間に枯れてしまったのです。
思い当たることはただ一つ、花の咲いている沈丁花だけに心を向けていたことです。
植物にも意識があると思わせられるできごとでした。

桜の花などが一斉に咲くのを見ると、いつも不思議に思います。
気温や日照時間で開花すると言われますが、個体差があるはずです。なのに申し合わせたように一斉に咲くのは何らかの情報交換があるのではないでしょうか。

植物は病虫害の被害に会うと、ファイトアレキシンという防御物質を作り出して自分を守りますが、同時に、周辺の木々に対してもファイトアレキシンを出して防御するように警告を発信します。
これも植物に意識があるのではないかと思わせる現象です。

意識が大脳によって作り出されるのであれば、植物に意識はないでしょうが、いくら大脳を調べても意識が生まれる仕組みが分かりません。「魂とは何か」で書きましたが、大脳生理学上の一番の問題です。


一年中咲いてくれないかなと思っていますが、ジャスミンにとっては休息の時間がなく迷惑な話ですね。

茉莉花は仏陀に捧げる花として使われています。マツリカと仏陀の話は次回に。

*ところで、デアゴスティーニ・オペラシリーズのDVD、「カルメン」を見ました。
指揮はカルロス・クライバー!、カルメンはボリショイオペラの花形、エレーナ・オブラスツォワ!、ドン・ホセがプラシド・ドミンゴ! 演出がフランコ・ゼッフィレッリ!

文句があるかという布陣です。これで990円、是非ご覧ください。
以前に高い値段で買った人が悔しがっています。
ちなみにデアゴスティーニから宣伝料はもらっていません。



☆ リンクフリーです。ご連絡頂ければ相互リンクさせていただきます


再び地球温暖化はCo2のせいではない

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(追記)
本文中の大学の先生を訪問しましたが、地球は寒冷化に向かっている可能性があるので、温暖化という表現を気候変動に、又、Co2よりも太陽活動の影響が大きいのではないかと、講義内容を変えたと言われました。

櫻井よしこさんのブログに「地球温暖化はCo2のせいではない」との記事がありました。

下記の記事もご覧ください。
「21世紀の地球は寒冷化」?「温暖化懐疑論が台頭」




民主党が2020年に1990年対比で25%のCo2削減目標を打ち出しました。
世界一のGDPであるアメリカや、もうすぐ世界第二のGDPとなる中国が加盟しない京都議定書に拘束され、さらにそれをはるかに上回る自主目標を掲げるなど、狂気の沙汰というしかありません。
もし、Co2と地球温暖化が無関係であったら、民主党はこの愚行の責任を取れるのでしょうか。

かってダイオキシンが史上最強の猛毒だとマスコミによって喧伝され、焼却炉から排出されるダイオキシンが目の敵にされたことがありました。しかし現在は、焼却炉から出るダイオキシンはそれ程多くなく、水田に撒かれる農薬に含まれるダイオキシンの方が、はるかに大きいことが判明しています。
当時制定されたダイオキシン規正法は現在も見直されることがなく、コストの掛かる焼却炉の設置が義務付けられ、野焼きや一般の焼却炉の使用が禁止されています。
「ダオキシン 神話の終焉」

今、Co2温暖化説で、これをはるかに上回る地球規模の愚行が行われています。その裏にはある勢力による歴史的なプロパガンダ/陰謀が隠されていると考えますが、お人よしで真面目な日本人は見事にそれに乗せられ、更にぶっちぎりで先頭を走ることを宣言しました。
(過去の記事、「地球温暖化は二酸化炭素のせいではない」をご参照ください。



地球温暖化詐欺


過日、ある大学の先生と打ち合わせをしていて、話がCo2と温暖化の関係に及びました。
この方は講演に引っ張りだこの環境技術の専門家ですが、環境問題の専門家ではありません。

率直で、熱意があって、学生にも自分の事を先生ではなく、さんづけで呼ばせる敬愛すべき人物です。
研究室がタイガースグッズで溢れているのも面目躍如です。

以下のエピソードは、この方を揶揄するものではなく、環境問題についての定説が、どれほど不確かなものかをご紹介するためのものです。

Co2と地球温暖化についてのこの方の認識は、

・現在ほとんどの学者が地球温暖化がCo2の影響だと考えている。専門家が出した結論であれば、それなりの根拠があるはずだ。

・IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告書は、世界中の数千人の専門家の意見を集約しており、誤った結論を出すとは思えない。

・ゴアが政治的に動き、何かの利権に絡んでいることは想像できる。Co2排出権ビジネスなど、Co2が利権に使われていることは間違いないが、IPCCがそのために世界の世論を操作することは考えられない。

話を整理すれば、この方の環境技術の研究は、地球温暖化がCo2に因るものであることを前提にしていますが、そのことを検証したことがないというものです。環境の専門家と言われる人も、社会の大勢となる意見をそのまま受容していることが多いのです。
 
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クリックすると大きくなります。

その後何回かメールでやりとりをし、地球温暖化の原因が太陽活動の活発化にあることを示す太陽黒点と海水温度との相関と、NASAが地球温暖化の原因が太陽にあることを認めた記事についてご案内しましたが、近着のメールにこう書かれてきました。

「○○ 様

ご無沙汰を致しました。
少しだけですが、いろいろと勉強をしておりました。

将来が不確定である以上、ある限りの知恵を持って対策を取る必要があります。
今は、CO2が悪者扱いとされているのでしょう。
これには、多分にエネルギーおよび化石燃料の問題と強くリンクしていることと思います。
ー略ー

科学的根拠よりも政治的な話が先行していることは否めません。
今回、学んだこととしては、他人のデータや考察を検証しない科学者が大勢で一方向に向いていることです。
確かに何かおかしいと感じました。
小職も同様に、CO2を悪者にすれば、ビジネスになるのは確かです。
   ー略ー  」

自説に拘泥せず、真実と思われることを率直に認めるこの方の態度には敬服します。(学者でありながら!)
そして少し立ち止まって考えれば、Co2地球温暖化説が疑う余地の無いものではないことが分かります。

以下の記事は、元東京大学副学長で、日本触媒学会会長、日本化学会会長を務められた田丸謙二先生が、ご自身のホームページで、東京大学生産技術研究所 渡辺正教授の記事をご紹介されたものです。
是非、お読みください。


「炭酸ガスが世界を救う」

地球が温暖化をしている。 これは大気中に炭酸ガスが増えている結果である。 このままでは今世紀末には相当の地球温度の上昇が見込まれる。 炭酸ガスを増やさないよう全世界的に努力を傾けよう。 

世界の首脳連が集まるサミットがあるごとに、地球の将来の温暖化に対する真面目な議論が繰り返されている。 果たして本当なのだろうか。 文芸春秋第86巻第13号(2008)の312ページに東京大学生産技術研究所教授の渡辺正さんの書かれたものを抜書きしてみると以下の通りである。

『地球は温暖化中→首班はCO2→CO2を減らすにはエコ対策をしなければ、という、もはや常識となった図式に私は科学者として大きな疑問を持っている。』

『私自身は、CO2 が大いに関係する植物の「光合成」を研究テーマにしているが、CO2は人類にとってなくてはならない貴重な物質だから、増えるのは喜ばしいことなのだ。』

まずは、本当に地球全体が温暖化しているのか、である。 これについては偏った根拠による定説が一人歩きしているのが実態だと言える。あっさり言うと、局地的に気温が上昇して当然の都市部のデータが、地球温暖化論の主な根拠とされているのだ

『日本は現在、石油、石炭、天然ガスといった化石燃料を年間三億トン消費している。 年中石油で焚き火をしているようなものだ。 出た熱は都市部ほど集積しやすい。
問題は、こうした都市の昇温が、地球の平均気温に大きく効いていることだ。』

『かたや、NASAが1978年に打ち上げた気象衛星NOAA(ノア)の観測データは、ここ三十年でせいぜい0.1度の上昇にとどまる。NOAAは地球から上空四~五キロの対流圏中層と、更に低層の温度を測り続けている。』

『地表に置かれた温度計よりも正確な温度を示す』 『温暖化がどんどん進んでいるという言説は、気象衛星のデータからみても科学的におかしいのである。』

『ではなぜ、CO2だけが地球の敵とされてしまったのだろうか。始まりは、米国NASAゴダート宇宙科学研究所のジェームス・ハンセン氏による「地球温暖化説」だった。八八年六月に米上院公聴会でなされたハンセン発言は「大気に増えるCO2が地球を暖め、異常気象の多発などが人類に災いをもたらす」というもの。

ここから、CO2を悪役とみる「地球温暖化物語」の時代が幕を開ける。なんとも単純な神話だった。
単純で分かりやすいからこそ、万人に迎え入れられた。』

『そしCO2=地球の敵、の構図は環境問題の盛り上がりと共に定説化されてゆく。国連の下部機関、ハンセン発言を受けて定説を推し進めた科学者と各国官僚の集団IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、90年から07年までの四度にわたる報告書で、「過去千年間で二十世紀の気温が最も高い」、「気温上昇の元凶はCO2」と繰り返し世界に発信した。

このIPCCと共に昨年ノーベル平和賞を受賞した元アメリカ副大統領のアル・ゴア氏もまた。「不都合な真実」により定説を布教し、翻訳本、映画などを通じて全世界にCO2首班説を強烈に印象付けた。

ゴアの言ったことは本質的に根拠の薄い「ホラー物語」である。
温暖化すれば全てが悪くなる、危ない、と言う物語の枠に沿って、世界中から極端な例を持ってきて我々に見せつけたのだ。
一方で、国際的な政府間のCO2削減への取り組みは、IPCCだけでなく、サミットなどでも積極的に取り上げられるようになる。』

地球が温暖化していようと寒冷化していようと,CO2が増え続けていることは間違いない。だが私たちはむしろそれを歓迎すべきである。無理やり増やせとは言わないが、生産活動=エネルギー消費を続ける限りCO2の増加はとめようがないし、現に自然と増えているわけだ。

CO2がふえると食料は増産され、緑化が進む。又、枯渇が懸念されるエネルギー資源の救世主になる可能性も秘めている。温暖化による人類の危機が叫ばれるが、そんなはずはない。 
CO2は世界を救ってくれるのである
。』

つまり植物が育つにはCO2が必須なのだが今大気中に占めるCO2の平均濃度は0.039%しかない。それゆえCO2はたいへん希少な物質といえる。CO2の濃度が高まれば植物の成長が速まるという事実は、植物の祖先が繁栄していた二、三億年前の石炭紀と比較すれば明らかになる。
石炭紀のCO2濃度は現在の七倍以上、3000ppmくらいはあったといわれる。
恐竜時代の植物がやたらと大きく、しかも陸地の至るところに繁茂していたのは、豊富なCO2によって光合成を通じた成長が促進されていたからだ。』

光合成は、植物に太陽エネルギーを貯め込ませる巨大かつ見事な化学プロセスでもある。今後、石油、石炭などの化石燃料はいずれ枯渇を迎えるが、その先を担うエネルギーの最右翼は、この光合成エネルギーだと思う。』

『ともあれ。太陽と植物がありさえすれば、人類は未来永劫、エネルギーも素材物質も確保できるのだ。』
『私としては、地球と人類に優しいCO2が増えるのならば、少しくらい気温が上がってもいいじゃないかとさえ思っているのだが。』



人類の生存は、鉱物、植物、動物ー自然のすべてと相互依存の関係にあります。しかし、人類は科学技術の進歩に伴う物質万能の価値観に毒された結果、自らの生存の拠り所である自然を破壊し、動植物を殺し、その結果を自ら引き受けなければならない状況に置かれています。

環境問題は心の問題だと言われます。
それは誰か他人のことでなく、われわれ一人ひとりが自らの心を見つめ、足ることを知り、人と人、人と自然が調和して生きることでしょう。

ものを大切にし、自然と調和して生きることは、私たち日本人が最も大切にしてきたことです。
今、地球にとって一番大切なことは、C02を減らすことではなく、調和という大自然の法則に従って生きることであると思います。  

  

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