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心で見るもの

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 遠野 カッパ

6月18日の日本経済新聞にカッパの話が載っていました。この話が素直に心に響いたのでご紹介します。

民話で有名な岩手県遠野市からカッパ捕獲許可の第一号を公認された運萬治男さんが書かれた記事です。
カッパが住むという川の淵を守り、訪れた人にカッパの話をする人を、「守っ人」と呼ぶようです。
「守っ人」第一号は阿部与市さんと言う方です。阿部さんは87歳で亡くなりましたが、7歳の時にカッパを見たと言います。
「顔は赤く、口は大きく、何ともおっかない」

運萬治男さんは「守っ人」の第二号です。
「2002年、岩手から小学校低学年の子供が二人訪れた。川を見るやいなや私の服を引っぱって、
『カッパさんがおなかをすかせている。団子をあげてもいい』 
私がうなずくと、泥で作った団子を川岸に並べた。
その子が帰ったあと、青森から子供3人が来て、またもつぶやいた。

『カッパさんが食べられないって泣いているよ。』 その子は団子を川に放った。
水が濁ると子供たちが、『喜んだカッパが踊ってる』と、見えているかのようにほほ笑んだ。

ほかに、『カッパが川で泳いでいるから一緒に泳ぐ』と、着物姿で水に入った女の子も。
例をあげれば切がないが、数々の不思議な体験をしてから、私は観光客に繰り返すようになった。」
『カッパは見るものじゃない。心の中で会うものだ』


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心で見るといえば、「星の王子様」でキツネがこう言います。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

小林秀雄の「無常といふこと」に次のような言葉が出てきます。
“美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。”

批評の神様の有名な言葉ですが、しかし、もし美しいバラやユリの花があって、それを昆虫や動物が見たとしても、そこに美しい花は存在しないでしょう。
美しい花があるのではなく、花を美しいと感じる人間の心によって、はじめて花は美しくなります。

大輪のバラにも野辺のスミレにも、それぞれの美しさがあります。
スミレはバラになる必要はありません。
それぞれの人生に生きる意味や幸せを感じなければ、人生の価値は逃げ水のように、いつも遠くに去って行くことでしょう。

愛を感じ、幸せを感じ、美しいもの、真なるもの、善なるものに感動する・・・すべては心です。
すべての価値は人間の心の中にあります。
人生は心の中に内在された、すばらしい価値を探す旅なのでしょう。

いつか、カッパが踊っているところを、心の目で見ることのできる人間になりたいものです。

「千と千尋の神隠しーいつでも何度でも」
美しい人が、美しい声と美しい心で歌っています。心に響く歌です。

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地球への感謝

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「地球にやさしい」、「環境にやさしい」という言葉ことばが氾濫しています。
このような欺瞞と偽善に満ちた言葉を平気で使う日本人は、金儲け主義によって言語感覚や倫理観がマヒしてしまったと言わざるを得ません。

環境問題に絡む虚偽・欺瞞・偽善は際限なくあり、ここでは欺瞞の代表である「エコ替え」だけを述べ、なぜ環境問題はここまで堕落したのかを考えたいと思います。

「エコ替え」とは、まだ使える物を捨てさせ、多少省エネ効果の高い、「環境にやさしい」製品を売りつけようとするものです。
「エコ替え」を宣伝する企業ほど不誠実であると思っていましたが、最近国家規模の「エコ替え」が登場しました。
「エコポイント」です。

「エコポイント」は、日本国が率先して「エコ替え」を促すものです。
補正予算で環境対応車に3700億円、省エネ家電に2900億円が計上されましたが、無論これは税金から支払われ、いずれそのツケが我々に返って来ます。
厳しい経済環境の中で景気刺激策は必要ですが、「環境」への配慮を口実にしながら、環境に負荷をかける臆面の無い国家規模の欺瞞に対して、批判の言葉が聞かれないのが日本の現在です。

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 武田邦彦教授

しかし、中部大学の武田邦彦教授はしっかり批判されていました
武田邦彦教授は、虚偽や欺瞞に満ちた環境問題について、勇気を持って真実を伝えられています。
武田先生については、名古屋大学で材料工学の教授をされていた時から存じ上げていました。しかし、環境問題についてこれほど正鵠を得た意見をお持ちであったとは知りませんでした。

武田先生の見解に対し、データーの取り方を問題視する反対意見もあります。しかし、それらの多くが瑣末にこだわるもので、環境問題の本質を語っているとは思えません。
詳しくは下記にご紹介します武田邦彦先生の著書とホームページをご覧下さい。
武田先生のホームページを拝見し、環境問題のみならず、現在の日本の様々な病理の本質を、鋭く指摘されていることに驚きました。

ところで、環境問題はどうしてこれほど堕落したのでしょうか。
堕落の原点は、Co2地球温暖化説にあると考えられます。
Co2排出が諸悪の根源とされてから、Co2が多少でも減ることが絶対的な善になり、その錦の御旗の影で、虚偽・欺瞞・偽善・不誠実がまかり通るようになってしまいました。
出発点に真実がなければ、結果が不正義になるのは当然です。

二酸化炭素と地球温暖化の因果関係は、「地球温暖化は二酸化炭素のせいではない」、でも書きましたように、証明されていません。
むしろ、地球の温暖化が寒冷化よりも遥かに生命にとって好ましいことは、生命が地球上で最も繁栄した石炭紀のCo2濃度が、現在の7倍以上あったことから理解できます。
間違った前提条件を絶対化して、虚構を作り上げたのが環境問題の本質であり、それは巨大な陰謀であったと考えます。

「地球にやさしい」、「環境にやさしい」という言葉に抵抗を感じている方は多いと思います。「やさしい」という言葉の裏には、卑しさと傲慢さがあります。販売のための単なる修飾語に過ぎないことを美化するする卑しさ、もう一つは地球に対してやさしいと言い放つ傲慢さです。

やさしいのは母なる大地、地球であって、人間が地球に対してやさしくあったっことはありません。
地球は水、空気、食べ物、鉱物資源他、生存に必要なすべてを与えてくれています。一方、人間は地球の水を汚し、大気を汚し、鉱物資源を掘り漁り、生物種を絶滅させ、地球から奪い、汚すだけです。

私たちにできることは、もったいないと思い、物を大事にすること、地球に対して感謝し、調和された地球にふさわしい、調和された意識になること、それが母なる地球に対しての最大の恩返しだと思います。

追記:
「お前が騙されてるんだよ」というコメントを3件表示しています。礼儀を知らないコメントなので、格調の高さを誇る(勝手に誇るな)当ブログとして、掲載すべきか迷いました。しかし、これも環境問題に意識を向ける人間の意見として、あえて掲載しました。

それに対してコメントを返しましたが、例えばマスコミがダイオキシンをセンセーショナルに取り上げると、塩素を含むものがすべて悪と決め付けられてしまいます。
塩ビは燃やすとダイオキシンが発生すると目の敵にされ、ポリエチレン、ポロプロピレンなどのポリオレフィン系(分子が鎖のように繋がる)のプラスチックに変えられて行きました。
しかし、塩化ビニールの原料の半分は海水であり、強度、加工性、自己消化性(火を点けても消える)など、他の材料に無い特性を持っており、優れた原料です。

ダイオキシンは800度以上で5秒間(850度で3秒間・・だったはず)の燃焼で分解されます。
現在、焼却炉はすべてダイオキシン規制法で上記の条件を満たしています。(火床面積0.5㎡以下の小型焼却炉を除く)
また、例えば古紙について武田先生のデーターの扱いが正確でないとの議論がありますが、議論になっている統計資料自体が、環境問題から見れば余り意味が無いと考えます。(なぜ意味が無いかを知りたい方はご質問ください。但し、メールアドレスを表記願います。)
尚、木材繊維の劣化についてコメント欄に書いていますので、興味がある方はご覧下さい。

産業界では常識的なことがマスコミや一般の方には伝わっていないため、環境問題は木を見て森を見ない、一面的で、ヒステリックで、誤解に満ちたものになっています。

今回の記事の中で、詳しい話を書かなかったので何も知らない人間と思われたようですが(実際、何も知りませんが)、上記の事情を踏まえた上で、武田先生の論点が大局的に正しいと判断し、記事を書きました。

<参考>
武田邦彦ホームページ
田丸謙二ホームページ
武田邦彦著書
「暴走する「偽」環境ビジネス」
武田邦彦はウソをついているのか?」
「「地球温暖化」論で日本人が殺される!」
食糧がなくなる!本当に危ない環境問題
環境問題はなぜウソがまかり通るのか3
環境問題はなぜウソがまかり通るのか2
環境問題はなぜウソがまかり通るのか
偽善エコロジー
暴走する地球温暖化論
家庭で行う正しいエコ生活
間違いだらけのエコ生活

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人生二度なしー森信三の教え

これの世の 再びなしといふことを いのちに透(とお)り知る人少な


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  森 信三 先生


しつけ3原則 

「ハイという返事」 「朝のあいさつ」 「はきものを揃え、椅子を入れる」

この3つの根本的なしつけを、遅くとも小学校低学年までにやれば、他のしつけはできるようになる。



戦前、戦後を通じて、日本の教育界最大の人物と言われるのが森信三先生です。その気迫に満ちた実践教育は、教育界に留まらずあらゆる分野の人々に、今尚、感銘と影響を与え続けています。

神戸大学教育学部で森信三先生の教えを受けた、村上信幸氏の「人生二度なし」を元にその人となりと教えをご紹介します。

森信三先生は明治29年、現在の愛知県知多市で生まれました。京都大学(大学院)哲学科を首席で卒業し、神戸大学の教授を務めたと言うと、苦労を知らない順風満帆な人生のように思われます。
しかし、幼少の頃より常に厳しい現実生活に直面し、困難と挫折を繰り返しながら実践教育を確立し、平成四年、96歳で亡くなられました。

お祖父さんは第1回の国会議員で、愛知県会議長を16年間勤めていますが、お父さんが坊ちゃん育ちのお人好しですべての財産を失い、絶望したお母さんは幼い信三たちを残し実家に帰ります。
信三は2歳の時に貧しい小作農家に養子に出されました。

尋常小学校4年生を終了し、全校1500名の高等小学校に入りトップの成績を上げますが、貧しい家計で中学校に進学することができません。師範学校に入るには年齢が足らず、昨日まで全校生徒に号令を掛けていた母校で、授業開始の鈴を鳴らし教室の掃除をする用務員として働くことになります。

しかし、養父母は律儀で実直で愛情深く信三を育てます。経済的に貧しく、心豊かな環境が人を作るとすれば、森信三先生を作ったのは、この家庭環境であったと言えます。

数え歳13歳の正月、お祖父さんが一遍の詩を筆で書いて信三に渡し、「これが読めるか」と聞きます。「これは頼山陽という学者が、お前と同じ13歳の正月に詠んだ詩だ。お前もしっかりしなさい。」と漢詩に返り点を付けて意味を教えます。

十有三春秋          (この世に生まれて13年)
逝くものは水の如し      (時流れ、人もうつろう)
天地始終なく人生生死あり (天地は永遠なるも、人には死あり)
いずくんぞ古人に類して   (いかにして名をあげ)
千載青史に列するを得んや (歴史に名を残そうか)

同じ13歳の少年が新年の決意としてこれほどの詩を詠んでいるのに、自分は読むことさえできない。その恥ずかしさと悔しさが学問への決意となります。

愛知第一師範学校を首席で卒業すると、県内の小学校に赴任します。生涯を小学校の教師として全うしようと考えていましたが、その才能を惜しむ多くの人の助言や篤志に支えられ、広島高等師範学校に入学します。卒業後、1年間大阪の阿倍野女学校に奉職し、その後京都大学に進みます。
この間の学資は親戚や実業家の篤志に拠りました。

京都大学を首席で卒業した後、大阪天王寺師範学校教諭に着任します。天王寺師範学校には足掛け13年在職し、この間に書いたのが名著「修身教授録」です。


その後、副学長の懇望で満州の建国大学教授に赴任します。
しかし、6年目に終戦を迎え、戦争犯罪人としてソ連軍から呼び出しを受け、6日間拘留されました。
シベリア送りを覚悟した時、通訳の青年が、「先生、このような動乱の時ですが、お体を大事にして、研究だけは続けてください」とささやきました。建国大学の教え子でした。
しかし、ソ連将校の釈放の条件は、週2回出頭し、隠れている旧軍人を密告せよと言うものです。

そのようなことはできないと、零下20度の厳寒の中に新京を脱出しますが、食料もなく生死をさまよい、凍死、餓死寸前のところで命を取り止めます。
このとき改めて、「躾、たしなみ、道徳、倫理というものは、ある程度の経済基盤があってこそ可能だ」と思い知らされます。
日本に帰られた森先生は、その後、農業大学、神戸大学で教えられ、退官後は年間200回から250回の講演をされました。

森信三先生の教えの柱に、「腰骨を立てる」があります。
一日一日を有意義に生きるためには心を燃やし、己を律することが必要です。しかし、人間はいつもその緊張感を持続できません。

「観念というものは、シャボン玉のようなものでね。一度は『よし、やろう』と張り切っていても、すぐにしぼんでしまうものです。これはどんなに意思の強い人でもどうしようもないことですよ。
時間の経過とともにしぼんでいく決意をどのように持続するか、それには『腰骨を立てる』ということしかないのです。
心身相応の原理で、人間の心と体は切っても切れない、密接に結びついたものですからね。
心の緊張感を保とうと思うなら、体の緊張感を保たねばならないのです。」

森信三先生の講義は次のように気迫と情熱と信念に満ちたものでした。

「『石も叫ばん』という時代ですよ。いつまで甘え心を捨てないのですか。この二度とない人生を、いったいどのように生きようというのですか。教師を志すほどの者が、自分一箇の人生観、世界観を持たなくてどうするのです。眼(まなこ)は広く世界史の流れをとらえながら、しかも足元の紙くずを拾うという実践をおろそかにしてはなりませんぞ」

「教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事なんです。しかし、それをあたかも岩壁にノミで刻みつけるほどの真剣さで取り組まなければならないのです。教師がおのれ自身、あかあかと火を燃やさずにいて、どうして生徒の心に点火できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。民族の文化と魂を受け継ぎ、伝えていく大事業なのです」

森信三先生を足早に紹介しましたが、とても全体像を伝えることができません。
下記をご参照ください。

修身教授録一日一言
森信三の世界
森信三先生の名言
森信三
森信三一日一語



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