日本人が失ったもの

vel3061.jpg

音楽の幼児教育で世界的に有名な、スズキメソッド(才能教育)の創始者である鈴木鎮一先生の著書
「愛に生きる」の中に感動的な逸話があります。
今から40年以上前、チェロの巨匠、パブロ・カザルスがスズキメソッドのコンサートを訪れた時の話です。
日本人が失ったもの、そして、日本人が完全に失ってはいけない、大切なものが何かを教えてくれます。

ー400名の子供たちの生き生きしたヴァイオリンの演奏ー

「おお・・・おお・・・」
老巨匠の驚きの目とともに、その口から続けざまに感嘆の声が漏れています。そしてご夫妻の感動は、やがて子供たちがヴィバルディやバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏するに及んで、その頂点に達したのでした。
先生が泣いておられる・・・目に涙を浮かべ、口をへの字に結んで・・・ 

子供たちの演奏が終わり、私がカザルス先生のそばに立って、お聴きいただいて、どうもありがとうございました、とまだいい終わらないうちに、先生の両手がわたしを抱きしめました。無言のまま、先生の涙がわたしの肩をぬらす・・・
いくたびわたしは、子供たちの、このような無心の、みごとな生命のほとばしりに泣いてきたことか。いま、その高い生命の音の前に、七十五歳の偉大な老先生が・・・それはいいようもない荘厳な瞬間でした。

それからカザルス先生は、夫人とともに、ステージの子供たちのところに歩いていかれました。 
先生はマイクに向かわれました。そして、感動にふるえる声を張り上げて、
「みなさん、わたしはいま、人間が遭遇することのできる、もっとも感動的な場面に列席しています・・・」

「いま、ここで、私たちが見聞きしたことは、外見的に見られた事態よりも、はるかに重要な意味をもっていると思われます。
私たちは、世界のどこにおいても、このような限界にまで示された愛情と誠実の心を見ることはできない。
私たちがこの国を訪れて、いつの瞬間にも感じたことは、よりよい世界への心の要求が示されていることでした。
とくに私に強い印象を与えたのは、人生のもっとも高貴なものに対する追求でした。
おとなたちが、この子どもたちのような幼い時期から、高い心と高貴な行いで、人生の第一歩を踏みださせる、なんとすばらしいことであるか。しかも、その方法は音楽なのです。音楽で訓練し、音楽を理解させる・・・。

音楽は、ダンスをするためのものではなく、また、小さな快楽を求めるためのものでもなく、人生にとって、もっとも高いものです。おそらく、世界は、音楽によって救われるでしょう」

「私はいま、先生たちやご両親に、ただ「おめでとう」というばかりでなく、わたしの心からなる賛美と、心からなる尊敬と、最大の祝福を贈ります。そして、もうひとこと、こう申し上げるしあわせを感謝します」

「日本は行動・産業・芸術の面で偉大であるばかりでなく、日本は、“心の心である”ということです。
そうしてこの心は、いま人類がなによりも第一に・・・第一に必要とするものであります」



愛に生きる―才能は生まれつきではない (講談社現代新書 86)愛に生きる―才能は生まれつきではない (講談社現代新書 86)
(1966/08)
鈴木 鎮一
商品詳細を見る



スポンサーサイト

韓国メディアが分析する日本の基礎科学の成功

f_0719b.jpg

日本人のノーベル賞受賞者が4名もいたことについて、優秀な韓国人がなぜ金大中の平和賞以外、ノーベル賞を取れないのかと、悔しさとうらやましさを隠さない韓国メディアがありました。

その中で、韓国人がノーベル賞を取れない理由を冷静に分析した記事がありました。 言葉と創造性について、日本の国語教育を考える参考にもなる分析ですのでご紹介します。



「日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。
基礎科学、特に物理学のような分野は物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思考が重要だ。深みがあり独創的な思考をするためには、たくさん思考せねばならない。

そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。南部教授は小学校のときに理科の時間に感じた興味が彼を科学者に導いたという。
基本概念はどうすればきちんと身につくか。 理解しやすい言語で科学を説明することから始まるはずだ。

日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。

漢字文化圏である東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、アルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。

そのおかげで、日本人にとって世界的水準で思考するということは世界で一番深く思考するということであり、英語で思考するということではなくなった。これは外国語が苦手といわれる日本人たちが基礎科学分野でノーベル賞を多く取っていることや、益川と小林の研究が日本の大学から誕生したことにもよく現われている。

一方我が国は、小学校・中学高校過程では科学の基本概念をきちんと把握する教育をしないで、大学に入ると突然英語で科学を教える。

名門大学であればあるほど、理学部・工学部・医学部の物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。内容理解だけでも不足な時間に外国語の負担まで重なっては、韓国語で学ぶ場合に比べると半分も学べない。韓国の基礎科学は外国に留学に行くことを初めから想定して教えているわけだ。 」



日本で幼児や小学校低学年から英語を教える親が増えています。このことについて数学者の藤原正彦さんが、言葉は手段に過ぎず、語る内容が無ければ無意味であること、その内容は国語教育によるしかない、と国語教育の重要性を訴えています。

<小さい時からの英語教育がネイティブの英語を身につける一番効果的な方法である>、との意見に対しては、「その意見も正しい、しかし正しいことは沢山ある、その優先順位を考えなければならない」と述べ、子供の時にきちんと母国語の教育をすることが考えること、感じることすべての基礎になると言われています。

藤原正彦さんはアメリカの大学で数学を教えていました。「若き数学者のアメリカ」や「日本人の品格」など、たくさんのエッセイがありますが、その思考能力や洞察力は、作家の新田次郎を父に、藤原ていを母に持ち、両親から豊かな国語教育や情操教育を受けたことにあります。

考えること、感じること、創造することなど、すべての根底に言葉があります。
空気が読めないことを「KY」と言ったり、不快なことをすべて「むかつく」と表現する日本人は、やがて英語はしゃべれても、独創性を失い、感受性を失って、ノーベル賞どころか、あらゆる創造力から無縁の国民になるかも知れません。

光と神ーアインシュタインのエピソード

意識情報エネルギー医学―スピリチュアル健康学意識情報エネルギー医学―スピリチュアル健康学
(2007/03)
奥 健夫

商品詳細を見る


大阪大学助教授 奥健夫先生が書いた、
「意識情報エネルギー医学」-スピリチュアル健康学への道ー
という、素晴らしい本があります。是非お読み頂きたいと思います。

その中に光と神についてのエピソードが載っています。
長いのですが引用させて頂きます。

光と神についてー神はすべてを創造したのか?

有名な高等研究所の大学教授が、学生たちに「神は存在するものすべてを創造したのだろうか?」と質問しました。

一人の学生が答えました。「はい、そう思います」
教授は尋ねました。「神はすべてを創造したと言うのかね?」
学生は答えました。「はい、先生。神は確かにすべてを創造したと思います」
教授は答えました。

「もし神がすべてを創造したというなら、神は悪も作り出したはずだ。そうなると、神を悪と考えることもできるわけだね」
その学生は黙ってしまい、教授に対して答えられませんでした。教授はキリスト教の信仰が作り話に過ぎないことを証明したつもりになって、たいそう自慢げに満足そうに喜んでいました。

別の学生が手を挙げて言いました。
「先生、質問してもよろしいでしょうか?」
教授は答えました。
「もちろんいいとも」
学生は立ち上がって尋ねました。
「先生、冷たさは存在するでしょうか?」

「何を訳の分らない質問をしているんだ。存在するに決まっているじゃないか。冷たさをしらないのか」
ほかの学生たちもこの質問をあざ笑いました。
この学生は答えました。
「先生、実際には冷たさというのは存在しません。物理学の法則によれば、私達が冷たいと感じているものは、実際には熱がないことです。熱は体や物にエネルギーをもたせたり伝えたりすることなのです。
絶対零度(マイナス272℃)は完全に熱のない状態です。そしてその温度では、すべてのものは不活性になり、反応もできなくなります。
冷たさというのは、存在しません。この冷たさという言葉は、どれぐらい熱をもっていないかを感じる目安として作り出された言葉なのです」

その学生は続けました。
「先生、闇は存在するでしょうか?」
教授は答えました。
「もちろん存在するに決まっているだろう」
学生は答えました。
「先生、あなたはまた間違えましたね。闇も存在しないのですよ。闇というのは実際には光が存在しないことなのです。光を調べることはできますが、闇を調べることはできません。
ごくわずかな光でも、闇の世界を照らし出すことができます。どのくらい暗いかを、どうやって測れるのでしょう? 実際には光がどれだけ存在するかを測っているのです。
闇というのは、光が存在しないことを述べるために使われる言葉なのです」

最後に、その若い学生は教授に尋ねました。
「先生、悪は存在しますか?」

今度はその教授はちょっとためらいながら答えました。
「もちろん、われわれは毎日悪をみているじゃないか。人間に対する残酷なことが毎日のようにあるだろう。
世界中どこでも多くの犯罪や暴力があるじゃないか。これらは明らかに悪以外の何ものでもない。」

これに対して、その学生は答えました。
「先生。悪は存在しないのです。少なくとも悪自身は存在することはありません。悪は、単に神がない状態に過ぎません。悪という言葉は、ちょうど闇や冷たさと同じように神のない状態を述べる言葉にすぎません。
神は悪を作り出していません。悪は、人間が心の中に神の愛を持っていないときに起こる現象なのです。
それは、熱がないときの冷たさ、光がないときの闇と同じようなものなのです」

教授はがっくりと座り込んでしまいました。
その若い学生の名前は。「アルバート・アインシュタイン」でした。

ノーベル賞の光と陰

f_0781b.jpg

日本人のノーベル物理学賞独占は驚きました。
驚いたのは3人一度に受賞したことで、業績からすればもっと早く受賞すべきでした。

小林・益川理論は素粒子の説明の中で必ず出てきます。南部先生の「自発的(CP)対称性の破れ」という理論も、素粒子に質量が生まれる仕組みを解明したもので有名です。
これらの方々が日本人でなければもっと早く受賞したはずです。

ノーベル賞の選考にあたり、ノーベルは「賞の選考には、国籍を一切考慮せず、最もふさわしい人を選ばなければならない」と遺言しています。
しかし、この遺言は第1回のノーベル賞選考で、早速無視されています。

第1回ノーベル医学・生理学賞は、北里大学の創始者である北里柴三郎が最有力候補でした。
しかし黄色人種であると言う理由で、ドイツのベーリングに与えられました。
受賞理由は「ジフテリアの血清療法」ですが、このベーリングの研究論文の大半が、北里柴三郎の研究によるものです。

野口英世も2回候補になりながらノーベル賞を見送られました。野口英世は梅毒の病原体であるスピロヘータの発見で有名ですが、彼はマヒ性痴呆患者の大脳の中からも発見しています。
それまで精神病は悪霊の憑依として医学の対象とは見られませんでしたが、野口英世の発見により、初めて医学の対象となりました。

但し、現在、精神病は投薬主体の治療となっていますが、それは人間を物質として捉え、霊的な存在として見ないことから生じています。この観点が抜け落ちたことで、治療の限界が生じたとも言えます。

原子模型の長岡半太郎、ビタミンB1発見の鈴木梅太郎なども日本人であるために受賞を逸しています。
戦後、ノーベル賞は圧倒的にアメリカ人が受賞していますが、その影となった研究者が沢山います。

 




汚染米より罪深いもの

f_0811b.jpg

一時期の汚染米騒動は異常でした。

まるで鬼の首でもとったような大騒ぎは、アメリカの経済危機や自民党の政治ショーが始まってからは、さすがに下火になりましたが、こうした食品の不正が発覚するたびに起こるマスコミの大騒ぎは、対象となる会社が潰れるか、犠牲者が出るまで続く傾向があります。

この話題について何人かと話をしましたが、みんな辟易していました。

今回の汚染米は基準値の2倍の農薬が使われていました。
工業用に処分すべき米を、法律に違反し食用に売る行為は許されません。

しかし、大報道を繰り返えしたマスコミは、かって、アメリカなどから輸入するポテトの残留農薬基準が1000倍(!)も甘くなった時、それに反対するキャンペーンを張ったのでしょうか。

アメリカなどからポテトチップスやフライドポテトの原料として輸入しているジャガイモには、ポストハーベストとして、除草剤IPC(発芽防止用 発ガン性)、殺菌剤TBZ(催奇形性)、植物成長調整剤テトラクロロニトロベンゼンが使われています。

元々、環境庁が定めたIPC(クロルプロファム)の残留基準値は0.05ppmでしたが、厚生省は1000倍も高い50ppmに変更し、アメリカ産冷凍ポテトの輸入を可能にしました。

ちなみに、国内の葉物野菜の残留農薬基準は0.01PPMです。

小麦、レモン、オレンジ、バナナなども、発ガン性、催奇形性のポストハーベストが大量に使われていますが、表示の義務が無いため、そのことに気づきません。

アメリカが圧力をかけてきた事に、マスコミは無抵抗で何の反応も示さず、抵抗できない相手には正義を振りかざして、徹底的に叩きます。

日本人は飼いならされて、おとなしくなりすぎました。



国際有機認証取得、信頼の「しらい田七人参」

人間の体の不思議

f_0781b.jpg

人間の体はつくづく不思議です。

口、食道、心臓、肺、、肝臓、腎臓、胃、腸などの各臓器や部位が、それぞれがの役割を果たしながら、消化器系、呼吸器系、神経系、循環器系、内分泌系などとして、それぞれ協力し合って体を維持しています。
そして更に、体全体が調和して生命を維持しています。一体誰がこのような精妙な仕組みを作ったのでしょう。

進化論では生命の自然発生から偶然の積み重ねで、人類まで進化したと言います。しかし、アメーバーのような原始的生命にもDNAがあります。たった四つの塩基配列で二重ラセンに情報を書き込むなど、偶然に出来ることではなく、しかもDNAの大きさは、米粒一つぶに全人類60億人の情報を書き込めるほど小さいのです。

極小で巧妙な情報伝達機構が原始的な生命に宿り、その基本のメカニズムが人類と全く同じであるとしたら、アメーバーが出来た時には進化の終点である人類に至る設計図が出来ていたと考えざるを得ません。
ノーベル医学生理学賞を受賞した、利根川進博士の著書を読んだとき、不思議に思ったことがあります。利根川博士は、生命は偶然の積み重ねで出来たと言われています。

利根川博士の業績は、病原菌が侵入した時、人体にとって一番必要な免疫力を生みだすために働く巧妙な免疫機構を解明したことですが、その仕組みは神業としか思えません。生命の維持にはホルモンや酵素の産生など、神業としか思えない仕組みが無数にあります。
これほど巧妙な生命の仕組みが偶然に出来る確立は、猫がピアノの上を歩いてベートーベンのピアノソナタ(モーツアルトでも良い)が出来るようなものだと言われています。

人体は神の宮と素直に感謝したいと思います。