命は愛

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横手 かまくら祭り


すべての人間は、どなり声よりやさしい言葉が好きです。怒られ、ののしられるより、励まし慰められることを喜びます。
憎しみの言葉には耳をふさぎ、愛の言葉には耳を傾けます。
なぜかと言えば、命の本質は愛であり、命は愛を求めるからです。

それは人間だけでなく、動物も植物もそうです。猫や犬も可愛がってくれる人になつき、どなる人を避けます。頑張れと声を掛けられた植物はよく育ち、嫌いと言われた植物は育ちません。

昔の日本人は言葉の持つ霊力を良く知っていて、それを言霊と名付けました。
やまと言葉には耳障りな言葉がなく、やさしい言葉、美しい言葉に満ちています。それは日本人の心の優しさを表すと同時に、その鋭敏な感性が忌み言葉の持つ悪しき力を知っていたためだと思います。

『万葉集』で柿本人麻呂は次のように歌っています。
磯城島(しきしま)の 大倭(やまと)の国は 言霊の助くる国ぞ まさきくあれ
(日本という国は、言霊が助けてくれる国である。幸多かれと願う)

ところで免疫の仕組みは、神業と言うしかないほど奇跡的な巧妙さで作られています。
生体に免疫システムがあることは、命が神の愛によって作られ、命の本質が愛であることの証明であると思っています。

怒りや恨みや愚痴は免疫力を下げ、感謝や喜びや笑いは免疫力を上げます。
神の心に叶う愛の心や言葉によって免疫力が上がり、神の心を否定する怒りや恨みによって免疫力が下がることも、命の本質が愛であることの証明ではないでしょうか。
命の本質はすべての生命に共通です。それは神の愛です。





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宮崎に光を

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口蹄疫の蔓延によって、日毎に数多くの牛や豚が殺処分されています。
牛や豚を、家族のように大事に育ててきた畜産農家の方々の苦しみ、悲しみは、察するに余りあります。
ある畜産農家の方が、その思いを「地獄絵図だ」と言われていましたが、現場にいない身には、その悲痛な言葉にさえ希薄な反応しか示すことしかできないことを、申し訳なく思います。

発生当初は高圧電流によって殺処分していたようですが、今は余りの頭数に、炭酸ガスによっても処理していると言います。
家族のような牛や豚の命を、苦しみの中で奪わねばならない畜産農家の人たちにとって、それは地獄絵図と言うしかない悲惨な光景でしょう。

今回の口蹄疫の蔓延には、政府の初動対応や報道規制、強力な消毒液の配布方法など、納得できないことが少なくありません。しかし、あえて批判を止めます。
日本の畜産農家が、かって経験したことの無い危急存亡の中で、口蹄疫を終焉させるために、現政権が最善の方法を実行してくれることを願うばかりです。

しかし、見過ごすことの出来ない発言があったので、そのことだけは記しておきます。
「県家畜保健衛生所が最初の発生例の約3週間前の3月末に、農場に立ち入り検査をしながら感染を見逃していたことが分かった」との農水省の発表です。
もしこのことが事実であったとしても、口蹄疫の蔓延を防げなかった責任を、宮崎県と県の家畜保健衛生所に押し付けるような、卑劣な発言を看過することは出来ません。

2chに次のような書き込みがありました。。

「獣医の誤診で1週間対応が遅れたのが致命的だった」
《2010/05/16(日)日課の人 11:00:46
怒りと憎悪で我を忘れそうな時は、
『この不快感は私に由来するものではない。お前(不快感)は創造主の所へ還りなさい。』
と、となえてみてください。気持ちが軽くなったら帰還した証拠です

:sage :2010/05/16(日) 名無しさん 11:06:37
日課の人には申し訳ないが、怒りで泡を吹きそうだ。

>TBSで岸井「獣医の誤診で1週間対応が遅れたのが致命的だった」

俺ウシとブタの現場臨床獣医だけど、マジでこれ言ったの?
だったら、許せんよ。
あのとき獣医は即座に家畜保健衛生所呼んで立ちあわせてるよ。
10年前の教訓をしっかり身につけた、すばやい対処だったよ。

今、全国から召集もかかってないのにブタの獣医が宮崎に集結してるよ。
移動も宿泊も食事もぜんぶ自腹だよ。
宮崎だけで収束させるんだってがんばってるよ。

10年前の宮崎口蹄疫ではね、発見報告した獣医さん宅に
夜ごと嫌がらせ電話なりぱなしだったよ。
余計なもん見つけやがって、お前ひとりで宮崎おとしめたーってね。
電話番の奥さん、入院したんだよ。
獣医なら、みんなこの話覚えてるよ。
それを知ってても、第一発見者ののろしを上げたんだよ。即座に。

それを。。。

『この不快感は私に由来するものではない。お前(不快感)は創造主の所へ還りなさい。』
『この不快感は私に由来するものではない。お前(不快感)は創造主の所へ還りなさい。』 》
『この不快感は私に由来するものではない。お前(不快感)は創造主の所へ還れったら還りやがれ!。』

農水省の今回の発表により、宮崎県の家畜保健衛生所や獣医さんには、多くの批判や嫌がらせが殺到しているのではないかと懸念します。
毎日の寝食を削る献身的な働きで、心身ともに疲れきった担当者たちが、心無い電話で傷つき、おとしめられることの無いように祈らざるをえません。

今回農水委員会で、宮崎県選出の国会議員である江藤拓氏を初めて知りました。
情熱、正義感、誠意、自己献身の溢れる様に、今の日本にこれほどの国会議員がいたのかと感銘を受けました。
久しぶりに人物を見た思いがします。

下記動画を是非ご覧ください。
殺される家畜と農家の人々のことを考えれば、与党野党関係なく真剣に取り組まなければならないはずです。
野次を飛ばすことなどありえません。









参考:「川南町のムッチー牧場だよ~ん

みゆきな日々
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パックの死

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  7歳の頃


過去の記事、「ウサギと猫」をご覧下さい。

今日、ウサギが死んだ。夜、仕事から帰った時、手足を投げ出してぐったりしていた。尋常でない様子に、すぐに死を覚悟した。
家族が撫でたりさすったりし続け、その後小松菜やキャベツに少し口を付けたので、持ち直すかと期待したが、夜中の2時半過ぎに、激しく痙攣して息を止めた。

いつもウサギに近づかないように言われて、遠まわしに見ていたネコが寄ってきて、ウサギの顔を何回も舐めていた。
可愛がられていたウサギの死が分かったのだろう。

9歳近い年齢だった。ウサギとしては高齢だった。名前はパック。(私のハンドルネームはこのウサギの名前だった)
日本のバイオリン界を代表する方が名前を付けてくれた。
シェイクスピアの「真夏の夜の夢」に出て来るいたずら好きの妖精の名前の通り、小さい時は柱や壁や、家中を齧り、いたずらばかりしていた。
1年半前に斜頸になってからは、そのいたずらもできなくなっていたが、その代わり撫でられることが大好きになった。
いつも撫でてくれと、手の下に頭を差し入れてきた。

ウサギの死に大袈裟だと笑われるかも知れない。しかし、9年近い年月を共にした命は、家族の一員だった。
こんなに大事にされたウサギはいなかったと、家族みんなが思っている。





胎児の意識

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  遷都1300年の奈良


 青柳の 緑の糸を 繰り返し
       いくらばかりの 春をへぬらむ ー藤原実頼

初春のお慶びを申し上げます。
新しい年が皆様に取りまして、安らかで、幸せな年になりますようお祈りいたします。

  新しき 年の始めの初春の 
      今日降る雪の いや重(し)け吉事(よごと) ー大伴家持

初春の今日降る雪のように、良い事が重なっていけという願いを詠んだ新春の歌ですが、全国的に雪の元旦を迎えた今年が、良いことの積み重なる年になってほしいと願います。

古来日本人は、豊かで美しい自然を、美しい言葉で詠ってきました。言霊の国にふさわしい、言葉の遺産です。
このような比類の無い文化の国に生まれたことを、有難く誇りに思います。


奈良 154
 奈良公園

年末に、お母さんのおなかにいる赤ちゃんがほほ笑んでいる様子を、聖心女子大学の研究チームが、世界で初めて撮影に成功したとの記事がありました。赤ちゃんが微笑する画像は以前からあったと思いますが、1秒以上口角が上がった状態を微笑とする国際基準を満たしたようです。3分間の撮影で計6回、1回あたり平均4・7秒の微笑を見せたと言います。

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  超音波診断装置画像


胎内教育の重要性は今や常識になっています。知人の話です。
知人の奥さんは公文式幼児教育の仕事をされていますが、2歳半位までの子供に母親の胎内のことを聞くと、みんな覚えていると言います。

・上から見ていてお母さんを選んで生まれてくる。お母さんには胸のあたりから入った。
・子供はお母さんのおなかの中で聞いている。みんな同じだよ。
・妹も一緒についてくるといったので双子になった。
・お母さんには内緒だよと言って、お腹にいた時に聞いたお父さんの声と、今のお父さんの声が違うと言う。離婚して いた。
・お父さんとお母さんがケンカしていたのでお腹を蹴ってやった。(ほほ笑む映像の赤ちゃんは、きっと幸せなので
 しょうね。)

子供は胎内にいる時や、生まれてから言葉をしゃべるまでも、あらゆることを吸収するようです。「三つ子の魂、100までも」ということわざがありますが、昔の人は良く知っていました。

知人が幼児教育で心がけていたことは、
・幼児言葉は使わない。
・良くほめてやる。ブロックでゾウを作ったと子供が言ったら、大げさにほめてやる。
・良く本を読んでやる。奥さんが幼児教育の先生をしているが、本を読んでもらって育った子は、一目瞭然、集中力が 違う。

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 スズキメソッドの子供たちの演奏

知人は子供が生まれてすぐに、幼児教育としてクラシック音楽を繰り返し聞かせ(胎教が間にあわなかったようです)、2歳半の時、才能教育研究会(スズキメソッド)に入れました。幼稚園に入った頃、学習図鑑セットを与えたところ、付属のカセットを聞きながらずっと見ていましたが、小学校に入った時に先生から、この子は何でも知っている、どういう教育をしたのですかと聞かれたと言います。能力に生まれつきはないようです。

気になるのは、知人の幼児教育の結果ですが、あまり勉強しないのに、成績はいつもトップクラスだったと言います。
私が胎内にいる時に、親に聞かせたかった話です。





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3度目のジャスミン

新しいイメージ

ジャスミンに茉莉花(マツリカ)という種類があります。ジャスミンティーに使われる種類で、花は夜開き、1日で落ちてしまいます。得も言われぬ芳香があり、わが家では毎年5月から6月にかけて2週間ほど咲きます。

この茉莉花が今年は5月に咲いた後、7月の終わりから8月にかけて2度目の花を付けくれました。
思わずありがとうと声をかけました。
この話を知り合いの生け花の先生にしたところ、きっと良い事があるのよと言ってくれましたが、1年に2度も茉莉花の香りを楽しむことができただけでもうれしいことです。

ところが今、今年3度目の花を咲かせてくれています。
特に手入れをしたわけでもなく、もしかしたら、いつも茉莉花に心を向け、「ありがとう」、「頑張ってね」と声を掛けているためではないかと思っています。

植物にも意識があると思わせられたのは、沈丁花の体験からでした。
ある年の春、沈丁花の枝を折り小さな花瓶に挿しました。それがその後しっかり根を張り元気に生きていましたが、翌年の春、庭に咲いていた沈丁花を取り、花瓶に入れてその隣に置いたところ、それまで元気だった沈丁花があっという間に枯れてしまったのです。
思い当たることはただ一つ、花の咲いている沈丁花だけに心を向けていたことです。
植物にも意識があると思わせられるできごとでした。

桜の花などが一斉に咲くのを見ると、いつも不思議に思います。
気温や日照時間で開花すると言われますが、個体差があるはずです。なのに申し合わせたように一斉に咲くのは何らかの情報交換があるのではないでしょうか。

植物は病虫害の被害に会うと、ファイトアレキシンという防御物質を作り出して自分を守りますが、同時に、周辺の木々に対してもファイトアレキシンを出して防御するように警告を発信します。
これも植物に意識があるのではないかと思わせる現象です。

意識が大脳によって作り出されるのであれば、植物に意識はないでしょうが、いくら大脳を調べても意識が生まれる仕組みが分かりません。「魂とは何か」で書きましたが、大脳生理学上の一番の問題です。


一年中咲いてくれないかなと思っていますが、ジャスミンにとっては休息の時間がなく迷惑な話ですね。

茉莉花は仏陀に捧げる花として使われています。マツリカと仏陀の話は次回に。

*ところで、デアゴスティーニ・オペラシリーズのDVD、「カルメン」を見ました。
指揮はカルロス・クライバー!、カルメンはボリショイオペラの花形、エレーナ・オブラスツォワ!、ドン・ホセがプラシド・ドミンゴ! 演出がフランコ・ゼッフィレッリ!

文句があるかという布陣です。これで990円、是非ご覧ください。
以前に高い値段で買った人が悔しがっています。
ちなみにデアゴスティーニから宣伝料はもらっていません。



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残暑お見舞い申し上げますーありがとうの反対語

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      オーヴェル・シュル・オワーズ  ゴッホ終焉の地で

残暑お見舞い申し上げます。

立秋を過ぎて暑さが戻ってきましたが、入道雲が姿を消し、夜、耳を澄ませば虫たちの声が聞こえます。
夏の中に秋の気配がただよってきました。

「マラルメは、例年より早めに到来した夏が、黄金色に染め始めていた平原を私に指さした。
『見てごらん、あれは、秋のシンバルが大地に打ち下ろす最初の一撃なんだよ』、と彼は言った。

秋が来たとき、彼はもういなかった。」  ヴァレリー『最後のマラルメ訪問』

夏休み中ですので過去の記事からご紹介します。今読み返してみて、自分自身、「ありがとう」を
もう一度意識しなければならないと思いました。(コメントはお気遣い頂きませんように)




「ありがとう」の反対語は、「あたりまえ」だそうです。
言われてみればその通りです。

花が咲いて、新緑が萌えること、雨が降り、日が射すこと、新聞や郵便が配達されること、電気があること、車が動くこと、着る服があり、住む家があること、仕事があり、給料がもらえること、当たり前のことです。

料理を作ってくれること、洗濯してくれること、掃除をしてくれること、親に育てられること、
家族がいること、友達がいること、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、健康であること、
生きていること、当たり前のことです。
私たちは、与えられているものが失われるまで、有難いことだと思いません。

今日の延長で明日が来て、あさってが来て、あたりまえのように一日が過ぎてゆきます。
明日になれば朝が来て、朝になれば目が覚めて、そこに家族がいるはずです。当たり前のことです。

今日一日、健康でいられたことを、「自分自身」に感謝しようとして気づいたことがあります。
「自分自身」に感謝することは出来なかったのです。
私たちは意識して呼吸をしていません、意識して消化吸収をしません、意識して体温を36度に保っていません。
心臓も肺も肝臓も腎臓も胃も腸も、それぞれが勝手に自分の役割を果たしてくれています。
協力し合って体を維持してくれています。
何一つ自分でコントロールしていません。体が勝手に生きてくれています。

「自分自身」に、有難うと言うことは、自分自身の内側にあり、自分を生かしてくれている力、体全体を調和させ、命を維持してくれている力に対しての感謝でした。
その力は、人間を、動物を、植物を生かしている命です。すべてに共通する唯一つの命です。

人間が死に、動物が死に、植物が枯れた時、その有様はすべて一様です。
生けるものに宿る命、その命が失われた生と死の様は、すべて一様です。
その命を神と呼ぶとすれば、私たちの中に神が宿り、自分も他人も、犬も猫も、木や花も、すべてが神の命を生きています。

太陽の光や空気や水は、命を維持するために欠かせないものですが、あまりに当たり前に与えられているため、それに感謝することはありません。
私たちは無数の「有難い」ことを与えられて生きています。

昔の日本人が、今在ることは普通ではない、今与えられていることは、簡単なことではない、こうして生きていられることは、得がたいことであると考え、「有難い」と言い慣わした言葉には、深い叡智がありました。

私たちの心から感謝や愛の心を奪う危険な無意識、「あたりまえ」を無くすために、いつも「有難う」を意識したいものです。


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原爆の日に思う

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64年前の8月6日、広島に原爆が投下されました。
私が生まれたのは広島の県境である山口県の岩国市でした。
母から原爆のキノコ雲を見た話を聞き、原爆のケロイドがある人もたくさん見ました。

子供たちが小さかった頃、夏休みに帰省していると、8月6日、8時15分にサイレンが鳴ります。
子供たちも分からないまま一緒に黙祷を捧げていました。
しかし、どんな悲惨な話も映像も、痛みを伝えることはできません。

大事なことは、なぜ人間の争いが生まれるのか、その原因を知ることです。
個人の争いであれ、国家の争いであれ、その原因は自分が正しい、悪いのは相手だと言う自己中心的な考え方にあります。

一人で戦争を止めることはできないでしょうが、一人一人が周りと調和して生きることからしか、平和は生まれません。

周りとの調和の第一歩は家庭です。しかし夫婦関係は生まれた環境が違い、考え方や価値観の違う人間が一緒に暮らすため、最も自我の出やすい間柄となります。
そして、悪いのはお前だ、いや、あなたのこういうところを変えてほしいと、常に相手を非難し合い、お互いの欠点ばかりが目につきます。
その結果、夫婦喧嘩が絶えない家庭となりますが、一番の被害者は子供たちです。

子供たちはどこにも逃げることができません。お父さん、お母さんに仲良くしてほしいと願いながら、心で泣いています。心に深い傷を負った子供たちは、天真爛漫な心を失って人の顔色を見る子供になります。
思春期になると満たされない愛への思いから、暴力的な心が生まれて、怒りはまず不調和を起こしていた親に返ってきます。
そのような子供たちが社会に溢れれば争いが生まれ、世界が不調和になれば、やがて戦争になるでしょう。

人はいくら嫌なことがあっても相手を変えることはできません。自分を変えるしかないのです。
自分に起こってくる出来事の原因は、多かれ少なかれ自分にあると思うことができれば、我慢するのではなく相手の欠点が気にならなくなります。

自分を変えることは簡単ではありませんが、手始めに悪口を言うのを止めて見れば変化が出てきます。
一週間、十日と悪口を言うのを止めていれば、一か月経たない内に悪口が言えなくなります。
その時、まわりに嫌な人間がいなくなり、嫌だと思っていた原因が自分にあったことに気づきます。

親の犠牲になった多くの可哀そうな子供がいます。子供は親の所有物ではなく、一人の人格です。
子供を犠牲者にしないことが、人間的な社会、平和な社会を築くもっとも重要な第一歩だと思います。

「チェルノブイリとヒロシマ」 ナターシャ・グジーさんのメッセージと歌です。
「千と千尋の神隠しーいつでも何度でも」


峠三吉の「原爆詩集」から

ちちをかえせ ははをかえせ  としよりをかえせ こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる  にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり  くずれぬへいわを へいわをかえせ


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季節のうつろい

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先日、近くの小高い山を散歩していて、栗(!)が落ちているのを見つけました。
7月に入ったばかりで、まだ大きくはありませんが、もう自分の出番を準備しているのに驚きました。
ドングリはどうかとクヌギの枝を見てみると、やはり小さな実をつけています。

季節のうつろいの早さに、徒然草の一節を思い出しました。
徒然草第155段 「世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし」より

「春暮れて後、夏になり、夏果てて、秋の来るにはあらず。春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋

は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気、草も青くなり、梅も蕾みぬ。木の葉の落つるも、先づ

落ちて芽ぐむにはあらず、下より萌しつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、

待ちとる序甚だ速し」


訳注を付記します。

「春が終わって夏になり、夏が終わって秋が来るのではない。春はすでに夏の気を宿し、夏にはす

でに秋の気が宿っている。秋はすぐに寒くなるが、十月には小春日和の日があり、草も青くなり、

梅もつぼみをつけている。木の葉が落ちるのも、まず葉が落ちて芽が出てくるのではない。

下に用意された芽の勢いに耐えられなくて落ちるのだ。次の命が準備されているので、うつろいが

とても速い。」


すばらしい観察眼です。このように自然の本質を洞察した人間はあまりいないでしょう。
小林秀雄が吉田兼好を称して、同時代(13世紀)、世界で最も優れた思想家である、と言っていましたが、歴史上もっとも優れた観察者の一人と言えるでしょう。

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この文章は次に続きます。

「生・老・病・死の移り来る事、また、これに過ぎたり。四季は、なほ、定まれる序あり。死期は序を待

たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざる

に、覚えずして来る。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し」


<訳注>
「人の生・老・病・死は、四季の移り変わり以上に速い。四季には決まった順序があるが、人の死に

は順序がない。死は未来にあるとは限らず、気づかない内に後に迫っている。人は皆、やがて死ぬこ

とを知っているが、今日明日、急に来るとは思っていない。しかし、死は思いがけずにやってくる。

それはあたかも、はるか遠い沖には干潟があるのに、背後の磯から急に潮が満ちて来るようなも

のだ。」


四季と人生を対比し、死を潮に見立てる、簡潔で見事な文章です。
吉田兼好の鋭い観察眼は、自然と人生の本質が同じであることを見抜いています。
兼好は書いていませんが、だから人生の秋や冬に備えて次の準備を整え、いつ死が来ても後悔しないように生きなければならないと言いたかったのでしょう。


『追記』

徒然草第155段 「世に従はん人は、先づ、機嫌を知るべし」の前段をご紹介します。
人の心、世の習い、自然の流れを見据えた、示唆に富む言葉です。

「世に従はむ人は、まづ機嫌を知るべし。ついで悪しきことは、人の耳にもさかひ、心にも違ひて、その

こと成らず。さやうの折節を心得べきなり。ただし、病をうけ、子産み、死ぬることのみ、機嫌をはから

ず。ついで悪しとて止むことなし。生・住・異・滅の移り変はるまことの大事は、たけき川のみなぎり流

るるがごとし。しばしも滞らず、直ちに行ひゆくものなり。 されば、 真俗につけて、 必ず果たし遂げむ

と思はむことは、機嫌をいふべからず。とかくのもよひなく、足を踏みとどむまじきなり」


<訳注>

「世の中の流れに適応していくためには、まず時機を知らなければならない。

時機が悪ければ、人が聞いて不愉快に思うし、納得してもらえないので思う事が成就しない。

時と場合を考えなければならない。

ただし、病気にかかることや子供を産むこと、死ぬことだけは、時機を選ぶ事ができない。

時機が悪いといって取りやめになることもない。

万物の生成・変転・消滅の有様は、流れの激しい川が満ちあふれて流れるように、滞ることがない。

瞬時に起こってくる。

だから、真理の追究や俗世間で生きる上で、必ず成し遂げようと思うことは、時機のよしあしを言うべ

きではない。あれこれ準備ができていないと躊躇せず、すぐに実行しなければならない」




兼好は、世事には行うべき適当な時節があるが、必ず成し遂げたいと思うことは、すぐに実行しなければならないと説きます。

私達は何かをしようとする時、あれがダメ、これができない、あるいはもう少し待とうと、何か理由を探して先延ばしをします。

我々の優柔不断や、困難を避けたいという思いを絶つ、一刀両断のアドバイスです。


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心で見るもの

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 遠野 カッパ

6月18日の日本経済新聞にカッパの話が載っていました。この話が素直に心に響いたのでご紹介します。

民話で有名な岩手県遠野市からカッパ捕獲許可の第一号を公認された運萬治男さんが書かれた記事です。
カッパが住むという川の淵を守り、訪れた人にカッパの話をする人を、「守っ人」と呼ぶようです。
「守っ人」第一号は阿部与市さんと言う方です。阿部さんは87歳で亡くなりましたが、7歳の時にカッパを見たと言います。
「顔は赤く、口は大きく、何ともおっかない」

運萬治男さんは「守っ人」の第二号です。
「2002年、岩手から小学校低学年の子供が二人訪れた。川を見るやいなや私の服を引っぱって、
『カッパさんがおなかをすかせている。団子をあげてもいい』 
私がうなずくと、泥で作った団子を川岸に並べた。
その子が帰ったあと、青森から子供3人が来て、またもつぶやいた。

『カッパさんが食べられないって泣いているよ。』 その子は団子を川に放った。
水が濁ると子供たちが、『喜んだカッパが踊ってる』と、見えているかのようにほほ笑んだ。

ほかに、『カッパが川で泳いでいるから一緒に泳ぐ』と、着物姿で水に入った女の子も。
例をあげれば切がないが、数々の不思議な体験をしてから、私は観光客に繰り返すようになった。」
『カッパは見るものじゃない。心の中で会うものだ』


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心で見るといえば、「星の王子様」でキツネがこう言います。
「さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」

小林秀雄の「無常といふこと」に次のような言葉が出てきます。
“美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない。”

批評の神様の有名な言葉ですが、しかし、もし美しいバラやユリの花があって、それを昆虫や動物が見たとしても、そこに美しい花は存在しないでしょう。
美しい花があるのではなく、花を美しいと感じる人間の心によって、はじめて花は美しくなります。

大輪のバラにも野辺のスミレにも、それぞれの美しさがあります。
スミレはバラになる必要はありません。
それぞれの人生に生きる意味や幸せを感じなければ、人生の価値は逃げ水のように、いつも遠くに去って行くことでしょう。

愛を感じ、幸せを感じ、美しいもの、真なるもの、善なるものに感動する・・・すべては心です。
すべての価値は人間の心の中にあります。
人生は心の中に内在された、すばらしい価値を探す旅なのでしょう。

いつか、カッパが踊っているところを、心の目で見ることのできる人間になりたいものです。

「千と千尋の神隠しーいつでも何度でも」
美しい人が、美しい声と美しい心で歌っています。心に響く歌です。

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猫とウサギ

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去年の夏、生後3~4ヶ月の3匹の猫が、家の近所で暮らしていた。よく娘と一緒に餌をやりに行っていたが、その内の一匹は人なつこくて、すぐに体をすり寄せるようになった。
もう一匹は少し臆病で、近くまで寄ってくるのに、撫でさせてはくれない。いつもシッポを立てていたので、シッポと呼んでいた。そしてもう一匹は警戒心が強く、いつまで経っても遠巻きに我々と2匹の様子を見ていた。

同じ頃、若い女性が毎晩餌をやりに来ていたが、夏の終わりに人なつこい猫を引き取って飼うことになった。そしてしばらくして、残った2匹がの姿が見えなくなった。娘に聞くと、どこかに行ってしまったと言う。

その猫たちのことをすっかり忘れていた去年の暮れ、次女から電話があり、冬休みで帰省するが、猫を連れて帰る、実は夏休みが終わって帰るときネコを連れて来た。お姉ちゃんと相談して引き取ったと共同正犯を告白した。唖然とする話だったが、連れて帰ってきた猫は、すっかり大きくなった“シッポ”だった。

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  元気な頃

わが家には今年9歳になるネザーランド種のウサギがいる。昨年の5月に斜頚になり、ウサギ小屋で飼う事ができなくなったため、敷物を敷いてリビングで飼っている。
このウサギにちょっかいを出さないか心配だったので、ネコがウサギに近寄った時に、このウサギはわが家に何年もいる大事な家族だから、絶対いたずらしたらだめだと言い聞かせた。
ネコに人間に通じる感情があることは「志村動物園」で分かっていた。(あまり学術的ではない)

その後、このネコは決してウサギにちょっかいを出そうとせず、むしろ、自分には悪さをするつもりが無いことを示すように、ウサギを避けて歩いていた。

3匹目のネコの消息は分からない。娘たちが“シッポ”を連れて帰ろうとした時、いつも警戒心の強いそのネコが近寄り、いつまでも鳴いていた。かわいそうだったと話していた。一匹になったネコは、本当にどこかに行ってしまった。

ウサギについて少し不思議な話がある。
斜頚になるまでは、ウサギ小屋から出して自由にさせていた。ウサギはいつも居間にいる我々のそばで遊んでいた。斜頚になった後も、みんなのそばが良いだろうと考え、抱き上げて居間に運んでいた。
それがある時から抱き上げると激しく身をよじらせて暴れだした。何故だろうと思ったが理由が分からず、その後も抱いて運んでいた。

ある朝突然、“ウサギは抱かれた時、背中が痛いのだ”、との思いがひらめき目が覚めた。
それがウサギからのメッセージだったのかどうかは分からない。しかしそのことで、ウサギが激しく身をよじらせて嫌がった理由が納得できた。

ウサギのところに行き、良かれと思ってやっていたことが痛かったんだねと詫びると、ウサギは目を潤ませていた。
ウサギは感情で涙を流すことはないのだから、その涙は生理現象だったかも知れない。
しかしそれから後、ウサギは手を出すといつまでも小さな舌で舐め続けるようになった。

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  斜頚になった後

3匹のネコの内、一番なつかなかったネコのことを書きながら、ホームレスの若い女性のことを思った。
人を避けるには、想像に余りあるつらい経験があったとしても、人なつこい犬やネコのようだったら、もっと早く生きていける場所が見つかったことだろう。
人通りの多い駅の近くにたたずむのは人恋しくて、心の底では救いを求めているのに。

黒柳徹子が南米ハイチのカトリック病院を訪れた時のこと、エイズ患者の少女に、「売春なんかするからエイズになるのよ。もう売春なんかやめるのね」と言ったところ、少女は、「エイズになっても10年生きられる。売春しなかったら一週間で死んでしまう」と答えた。

一人のホームレスの女性のことを心配できる日本は、つくづく恵まれた国だと思うとともに、小遣いのために平気で身を売る多くの少女がいるこの国の、心の貧困を思わずにはいられない。


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魂とは何か

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フランス アミアンにて

ある方から下記のコメントを頂きました。


「・・・ところで、ずっと前から気になっているのですが、ヒトの精神()は死後どうなるのでしょう。 脳の物理的消滅と同時に無に帰すのでしょうか。
それとも、脳とは別のどこかに精神のいる場所があって、脳は精神と身体をつなぐ通信装置だと考えることも可能ではあります。

そのように考えてみると、例えば認知症や精神病になったヒトは通信装置が故障したのであって、精神は無疵のまま温存されているはずです。死後は身体(故障した脳)から脱するので、そのとき身体の制約から離れた精神()として、病を得る前のままのヒトのとなっているでしょう。

いつか私たちがこの世を去るとき、先に旅立った身近な人々との懐かしい再会があると考えてみたいのです。どうなんでしょう・・・。」



これらの問題について考えて見たいと思います。


1.意識、、心とは何か。
ドイツのマックスプランク脳研究所を経て、ある国立大学医学部で大脳生理学の教授をしている知人がいます。大変優秀な学者ですが、私の愚見に対しても耳を傾ける柔軟さと大きさを持った人です。
この方に大脳生理学から見て、何が一番の謎かを聞いたとき、言下に「意識です」と言われました。

意識(心・)は現在の科学では手がつけられない領域であり、聖書や仏典、あるいは偉大な思想家、宗教家の言葉に学ぶしかありません。

意識とは10%の表面意識と90%の潜在意識を合わせたものです。この意識をと呼びます。
心と魂(霊)は本来同じものですが、迷える魂、あるいは成仏できない魂などと言われるように、無明の中にある魂もあり、心と区別しておきます。

では、心とは何でしょうか。
人間は自分を客観的に見つめる心があるため、自分に嘘をつけません。心は意識・魂の中心に位置し、我々の思いと行いを見ています。 人間が反省できるのは心があるためです。

2.意識と脳の関係
脳をいくら研究しても、意識がどうして生じるのか分かりません。それは脳の中に意識が存在しないからです。 意識はどこにあるかを述べる前に、意識の構造について説明します。

意識は多重な円を想像して頂くと分かりやすいと思います。
振動数(波動)が粗い表面意識が一番外側にあり、その下に潜在意識、更にその内側に高次の心があります。
内側に行くほど高い振動数となり、高い次元となります。

では、意識はどこに存在するのでしょうか。
意識はエネルギーです。以前の記事、「音の世界からあの世を考える」に書きましたように、宇宙にあるものはすべてエネルギーで出来ており、振動数により相が異なっています。エネルギーの振動数が一番低くて粗いのが物質であり、高いものが意識・魂です。

意識は4次元、5次元、6次元・・・と多層構造になっており、中心には自分に嘘のつけない神の心が存在します。「神は心の中に宿る」と言われるのはこの部分です。
守護・指導霊にもレベルがあり、5次元レベルの守護・指導霊は私達の意識の5次元に存在し、私達を助け人生を見守ってくれています。

ちなみに、スピリチュアル番組で言われるように、あなたのおじいさんが守護霊をしているとか、子供が守護霊をしているなどと言うことは魂の仕組みからありえません。守護霊は、その人が生まれてから死ぬまで変わらずに見守っており、家族、親類縁者、知人の霊が、途中から守護霊になることなどと言うことはありえません。
守護霊は魂の兄弟であり、自分自身の一部です。(このことは、改めて記事にしたいと思います)

指導霊はその人のレベルや努力に応じて、ふさわしい指導霊に交代します。
意識・魂は、本来5次元以上のエネルギーとして、次元の異なる世界に存在し、光のコードと言うべきもので人体に繋がっているようです。

脳と意識の関係は、指揮者とオーケストラの関係にあたります。
指揮者がコントロールしようとしても、オーケストラが機能しなければ音楽にならないのと同様、脳に損傷があれば、意識が伝達できず障害となって現れます。

アルツハイマーも脳内の情報伝達ができない為に起こり、意識という指揮者に問題があるわけではありません。
精神疾患の場合は原因が違います。精神疾患の多くは霊的な問題によって起こっています。つまり、自分の意識ではなく、他の意識体(霊・魂)によって操られていると言えます。

・死後の世界はあるか。
意識・魂はエネルギーとして不滅です。肉体が死を迎えたとき、意識と肉体を結ぶ光のコードが切れ、魂は元いた世界に帰ります。元の場所とは、死後の世界と言うような暗い世界ではなく、光の世界です。光の世界には次元があり、魂のレベル(光の量)によってふさわしい次元に帰ります。
しかし、生前に自己中心的な人生を送った魂は、波動が低いため光の世界に戻れず、暗い世界に留まることになります。

我々の魂は三次元で輪廻転生を繰り返し、心の学びをしています。
この世は仮の世です。魂のふるさとは光の世界で、我々が肉体を去ってあの世に帰れば、先に帰っていた魂たちと再会します。
その魂たちは現在も次元の異なる世界から私たちを見守っています。


参考:高橋信次著「心の指針」 


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生命と神

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 DNAの二重らせん       4つの塩基配列


DNAの不思議から、生命と神を考えてみたいと思います。

大阪大学の元医学部教授・学長で、文化勲章を受章した岸本忠三先生が書かれた、「いのちの不思議」という本があります。今回の記事を書く参考にしたいと思い探しましたが見当たらず、メモと記憶を頼りにご紹介します。間違いがあるかも知れませんし、素晴らしい本ですので是非お読み下さい。

岸本先生がこの本を書いた時は、大阪大学医学部教授であったため、神と言う言葉を使われていません。
しかし、明らかに「いのちの不思議」に、神の存在を見られています。


DNAは長い鎖が、右巻きの二重らせんになったものです。アデニン(A),チミン(T)、シトシン(C),グアニン(G)の、四つの塩基(ヌクレオチド)が、AとT、CとGが対になっています。

DNAは20~30ミクロンの細胞核に折りたたんで詰め込まれています。伸ばすと1.8mになります。
針金を1/1000ミリにすると、息を吹きかけただけで切れます。しかしDNAはその更に1/5000の幅で、重さは1/2000億グラムです。世界の人口が60億とすれば、世界中の人間のDNAをすべて足しても、約3/1000グラムです。

この小さなDNAに書き込まれた情報量は、1ページに1000字が印刷された1000ページの本、1000冊に相当します。 このような奇跡的な情報処理が行われています。

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     記述されたDNA配列

タンパク質はDNAの情報に基づいて作られ、20種類のアミノ酸の組み合わせでできています。(アミノ酸の種類は20種類しかありません) 
最も小さなタンパク質は、20種類のアミノ酸が100個つながってできています。

その組み合わせの数は、20100 =10130 となります。
従って、アミノ酸の組み合わせで、意味のある特定のタンパク質ができる確率は1/10130です。
この数字は確率的にゼロを意味します。

宇宙には数千億の銀河系があり、それぞれの銀河系に数千億の星があると言われています。
無数の星の数と思われますがその数は、数千億×数千億=1023 に過ぎません。

宇宙ができてから150億年(1017経過した今日まで、毎秒ごとに100億個のタンパク質ができるとして、作られるタンパク質の数は、100億×1017=1027です。意味のあるタンパク質ができる確立は1027/10130で、確率的にゼロです。たった1個のタンパク質ができる可能性さえゼロなのです。



生体は、心臓、肺、、肝臓、腎臓、胃、腸などの各臓器や部位が、それぞれ自分の役割を果たしながら、消化器系、呼吸器系、神経系、循環器系、内分泌系などとして、協力し合って体を維持しています。その上さらに、体全体が調和して生命を維持しています。

一体誰がこのような精緻で巧妙な仕組みを作ったのでしょう。
偶然(!)にできる可能性が無いことは、上記で明らかです。

進化論では、生命の自然発生から偶然の積み重ねで、人類まで進化したと言います。しかし、アメーバーのような原始的生命にもDNAがあります。
極小で巧妙な情報伝達機構が原始的な生命に宿り、その情報のほとんどが人類と同じであるとしたら、アメーバーが出来た時には進化の終点である人類に至る設計図が出来ていたと考えざるを得ません。

そこに神と言う偉大な叡智を感じることは、科学的思考の放棄ではなく、むしろ合理的な判断です。

私たちが意識しなくても、心臓が動き、食べたものが消化吸収され、体温を36度に維持し、傷や病気を勝手に治してくれます。生かされています。

当たり前と思っている命の営みの、すべてが奇跡です。
生まれた時から、余りにも奇跡が身近にあふれているため、それを不思議とも思わず、そこにある神の意思と愛に気づきません。

生かされていることに、毎日感謝したいと思います。







国際有機認証取得、信頼の「しらい田七人参」

音の世界からあの世を考える

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今回の話は書くことにためらいがあります。しかし今の時代には受け入れてもらえると考え、誤解を恐れず書くことにしました。

3次元、4次元、5次元などの次元とは何でしょう。
次元は音楽のオクターブの構造を考えると良くわかります。ドレミファソラシドの上にドレミファソラシドが続き、その上にさらにドレミファソラシドが続いています。

オクターブと同様に、次元はそれぞれ隔絶された世界ではなく、3次元の世界と4次元、5次元の世界は切れ目無く続いています。振動数が高ければ高いオクターブになるように、高い振動数が高い次元となります。

オクターブは倍音の関係にありますが、次元は地震のマグニチュードのように、対数関係と考えた方が良さそうです。つまりマグニチュードが1違えばエネルギーは32倍、2違えば1000倍となるように、次元が上がれば飛躍的にエネルギー量が増えます。

宇宙にあるものはすべてエネルギーで出来ています。エネルギーの振動数が一番低く、粗いのが物質です。振動数が高いものが魂(霊)です。水を冷やせば氷に、熱すれば水蒸気になります。振動数による相転移ですが、魂と肉体もエネルギーの相の違いです。

肉体は物質でこの世限りですが、肉体を去った霊は永遠に存在し、輪廻転生を繰り返して魂の修行を続けます。エネルギー保存の法則です。

魂は本来5次元以上の振動数ですが、今世で自分のことだけを考え、人を犠牲にする人生を送った人は、魂の振動数が低く、粗い状態であの世に帰るため、本来帰るべき霊界(5次元)以上に帰れず、幽界(4次元)に留まることになります。4次元は霊的な世界としては最も物質に近い、粗い振動数の世界です。

魂の振動数が高まるにつれ、6次元、7次元、8次元と続きます。振動数が高いほど光の量が増えます。
アインシュタインの相対性原理は、E=MC2 (エネルギー=質量×光の速度の2乗)ですが、昔、エネルギーをなぜ光の速度で説明できるのか分かりませんでした。

この関係式、E=hν (エネルギー=プランク定数×振動数)に見られる通り、振動数が高いほどエネルギーが大きくなります。つまり次元が高いほどエネルギーが高く大きくなります。
(プランク定数 = 6.626068 × 10-34 m2 kg / s)

振動数の高い世界は調和された世界と考えられます。音で例えれば、調和された音は倍音を繰り返して振動数を高め、最後は光となります。不調和な音は倍音とならず、熱エネルギーになって消えて行きます。
魂の振動数を高める為には、魂を調和させなければならず、調和する為には自分の生き方を振り返り、自己中心の見かた、生きかたを改めなければなりません。

物質的豊かさは幸せの必要条件ですが、何十兆、何百兆円あっても不幸せな人がいるように、幸せの十分条件ではありません。物質的豊かさと共に、心の調和が幸せの条件です。
宇宙を支配する法則は調和です。

これから人類は厳しい状況を迎えることになると思います。それは地球の振動数が高まり、その高い振動数に適応できない人間が生きてゆくことが出来なくなるためです。そのことは既に起きつつあり、加速度的に激しい変化となって表れます。

今回の世界不況は、人類が物質にとらわれず、心の調和にこそ幸せがあることを知るチャンスをだと思います。

音楽と天国の話で締めくくります。
宗教家のカール・バルトは、「もし天国で天使たちが音楽を奏でているとしたら、それはモーツアルトの音楽だろう」と書いています。
アインシュタインは死とは何かと聞かれて、「死とはモーツアルトが聴けなくなることだ」と答えています。
いったいモーツアルトの音楽は、なぜ天国的に響くのでしょうか。それは天国が調和の世界であり、モーツアルトの音楽には天国にふさわしい調和があるからだと思います。



モーツアルト「アヴェ・ヴェルム・コルプスーまことのお体」







国際有機認証「しらい田七人参」

光の歌

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明けましておめでとうございます。
今年も皆様にとって良い年になりますようお祈り申し上げます。

昨年はほとんどの富をごく一部の人間が支配する、グローバル資本主義が崩壊した年でした。
国際金融資本の世界支配が確立した現在、まともな世界に戻すことなど困難だと考えていました。
しかし、何か大きな力が働いたのでしょう、浄化の波があっという間に洗い流してしまいました。

今年は経済に起こった浄化が、政治や社会体制、人間の心にも起こるでしょう。
天変地異も避けられないかも知れません。
しかし、起こっていることが浄化だと考えれば、それは怖がることではなく、その意味を受け止めなければなりません。

「夜明け前が一番暗い」と言います。闇を浄化するのは光です。
このブログのタイトル「こころと体に光を」はその意味です。

板谷翠さんの「光の歌」をご紹介します


夜が明けるのは時間の問題です
あなた方はもう準備されているのです
うつくしい朝はそこまで来ているのです。
夜のしじまに吹く風は心を吹き抜けていく嵐です

地球の夜は長く長く続きましたが、やがて明けるのです
空はいつも明るい日ざしに輝いているのです
山は緑
木々は風にゆれ
木漏れ日は水底に向かってさしています
茜雲のかなたよりさす光はゆらめき、大地を明るく照らしています

・・・・・ 略

愛は永遠に私たちをつつみ
生命(いのち)の力をつたえていくのです
死は突然にやってきますが、死は別れではないのです
愛によって人は生き、愛は死によって引き裂かれることはありません
愛するものとともに人は生き、やがて死んでいくのです
生命の喜びは死より強いのです

生命によって人は愛を伝えていくのです
愛しあうことはなににもまして人を高め
愛によって人は生まれ変わることができるのです
愛は生命の喜びです
愛によって生き、愛によって死に
愛は大きなひとつの波となってこの地上をつつんでいきます
愛しあう人々は幸せです

愛はすべてを溶かし、愛はすべてに打ち克つことができます
愛によって人は生き、人々は愛の力で世界を変えていくのです
愛は力強いのです
愛より強いものは、なにもないのです

愛によって生き、死んでいく人は幸せです。
愛こそ生命の光です
愛の光はすべてを映し出し、愛はくまなく闇を照らします
なにも恐れることはありません

愛によって人は生かされ、暗闇はやがて消えるのです
死はほんのちょっとした休息です
春には花が咲くように
秋には鳥が実をついばむように
季節は移り変わり
人の生命もまた、冬には死に絶えます
けれども、

愛によって生きたものは死によって死ぬことはありません
死はかりそめの姿なのです
愛によって生きたならば、永久(とわ)に生命を与えられるのです
その生命は強く、生死を越えて、波のようにはてしなくつづくのです

・・・・・略

愛はあまねく大地をつつみ、愛によって大地は溶かされ、地球は再生するのです
地球も喜びの歌をうたっています
地球の心は鉄のように燃え
地球の生命体としての生命は、いま、愛を求めているのです

地球は長い間苦しんできました
なぜ苦しんできたのでしょう
それは、あなた方の愛が涸れていたからです
地球は暗く、孤独で、みじめな歳月を過ごしてきました
地球には星としての心があるのです

地球の上で暮らすあなたがたはそのことに気づいていないようです
地球の星としての心を悲しませて、幸せになれるはずがありません
星としての地球は深く愛を求めているのです

地球と一体となって生きるあなた方も愛が必要なのです
地球への愛は
地球の心を暖め生命の力を再び甦らせるのです
地球を再生することは人間の責任でもあり
人間が生きつづけていくことの条件でさえあるのです

地球の再生は、あらゆる環境の浄化、人間の心の浄化によるのです
一人一人が愛の心をもち、愛に生きることによって
地球は浄化され、再生できるのです
一人一人の愛の力によらなければ
地球を生き返らせることはできません

愛の力を信じることです
愛あるところに生命が芽生え
生命は愛によってながらえることができるのです


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テディー・ベアからのメッセージ

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読むたびに心に残るブログがあります。
アンティーク・テディー・ベア作家でエッセイストであるHifumiさんのブログです。

そのエッセイは平明で静かな言葉が積み重ねられていて、情景や心の機微が抑制された表現で語られています。一読後、ファンになりました。

きっとHifumiさんの心の風景にきつい色や余分な飾りがないせいでしょう、静かなバッハの小曲を聴いた後のように、いつも読後に満たされた余韻が残ります。

そんな読後の感想を何度かメールでやりとりしていましたが、Hifumiさんが私の故郷、山口県の岩国出身であることが分かり、二人とも奇遇に驚きました。
Hifumiさんは現在アメリカに在住されていますが、育った原風景が一緒だと時間や距離を越えた親近感が生まれます。

テディー・ベアのファンだけでなく、多くの人に読んでほしいブログです。
こんな感性の人が作るアンティーク・テディー・ベアは、きっとつらい時の慰め、うれしい時の友になることでしょう。

Hifumiさんのブログです
*123 Wade Bears*

不要ペット回収車」全面廃止の署名運動です 匿名やニックネームでも署名出来ます。

動物の命は不要物ではありません。人間として許されないことです。
是非、署名にご協力下さい。

生命は人を癒す

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植物であれ、動物であれ、生命あるものには癒しの力があります。

なぜ生き物に人を癒す力があるかと言えば、命には意識があるからでしょう。
動物は勿論、植物にも意識があることが電流計を使って実験できます。
植物に対して、枯らしてしまうぞ、ちょん切ってしまうぞと思えばテスターの針が大きく振れます。
別の実験もできます。同じような鉢植えの花を用意し、一方にはかわいいね、元気で育ってと声を掛け、一方には枯れてしまえと声を掛ければ生育が変わります。経験された方もいらっしゃるでしょう。

ペットがかわいいのはペットの心と人の心が通い合うからですね。ネザーランド種のウサギを飼っていますが、ねずみと同じげっ歯類のウサギが、なぜ人間とここまで心が通い合うか不思議に思います。
心が大脳にあるとしたら、人間とウサギが同じような感情を持っていることをどう説明するのでしょうか。

ドイツのマックス・プランク脳研究所を経て、ある国立大学の医学部で大脳生理学の教授をしている知人がいます。優秀な研究者でありながら、率直で謙虚で人の意見に耳を傾ける人です。学者としてだけでなく、人間として尊敬していますが、この方に大脳生理学で一番の謎が何かを聞いたところ「意識」だと言います。

大脳をいくら研究しても意識がどうして生まれてくるか説明できません。率直な科学者であれば、皆同じことを言うはずです。

癒しの本質が何かと言えば、「愛」と言うしかありません。
意識の中でも、怒りや恨みや不平不満ではなく、お互いに通い合う愛の意識が癒しの力となります。
疲れた心、寂しい心が求めるのは愛の安らぎや充足です。
愛は調和をもたらします。

死と対比したとき、生き物の命はすべてひとつです。原始的な生命体であれ、植物であれ、人間であれ、そのあり様はすべて共通しています。宇宙の根源の意識(神)の命が様々な生命体として宿っていると考えざるを得ません。

下の動画は小鹿と野ウサギが心を通わせあうほほえましい様子です。




オマケ。動画のタイトルは「指揮をするツネオ」です。癒されると言うより笑えるネコです。


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Tag: 癒し

祈りと治癒

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アメリカの臨床で、人から治るように祈りを受けた患者は、回復率が高いことが証明されています。

エネルギーの究極は光です。物質は光の集積ですが、言葉も思いも祈りも、すべてがエネルギーであり、光が声になり思いになり祈りとなっていると言えます。

愛も光であり、愛に満ちた祈りは宇宙のエネルギー(神のエネルギー)を相手に送ります。
逆に、悪しき言葉や思いや行いは、憎しみや怒りから生じ、相手も自分も光をさえぎり破壊します。

病気の80%はストレスから生まれると言われています。
そのストレスに怒りや憎しみ恨みの思いが加わると、宇宙のエネルギー(神のエネルギー)をさえぎり、生命力や免疫力が衰えるのではないでしょうか。

もし、私達が自分の言葉や思いや行いから出る光の量が見えたとしたら、思いと行いを一つとしておろそかにできなくなります。


「暗さや動揺、苦しみを引き起こすすべての言葉をつつしみ、私たちを啓発し、鼓舞し、平安や希望や喜びをもたらす神の真理の言葉、イエスの言葉を口にする。 」

「すべての自分本位の考え、憎しみ、うらみ、ねたみ、欲ばりを避け、私たちの心、魂、精神、力において神を愛し、神が愛するように人を愛する」

マザー・テレサ「最後の言葉」より





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