服を後ろ前に着る

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子供の頃からよく服を後ろ前に着ていましたが、その間違いから開放されたのは、つい1年前のことです。
首の後ろにタグがあるのに間違うのは注意力が足りないせいですが、実は無知のためでもありました。

1年ほど前、服の左下に付いている小さなタグに気づきました。あることは前から知っていたのですが、タグは必ず左下に付いていることに気づいたのです。今頃気づくのも注意力不足の現われですが、それがわかればどちらが前かがわかります。
以来、前後を間違えることはなくなりました。トックリのセーターは首の後ろのタグが見えないので、はなから前後を気にせず着ていたのですが、それも間違うことがなくなりました。

服の左下のタグは洗濯やアイロンの注意が目的で、多分前後の識別という意味はないのでしょうが、どの服でも同じ位置にあるため、格好の目印となります。また前後の識別を左右の目印で行うことは、間違いを防ぐわかりやすい方法でした。

子供の頃からの、あわてもの、おっちょこちょい、注意力散漫の烙印から解放されたのですから、このタグの「発見」は自分にとって画期的なものでした。
この発見をした時、「知は力なり」というロジャー・ベーコンの言葉が浮かんだのですが、内容的にはちょっと違いますね。
いずれにしろ、知らないということは、損であり、恥であり、愚かであり、時に罪でさえあります。

「百聞は一見にしかず」と言います。風景や建物などは実際に見なければわからないでしょうが、ものの意味や本質は見ただけではわかりません。
星の王子様が、「かんじんなことは目に見えないんだよ」と言っているように、ものごとの本質は目には見えないのです。

理解は目ではなく言葉にあります。人に聞くか自分で考えることによって初めてわかります。
「百見は一聞にしかず」、あるいは「百見は一考にしかず」こそが教訓的な格言です。

服の後ろ前を間違わない方法に気づいただけで、まるで大きな発見をしたような言い方をして滑稽ですが、気づきはいつも小さいことの中にあるはずです。




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