本当に幸せな人

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 宗次徳二さん

名古屋の栄にあるクラシック音楽ホール「宗次(むねつぐ)ホール」に行くと、入り口で一人一人の客に、にこやかに「いらっしゃいませ」と声をかける男性がいます。それがカレーチェーンCOCO壱番屋の創業者でこのホールを作った宗次徳二さんです。
宗次さんは客を迎え入れた後、自分もホールに座り好きなクラシック音楽の演奏に耳を傾けます。

自分が作ったホールで世界の演奏家の音楽を聴く、いかにも優雅な人生に見えますが、宗次さんが歩んだ人生はすさまじく厳しいものでした。
15年くらい前、あるセミナーで宗次さんの話を聞く機会があり、その壮絶な生い立ちに驚いたことがあります。
人の成功を祝福する事は容易ではありませんが、宗次さんの生い立ちと人間性を知れば、誰もがその成功を心から祝福するはずです。


宗次さんの人生を下記サイトから引用します。

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「壮絶すぎてやばい!孤児院育ちCoCo壱番屋創業者宗次徳二の半生」
「INTERVIEW」
「辣腕経営者の朝の過ごし方」
宗次徳二-Wikipedia]

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「戸籍上は石川県生まれですが、両親が誰なのかわかりません。兵庫の孤児院で育ち、3歳の時に雑貨商を営む夫婦に引き取られました。ところが養父がギャンブルにはまって財産をなくし、夜逃げするように岡山に移ったんです」

「数百円でもあれば、それをギャンブルに使う性格。パチンコに行く毎日でした。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしました。すごく暴力を振るう人でした。」

「時には荒れて、隣近所に包丁を持って暴れることもありました。そんな養父に愛想をつかして、養母は家を出ました。」

「雑草を食べて育ちましたから。食べるものにも事欠き、隣の家の暖かな食卓をうらやましく覗いた日々だった」「ごちそうといえ ば、煮干だったんです。」

「パチンコ店でシケモク(たばこの吸い殻)を父のために必死になって拾った。私は掃除をしていないだけで、殴られたりもしまし た。」

「電気もなく、ろうそくの生活でしたよ。千円札なんて見たこともなかったです。」

「貧乏で弁当を持っていくことができずに、みんなが昼ごはんを食べ終わるまで、校舎の裏で一人じっと待っていることもありまし た。」

「家庭訪問も断った。4畳半の貧乏生活を学校の先生に見られるのが嫌だったんです。

   (亡くなった養父についての思い出)

「職業安定所から年末に一時金として、少しだけお金をもらえたことがありました。その時に、そのお金で養父がリンゴを2つ買 てくれました。それくらいしか思い出らしい思い出はないんですが、その時の嬉しい気持ちは今でも覚えていますね。」


   (無私無欲ぶり)

お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできない」
「時計は9800円、シャツは980円で、自宅は接待用に少し大きなものを建てたのだが、それも恥ずかしいこと」

「社外の交友関係などは一切広げずに、常にお客様のことだけを考え続けていました。自分に期待してくれる人に少しでもお返しをしたい。だから時間も体力も無駄遣いしたくなかったんです。」

「一日ずつ、一月ずつ、目の前のお客さまに対して一生懸命にサービスをすること。ただ、それだけのことでした」

「何よりもまず、「お客様第一主義」ですね。自分たちのことは二の次で、お客様に身を捧げる。」

「儲けたい、成功したい、という気持ちはありませんでした。ただ人に喜んでもらいたかったんです。」

   (少年時代を振り返り)

「幼いながらも「誰にも頼らずに、一人で生きていかなければ」と思った」

「15歳まで誰からも見向きもされなかったんです。本当に孤独な15年間でした。」

「すごく孤独な人生でした。だから少しでも他人から関心を持ってもらいたかった。興味を持ってもらいたかったんです。それが私 の原点になっています。だから、商売を始めて、お金を儲けるというよりも、人に喜んでもらいたかったんです。少しでも自分がいて 良かったと言ってもらいたかった。」

   (宗次さんの座右の銘)

「感謝」です。特に経営者は感謝の気持ちを常に持ち続けることです。経営なんて自分一人では何もできません。お客様、取引先、そして社員の方たちに常に感謝の気持ちを持ち続ける。私の場合は、苦労した生い立ちがあるので、自然と人に対する感謝の気持ちを持ち続けることができました。

「私は現役時代、趣味も持たず、友人もつくりませんでした。飲み屋に行ったこともありません。仕事の邪魔になることは、何ひとつやりませんでした。年間5640時間(1日15時間半を365日)働くこともありました。そうやって率先垂範しないと、部下は働いてくれないと思ったからです。」



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先だってハウス食品がCOCO壱番屋の株を買い取り、宗次さんの売却益は220億円になると言われています。しかし宗次さんがそれで贅沢な生活をしないことは確かです。これまで通り、クラシック音楽の普及と演奏家の育成、スポーツ振興と助成、それにホームレスの救済に一層専念するはずです。

経営者であった時、宗次さんは早朝4時45分に岐阜県可児市の自宅を出て、出社後1000通以上の「お客様アンケート」に目を通し、それから店舗と向こう三軒両隣を掃除をすると言われていました。
経営を退いた今でも毎朝4時前に起きて6時には宗次ホール周辺を掃除、昼にはスタッフ15人分の食事を作るのだそうです。

一時期マスコミは経済的な成功者を勝ち組と呼び、貧困層を負け組と呼びました。しかし経済的成功者の多くが家庭的な不和や仕事上の悩みを抱えていて決して幸せとは言えません。
そんな中で、この人ほど幸せな人はいないのではないかと思えるのが宗次徳二さんです。

宗次さんは生まれ育った過酷な環境に見事に打ち勝ちました。
孤児院で育ち、ギャンブル好きの養父に引き取られ、これ以上ない貧しさの中でも決して魂を汚さず人間性を磨いてきました。
資産家となった今も自分のためではなく人のために生きています。
心からその成功を祝福したい人です。






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何も持たない幸せを昔の日本人に見る

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世界一貧しい大統領として、ウルグアイのムヒカ大統領が話題になっています。
その一言一言に叡智が感じられますが、ムヒカさんの理想とする生き方を一番理解できるのは日本人であり、かつての日本人の生き方は、真の豊かさとは何か、幸せとは何かを示すものでした。

ムヒカさんの言葉
「私は聞いてみたい。
今日の若者は物がない昔の若者より幸せなのか。
今の日本はあまりにも西洋化してしまい、本来の歴史やルーツなどはどこかに行ってしまったのかと聞きたくなる」

「私はペリー提督が外国人を受け入れていなかった時代の日本を訪問した時のことが書かれた本をよく覚えているよ。当時の日本人は「西洋人は泥棒だ」と思っていた時代だね。あながち間違っていなかったけど。」

「日本人はとても賢いと思うよ。だって彼らは気づいていたんだ。
西洋の進んだ技術にはとても対抗できないから、彼らは勝てる技術を作ろうと頑張ったんだ。
そしてそれを成し遂げたんだ。しかし日本人の魂を失ってしまった。」

「昔の日本人はすごく強かったんじゃないかな。多くの障害を乗り越える強さを持っていた、それがあなたたちなんだよ。」

「江戸時代、金が無くても人は幸せだった。仕事は午前中で終わり、午後から人々は風呂に行き落語を楽しんだ。その中でつつましやかな生活をしていたのは武士だった。」

ムヒカさんは子供の頃、移民としてやってきた日本人から日本の素晴らしさを聞いたようです。
江戸は高度のリサイクル社会で物には魂があると信じ大切にしました。(古来日本人は古いものに宿る魂を付喪神[つくも神]と呼んでいました) 使い捨て文化から一番遠かったのが日本です。(以前の記事「日本の色」をご覧ください)

参照;日本の色

ものが無くても豊かに生きられることを示したのがかつての日本人であり、幕末から明治の始めにきた外国人は、一様に日本人の幸せそうな笑顔に驚いています。

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明治11年、イギリス人の女性旅行家イザベラ・バードは、東北、北海道を3カ月にわたって旅し、その時の体験を『日本奥地紀行』として出版しました。
最初一人旅を不安に思っていた彼女は、江戸時代が色濃く残る明治の初めの日本が女性の一人でも安全であることに気づきます。
「もうとっくに分かっていることですが、この国の旅の安全は確かなことです。
かつての不安でいっぱいだった自分がおろかに思えてなりません。
家々では裸の子供がはしゃいでおり、犬も子供達も大人も誰もが皆満ち足りた穏やかな表情をしているのです。」
「男達は仕事を終えて家路につき、食事をして煙草を吸って、子供たちの遊びを見守り、いつもの時が過ぎてゆきます。どんなに貧しくても、人々は暮らしを楽しんでいるのです。」

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あふれる笑みのそのわけは、西洋の常識では推し量ることのできないものでした。
彼女はこの旅で西洋の価値観にはない幸せに気づかされます。

幕末から明治にかけて、日本を訪れた外国人達は一様に驚きを語っています。
江戸時代の暮らしぶりを色濃く残こす日本人を見て、外国人たちはこう言いました。
「この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。」
「この日いづる国ほど安らぎに満ち、命を蘇らせてくれ、古風な優雅があふれ、和やかで美しい礼儀が守られている国はどこにも他にはありはしないのだ。」

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イザベラ・バードは旅をするにつれ、次第に日本人が根っこに持つ美徳に気付き始めます。
「昨日革紐を1本落としてしまいました。もう陽は暮れていましたが、馬子は1里引き返して見つけてきてくれました。お礼にチップを渡そうとするのですが、彼は受け取りません。
旅が終わるまで無事に届けるのが当然の責任だというのです。」
それまで貧しさだと感じていたものが、実は自分の物差しの貧しさとは違うものだと気付かされました。

山形県の米沢の平野を訪れた時、米沢の町が栄え、温泉町の赤湯が湯治客でにぎわう様子を見て、まるでエデンの園のようだと感じます。
「鋤で耕したというより、絵筆で書いたようです。
ほほ笑むような豊かな大地。ここは東洋のアルカディア(桃源郷)です。」

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秋田を訪れたバードはその礼儀正しさに驚きます。
「この国の均質さは大変興味深いことです。どんな階層であろうとも、社会が求める礼儀作法は基本的に同じです。秋田の人は田舎者ですが、東京の人と同じように、礼儀正しく丁寧です。」

かつての日本は、衣・食・住、どれをとってみても慎ましやかでした。
「農民はたいてい塩漬けにした魚と、消化に悪そうな野菜の漬物を食べています。
まるで食事の時間を短く済ませることが人生の目標の1つであるかのように、瞬く間にお腹の中に詰め込まれます。足るを知る・・・質素な暮らし。
私達が汚らしいと感じる貧乏とは、怠け者や酔っぱらいだったりするのですが、ここでは怠け者はもちろんのこと、酔っぱらいもいません。
ただただ農業に明け暮れ、安息日すらありません。
彼らは礼儀正しく親切で勤勉です。」

「フランス人は10着しか服を持たない」という本があります。原題は「私がマダム・シックから学んだこと」であって、10着しか服を持たないは題名に偽りありですが、著者ジェニファー・L・スコットは日本の寺院の内部の簡素さを見て、物を持たないことの美しさに驚いたといいます。

葛飾北斎は90年の生涯で90回以上引っ越しをしています。ひどい時には1日3回の引っ越しをしたと言われていますが、そんなことができたのも、何も持たず、風呂敷一つで引っ越しをしたからでしょう。無論北斎を貧しいと言う人はいません。

何が豊かで何が幸せか、昔の日本人はその答えを知っていました。







不幸は神の光をさえぎること

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先だって知人が「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんと話をした時、木村さんは人間の不幸は欲や虚栄心で神の光をさえぎるために生じると、下記の絵を描きながら話をされたそうです。
無農薬栽培の失敗を繰り返し、10年近いどん底の生活の中で、欲も虚栄心も捨てざるを得なかった木村さんが語る言葉には説得力があります。

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人間が欲や虚栄心を捨てることは至難の業です。
数千万あるいは数億円の宝石で身を飾っていても、さらに新しいものをほしがります。
本人はみんなから注目されていると思い、喜びを感じているのでしょうが、木村さんの言葉を借りれば、神の光を遮るために大金を使っていることになります。

自分を大きく見せたい、美しく見せたい、人より優秀だと思われたいという虚栄心は、自我の大きな部分を占めており、それを小さくするには、余程の環境に身を置かない限り難しいことです。
木村さんの、歯のない天真爛漫な笑顔を見ると、もしかしたら無農薬リンゴの栽培は、そのことを悟るための仕組みだったのではないかという気がします。


娘が目の見えない子猫を拾ってきて飼っています。
これまでどうして生きてきたのか不思議ですが、元気になるとともに、あちこちに頭をぶつけながらやんちゃに動き回っているといいます。
目が見えないハンディを猫はまったく意識せず、今を精一杯生きていることに感心します。


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       右側のねこ

勿論、目の見えない猫が、プラス思考で明るく生きているのではないので感心する必要はないのですが、動物や植物には否定が一切なく、また過去も未来もなく現在だけを生きています。

自意識をもった人間が同じように生きることは困難なことですが、聖書のマタイによる福音書で、イエスは現在だけを生きるように教えています。

「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。・・・・空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。・・・・だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

欲と虚栄心を極限まで削ぎ落としたマザー・テレサが残したものは、サリー2枚とそれを洗うバケツ、そして僅かの袋類だったといいます。
なんと豊かな人生だったのでしょうか。



すべては宇宙の采配すべては宇宙の采配
(2013/05/24)
木村 秋則

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木村秋則さん「すべては宇宙の采配


婿養子に入ってすぐの、23~24歳ころです。
実家から持たされた持参金で外国製の大きなトラクターを買い、さらに雑草か生い茂っていた土地を買いました。その土地で、新たにトウモロコシを作ることにしたのです。
  わたしの憧れはテレビで見た広大なアメリカ農場でした。地平線まで続くような広々とした畑を作ってみたいと思ったのです。
そんな畑を作るには、ちょっとやそっとのトラクターでは面白くありません。アメリカからカタログを取り寄せて、150万円もする45馬力のトラクターを購入しました。半分趣味の世界ですが、さすがは大規模農地を耕せるトラクターです。みるみるうちに荒れた土地を立派な耕作地に変えていきました。

  栽培を始めたのは農薬をパンパン散布していたころです。りんごも順調にとれていましたし、始めてすぐの年からトウモロコシも順調に育っていきました。
憧れていた見渡す限り一面の農作物、デキも良好で、すべてが順風満帆でした。
しかし、トウモロコシが収穫できるくらい大きく育つと、動物による被害が頻発するようになりました。なんの動物かはわかりませんが、きれいに実をつけたトウモロコシをどんどん食うやつが現れたのです。

  これはたまりません。山にはクマやカモシカが出ることは聞いて知っていましたが、もしかしたら、近くで飼われている犬が散歩の途中で食べているのかもしれませんし、想像もつかないような動物が夜ごと畑に現れているのかもしれません。どんな動物の仕業かわからないことには手の打ちようがないと思いました。
「ヨッシャ、ちゃんと犯人を見つけよう」
もし本当にクマがかかったらどうしょうかと思いましたが、とりあえずトラバサミを仕掛けて様子を見ることにしました。

  翌日に畑に行くと、罠に動物が掛かっていました。予想していた種類ではなく、タヌキでした。よく見ると子供のタヌキ。
付近にタヌキが出るという話は聞いたことがなく、大変驚きました。想定外の結果でしたが、動かぬ証拠です。
捕まえてはみたものの、殺す気はありません。トラバサミにかかった子ダヌキを逃がしてやろうとしましたが、おびえているのか、罠を外すために近づくと歯を剥いて、「シャー!」と威嚇するのです。
小さなタヌキですが、このままではおちおち外すこともできません。可哀想でしたが、足で顔を踏んづけて、動かないようにして触ることにしました。

仕掛けが外れて自由になった瞬間、飛んで逃げるだろうと思われた子ダヌキでしたが、どういうわけか逃げないでそのまま留まっていました。すると、母ダヌキと思われる大きなタヌキが警戒しながら現れて、怪我をした子ダヌキの足を、その場で舐めはじめたのです。 しばらくのあいだ、親子は動こうとしませんでした。
 
タヌキからしたら、人間は憎き敵です。恐怖を感じる相手でもあるでしょう。わたしが怒って、母子もろとも叩いて懲らしめてやろうと思えば、余裕で届くような距離なのです。さっさと逃げるのが普通です。
しかし、母親はその様子を、見せつけるかのように続けました。
延々と子ダヌキの足を舐めている母ダヌキを見なから、なにかすごく悪いことをしてしまったという、申し訳ない気持ちになっていました。

自然を利用している農家にとって、そこに生きる動物と雑草は、仲間でも同志でもなく敵です。自然を人為的に操ろうとしている人間にしてみれば邪魔者です。
そのことに疑問を持ったことはなく、深く考えたこともありませんでしたが、このとき初めて、人間側の一方的な論理であることに気がついたのです。

わたしがトウモロコシを栽培したのは、元々タヌキの住処で、平和に暮らしていた場所だったかもしれません。そうだとすれば、タヌキのほうが被害者になります。「土地は買った人のものになる」ということなど、タヌキはまったく与り知らぬことです。「畑にタヌキが入ってきて被害を受けた」というわたしのほうが間違っているではありませんか。
  だからといって、荒らされつづけるのは困りますので、タヌキと共生する道を選ぶことにしました。
  その日以降、粒が欠けて売り物にならないトウモロコシを畑の横に積み上げ、タヌキたちに提供しはじめました。
  置いた次の日は、綺麗さっぱりなくなっていました。その場で食べてもよさそうなものですが、食べかすはまったく残っていませんでしたから、どこかに運んで食べたのでしょう。
  これを収穫のたびに行ったのですが、結果は毎回同じで、結構な量の不良品トウモロコシを積み上げておいても、ごっそりなくなっていました。
  「下手をすれば餌付けになってしまうなぁ」
  タヌキが増えて被害が大きくなることを恐れましたが、逆に最初にトウモロコシを提供した日から、被害はまったくなくなったのです。提供されたものにだけ手をつけ、収穫前の瑞々しいトウモロコシには一切触れませんでした。もうトラバサミが仕掛けてあるわけでもないのにです。
  気持ちが伝わっているとしか思えない出来事です。
  トウモロコシを栽培していた3年間ずっと交流は続き、動物による被害は全然ありませんでした。
  最初にトラバサミに子ダヌキがかかったとき、現場にいたのはわたしだけでしたが、1時間か2時間経ってから、洗濯を済ませた女房がやってきました。
  「トラバサミに、なんかかかった?」
  女房に訊かれましたが、こう答えました。
  「いや、なんもかかってなかった」
  女房はわたしの性格を知っていますから、薄々気づいていたようです。あとで顛末を知
って、
  「本当はお父さんが逃がしてやったんだろうって思ってた」
  といっていました。
  タヌキがどう思っていたのかはわかりませんが、「お前たちが住む場所を奪ってごめん。これをあげるから、もう荒らさないでくれよ」という気持ちでトウモロコシを積んでおいたら、被害がパッタリとやんだのは事実です。
  この出来事は、ほかの農家と同じように農薬を使い、人間側の都合だけを全面に押し出して作物を栽培していたわたしに、大きな変化をもたらすきっかけになりました。


ブータンに教えられる幸せ

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民主主義の生まれた古代ギリシャでも、民主主義は衆愚政治となることが指摘され、プラトンやアリストテレスは優れた指導者による哲人政治を主張していました。
今回、ブータンのワンチュク国王の日本訪問を見て、あらためてそのことを痛感させられました。

テレビと言う媒体から爽やかな映像が流れてきたのは、いつ以来のことでしょうか。
お二人のすがすがしく清潔な映像に、心が洗われる思いでした。
国王の一つ一つの言葉には人間と国のあるべき姿が示され、その多くがかつての日本という国で実現されていたことを誇りにも残念にも思います。

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宮中晩餐会での乾杯の折、皇太子様より背の高い国王と王妃は、自分たちのグラスが皇太子様のグラスの上に行かないように腰をかがめていましたが、そのようなささいな気遣いや思いやりに、国民の幸せを心から願う国王の優しさが現れていました。


ワンチュク国王の国会でのスピーチは、多分官僚に書かせたものではなく、国王自身の言葉ではないかと思われます。

「私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。
いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

「ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。」


国民の97%が、自分は幸せだと思える国にも、開発の波は押し寄せ、貧富やストレスや堕落が始まります。
どうかいつまでも幸福な国でいてほしいと、切に切に願います。

過去の記事「幸せは平凡な日常にある」を再掲します。


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幸福とは何かを考える時、忘れられない光景があります。

以前、ヒマラヤの仏教国ブータンを取材した番組で、痩せた段々畑を耕して暮らす一人の女性に、あなたは幸せですかと尋ねた時、「私は幸せです。いつものように今日が過ぎ、いつものように明日が来ます。何の不安もありません」、そんな風に答えていました。

ブータンは世界で最も貧しい国の一つです。もし、幸せが物質的な豊かさを条件とするものであれば、最も幸せから遠い国です。このような国で暮らしたいと考える日本人は余りいないでしょう。
しかし、「私は幸せです。何の不安もありません」と答えられる日本人が、一体どれほどいるのでしょうか。
私達は不況のこと、学校でのいじめのこと、病気のこと、犯罪のこと、将来のことなど、多くの不安にさらされて生きています。

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ジグメ・シンゲ・ウォンチュク国王

日本で暮らすには、最低限度の衣食住が必要であり、ブータンのような自給自足に近い生活と同列に考えることはできないかも知れません。しかし、貧しい生活の中で、幸せを実感して生きている国民がいます。
そこに国民総生産ではなく、国民総幸福を標榜し、豊かさが国民の幸せではなく、人を思いやり、助け合う心こそ国民の幸福だと考える、若き国王の理想の実現を見ることができます。

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私達は幸福を求める時、まず豊かさを求めます。もっと豊かであれば、もっと幸せな人生を送れるだろうし、もし使い切れない程のお金があれば、幸福は保証されたようなものだと考えます。
残念ながら、使い切れない程のお金を持った人がどの程度幸せなのか、経験が無いので分かりません。
しかし、世界一の金持ちと言われたマイクロソフトのビル・ゲイツを知る人が、彼は決して幸せではないと言っていました。先ごろ亡くなったマイケル・ジャクソンも、幸せな人生だったとは思えません。

豪邸で贅沢三昧に暮らしていながら不幸な家庭があり、貧しいながら笑顔の絶えない家庭があります。
豊かさは幸福の決定的条件ではないのでしょう。

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「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は様々に不幸だ」、というトルストイ(アンナ・カレーニナ)の言葉があります。幸福と不幸を入れ替えても同じです。
不幸な家庭では、怒りや不平不満・愚痴・悪口が支配し、幸福な家庭は、感謝、優しさ、思いやりに溢れ、笑顔が絶えないはずです。

人はどんな時に幸福を感じるでしょうか。例えば、好きだと思っていた人の愛が確認できた時、病気から回復した時、ごちそうを食べた時、欲しかったものを手に入れた時、旅行に行った時、つまり、何か良い事があった時に幸せを感じます。

しかし、失って初めて分かる幸せがあります。突然病気になった時は、健全であった昨日までの体の有難さが分かります。家族に不幸があった時は、何も無かった昨日までの幸せを思います。不満を言っていた会社がつぶれた時は、仕事の有難さが分かります。
その時初めて、うれしいことや楽しいことがあった時が幸せなのではなく、平凡な毎日こそが幸せであったことに気づきます。
普通に食事出来ることの幸せ、普通に働けることの幸せ、普通に寝ることのできる幸せ、普通の生活のすべてが幸福の連続であり、朝から寝るまで、すべてが有難いことに気づきます。

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「私は幸せです。いつものように今日が過ぎ、いつものように明日が来ます。何の不安もありません」と語るブータンの女性のように、平凡な日常の中に幸せを見つけだすことができれば、人の一生は幸福なものとなることでしょう。