明日は明るい日

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霞立つ春の初めを今日のごと見むと思へば楽しとぞ思ふ  万葉集


以前、アン真理子という人の、「悲しみは駆け足でやってくる」という歌がありました。
「明日という字は明るい日と書くのね」という歌です。

昔の日本人が、あしたという言葉の表記に「明日」を当てたのは、明日はきっと明るい日になると信じていたからでしょう。
もしかしたら明るい日と書くことによって、言霊の力が明るい日をもたらすと信じていたのかも知れません。

日本人は明日を信じることができる幸せな民族でした。
しかしバブル崩壊以降の経済の停滞と、巨大化する災害の連続で、明日が明るい日であると信じきれない状況になっています。

巨大災害については、日本人は昔から何度も乗り越えてきました。
それに耐える英知と忍耐力を持っています。
問題は日本のバブル崩壊と、その後の貪欲資本主義を作り出してきた国際勢力との戦いです。
彼らにとって平和と安定は富を生み出さない否定すべきものであり、和を貴ぶ日本人がその価値観と共存することは日本的なるものの否定となります。

彼らの悪魔的な陥穽(かんせい)に抗することは容易ではありませんが、不調和な力が永遠に支配できるはずはありません。
宇宙の根本原理が調和、バランスである以上、和を貴ぶ日本人の生き方こそ、宇宙の原理、神の心に叶うものです。
日本人が日本人の心をなくさない限り、日本の明日は信じるにたるものだと思います。

ことしが皆様にとって良い年でありますようお祈りいたします。





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スズメに餌をやるホームレス

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まだ暑かった頃のこと、空き缶をたくさん積んだ自転車を傍らに止めたホームレスとおぼしきおじさんがパン屑を撒いていて、足元では7~8羽のスズメたちがそれをついばんでいました。
その光景がほほえましく、少し離れたところから足を止めて見ていたのですが、それに気づいたおじさんは人の良さそうな笑顔をこちらに向けました。

私の視線にとがめる雰囲気は無かったはずですが、その場所が銀行の駐車場の一角だったせいか、おじさんはエサを与えるのを止めてしまい、スズメたちは飛び去って行きました。

今にして思えば、パン屑を撒くおじさんに、7~8羽のスズメが寄ってきたことはすごいことでした。スズメは警戒心が強く、エサを撒いても人がいれば寄ってきません。


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むかしある人から、日本野鳥の会の創立者である中西悟堂が縁側に座っていると、小鳥が寄ってきて肩に止まったという話を聞いたことがあります。その方のお父さんは日本野鳥の会の会員で中西悟堂の知人だったので、多分本当のことだったのでしょう。そのエピソードを思い出しました。

しかし空き缶を回収して生活するホームレスがいるのは、いかにも日本らしい光景ではないでしょうか。
日本は物乞いがほとんどいない稀有の国です。物乞いをして人の憐みを受けるより、空き缶を回収して自分で生きて行くことを選ぶのが日本人です。

月にいくら稼げるのかわかりません。自転車に目一杯積んでも20kg位でしょう。アルミ缶は100円/kgしないので、1回の回収で稼げる金額は知れています。今年は冷夏でビールの売れ行きが悪かったので、回収量が減ったかもしれません。

以前は空き缶を回収をしている人を見て、大変だなと同情はしても、それ以上の興味はありませんでした。しかし最近は生活保護を受けずに自力で生きていることに感心します。

現在、生活保護を受けている人間の数は200万人を超えています。
働けるのに働かず受給している人間や、高収入を隠して受給している人間も少なくありません。外国人の不正受給者を含め、多くの人間が自力で生きることを放棄しています。

日本人の本質は変わっていないと思うことと、日本人はこんなになってしまったと思うことが併存していますが、空き缶を回収するホームレスは、もしかしたら変わらない日本人の一面を表しているのかも知れません。

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和を愛するのは日本人だけ

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小岩井農場 一本桜


1997年、マクドナルドのコーヒーをこぼしてやけどしたと訴えた、当時79歳のアメリカ人女性に対し、裁判所は65万ドル(6500万円)の支払いを命じました。この女性は紙コップのコーヒーを股に挟んで運転していたとのことで、日本人なら誰でも自分のミスだと思い、コーヒーが熱かったからだとは考えませんが、アメリカでは「トラブルは金になる」ので、何かあると取りあえず訴えます。

その結果、こんな非常識で馬鹿げた判決が次々に生まれます。
アメリカの新聞紙上で最も多く使われる言葉は、「Sue 訴える」だそうです。

1990年、日本のスズキ自動車は、自損事故を起こした人間に訴えられて、「安全性に問題はない」との専門家の意見にもかかわらず、99億円の支払いを命ぜられました。
最近では、トヨタ自動車が韓国系アメリカ人たちから根拠のない急発進で訴えられ、1000億円以上支払うことになりました。

今回の記事は、山本茂著「ジャパン発見伝」を参考にします。山本茂さんは毎日新聞社会部、サンデー毎日編集次長を経て、九州女子大学他の教授をされた方です。反日左翼の毎日新聞でも、戦前生まれの方は、日本を愛し、誇りに思っていることがわかります。大変面白く参考になる本です。


ジャパン発見伝―日本への20の視点ジャパン発見伝―日本への20の視点
(2008/07)
山本 茂

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アメリカの弁護士数は2000年時点で100万人でしたが、その後毎年4万人増えているので、現在は150万人を超えているでしょう。陸海空3軍の兵士より弁護士の方が多くなっています。
弁護士費用は2000年の時点で8000億ドル(80兆円)でしたが、現在は100兆円を超えているはずです。これは国防予算の3倍以上の金額で、アメリカ最大の産業です。

訴訟が増えると企業はそのために保険をかけますが、この保険金額がアメリカの製造メーカーの大きな負担になっています。アメリカに29社あった小型機メーカーは、現在9社に減っており、保険金の掛け金は小型飛行機の原価に匹敵するほどです。
1997年、アメリカのタバコメーカーは全米40州で訴訟を起こされ、365億ドル(3兆6500億円)の賠償を命じられています。
2002年、フィリップ・モリスは64歳の肺がん女性に対して、280億ドル(2兆8000億円)の支払いを命じられました。

日本もアメリカの「年次改革要望書」という命令書によって弁護士を増やすよう強制され、弁護士の数は倍ちかくに増えてきました。それでもまだ3万8千人です。
裁判員制度は、日本人を裁判に慣らすことによって日本を訴訟社会にしようとするアメリカの陰謀ですが、和を大事にする日本人はそう簡単に訴訟を起こしません。
その結果、法律事務所に属さない弁護士の2割が年収100万円以下で、全弁護士の平均年収も680万円程度のようです。
このことが知られてきて、法学部の人気がガタ落ちだと言います。アメリカが日本を訴訟社会にしたいのは、もしかしたらアメリカの保険会社の政治的圧力かも知れません。年次改革要望書に従って行った郵政民営化も、日本の郵貯をアメリカの金融会社が取りこむためでした。

日本のどこの法律事務所に行っても左翼的な言葉やパンフレットが溢れていて、その汚染ぶりに驚きます。
東京都知事に立候補した元日弁連会長の宇都宮健児氏も、共産党と社民党の推薦でした。
日本人は司法の偏向に強く警戒しなければ危険です。


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石原 道博

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聖徳太子の「和をもって尊しとなす」と言う言葉は、昔から日本人が調和を大切にしてきたことを現しています。
聖徳太子が亡くなられた直後頃に書かれた「隋書倭国伝」(西暦636年)には日本のことが次のように紹介されています。
 
「人すこぶる恬静(てんせい)にして争訟まれに盗賊すくなし。性質直にして雅風あり」
(人はたいへん物静かで争い事は少ない。盗賊も少ない。人々の性質は素直で雅である)

その350年くらい前の卑弥呼の時代に書かれた「魏志倭人伝」でも、日本人は次のように評されています。

「婦人淫せず、妬忌(とき)せず。 盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし」
(婦人は貞操観念が堅い(!)。ねたんだりしない。盗みをする者はいない、訴え事も少ない)

日本人の心性は、古来からやさしく調和されたものだったようです。
日本人の心の中心にある調和の心を、裁判という争い事で破壊させてはいけません。

最近中国が商船三井の船舶を差し押さえたり、三菱マテリアルに対する戦時徴用の訴えを受理したりと、法を無視する判決が相次いでいます。韓国も日本に対して常識を疑う判決を出しており、争いごとの嫌いな日本も、「和をもって尊しとなす」とは言っていられない状況にあります。

明治以降の日本人が日清、日露の戦いに勝利したのは、武士道精神にもとづく武力と、敵の戦略を見抜く賢明さを有していたためでした。
平和憲法で日本を守ることはできません。三次元の世界は、心だけでなく力が必要です。







日本の夜明け

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先ごろ亡くなった島倉千代子さんの歌声をよく耳にしたのは子供の頃でしたが、か細くて、はかなげな歌声が子供心に好きでした。

FMラジオの島倉千代子特集をCDにして聴いていて思ったのは、この人は年をとっても、乙女のような清潔な抒情性を失わなかった人だなということです。そんな女性にとって、この世はさぞかし生きるにつらい場所だったと思います。

島倉千代子さんの一生が、なぜ多くの不幸に満ちていたのか、もしかしたら悲しく切ない歌声に人生が共鳴したのではないかと思ったのですが、しかし7歳の時に腕を47針も縫う大ケガしたことを考えれば、彼女の生まれてきた計画には、多くの試練の経験が入っていて、その課題をすべてやり終えて、ようやく天国に帰れたのではないかと思います。
今はこの世で得られなかった幸福の時を過ごしていることを願わずにいられません。

島倉千代子さんの代表曲である「東京だよおっかさん」は、紅白歌合戦で一度も歌われることがなかったようです。
その理由は2番の歌詞にあります。

  やさしかった 兄さんが
  田舎の話を 聞きたいと
  桜の下で さぞかし待つだろ おっ母さん 
  あれがあれが九段坂
  逢ったら泣くでしょ 兄さんも

戦争を知らない私でも、この歌詞には心を打たれます。だから戦争で夫や息子や兄弟を失った人は、さぞかしこの曲を涙を流しながら聴いたことでしょう。その曲を、中国や韓国からのいわれのない言いがかりに遠慮して、NHKは日本人の目や耳から遠ざけてきました。何と愚かなことでしょうか。



安倍首相が靖国神社を参拝したことを、マスコミは悪行を行ったかのように報じました。国のために命を捧げた英霊に祈りを捧げることを、なぜ中国や韓国に遠慮しなければならないのでしょうか。

過去の記事、「日本の戦いとは何であったか(2)」で書いたように、靖国神社に合祀されているA級戦犯は、「平和に対する罪」で裁かれました。しかしそんな罪は、東京裁判が行われるまでまで存在しませんでした。国際法に定めがあったのは、戦闘行為や捕虜の扱いの違反を犯した、B級、C級戦犯だけです。

「法無ければ罪なし、罪ければ罰なし」という、罪刑法定主義に照らせば、「A級戦犯」は、勝者が敗者を裁くために作った復讐のための罪であり、無実の罪によって裁かれたA級戦犯の人たちを靖国神社に祀ることにクレームを付ける中国韓国の顔色をうかがう必要はありません。

読売新聞の編集手帳が、もし一方通行の道を相手が逆走してきたとしても、事故を避けるためには道を譲るべきであると書いていました。道理はわかりますが、これまでずっと譲ってきたのに、譲れば譲るほどカサにかかって無法を要求してきたのが中韓でした。

日本からの巨額な賠償金や技術援助を受け発展してきた中韓両国は、日本を脅せば得をすると考えています。
中韓関係が冷え切った今こそ、従軍慰安婦や南京大虐殺の嘘をただすべき時ではないでしょうか。

今年一年有難うございました。
来年が皆さまと日本にとって良い年になりますようお祈り致します。


グレンデールの売春婦像を撤去しろ!ホワイトハウス署名のお願い

安倍首相の靖国神社参拝は妥当?

朝日、毎日への反論(4)中韓の顔色をうかがうのが国益ではない



軽い直訴

無題


参院議員の山本太郎が園遊会で天皇陛下に手紙を渡して非難を浴びています。
彼は天皇陛下に手紙を渡してはいけないと憲法に書いてないと言っていますが、まるで小学生の喧嘩です。

手紙の内容が公開されましたが、捏造だと山本事務所が抗議しているようです。
しかしタブレット端末に映った字を見ると、すべて捏造とは言えないようです。

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「陛下、私はこの国を憂う
参議院議員のひとり山本太郎と申します。
これはお国の一大事と本当にあなたはわかっておられますでしょうか。
昨日私は福島へ行きました。 
あまりにひどい状況です。 
目の前のお金の為となてます。
安全基準を設定すべきです。 
経済が滞らない様にするだけで原発敷地内は
「低レベル放射性廃棄物」と同等の「一キロあたり何ベクレル」
が現在の「食品の定量」なのです
また寝るところもひどいです。 
毛布など取り合いとなってます。
人は睡眠時間が一日何時間寝ればよいかおわかりでしょうか
福島は平均4時間、労働時間は12時間と労働基準法も守らられておりません
どうか国を憂う山本太郎の意見を聞き届け、
脱原発を国民に呼びかけてください  
参議院議員 山本」

もしこの手紙が本当なら、この国の頂点に位置する方に対して、「あなたは」と書くなど無礼極まりない文章です。

かつて天皇陛下に直訴する人間は、大義のために一身を賭す覚悟がありました。
丸谷才一さんのエッセイで知った半藤一利さんの「昭和史探索(1~6)」に、天皇陛下に直訴した北原二等兵の手記が紹介されていますので引用します。
北原二等兵の息を呑むような見事な文章に圧倒されます。

昭和史探索〈1〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)昭和史探索〈1〉一九二六‐四五 (ちくま文庫)
(2006/12)
半藤 一利

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『1927年(昭和二年)は天皇への直訴事件が頻発した年である。
八月二十五日、宮城から赤坂離宮で帰ろうとする天皇の車に向かって、一人の男が宮城広場へ走り出た。懐中には「身を殺して陛下に奉る」と大書した白い布があった。
十月二十六日には宮城へおもむくため離宮を出た天皇の車に、「直訴、直訴」と叫んで一人の女が飛びつこうとし、警察に押さえられた。彼女も懐中に直訴状を持っていた。

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十一月十九日、名古屋城東練兵場における陸軍特別大演習での観兵式で、北原泰作二等兵が閲兵中の天皇に駆け寄って直訴した。懐中の直訴状には、「軍隊内ではいぜん差別待遇がひどいので陛下の聖察をお願いする」旨が書いてあっった。
八月二十五日、十月二十八日の二人の直訴者は、精神に異状ありと判定されたが、北原二等兵は、取り調べ中も、法廷においても、極めて冷静で、正気であることが明らかだった。
彼はいはゆる被差別部落出身者で、部隊内でも軍律に逆らって差別糾弾の闘争をおこなっていたのである。』

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北原二等兵の手記(1957年 昭和32年4月五日発行「特集文芸春秋」今こそ言う ー主役のメモー)

午前八時三十分、天皇の閲兵が始まった。参列の光栄に感激する六万の将兵は、不動の姿勢をいっそう硬直させて緊張した。一瞬間、厳粛な雰囲気が広大な式場を包んだ。私は、その巨大な軍国主義の圧力に押し倒されそうな感じであった。
 やがて諸兵総指揮官の賀陽(かや)近衛師団長官を先導として、近衛騎兵が棒持する天皇旗、愛馬「初緑」にまたがった天皇、つぎにやや距離をおいて奈良侍従武官長、そのあとに侍従武官や陸軍の諸将星が従い、外国の武官がしんがりという順序で、きらびやかな騎馬行列が粛々と進んだ。

右翼の部隊からつぎつぎに、隊長の「捧げー銃」(注 ささげ つつ)という号令がかかった。いっせいに銃を捧げて敬礼する動作で、数千の銃身に触れる革紐が、びしっと鳴った。つぎの部隊、そのつぎの部隊と、天皇の閲兵がすすむにつれて、号令と動作が機械的な正確さをもっておこなわれていった。

私は、不動の姿勢をとりつつ、左手の指先でズボンのポケットに触れてみた。そこにはたしかに訴状の手ごたえが感じられた。最後の決意の瞬間であった。父母や姉妹のこと、同士たちのこと、恐ろしい刑罰のことなど、電光の速さで頭のなかを去来した。私は前方をみつめながら、走り出す時間と最前線までの距離を測っていた。すべての神経がその事に集中されていたように思う。

(それ、今だ!)と、何ものかに背後から突き押されるような感じがした。私はおおきく息を吸いこんだ。数分後におこる私の行動によって、私自身の上にもたらされる運命の大きな変化を、私は瞬間的に意識した。私はぐっと腹に力を入れた。私の胸の動悸は高鳴った。唇は乾いて、喉がつまった。勇気と怯懦(きょうだ)の渦巻きのなかで、私はじっと前方をみつめて立っていた。

「捧げー銃!」
連隊長の号令がかかった。六八連隊の全将兵はいっせいに敬礼の動作にうつった。それを合図に、私は隊列を離れて駆け出した。部隊と部隊との間隔は五歩の広さだった。そこはまっすぐに平坦な通路となっていた。私は銃をひっさげたままはや駆けに駆けた。最前列まで150米(メートル)ばかりあった。
だれ一人として、私を追っかけてくる気配はなかった。みんな固くなって、捧げ銃をつづけていた。

何分かかったであろうか。わたしは最前列に出た。先導の賀陽中将官がおどろいて、馬上から指導刀を振いながら、「捕まえろ、捕まえろ」と叫んだ。天皇と私の間隔は十歩ぐらいであった。私は訴状を左手で高くさしあげて、左手に銃を持ったまま天皇に近づいていった。天皇は呆然と、馬上から私を見下ろしていた。そのとき奈良侍従武官長が馬をすすめて、天皇と私の間をさえぎった。私は停止して「折敷け(注 ひざまずけの意)」の姿勢をとり、「直訴、直訴」と叫びながら訴状を前方へさしだした。
「捕まえろ! 捕まえろ!」と、また賀陽宮が叫んだ。そのとき私は背後から強い力で引き倒された。起きあがると、血の気を失った奥田少尉の顔が目にはいった。
奥田少尉が何ごとか叫んだように思った。しかしその声はかすれて、言葉にならなかった。彼は慄える手で、私の背嚢をつかみ、どんどん突き押して、私を後方へつれて行った。私はこうして捕えられて、憲兵隊に引き渡された。』

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息詰まるような臨場感を伝える見事な文章です。北原二等兵の教養の深さを物語っています。

個人的な話になりますが、20代の頃、旧賀陽宮家の方と仕事をしたことがあります。当時は天皇制など無いほうが良いと考えていたので何も考えず話をしていましたが、このようなところで名前を聞くと歴史の重さを感じます。

山本太郎が天皇陛下に直訴したことを評価する、あるいは否定しない人がいますが、天皇陛下に対する直訴を認めることは、天皇陛下の位置を貶めることになります。
天皇制が2600年以上存続してきたのは、天皇陛下が権力の中心ではなく、日本人の心性の中心にいたからです。
愚かな行為で天皇陛下の存在を貶めることは、日本を貶めることになります。
断じて許すことはできない。



日本の原風景

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先だって百年前の日本の写真が公開されていました。
これを見て思い出されたのが文部省唱歌の「海」です。

 松原遠く消ゆるところ
 白帆の影は浮かぶ
 干網浜に高くして
 かもめは低く波に飛ぶ
 見よ、昼の海
 見よ、昼の海

 島山闇に著(しる)きあたり、
 漁火、光淡し
 寄る波岸に緩くして
 浦風輕く沙(いさご)吹く
 見よ、夜の海
 見よ、夜の海


この曲が発表されたのが100年前の1913年(大正2年)ですから、この歌に歌われた「白帆の影は浮かぶ」とは、このような風景だったことがわかります。
作詞作曲は新潟県上越市出身の小山作之助で、地元の景色を歌ったものです。従って、この写真の海とは多少雰囲気が違っているでしょうが、それでも当時の日本の美しさがわかります。(「夏は来ぬ」も小山作之助の作です。)

先年、奈良を見下ろす山あいの自動車道を走っていた時、もしこの光景から人工的なものを排除したら、どれだけ美しいだろうかと考えたことがあります。
無論、昔の風景を想像することは不可能ですが、それでも「やまとは 国のまほろば」と称賛された美しい景色を垣間見る思いでした。

「やまとは 国のまほろば(うつくしい場所) たたなづく 青垣 山隠(やまこも)れる やまとしうるはし」


奈良の美しい景色は広葉樹で彩られています。日本の原風景は広葉樹林にあります。
戦後、住宅建築のために日本全国におびただしい針葉樹が植えられました。そのために日本の山は豊かさを失い、山の動物たちはエサを求めて山里に降りて来るようになりました。

横浜国立大学の宮脇昭教授が岡山、広島など中国地方の山々を調べたところ、松が自然状態の250倍も密集して植えられていたということです。
松枯は、松くい虫(マツノマダラカミキリ)によって媒介されるマツノザイセンチュウが原因ですが、松が密集して植えられていることも要因です。


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近年、豪雨により山崩れが起きるのはいつも針葉樹です。
枝の広がりは根の広がりに比例しており、広葉樹が針葉樹よりも枝を広げているのは、根が針葉樹より広く張っていることを表しています。
広葉樹の落ち葉は腐葉土となって栄養をもたらし、また多くの水を蓄えます。

現在、国土強靭化計画に多額の予算を計画していますが、この予算の一部で、針葉樹をナラ、ブナ、クヌギなどのドングリの木に植え替えれば、豊かで美しい日本の自然を復活させることができます。

安倍首相が「日本を取り戻す」と提唱されていますが、山の荒廃は戦後の日本の荒廃の象徴です。
四季折々に美しく変化する広葉樹林を取り戻すことが、日本人の心と文化を取り戻すことになるのではないかと思います。


100年前の日本の写真

よみがえる光景



風たたぬ夏

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文芸春秋8月号に、「風立ちぬ」をテーマにした、宮崎駿と作家半藤一利の対談が掲載されていましたが、その中に重要な話が出ていましたのでご紹介します。

半藤「堀越がドイツに行った昭和4,5年ごろは、まだ日本とドイツは親密じゃないんですね。むしろドイツは黄禍論の本場で、日清戦争で三国干渉を主導したり、日露戦争でもロシアの味方、第一次世界大戦でも敵国同士だった。

宮崎「高いお金を取って技術提供を約束しているのに、工場の中は見せない。関係する数字だけ持ってきて、別の部屋を用意してそこで勉強しろと渡すだけだったといいます。

半藤「ドイツが日本に急接近するのは、一九三三年、日本に続いてドイツが国際連盟を脱退して以降です。その後も海軍は、日独伊三国同盟に反対してきたのですが、ある時期、親独に転じてしまう。私はこれが不思議でね、海軍の人に会うたびにどうしてかと尋ねたのですが、みなもっともらしいことを言うですが、さらに聞いていくと、ついに一人が明かした。結局のところハニートラップだったんです。ドイツに留学したり、軍事研究に行った人たちは、女性をあてがわれていたんだ、と」

宮崎「『舞姫』だったんですか」(笑い)

半藤「『舞姫』にやられてしまった。ドイツに駐在した人々に次々取材していったら、半分とまではいきませんが、かなりの人が「どうしてわかった」と認めましたよ(笑い)

(笑い)が入っていますが、笑っていられない話です。
ハニートラップの絶大な効果に驚きますが、このようにして歴史が作られてきたことを知れば、親韓派、親中派、あるいは~派と呼ばれる政治家たちが、ハニートラップにからめとられている可能性はかなり高いでしょう。

毎月のように中国に出張し、中国の高官とも親しい知人から聞いた話です。ある時女性デザイナーを含む一団で中国のホテルに宿泊した時、翌日知り合いの中国人から、「お連れの女性に、部屋の中で裸にならないよう注意してください」と言われたそうです。中国のホテルでは、スパイカメラでいつも監視盗撮されていると考えるのが無難です。

ハニートラップに掛かった人間は盗撮映像で脅され、ずるずると売国の道を歩くのでしょうが、それにしても何人の日本の政治家が、ハニートラップに掛かって売国行為をしているのでしょうか。


映画「風立ちぬ」は見所の無い作品でした。宮崎駿の感性には、もう期待すべきものは残っていないのではないか、そう思わせるような不出来な作品でした。
宮崎駿が初めて自分の映画を観て泣いたと宣伝で言っていましたが 、どの辺で泣ける?と思った人も多いでしょう。

堀越二郎を主人公にしながら、ゼロ戦について何も描いていないのは、多分右翼的との批判を恐れてのことでしょうが、それなら最初からテーマにすべきではありません。


永遠の0 (講談社文庫)永遠の0 (講談社文庫)
(2009/07/15)
百田 尚樹

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宮崎駿がゼロ戦と特攻隊を描く、百田尚樹の「永遠の0」を読んだかどうかはわかりませんが、ゼロ戦にまつわる若者たちの悲劇に口をつぐむのは、日本人として不誠実な気がします。
世界的な名声を得て、宮崎駿は失うことを恐れる作家になってしまったのでしょう。

亡き児玉清さんは、「永遠の0」の解説で次のように述べています。

「~僕は号泣するのを懸命に歯を食いしばってこらえた。が、ダメだった。目から涙がとめどなく溢れた。

 なんと美しい心の持主なのか。なんと美しい心を描く見事な作家なのか。なんと爽やかな心か。涙の流れ落ちたあと、僕の心はきれいな水で洗われたかのごとく清々しさで満たされた。

ただひたすら、すべての責任を他人におしつけようとする、総クレイマー化しつつある昨今の日本。利己主義が堂々と罷り通る現代日本を考えるとき、太平洋戦争中に宮部久蔵のとった行動はどう評価されるのだろうか。・・・・」


堀辰雄と堀越二郎を合わせたストーリー展開は中途半端で、主人公と菜穂子のロマンスも興ざめでした。二人が親しくなってすぐにキスをするシーンが出てきたからです。

『恋の至極は忍恋と見立て候 逢いてからは恋のたけ低し 一生忍んで思い死することこそ恋の本意なれ』

「葉隠」の言葉が今の時世に合わないことは承知していますが、人の思いの本質は変わっていません。
子供に欲しがるものを与えれば、すぐに退屈して次のものを欲しがるように、会ってすぐに欲望を満足させれば、情熱が恋に高まることはなく、恋の歌が生まれることもありません。
宮崎アニメを映画館に観に行くことはもうないでしょう。


ご意見やご質問は、過去の記事のコメント欄からお願いします。




日本の力を知る

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沢木耕太郎の「深夜特急」は、インドのカルカッタからロンドンまでを、バスを乗り継いで旅したエッセイだが、最後のイギリスに入国する時、税関で徹底的に調べられて、もしかしたら入国できないのではないかと不安を感じる。

「しかし、理由がまったくわからないのが腹立たしい。どうしてこんな取調べを受けなければならないのだろう。理由は私が日本人だからとしか思えない」

沢木耕太郎がこの旅をしたのは、1970年代前半だと思われるが、高度成長期とはいえ、日本はまだ大国とは看做されておらず、特別視されることはない時代だった。


深夜特急〈6〉南ヨーロッパ・ロンドン (新潮文庫)深夜特急〈6〉南ヨーロッパ・ロンドン (新潮文庫)
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沢木 耕太郎

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元国会議員の鈴木宗男氏と、外務省のラスプーチンと呼ばれた佐藤優氏の対談本「北方領土 特命交渉」の中にこんな下りがある。

鈴木 「もうひとつ、中川先生(中川一郎)には日本がなめられてなるものか、という愛国主義的感情もあったと思います。それまで鈴木善幸さんがさんざん煮え湯を飲まされているわけですから、同じ轍は踏まないという強い決意を感じました。」
・・・・・
鈴木 「中川先生は、モスクワのホテルの一室で二人きりになったときに私にこういいました。 『「鈴木! シャケが獲れないんだよ』そして、悔し涙を流した。日本はまだ国力が弱かった時代です。どんなにがんばっても、どうしようもないことがあったんですね。」
・・・・・
鈴木 「それにしても、重光という大使は本当に政治家をバカにしていたのですが、中川先生は福田総理からレオニード・ブレジネフ宛の親書を預かっていたのですが、重光大使は取り次ごうともしない。農林大臣というポストではブレジネフに会えないというのがその理由だったが、大韓航空機によるムルマンスク事件がきっかけになってアレクセイ・コスイギン首相とあえることになった。ブレジネフ宛の親書はそのときに、やっと渡すことができたのです。」


北方領土「特命交渉」北方領土「特命交渉」
(2006/09/22)
鈴木 宗男、佐藤 優 他

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昔、ソ連とサケマスの漁業交渉をしていた時代があったことを思い出した。
上記は1970年代中頃の話と思われるが、当時は日本の首相の親書を、ソ連共産党の書記長に渡すことさえ大変だったのだ。
現在、安倍首相の親書を拒むのは、中国・韓国くらいだろう。

ついでながら、佐藤優の「国家の罠」は、じつに読みごたえのある面白い本だった。外務省の人間にこれだけの文章力があることに驚いたが、同志社大学神学部で学んだ哲学・宗教学のバックボーンが背景にあることがわかる。

この本で国策捜査の対象になれば、誰でも犯罪者にされるのだという怖さを知ったが、鈴木宗男氏についても、うさんくさい政治家だというイメージが一変した。 以前社会党の辻本清美(現民主党)が鈴木宗男氏を、「疑惑の総合商社」と呼びマスコミがそのフレーズに飛びついたが、一面的なレッテル貼りには容易に人を騙す危険性がある。


国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)
(2007/10/30)
佐藤 優

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以前、海外で日本人のビジネスマンに会うと、かなり遠くからでも日本人であることがわかった。 中国人でも韓国人でもなく、日本人であることを示すオーラがあったからだ。
そのオーラは、仕事への情熱や責任感、あるいは日本人としての誇りによって光を放っていた。 残念ながら、今は急成長を遂げた中国や韓国のビジネスマンとの明確な違いがわかりにくくなってきた。

日本という国がどれほど素晴らしいかを、一番知らないのが日本人だろう。
世界でアンケートを取れば日本は人気のある国の最上位に来るし、世界のホテルで一番評価が高いのが日本人だ。
敗戦の焼け野原から立ち上がった日本が、ここまでの評価を得るには、先人たちの必死の努力があった。
日本人の謙虚さや優しさや技術力が世界に知られるまで長い時間を要し、私たちは今その努力の結果を享受しているに過ぎない。

日本という国に住み、日本人であることが如何に素晴らしいことであるか、そのことを知らず、日本に対し不平不満や自虐を言いたてる人たちは、日本を離れて諸外国で暮らすべきだ。そうすれば自分たちが、日本と言う恵まれた防波堤の中で、外の荒波を知らずに過ごしていたことに気づくだろう。






負け方を知らなかった日本

日本・日本語・日本人 (新潮選書)日本・日本語・日本人 (新潮選書)
(2001/09)
大野 晋、鈴木 孝夫 他

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前回ご紹介した『日本・日本語・日本人』は少し古い本ですが、言語学者で学習院大学名誉教授の大野晋さん、言語学者でイリノイ大学・イェール大学客員教授で慶応大学名誉教授の鈴木孝夫さん、それにジャーナリストの森本哲郎さんという大正生まれの3人が対談し、さらにそれぞれが1本の論文を発表したものです。

この本について、数学者で作家の藤原正彦さんがこう書いています。

『・・・もう一つの特徴は愛国心である。無論偏狭なナショナリズムではなく、日本の文化、伝統、自然を心から愛するという意味である。三者とも憂国の士である。
 戦後の混乱の中、占領軍が日本を無力化する目的で定めた基本デザイン通りに、落ちるところまで落ちてしまった日本人を心底憂えている。流行りのグローバリズムに踊らされ、物心両面でアメリカの植民地となりつつある日本を嘆いている。

 ここでも歴史的視点が物を言う。占領軍の定めた基本デザインをありがたくおしいただいた日本と、同じ敗戦国でありながらそれを拒否したドイツを比較する。紀元前の昔から息つぐ間もなく戦争をしてきたユーラシア大陸の国家と、有史以来たったの六十年間ほどしか対外武力攻勢に出なかった日本との違いとする(七世紀に百済の求めに応じた朝鮮出兵、十六世紀末の秀吉による二度の朝鮮侵略、および日清戦争から第二次大戦終結までの五十年間)。

 すなわち負け方を知っているドイツと知らなかった日本ということである。そして異民族にひどい目にあわされた経験をもつ人間だけがもつゼノフォビア(外国人恐怖・不信)、ユーラシアのすべての民族が強く抱く自己防衛本能、をドイツはもっていたのに日本はもっていなかったということである。

 この戦争慣れの差という見方は、本書を読みながら私が意表をつかれた、いくつかの機会の一つである。
 意気軒昂な三人はそろって大正時代後半の生まれである。旧制の中学高校教育を受けた方々である。芯がしっかり通っているのは、年齢に伴う豊富な経験や知識のせいばかりではあるまい。
 十年もすれば、このような気骨と見識を備えた人々のほとんどが引退するだろう。真のエリートが日本からいなくなってしまう。「滅びつつある」という言葉が現実味をもって胸に迫ってくる。 』


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鈴木孝夫さんの論文に出て来る、「負け方を知っているドイツと知らなかった日本」という観点は、確かにこれまで誰も指摘しなかったことで、日本の戦後の本質を表しています。
2000年以上の歴史の中で、対外的な争いをした期間が60年に過ぎず、しかも国体を揺るがす敗北を味わったことの無かった日本は、これだけは死守しなければならないものが何かを知らずに占領政策を受け入れてしまいました。
今、それが何かを、左翼の人たちを除く少なからぬ人たちが気づいてきました。戦後の呪縛が解けることはないだろうと考えていましたが、もしかしたらそう遠くない時期に、日本人は自分達の戦いが大義に基づくものであったことに気づくかも知れません。

鈴木孝夫さんの論文のタイトルは「英語といかにつきあうべきかー武器としての言葉」ですが、戦後の占領政策で自虐史観を刷り込まれて、自らの国を悪しざまに罵る日本人が、たとえ英語を自在に操ることができたとしても、そのことには何ほどの意味もないのだと語ります。

以下、鈴木さんが語る戦後の真実についてご紹介します。

『さて、1945年に米国を主とする連合国との戦いに敗れた日本は、史上初めて外国の軍隊に占領され、独立主権国家としての日本は消滅し、連合国の占領地へと転落してしまった。この状態は1951年のサンフランシスコ講和条約で、日本が再び主権を回復するまで、六年余り続くことになる。

この比較的短い占領期間中に、アメリカは驚くほどの早さで、あらゆる日本の制度や社会のしくみを、日本が二度とアメリカに刃向う軍事大国となることのないようにとの基本方針(日本の永久農業国化)の下に、次々と改造していったのである。

まだ敗戦直後の混乱の収まる気配すらなく、全国の都市の殆どが焼け野原のままで、食料や住宅をはじめとするあらゆる物資、そしてガス、電気、水道もろくにない終戦の翌年1946年には、早くも新憲法が制定され、そしてその次の年には教育基本法が施工されている。
これだけを見てわかるように、現在の日本人の生活や考え方を、根本的に規定し、それなりに定着してしまった国家の重要な制度的理念的基盤は、じつにこの敗戦直後の混乱期の最中、しかも日本が国家主権を持たない占領地であったときに、戦争の勝者である米国のあらがい難い強力な指導の下に、彼らに都合のよい方向で固められたのである。
・・・・・・
そして日本人の大東亜戦争に対するそれまでの見方を180度転換させ、自国の歴史とそれまでの国の在り方に、極度の嫌悪感を抱かせ、日本人の自信喪失を深めさせることに大きな力を発揮したのが、NHKの放送であった。
占領軍総司令部の厳重な監督下に置かれた、この日本唯一の放送局(まだ民放はなく、もちろんテレビも存在しなかった)は、あらゆる機会を捉えて、戦時中に日本軍が行った(とされる)残虐行為や非道な仕打ちの数々を、日々国民に伝える役目を負わされていた。

とりわけ終戦の年の12月から翌2月にわたって、週1回放送された「真相はこうだ!!」という題名の、日本人を洗脳する目的で作られた特別番組では、いかに日本の起こしたこの戦争が、正義と人道にもとる許し難きものであったかを、集中的に繰り返したのである。


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かの宣伝上手であったドイツの独裁者ヒトラーの口癖だと言われる「嘘も百遍言えば真実になる」をまさに地で行く徹底した洗脳教育であった。思えば戦時中に日本政府が、この戦争の公式名称として「大東亜戦争」という呼び名を正式決定していたのに、これではいかにもこの戦争が、日本の主張したアジア諸地域から欧米勢力を追放するための植民地解放戦争の意味合いが残ってしまうという理由で、占領軍総司令部が単に米国から見た主戦場が太平洋地域だったことを示す「太平洋戦争」と呼ぶことを日本に命じたのも、この時期(1945年12月15日)だった。

私はこの太平洋戦争という名称は、第一、日本政府が一度も正式に決定したものではなく、その上、日本が大変な無理をして遥か彼方のビルマ(今のミャンマー)までインドの独立を支援する軍隊を送り、そして悲惨な結末を迎えたなどという史実を全く反映していない不適切なものであるという理由で、決して使わないことにしている。

・・・・・
しかし半世紀前の大東亜戦争のこと、そして敗戦直後のどさくさまぎれに、勝者であったアメリカが計画的に実行したWar Guilt Information Program(日本人がいかに理不尽な戦争を行ったのかを、日本人に自覚させ、罪の深さを悟らせる計画)の名で呼ばれた宣伝洗脳教育の恐ろしさを、いま改めて私たちが知らなければ、現在の日本人の大半がもっている、

およそ事実に即さない歪んだ自国の歴史認識、その結果として生じた深い自己嫌悪と自信喪失のトラウマ状態から永久に脱出できないと私は思うからである。このような、自分が生を享けた国に誇りも愛情をも持つことができず、祖先、先人の苦労も知らずに、ただ悪しざまに罵るような日本人がいま一体英語を何のために学ぼうとするのか、私はそれこそまさに空中楼閣、砂の上に城を建てるに等しい愚行だと考えるからである。


主権国家と言う政治組織は好むと好まざるにかかわらず、今も世界中に厳然として存在し、誰もが何かしらの国家の庇護の下でなければ、自分の生活、身の安全すらも保障されないということは冷厳な事実である。ところが日本では、国家というものをあたかも旧い過去のいまわしき遺制と考え、国家主権とか国益といった言葉は口にするのも忌まわしいとすることが、あたかも進歩した人間のとるべき態度であるかのような言論が、堂々とまかり通っている。このような状態は、日本の永久無力化を狙った人々にとっては、まさに笑いが止まらない、予想を遥かに超えた大成功と言うべきなのであろう。』


『真相はこうだ』
「眞相はかうだ』wiki
GHQ作成の情報操作書「真相箱」の呪縛を解く 櫻井よしこ
藤原正彦『日本・日本語・日本人』

尚、コメント欄は閉じています。
ご意見があれば過去の記事のコメント欄にお願いします。





日本語の「ハ」と「ガ」

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以前の記事、「真理は言葉」の中で、数学者・哲学者であるバートランド・ラッセルの「真理とは、主語と述語が一致すること」という定義をご紹介しました。
それは例えばコップを、「これは本です」と言えば誤りですが、「これはコップです」と言えば主語と述語が一致するため真理になるという意味です。

しかしコップに対して、「これは水を入れるものです」と機能を述べることも正しく、あるいは、「これはガラスです」と材質を述べることもできます。もしそれがバカラのコップであれば、「これはバカラです」と価値を述べることも可能です。
このことは、見る角度、視点によって、物事の正しさがいくつもあることを表しています。

世の中の争いの多くが、自分の視点を絶対視し、人の視点を認めないことから生じますが、これは人間が自分の見ているものしか信じないことを物語るものです。
シーザーの言葉「多くの人は見たいと欲するものしか見ない」は、人間が自分の価値観から脱することがいかに難しいかをあらわす言葉です。

ところでラッセルは、「Snow is white」(雪は白い)というように、これ以上単純化できない主語と述語の形を、「原子命題」と名付けました。

これに対し評論家の森本哲郎氏は、それ以上分解できないはずの原子命題が、日本語ではさらに二つに分かれるといいます。
つまり「SPである」と、「SPである」の二つです。


日本・日本語・日本人 (新潮選書)日本・日本語・日本人 (新潮選書)
(2001/09)
大野 晋、鈴木 孝夫 他

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『日本・日本語・日本人』(大野晋 森本哲郎 鈴木孝夫共著)の中で森本さんはこう説明しています。

『この二通りの日本語の表現は、一見同じことを言っているように思われるが、よく考えるとどこか違っている。どこが違うかについて、ほとんどの日本人は明確に答えられない。
国語学者のあいだでさえ、諸説紛々たる有様にもかかわらず、こうした「ハ」と「ガ」の使い方は、日本人なら子供でも間違えることはない。

「ぼくは行かない」とは言っても、「僕が行かない」などとは言わないように、「東京は人口が多い」とは言うが、「東京が人口は多い」などとはだれも口にしない。
とすれば、ラッセルが論理の原子とみなした「S is P」は、日本では原子のなかの陽子と電子ように、それ以上分割できることになる。
そして私たちは、このような思考の“単位”を無意識のうち、自在に使い分けていることになる。たとえば「東京が人口は多い」などという表現は通用しないけれど、「東京の方が人口は多い」とほうをつけ加えるなら、それは決しておかしくない。・・・』

森本さんが述べているように、「ハ」と「ガ」の使い分けは日本人なら誰でも出来ることで、そのことを意識することさえありません。

ところが過日、NHKの若い男性アナウンサーが、子供でも間違わないはずの「ハ」と「ガ」を誤って使ったのには驚きました。
余りのことに唖然として、何と言ったのか覚えていないのが残念ですが、子供でも間違えるはずのない助詞の使い方を、NHKのアナウンサーが間違える時代になったのです。
こういうのを、世も末というのでしょうか。NHKが抱える様々な問題が、また一つ露呈した気がします。

ラッセルと森本哲郎さんを持ちだして長々と述べたのは、このことを言いたかったからです。

「ハ」と「ガ」の使い方を間違うようになった理由は、多分ネット上の表現に影響されたものでしょう。ネットでは、例えば次のような表現を良く見かけます。
「自民党の新ポスターが発表」

「自民党の新ポスターが発表された」が省略されたものでしょうが、もしかしたら、「自民党が新ポスターを発表」のような他動詞との区別がつかない人が増えたのかも知れません。

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ところで、本を紹介する時はAmazonで紹介していますが、昨年のAmazonの日本での売り上げは、なんと77 億ドル(7700億円ex100円)であったことが公表されました。
7700億円という売上は、小売業では9位の高島屋(8581億円)との10位のエディオン(7590億円)の間に位置します。通販の伸びから見て、近い将来1兆円を超えるでしょう。

問題なのは、日本にあるAmazonは倉庫扱いのため、税金を支払う必要がないということです。
日米の租税条約で決まっていることで、Amazonが悪いことをしている訳ではありませんが、日本に税金が落ちないのは面白くありません。できるだけ国内通販を利用したいのですが、中古本の取り扱いはAmazonが便利なので残念ながら目をつぶっています。

ところで、Amazonの注文画面に「お急ぎ無料便」の表示が出ています。
無料なら利用してみようかと思いますが、実は利用後に、年会費3900円が引き落とされる仕組みになっているようです。
アマゾンプライム0120899280に電話して解約する事ができるようですが、面倒ですので、最初から利用しないのが賢明です。お気をつけください。

尚、コメントのご配慮は無用に願います。

Amazon物流センターの過酷な労働

 



お正月は百人一首

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昔、正月の遊びと言えば、カルタと百人一首でした。
カルタで遊んだのは小学校低学年まででしたが、百人一首はかなり後まで遊んでいました。
百人一首はその後、高校時代に全部覚えたのですが、単に受験のために覚えただけで、歌に対する興味はまったくありませんでした。ただ、今でもいくつかの歌を口にすることができるのは丸暗記の効用です。

今にして、和歌を子供の遊びにするとは、日本は何と芸術的な国であったことかと思います。
この素晴らしい文化が、今やほとんど顧みられることがないのは残念なことです。たとえ「坊主めくり」であっても、子供の時に百人一首に触れておけば、いつか和歌に興味を持つことがあるかも知れません。
第一、ゲームで遊んだ無数の時間のことは忘れても、家族そろって百人一首で遊んだ思い出は、きっといつまでも心に残るはずです。

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クリックすれば大きくなります

小さな子どもたちに、いきなり百人一首を与えても興味を持たないでしょうが、一茶の俳句をカルタにしたものがあります。ヴァイオリンのスズキメソードで知られる「才能教育研究会」で出している「一茶百句 俳句かるた」です。わが家の娘たちは、このカルタで飽きることなく遊んでいました。もし小さなお子さんがいらっしゃれば、是非一緒に遊んでください。

「百人一首」は、ほとんど任天堂が作っていました。その任天堂はゲーム機の主役になり大会社になりましたが、今は携帯ゲームに押されて赤字が続いています。栄枯盛衰を感じますが、任天堂の名前は、花札がばくちに使われ、運を天に任すことに由来しています。子供たちの時間を奪うゲームだけでなく、もう一度日本の文化の担い手であったことを思い出してほしいと思います。

新々百人一首〈上〉 (新潮文庫)新々百人一首〈上〉 (新潮文庫)
(2004/11)
丸谷 才一

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丸谷才一さんの著書に、「新々百人一首」があります。
「小倉百人一首」は、平安時代の公家、藤原定家が選んだものですが、「新々百人一首」はそれに代わる百首を丸谷才一さんが選んだものです。
英文学を専攻した丸谷さんの、日本の古典に対する深い知識と見識にはいつも舌を巻きますが、この著書においても、次次に示される丸谷さんの和歌に対する深い知識に圧倒されます。

下巻の巻末に、歌人の俵万智さんと丸谷さんの対談が載っていて参考になりました。
俵万智さんといえば、「サラダ記念日」の斬新な表現力が印象的ですが、この対談で俵さんの古典に対する深い知識を知りました。

一端をご紹介します。

俵 『「実は、私は高校生ぐらいまで、『小倉百人一首』にある「逢い見てののちの心にくらぶれば昔はものを思わざりけり」(藤原敦忠)という歌は、その人に逢うまでは自分は何も恋の悩みを知らなかったわ、という内容だと思っていたんですね。でも多少古典を勉強すれば、「逢う」とか「見る」という言葉が、共寝をするという意味だと分かるし、それによってさらに、解釈が深くなる。
「新々百人一首」のなかでも、村上天皇の歌「思へどもなおあやしきは逢うことのなかりし昔なに思ひけん」や寂蓮の歌「逢うまでの思ひはことの数ならで別れぞ恋のはじめなりける」では、「逢う」という言葉の意味を知らないで読むのと知って読むのとでは、ずいぶん味わい方が変わりますからね。』
  ・・・・・・・・
俵 『秋が恋の季節だということを、いろいろな歌を例に挙げて強調されていましたが、旧暦の秋は七、八、九月ですか。』
丸谷『そうですね。』

俵 『これはくだらない質問かもしれませんが、この本で「伊勢物語」第九十六段の、「秋かけて言いしながらもあらなくに木の葉ふりしくえにしこそあれ」という、秋になったら逢いましょうと約束しましたがそうはならず浅い縁でしたね、という歌が引用されていますよね。その本文を見ると、作者の女性は、「秋になったら」という理由を、体にできものができて気持ちが悪いし、夏で暑いからと言っているんです。秋が恋の季節というのは、当時クーラーやシャワーがなくて、夏の間はべたべたして気持ちが悪くてあまり一夜を共にしたくなかったからなんでしょうか。』
丸谷 『ハッハッハッ』

俵  『私、学生のころ初めてこの段を読んだときに、すごく印象に残っていたんです。逢うというのは、さっきも出ましたけど共寝をするという意味ですから、涼しくなってからにしましょうねとは、ずいぶん露骨なことを言う女の人だなと思って。何度か引用されてる歌がちょうど出てくる段の、女性のセリフだったので、思い出して読んでみて、そうなのかなと思ったんです。』

丸谷『非常にいい説みたいな気がしてきたなあ(笑)。僕はそれは考えていませんでしたねえ(笑)。』


国文科出身の人や、古典を学んだ人には常識なのかも知れませんが、逢うや見るがこう言う意味であったことを初めて知りました。たしかにずいぶん味わい方が変わります。

「逢う」ことも「見る」こともなくなった人も、いまだ逢い見ている人も、たまには百人一首で遊びましょう。


コメント欄を開けることにしましたが無視してください。






日本の夜明けが始まった

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自民党が294議席の大勝を納め、安倍総裁が『日本を取り戻す第一歩』を踏み出すことになりました。
天に感謝。

もし民主党が来年の夏まで政権を担っていたら、日本は取り返しのつかないダメージを受けていたでしょう。
その意味では、野田さんに感謝しなくてはいけないでしょう。野田さんに多謝!

しかしこの3年余は無駄ではなかったのかも知れません。
闇に覆われていた間に、多くの日本人が日本の闇に気づき、日本の再建に何が必要であるかを知ることとなったからです。

日本を本当に取り戻すには憲法を改正しなければならず、来年の参議院選で自民党が過半数を取れば、その可能性が現実のものとなります。

一度首相を務めた安倍さんが、再度総裁に立候補したのは権力欲からではなく、日本を取り戻したいという、やむにやまれる心からでした。同じ山口県人としてわかります。

「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」 
                          -吉田松陰ー
日本の夜明けが始まりました。






日本の復活はあるか


大手家電メーカーのS社から、韓国のサムスンにヘッドハンティングされた技術者がいます。
彼はサムスンに入り、すぐにここは技術者が夢を実現する場所ではないと気づき退職を申し入れました。
しかし、日本の技術者のヘッドハンティングは李会長からの命令なので辞められたら困る、仕事をしなくても給料は払うので一年間はいてくれと頼まれ、1年間在籍したそうです。サムスンでのことは、辞めても2年間は話をしてはいけないとの契約があり、詳しい話はできないと口ごもっていました。

彼の場合は技術開発の場がなく、技術が流出したのかどうかわかりません。しかし同じようなヘッドハンティングが数多く行われており、長い時間と経費と努力を傾けた日本の技術が、僅かな金額で韓国や中国に流れてしまうことは残念な限りです。

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ところで、現在のテレビのほとんどがスピーカーを中に隠し、外から見えないようにしています。音が悪いことは言うまでもなく、まともな技術者なら絶対に考えないことです。しかしこのサムスンのデザインが世界的に売れたため、日本の家電メーカーも一斉にマネをしました。営業サイドからの要請だったのでしょうが、技術者はさぞかし屈辱だったと思います。

世界を席巻した日本の家電メーカーが巨額の赤字を出し、シャープが台湾企業に身売りするなど、かつては想像もできないことでした。このような状況に陥った原因は、アメリカによって円高を押し付けられ、製造拠点を海外に移転した結果です。為替が日本のアキレス腱であることを見抜いた国際金融資本の戦略は、見事というしかありません。


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プラザ合意

失われた10年、あるいは20年の間、日本はプラザ合意に基づく超低金利、あるいはゼロ金利政策を維持させられ、日本で運用できない資金はアメリカに流れて行きました。
アメリカの流入資金の8割が日本からのもので、長期不況に苦しむ中、日本の金がアメリカを支えてきました。

日本が現在置かれた困難のもう一つは、巨額の赤字国債です。
全国の自治体に、「ふるさと創生資金」がばらまかれたバブルの真っ最中に、赤字国債が発行されていました。
なぜこんなに景気が良いのに、国債を発行するのか、当時不思議に思いました。
バブルの最中に赤字国債が発行された理由は、金融や不動産への適切な課税を怠ったためです。
このことが、日本の巨額な財政赤字を作ってきました。

ごく一部の富裕層が富の大部分を占めることは世界共通です。日本の富裕層の多くが土地と金融によって富を築いており、この富裕層に対する適切な課税が行なわれない限り、消費税だけで日本の赤字は改善しません。
富裕層たちは巧妙に政治家に取り入って適切な課税を阻んでいます。これも世界に共通することです。


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今TPPが議論されていますが、TPPは資本主義の崩壊を引き起こす恐れがあります。
関税撤廃による競争激化によって、生産者は一段のコストダウンを迫られ、さらなる人件費の削減を進めざるをえなくなります。賃金抑制によって購買力は低下し、景気はさらに悪化するでしょう。
資本主義は継続的なインフレを前提にしており、デフレは死に至る病です。

TPPには農業や工業生産だけではなく、国際金融資本が最も得意とする金融や保険などのサービスが含まれており、この部門が自由化されればアメリカの一人勝ちになるはずです。

戦後、日本人の必死の努力によって達成された高度成長は、アメリカのバブルの仕掛けによって破壊されました。
現在の民主党による売国政治は眼を覆うばかりですが、戦後の自民党の腐敗と怠慢が日本の病理を生んだことも事実です。
日本の課題は多く、解決に時間が掛かりますが、自虐史観を捨て、日本に対する誇りと日本人の心を取り戻すことが何より大切ではないでしょうか。
何かを始めるのは心です。

バブルの仕掛けについては、「日本の戦後に行われたこと」をご参照ください。





安倍さんに期待すること

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民主党の真っ暗な政治に支配された日本に、ようやく夜明けの光が見えてきました。
夜明け前が一番暗い、明けない夜は無い、そのように思える日がきたことをうれしく思います。

安倍さんは、戦後体制(戦後レジーム)の打破を悲願にしています。
今回総裁選に立候補したのも、日本を何とかしたいという、止むにやまれぬ愛国心からでしょう。

GHQによって押しつけられた戦後体制とはどのようなものかについては、
日本の戦いとは何であったか」、
日本の戦いとは何であったか(2)」
「「
日本の戦後に行われたこと」 をご覧ください。

戦後の占領政策によって日本人は見事に洗脳され、心を失っていきました。

その病理は、愛国心の否定、悪平等、拝金主義、自由放埓、道徳軽視、スポーツ・セックス・テレビによる思考の放棄、事なかれ主義、義理人情軽視、官僚の横行、本能の解放、刹那主義、享楽主義、家族制度崩壊、自虐史観など、日本を死に至らしめるものでした。

現在の経済不況や政治的混乱も、戦前の教育を受けた日本人が第一線から退いたために起きてきたことです。
憲法改正、教育改革、自虐史観の克服など、たくさんの問題がありますが、戦後70年近く放置されたこれらの問題を、安倍さんなら解決してくれるのではないかと期待しています。

安倍さん、どうぞ健康に気をつけて、美しい日本を取り戻してください。

祝、安倍総裁!!(以下、2チャンネルからのコピペで)

安倍ちゃんキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!

安部総理きたあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

安倍!安倍!安倍!安倍!安倍!安倍!安倍!安倍!
───O(≧∇≦)O────

安部ちゃんキタワァ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(n´∀`)η゚・*:.。. .。.:*・゜゚・* !!!

安倍さんがんばれ!

よっしゃぁあああああああああああああああああ
日本大勝利ぃいいいいいいいい!!!!!!!

これで日本復活だああああああああああああ





日本の希望

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自民党の総裁選に5人が立候補したが、民主党の品格のない政治家たちを見つづけた目には、みんな誠実で頼もしく見える。
民主党代表選挙が同時に行われているが、立候補している顔ぶれを見れば品格の違いは歴然で、これに輿石幹事長が立候補していないのが残念である。
あの貧相で下卑た面相こそ、民主党の代表たるにふさわしいものであったのに。

5人のうち、誰が自民党総裁になり首相になっても、日本は潰れずに済むとほっとする。民主党政権になってから、いつも日本はどうなるのだろうかと不安だった。
民主党は、日本のことを思わない国会議員がたくさんいることを教えてくれた。どうか衆議院の解散の日まで、これ以上日本をおとしめる行為を止めてほしい。

マスコミは維新の会を持ち上げているが、先般民主党を離党し、日本維新の会に参画した政治家たちは、民主党という沈没船から逃げ出したに過ぎない。選挙のためなら民主党でも維新の会でも、どちらのでも良かったのだろう。

橋下徹という人物は、大阪府知事、大阪市長としては実績を上げたし、予想外の活躍だった。行動力があり、発言が明確である。だが、国の舵取りができる人物かどうかわからない。本人は国政に参加しないと言っているが、過剰な議席を得た民主党のことが頭をよぎる。

個人的には今の日本を救うため、安倍さんにもう一度頑張ってほしいと思う。日本に対する深い愛情と強い信念があり、中国を恐れぬ勇気がある。山口県出身の安倍さんに、もう一度日本の維新を実現してほしい。
日本が潰れる前に。


安倍晋三実績(コピペ御免)

たった就任3ヶ月で、教育改革と防衛省昇格を成し遂げ、
就任早々から各国との外交を精力的にこなし、
経団連の圧力に負けずにWCエグゼンプションの対象者を目標だった年収1000万円以上の近くで踏みとどめ、
それでいて企業側に非正社員の社会保険と厚生年金の適用を認めさせ、
児童福祉と子育て手当てとフリーター自立支援を予算に設けつつ、国債を減らして財源建て直しをスピードアップ、
北朝鮮制裁をガンガン強化して朝鮮総連をガサ入れ、
パチンコ屋を税務調査の波状攻撃で締め上げて総連を逆ギレさせ、
貸金規正法を改正してグレーゾーン完全廃止で悪徳サラ金業者を締め、
「負けたら即引退スペシャル」の重圧下でも重要な選挙に連勝し、
「女系天皇容認」を白紙に戻し、
「日本海」を「平和の海」 に改名しようと提案した盧武鉉大統領のアホな要求を見事に拒否し、
人権擁護法案を凍結し日本国民の言論と表現の自由を守って、
国民の大多数が疑問に感じていた「ゆとり教育」の見直しを明記し、
河野洋平が貢いだ中国国内の遺棄化学兵器処理を費用大幅圧縮し、
中国への武器輸出禁止解除反対をEUに働きかけて、
在日や凶悪犯罪を取り締まる共謀罪成立に全力をあげた政治家。

これが、在任1年での功績。
しかし、報道されなかった。










日本は神国か

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日本は神国だと言われてきました。神々によって作られ、神々によって護られているので、神風が吹くと真剣に考えられてきました。

日本は本当に神国なのでしょうか。
まず、神の国とはどのようなところで、そこで暮らすのはどのような人たちなのかを考えてみます。

神の国である以上、みんな優しく思いやりがあり、いつも笑顔で暮らしているはずです。
礼儀正しくて慎み深く、自分より人を優先するはずです。

物を大切にし、足ることを知り、虚栄や虚飾を遠ざけ、清潔で簡素の中に美を見出すはずです。
信義を重んじ、約束を守り、正直で誠実であるはずです。

子供は親に感謝し、親は子供のために自己犠牲を惜しまず、不平不満、愚痴、悪口を遠ざけ、貧しくても、お互いに助け合って暮らし、天の恵み、地の恵みに感謝し、人と人、人と自然が調和して生きているはずです。

これらのことが神の国の属性であるとすれば、明治維新までの日本、あるいは戦前までの日本は、まさに神の国でした。
日本という国を神が作り、護ってくれているのかはわかりません。しかし、そこに住む人々が、神の望む貴い心を持っている国であったことは間違いありません。
アインシュタインが、日本と言う国を作ってくれたことを神に感謝したいと言ったのは、日本という国の中に神の国を見たからでしょう。

明治の開国まで、265年間の平和な時代を作った徳川家康は、多分西洋の国々が貪欲な植民地政策で、多くの人々を残虐に苦しめ、富を略奪したことを熟知していたはずです。
西洋のキリスト教国が、日本的な美徳を破壊する危険な国々であることを知っていたのでなければ、あれほど固く門戸を閉ざす鎖国を行ったはずがありません。(鎖国時代もインドネシアの東インド会社から詳細な年次報告を受けて、世界の情勢を確認していました。)
今にして素晴らしい為政者であったことがわかります。

大東亜戦争に敗れた後、日本人の心を破壊するマインドコントロールが行われました。
その政策を立案し実行した勢力は、不義を喜び、背徳を好み、欲望を貪る自分たちの対極にいるのが、神の望む民族・日本人であることを知っていました。

戦後に行われた、「日本の侵略戦争」と言う嘘のプロパガンダから目覚め、日本の歴史と日本人の心に自信を持ち、正しい教育を取り戻すことが、何より日本に求められていることです。

神の国は心の中にあります。
一人でも多くの日本人が、日本人であることの誇りを持ち、日本の心を失わなければ、日本は神国であり続けるはずです。
光は東から、日本は日いづる国です。



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国際派日本人養成講座 
美しい国だった」
かつての日本が、どれほど素晴らしい国であったかがわかる記事です。
長い引用ですが、是非ご覧ください。

■1.「彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた」■

ドイツの考古学者ハインリッヒ・シュリーマンは、1871(明治4)年にギリシャ神話上のトロイアの遺跡の発掘に成功して、世界的に有名になるが、その6年前、1865(慶応元)年に日本を訪れている。

日本で最初の、小さな岩ばかりの島が見える地点に到達した。私は心躍る思いでこの島に挨拶した。これまで方々の国でいろいろな旅行者に出会ったが、彼らはみな感激した面持ちで日本について語ってくれた。私はかねてから、この国を訪れたいという思いに身を焦がしていたのである。 [1,p101]

シュリーマンの期待は裏切られなかった。入国の際、税関で荷物を解くのが面倒なので、金を渡して免除して貰おうとしたら、断られた。「日本男児たるもの、心づけにつられて義務をないがしろにするのは尊厳にもとる、というのである」と、その役人の高潔さをシュリーマンは讃えた。

また、当時は過激志士が外国人を襲う危険があったので、警護の武士がついてくれたが、「役人たちが欲得づくでこのげんなりするまでの警備に励んでいるのではないことは承知している。だからなおさらのこと、その精勤ぶりに驚かされるのだ。
彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであり、また彼らのほうも現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである」と感心する。

■2.「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろう」■

シュリーマンからやや遅れて明治11(1878)年に来日したイギリスの女性旅行家イザベラ・バード[a]。女性の身でありながら、アメリカ、カナダ、ハワイ、日本、マレー半島、チベット、ペルシャ、朝鮮、中国、モロッコと、通算30年に渡って世界中を旅した。その体験をまとめて『日本奥地紀行』『ロッキー山脈踏破行』『朝鮮奥地紀行』『中国奥地紀行』などの著作を残している。

これだけ広く世界を旅して、詳細な旅行記を残しているという点で、当時の日本を客観的に語って貰うには、好適な旅行者である。

バード女史から東北・北海道への旅行計画を聞いた英国代理領事は、その時、「英国夫人が一人旅をしても絶対大丈夫だろう」と太鼓判を押している。それは正しかった。

奥地や北海道を1200マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほ
ど、婦人が危険にも不作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。[1,p187]

ヨーロッパの多くの国や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受
けるまではいかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。[1,p188]

■3.「それは美しいものであった」■

バード女史は、実際の旅での見聞をこんな風に語っている。

私達は三等車で旅行した。「平民」のふるまいをぜひ見てみたかったからである。客車の仕切りは肩の高さしかな
くて、たちまち最も貧しい日本人で一杯になった。

三時間の旅であったが、他人や私達に対する人びとの礼儀正しい態度、そしてすべてのふるまいに私はただただ感
心するばかりだった。それは美しいものであった。とても礼儀正しくてしかも親切。イギリスの大きな港町で多分目にするふるまいと較べて何という違いだろう。

さらに日本人は、アメリカ人と同様、自分やまわりの人への気配りから清潔で見苦しくない服装で旅行している。
老人や盲人に対する日本人の気配りもこの旅で見聞した。
私達の最も良いマナーも日本人のマナーの気品、親切さには及ばない。[1,p184]

ものを紛失した時に、馬子は一里も戻って探してくれ、バード女史が骨折り賃として何銭かあげようとしたが、「旅の終わりまで無事届けるのが当然の責任だ」と言って、どうしてもお金を受け取らなかった。

「どこでも警察は人々に対して非常に親切である」し、かならず助力してくれるので、「困ったときはいつも警官に頼む」。

こうした日本人の振る舞いに触れて、バード女史はこう述べている。

この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように----残念ながら実際にはそうではない!----

■4.「日本人にすべてを教える気でいたのであるが」■

バード女史と同時期、明治10(1877)年から13(1880)年まで東京大学で生物学を教えたエドワード・S・モースの談を聞いてみよう。東京で大森貝塚を発見した事で知られている人物である。

外国人は日本に数ヶ月いた上で、徐々に次のようなことに気がつき始める。即ち彼は、日本人にすべてを教える気
でいたのであるが、驚くべきことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於いて道徳的教訓の重荷になっている善悪や品性を、日本人は生まれながらにして持っているらしいことである。

衣服の簡素、家庭の整理、周囲の清潔、自然及びすべての自然物に対する愛、あっさりしていて魅力に富む芸術、
挙動の礼儀正しさ、他人の感情に就いての思いやり・・・これ等は恵まれた階級の人々ばかりでなく、最も貧しい人々も持っている特質である。[1,p36]

机の上に小銭を置いたままにしても召使いは一切手を触れない。街中の店では、時折店主が店を開けっ放しにして出ていくので、モースは逆に盗みに入られないかと心配するほどだった。
「盗み」などの犯罪が皆無であることに驚嘆し、「人々が正直である国にいることは実に気持ちがよい」。

モースの母国アメリカでは、盗難防止のために、戸外の寒暖計はねじくぎで壁に留められ、噴水のひしゃくは鎖で結びつけられていた。

正直、節倹、丁寧、清潔、その他わが国に於いて「キリスト教的」とも呼ばれる道徳のすべてに関しては、一冊の
本を書くことも出来るくらいである。[1,p39]

■5.「礼儀という点で、日本人にまさるものはない」■

さらに時代を遡ってみよう。元禄3(1690)年に来日してオランダ商館付の医師として、約2年間、長崎の出島に滞在したドイツ人・エンゲルベルト・ケンペル。オランダ商館長に随行して、二回、江戸に上り、将軍にも拝謁している。日本の動植物、風俗、地理、歴史、宗教などに関心を示し、帰国後、ロンドンで出版した「日本誌」はフランス語、ドイツ語にも訳され、ゲーテやモンテスキューなども愛読したと言われている。

江戸への道すがら、ケンペルはこんな感想をもらしている。

旅館の主人らの礼儀正しい応対から、日本人の礼儀正しさが推定される。旅行中、突然の訪問の折りにわれわれが 気がついたのであるが、世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で、日本人にまさるものはない。

のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大へん礼儀正しいので、われわれは
国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでもよかろう。[1,p178]

当時の日本は、キリスト教国の侵略から国を守るために、オランダと中国以外の国とは貿易を禁止していた。ケンペルはこの「鎖国」政策に賛成している。当時の日本は自給自足ができており、外国から物資を輸入する必要はなかった。そして、国内は戦争もなく、生活水準が非常に高かった、という理由からである。

■6.「貧しいことを不名誉と思っていません」■

江戸幕府が鎖国政策を採った理由は、キリスト教宣教師を尖兵とするスペインやポルトガルの侵略から身を守るためであった[b]が、戦国時代に来日して、初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルは、純粋に布教を目的としていたようだ。

ザビエルは、日本人アンジロウとインドのゴアで出会った。アンジロウは8ヶ月のうちにポルトガル語の読み書きも会話も完全にマスターし、「知識に飢えていて、真理のことなどすばやく学びます」。他の日本人もアンジロウと同様であるとしたら、布教は成功するに違いない。ザビエルは「日本へ行く夢をあきらめることはどうしてもできません」と思うようになった。

ザビエルは1549年にアンジロウとともに日本に到着した。そして日本での布教の成功を確信した。「日本の国民が、この地域にいるほかのどの国民より、明らかに優秀だからです」。ザビエルは日本人をこう評している。

この国の人々は今までに発見された国民のなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のあいだで
は見つけられないでしょう。

彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。驚くほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。大部分の人は貧しいのですが、武士も、そうでない人びとも、貧しいことを不名誉と思っていません。[1,26]

■7.「性質直にして雅風あり」■

ザビエルから、さらに遡って、西暦636年頃に成立したとされている「隋書倭国伝」には次のような一節がある。日本では聖徳太子が亡くなられた直後の時代にあたる。

人すこぶる恬静(てんせい)にして、争訟まれに、盗賊すくなし。・・・性質直にして雅風あり。[1,p80]
(人はすこぶる物静かにして、争い事は少なく、盗賊も少ない。・・・人々の性質は素直で雅やかである。

同様の記述は、西暦280~290年に書かれたとされる「魏志倭人伝」にも見られる。

婦人淫せず、妬忌(とき)せず。盗窃(とうせつ)せず、諍訟(そうしょう)少なし[1,p74]
(婦人の貞操観念は堅く、ねたんだりしない。盗みをする者はいない、訴え事も少ない)

戦乱の絶える間が無く、騙し騙されが日常であったシナ大陸から見れば、犯罪や争いの少ない、純朴な人々の住む日本は別天地のように見えたであろう。

「美しい国、日本」とは安倍首相の政権構想の中心であるが、それが「国民が美しい心根を持っている国」という意味では、日本は有史以来「美しい国」として、外国人から賛美されてきたのである。

■8.「この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており」■

しかし、今に至って改めて「美しい国、日本」を掲げなければならないのは、現代の我々が、過去の先人達の美しい心根を忘れてしまったという認識からであろう。

この事態は、幕末から明治初期にかけて日本にやってきた西洋人たちによって、すでに予見されていた。幕末において、アメリカ公使館通訳として活躍したオランダ人・ヘンリー・ヒュースケンは、こう語っている。

いま私がいとしさを覚えはじめている国よ、この進歩はほんとうに進歩なのか? この文明はほんとうにあなたの
ための文明なのか?

この国の人々の質朴な習俗とともに、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところ
に満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、どこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、おお、神よ、この幸福な情景がいまや終りを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ち込もうとしているように思われてならないのである。[1,p268]

■9.「美しい国」を復活させる道■

日本に帰化して小泉八雲と名乗ったラフカディオ・ハーンも日本人の美しい心根について数々の著書で賛美しつつ[c,d]、同時にこんな警告を発している。

日本の場合は危険がある。古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性である。質
素さを保つ限りは日本は強いだろう。
しかし贅沢な思考を取り入れたら、弱くなっていくと考える。

ハーンは明治時代の欧米文明導入から生ずる危機を予言したが、その後の共産主義思想の侵入や、敗戦後の占領軍による過去の断罪と社会改造、さらには経済大国化やグローバル化により、「古くからの質素で健全な、自然で節度ある誠実な生活様式を捨て去る危険性」はますます現実となりつつある。ハーンとの交流が深く、万葉集などの詩歌を研究して、東京大学で日本語学教授にもなったイギリス人のバジル・ホール・テェンバレンは、こう述べている。

過去にしっかりと根をはっている国民のみが、将来において花を咲かせ、果実を結ぶことを期待できるのである。
[1,p193]

我々の先祖が大切にしてきたものを共感を持って受け継ぎ、それを現代文明の中で新しい形として生かしていく。これが「美しい国」を復活させる道であろう。(文責:伊勢雅臣)



参考:日本の戦後に行われたこと
   :
魂と物質







日本の未来と新成人

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四書五経の「中庸」に、次のような文章があります。
「国家将にに興らんとするや、必ず禎祥(ていしょう)あり、国家将に亡びんとするや、必ず妖孽(ようげつ)あり』
~国が興隆するときは、必ずめでたい兆しがあり、滅亡するときは必ず災いの兆しがある。

致知出版社の「小さな人生論」藤尾秀昭著では、次のように説明しています。

 “『大漢和辞典』の編纂などにより、文化勲章を受けた中国哲学者諸橋轍次博士の解説によると、幸福の兆しとは青年の意気が上がり、人情が厚くなることだという。災いの兆しとは、官吏が堕落したり、邪教がはびこったりすることを指すという。
これもまた、いまの日本の現実を鋭く指摘しているようで、慄然とならざるをえない。”

日本に滅亡の兆しが現れて久しくなりますが、確かにその兆し通り、日本は滅亡の道を歩んできました。
拝金主義、利己主義、刹那的快楽主義、自らの国をさげすみ否定する自虐史観などという滅亡の兆しは、およそ日本人には無縁なものでしたが、戦後の日本弱体化計画は、巧妙に、見事に目的を達成しました。

その一方、青年の意気が上がり、人情が厚くなるというめでたい兆しは、災いの兆しに反比例して日本から消えて行きました。
ところが先日の成人式のアンケートによると、77%の新成人が、自分達が日本を変えると答えています。
これは久しく見なかった、めでたい兆しではないでしょうか。

バブル以降、失われた20年と言われますが、新成人たちは日本の苦難の中で育ってきました。
家貧しくて孝子顕る(あらわる)、そんな言葉を思い出します。
自分たちが国を変えて行こうという若者が現れたのは、高度成長後、多分初めてのことではないかと思います。

ネット通して日本の戦争と戦後の真実を知り、素晴らしい日本を蘇らせたいと考えるに至った若者たちも、少なくないと思います。
また、東日本大震災という不幸が、助け合い思いやる、日本人の優しい心を蘇らせました。

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先の「小さな人生論」の続きに、松下幸之助の言葉が紹介されています。
『あるとき、経営の神様松下幸之助は若者から、「国の政治と会社の経営は同じものか」と問われ、「同じだ」と答え、「業種を問わず、会社経営に成功する三つの条件がある」と続けます。

一つは絶対条件で、経理理念を確立すること。これができれば経営は50%は成功したようなものである。
二つは必要条件で、1人ひとりの能力を最大限に生かす環境を作ること。
三つは付帯条件で、戦略戦術を駆使すること。これを満たせば経営は100%成功する。』

いま日本と言う国の経営を担っている民主党は、絶対条件である国家観や綱領を持たず、羅針盤のない船のような政治を続けています。
松下政経塾出身の首相や政治家たちは、松下幸之助の言葉を何と思っているのでしょうか。

哲学や理念がない政治家、国を愛する心さえ持たない政治家に、何も期待することはできません。
せめて日本人の心にようやく現れてきた復活の兆しを、彼ら政治家が潰さないことを願うばかりです。
]




明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。

穏やかな陽気で迎えた元旦でした。
何事もなく一年が過ぎて行った時代が終わり、何が起きるか予測のつかない時代になりました。
それゆえに、今年一年、穏やかな年であってほしいと願います。

皆さまにとって、幸多き年となりますようお祈りいたします。






様々なこと


日本人の生真面目さは、得てして過剰な反応を示します。
節電で街灯が暗くなったので、ひったくりが40%以上増えたとのニュースがありました。街灯に使われる電力使用量が一体どの位なのか分かりませんが、街灯の使用電力がピーク電力に影響するものでなければ、平常時の明るさに戻すべきです。

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使用電力のkwとkwhの違いは、kwが瞬間の使用電力で、時間当たりに積分した使用電力総量がkwhです。
節電で注意しなければならないのはkwです。
福井県では、8月9月の電気使用量が、前年を10%以上下回った一般家庭に対し、5000円の地域商品券を送ることを決めましたが、これはkwとkwhを誤解したものです。
また、節電と省エネは違います。自家発電は節電に貢献しますが、省エネではありません。

東京都で最も電力を消費するのは東京大学で、2番目が羽田空港です。東京大学は大学病院や研究施設があり、命や研究に係わる部分で、多量の電力を使用することは避けられません。

原発事故から原発を廃止すべきかどうか議論がありますが、感情論ではなく、制御技術や危機管理、製造業の競争力などを含めた議論が必要です。
原発の廃止を決定したイタリアやドイツは、原発大国のフランスから電力を購入しており、自国の原発を拒否しても、現実には原発エネルギーを使用しています。

また日本がドイツなみに再生可能エネルギーを推進すれば、一世帯当たりの電気代は、現状の月額平均6270円から9000円以上になります。
再生可能エネルギー(太陽、風力)は、天候に左右される不安定な電源です。既存の電力系統と連携する安定した設備対応が必要であり、そのコスト負担も覚悟しなければなりません。

再生エネルギー買い取り法案が可決されました。多くの問題を抱える法案であり、菅直人の退陣条件という、超低次元の駆け引きで決めるべきものではありません。東日本大震災という国難の中で、民主党政権、なかんずく菅直人という無能にして無責任、暗愚にして卑怯卑劣な人物が、この国の指導者であったことは、返す返すも無念でした。(悪口を言わないように心がけていますが、言わざるをえません)

セミの鳴き声もいつの間にか消え、来週は早9月となります。
これから台風シーズンを迎え、豪雨が気になります。7月末の福島と新潟の豪雨では、福島県只見町で72時間の雨量が700ミリ、新潟県加茂市でも600ミリを超えていました。

1ミリの降水量とは、1時間に1m²あたり 1 リットルの雨が降ることです。リットルに換算して考えると、600ミリ、700ミリの雨がどれだけ大量であるかが分かります。

雨粒の大きさが半分になると、雨粒の数は100倍になります。
雨粒の大きさと雨粒の数は指数関数で表せることを、マーシャルとパルマーが、「マーシャル・パルマーの粒径分布」として発表しています。

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sostenuteさんからお借りしました

日本語には雨に係わる多くの言葉があり、どれも美しく詩情があります。
春雨、五月雨、梅雨、秋雨、、氷雨、時雨、小ぬか雨、雨垂れ、雨乞い、雨音、雨宿り、雨模様、雨上がり、てるてる坊主、夜来の雨、恵みの雨、・・・数限りなくあります。

日本の美しい自然に降る雨は、様々な表情を見せ、その変化を日本人は美しい言葉として捉えました。雨の日は雨を見つめ、愛したから生まれた表現ばかりです。

和歌や俳句の美しさは、日本の美しい自然と、日本人の美しい心から生まれました。
その美しい自然を破壊する豪雨という言葉は、日本語といえ美しくありません。

大震災以降、記事を書く気になれず、ここ数カ月スポンサーサイトに急かされて記事を書いています。
今回も取りとめのない内容になってしまいました。




正しさについて

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 「正義の哲学」で知られるハーバード大のマイケル・サンデル教授の授業は、様々な問題を、「君ならどう考えるか」と問いかけ、代理出産、同性愛結婚、人権など、結論の出ない問題を突き詰めていきます。

NHKの番組でサンデル教授は、日本、アメリカ、中国の学生たちに、原発は必要か、危険な作業は誰がやるべきかなどを問いかけていました。このような討論を行うと自説を主張して激論となり、冷静な議論ができないものですが、サンデル教授は両論を見事にコントロールしていました。無論、結論は出ません。

何が正しいかは状況によって変わり、絶対的な基準がありません。それゆえ、人間の争いの多くが、「正しさ」から生じます。
人の物を盗むのは悪に決まっていますが、鼠小僧のように有り余る金持ちから盗んで貧乏人に施せば、義賊と称され、戦場では多くの敵を殺した人間が英雄になります。この世の正しさは、すべて相対的です。

しかし言うまでもなく、子供に「正しさ」を教える時は、絶対的なものとして厳しく教えなければなりません。
子供は真っ白な状態で生まれてきます。真っ白で生まれるとは、何が正しくて何が間違いかを知りません。
嘘をついてはいけない、人のものを盗ってはいけない、年長者は敬わなければならない、弱いものいじめをしてはいけない、挨拶しなければいけないなど、人間としての生き方を教えられて、初めて子供は人間になります。

お釈迦様は、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の、「八正道」を説かれました。
正しく見、正しく思い、正しく語り、正しく仕事をするなど、八つの正しい生き方を示したものですが、肝心の「正しさ」が人によって違うため、その教えを「正しく」理解することは困難です。

お釈迦様の説いた正しさの基準は、調和(バランス)にあります。
正しく見るためには自分中心ではなく、相手の立場に立って考えなくてはならず、お互いのバランスの中に、正しさの基準があります。正しく聞く、正しく語ることも同様です。
つまり、正しさは絶対的基準として存在するのではなく、調和を実現することが正しさの基準となります。

しかし、相手の立場に立って考えることは、簡単ではありません。


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ダスキンの創業者であった鈴木清一さんは、『自分に対しては、損と得とあれば損の道をゆくこと。他人に対しては、喜びのタネまきをすること』を説かれました。

いつも損の道を選べば、会社は潰れてしまいます。しかし、人間はそのくらい相手を優先しなければ、自己中心的になってしまうことを説かれたのだと思います。相手の立場に立つことを、これほど明確に示す言葉はありません。

鈴木清一さんの次のような言葉があります。

『夜もふけて悩みも苦しみもひととおりお聞きした後で、私がどうしてもご返事をしなければならないことになりました。
そこで私は「悩んでください。それが生きがいですよ」とお答えをしました。
人間はどんなに努力をしても良い結果になるとは限りません。しかし、どんな結果もありがたいと思えたら本当の勝利なのです。』

若い頃、鈴木清一さんの葬儀に参列しました。当時の三洋電機の副社長が弔辞の言葉を述べられましたが、鈴木清一という人物を失った悲しみを語る言葉は嗚咽で途切れ、折からのどしゃ降りの雨が、悲しみの涙と感じられました。
いまだに心に残る葬儀でした。

日本が高度成長を遂げていた頃、このような立派な経営者が沢山いました。そして、日本の心を持った多くの日本人が、それを支えていました。

今、東日本大震災からの復興を目指す日本にとって、何より大切なことは、先人たちの心の中心にあった、日本人の原点に帰ることだと、改めて痛感させられます。


参考:戒名とは何か

コメントのご配慮は無用に願います。


不条理の意味

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世の中の不条理と見えることにも、すべて理由があるはずだと考えてきました。しかし、東日本大震災で亡くなられた多くの方々や、今も困難な状況に耐えなければならない方々について、どんな必然性があって幸福な人生を奪われなくてはならなかったのか、その答えを見い出すことができません。

単にプレートに蓄積された膨大な力が解放され、その結果、そこに住む人たちが大震災に遭ったのだと考えれば不条理ではありません。
しかし、三次元を支配するのが原因結果の法則であり、善因が善果をもたらし、悪因が悪果を生むのであれば、素朴で忍耐強く、堅実に生きていたはずの人たちが、なぜこのような災害に遭わなければならなかったのか、不条理と言うしかありません。

この世は生まれ変わりを繰り返して学ぶ学校であり、不幸さえも学ぶためにあると考えることもできます。しかしそうであれば、やはり長く生きて様々な人生経験を積むことが望ましいはずであり、若くして命を落とすことの意味を理解することは困難です。


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先日7歳の日本人の女の子が、ローマ法王に「私はとても怖い思いをしています。大丈夫だと思っていた家がとても揺れ、同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか教えてください」と質問しました。

ローマ法王ベネディクト16世の答えに、もしかしたら納得できるヒントがあるのではないかと期待しましたが、「我々は答えを持っていませんが、罪なきキリストがあなた方と同じく苦しまれたということは知っています。
真実なる神は我々と共にいるのです」と答えるに留まりました。

ローマ法王が、まさかこのような安直で凡庸な答えをするとは思いもよらず、大阪弁で言えばスカタンを食らわされた思いでした。しかし誰であれ、この質問に答えることのできる人はいないでしょう。

破壊的な出来事に直面した時、怒りや悲しみを略奪や破壊や暴行にぶつけるのが世界の通例です。しかし今回被災地の人たちが示したのは、お互いに助け合い、譲り合い、悲しみに耐えながら感謝する美しい姿でした。
これまでどこの国においても、大災害の中でこのような美しい心と行為が示されたことはなく、その姿に世界は感動しました。

不条理な出来事に対して、怒りや悲しみや不満をぶつけ、犯罪的行為を行うのであれば不条理に意味はありません。
しかし不条理を受け入れ、それに負けずに未来を作り上げていく姿には、強さと美しさと希望があります。
不条理と見えたことが、新しく生まれるための陣痛であったことになります。

未曾有の大災害が日本にとってどのような意味があったのか、その答えが出るまでしばらくの時間が必要でしょう。
何年か経った時、この大災害によってもたらされた多くの犠牲が、希望を失っていた日本を再生するための尊い献身であったことに気づく日が必ず来ると信じます。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」
 ー ヨハネによる福音書 第12章24節

コメントのご配慮は無用に願います。


受難への祈り


平和に暮らしていた善良な人たちが、なぜこのような大災害を受けなくてはならなかったのか、世界にもっとも貢献していたはずの日本が、なぜこのような大災難に遭わなければならなかったのか、いくら考えても答えは出ず、今は分からない、何か大きな目的のための受難であったと考えるしか、この大災害を受け入れることができません。

ご主人と子供たちを失った女性が、「みんないなくなった。これからどうして生きていけばよいのか」と、静かに絶望に耐えていた姿が忘れられません。
被災地に降りしきる冷たい雪を見て、宮沢賢治の『永訣の朝』を思い出しました。
宮沢賢治の透明な悲しみの言葉が、ようやく東北を襲った悲しみを代弁してくれたように感じました。

・・・・・・・
  
この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ


ある会で黙祷を捧げていた時、多くの方々の笑顔を見ました。その後、祈りをするたびに現れます。
亡くなられた方々は、肉体の苦しみを去り、天国で安らかな時をすごされていると信じています。

被災者の方々の、お互いを思いやり、譲りあう姿は、世界を感動させました。この悲劇の中で、日本人の心が甦ったことが、何よりの救いでした。何か大きな目的のための受難とは、ここにあるのではないかと思います。

口々に、自分たちよりもっと大変な人たちを先に助けてくださいと言われる被災者の方々、黙々と働く自衛隊の方々、原発事故に命をかけて取り組む方々、多くのボランティアの方々、日本人はすばらしいと改めて感じます。

放射能が漏れた時、天皇皇后両陛下は京都御所へ遷座されるのではないかと思っていました。しかしそれを断わられ、皇居で人々と苦難を共にすることを選ばれました。毎日自主停電を実行され、寒ければ着ればよいとおっしゃられ、ろうそくで食事をされることもあるようです。日本という国は、なんとすばらしい方を天皇に戴いていることでしょうか。

ヨーロッパ在住の知人が、これまで日本は世界のために貢献してきた、今度は世界が日本に貢献する番だ、日本は誇りを持って受けて欲しいと、募金活動をしています。
フィアット、バイエルの前会長やメジチ家のお嬢さんなど、1500人以上が呼びかけに応じ、さらに広がりを見せています。
このチャリティの一環として、4月9日にパリでピアノの巨匠、マルタ・アルゲリッチの慈善演奏会を行います。
タイトルは、‘ GIVE A SMILE TO JAPAN ! ’です。
彼女が何より大切に思っている日本のために弾いてくれます。

多くの尊い犠牲を払った今回の大震災が、真の日本復活のきっかけとなることを心から願います。



日本の戦後に行われたこと

地震と津波の被害を受けられました皆様の、
 ご無事をお祈りいたします



玉音放送


内村鑑三の「代表的日本人」では、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮の五人が取り上げられています。ケネディーもこの本で上杉鷹山を知り、尊敬していました。無論この5人が日本を代表する訳ではなく、誰もがこの何倍もの偉人や聖人を思い浮かべることができると思います。

日本には、数多くの尊敬すべき人たちがいました。そして昔の日本人の高潔さ、偉大さを思うにつけ、戦後日本人が失ったものの大きさを無念に思います。

なぜ日本人は変わってしまったのでしょうか。

日本人の精神を荒廃に追いやったのは、戦後の日本弱体化計画でした。

日本弱体化計画の中心になったのは、GHQのユダヤ人たちでした。しかし皮肉なことに、戦前の日本が彼らユダヤ人の理想とする国であったことを知るに及び、その日本精神を破壊してしまったことを後悔し、日本人が昔の心を取り戻すように願ったのも彼らでした。

モルデカイ・モーゼ
モルデカイ・モーゼ

ユダヤ教の長老(ラビ)、モルデカイ・モーゼはGHQで日本弱体化計画を立案した一人ですが、その著書「日本人に誤りたい」で自らの過ちを深く詫び、戦前の日本精神に立ち返ってほしいと訴えています。

同じくユダヤ教のラビであるマーヴィン・トケイヤーは、「日本人は死んだ」他で、かっての日本人の姿に深い敬意を表すとともに、日に日に心を失ってゆく日本人に対して、限りない愛惜の思いを述べています。

著名なコラムニストであり投資アドバイザーであったマイケル・アームストロングは、「日本人に感謝したい」(原題『米国の対日戦略の真実』)で、ルーズベルトが日本を戦争に引きずり込むために仕掛けた様々なワナについて述べ、日本の戦争を、自衛のための戦いであったと位置付けています。

今回の記事は、日本人としての独善を避けるために、この3人が書いた本と、85人の外国人識者が語る連合国批判、「世界が裁く東京裁判」を参考にします。

残念ながら、戦後教育とマスコミの偏向報道によって、日本悪玉論を信じている人には、素直にうなづけない内容かも知れません。
しかし思い起こして頂きたいのは、これほど多くの高潔な人々を輩出してきた日本という国が残虐非道を行い、逆に世界を植民地にして、収奪と残虐を尽くしてきた欧米列強が、正義の戦いをしたのかということです。

戦後、悪と思い込まされてきた日本の戦いは、実は光と影が逆転したネガフィルムであって、真実を現す写真は巧妙に隠されていました。

ネガフィルムを通して見てきた世界が、正反対の世界であったことに気づけば、多くの偉人を輩出し、自然を愛し、和を尊び、細やかな芸術を育ててきた日本と、侵略戦争を糾弾された日本との落差の原因が、どこにあったかが理解できます。


大東亜戦争以前の戦いにおいても、日本人の強靭な精神力を前にして、清国は戦う前から戦闘意欲を失い、日露戦争において、世界最強であった帝政ロシアの軍隊が、日本人の自己犠牲と強靭な精神力に屈しました。

アメリカも日本と戦い、自己を捨て大義のために殉じる日本的精神が、どれほど恐ろしいものであるかを痛感し、この日本精神を破壊し、日本を永遠に三流国の位置にとどめようとする占領領政策を実施しました。

ポツダム宣言受諾

日本はドイツと違ってポツダム宣言を有条件で受諾したにもかかわらず、マッカーサーは、日本が武装解除した途端に、あたかも無条件降伏をしたかのように服従を命じました。

「連合国はいかなる点においても日本国と連合国を平等とみなさないことを、日本国が明確に理解するよう希望する。
日本は文明諸国間に地位を占めることを認められていない。敗北せる敵である。最高司令官は日本政府に命令する。交渉はしない」

日本弱体化計画のために行われたのが3S・5D政策でした。
3S(スリーエス)政策とは、スポーツ、セックス、スクリーン(映画)に熱中させることによって、日本人を刹那的、享楽的にさせる政策です。スポーツの中には、パチンコや競輪競馬などのギャンブルが含まれています。

5D政策とは、非工業化(Dis-industrization)、非軍事化(Dis-miritarization)、非集中化(Dis-centrarization)、非民俗化(Dis-nationalization)、民主化(democracy) です。

非工業化政策により、自動車やアルミ・ニッケル・マンガン製造に到るまで、軍事への転用を恐れて解体されました。
非軍事化は、憲法に戦争放棄の条文を入れて確実なものとしました。
戦争が悪であることは言うまでもありません。しかし悪人がいれば警察が必要だと考えるのに、なぜ諸外国の横暴に備える軍隊を否定するのでしょうか。「日本が戦争を放棄しても、戦争は日本を放棄しない」との言葉もあります。

現憲法は、ケ-ディス他3人のユダヤ人によって、ワイマール憲法を下敷きに2週間で作られたものですが、占領国によって被占領国に恒久的憲法を押しつけてはならないとの国際法を無視したものです。
ドイツは占領軍の憲法を占領基本法と認識し、独立を遂げたあとに自主憲法を制定しています。

非集中化によって財閥は解体され、全国を統括していた警視庁は東京だけの管轄になりました。現在の警察庁との軋轢はこの時に生じたものです。国家管理であった電力は、全国9つの電力会社に分割されました。

非民俗化(dis-nationalization)は3S政策と併せ、日本的精神を破壊するためのもので、民族的歴史教育を検閲し、武道を禁止し、歴史上の英雄を否定しました。

民主化(democracy)によってアメリカ流のデモクラシーを押し付けられ、日本人は権利のみを主張する国民となりました。
天皇を戴く日本の歴史は、民を主体に考えるデモクラシーでしたが、階級闘争史観を持ち込むことによって、権力による搾取や封建支配の歴史に置き替えられました。(日本人に感謝したい」)

欧米流の考え方に和の精神は無く、権力による支配・被支配でしか民主主義を捉えることができず、欧米人にとって、日本的な君民共治の世界があるなどとは、想像も及ばなかったことでしょう

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GHQ最高司令官 ダグラス・マッカーサー

3S・5D政策を実行するために、昭和20年9月、GHQは検閲指針を発表ました。

1.連合国最高司令官への批判。
2.極東国際軍事裁判(東京裁判)への批判。
3.連合国最高司令官が日本国憲法を起草したことへの批判。
4.検閲制度にたいする言及。
5.アメリカ対する批判。
6.ロシアに対する批判。
7.英国に対する批判。
8.朝鮮人に対する批判。
9.中国に対する批判。
10.他の連合国に対する批判。 
13.連合国の戦前の政策の批判。
20.大東亜に対する宣伝。
22.戦争犯罪人の正当化、弁護。

この他、17項目の検閲指針があり、ポツダム宣言で「言論の自由の尊重」を謳いながら、これらは検閲制度への批判を禁じた上で実施されました。(「世界が裁く東京裁判」)

大東亜戦争は欧米列強からアジアの植民地を解放する戦いであると位置づけていましたが、東京裁判とそれに続く洗脳政策により、大東亜戦争は太平洋戦争と言い換えられ、欧米列強が正義に、日本が鬼畜となってしまいました。見事に光と影を逆転させたのです。(「日本人に感謝したい」)

厳しい検閲に慣らされた日本の政治家やマスコミは、正しい発言や報道をする勇気を失い、現在も反日政策を実施する中国や韓国に対して、何らの反論もできないままでいます。中国や韓国が日本の侵略戦争を言いたてるのは、それが国益に利するからですが、日本人が真実を知らないままそれに同調しているのが残念です。

無条件降伏をしたドイツは教育権を死守しましたが、日本は戦前からの心の教育を禁じられ、○×式教育を受け入れ、さらには日教組の支配が強まるにつれ、教育は崩壊して行きました。

モルデカイ・モーゼは、ドイツのゲッペルス宣伝相の、「強大な超国家的勢力による心理戦が行われており、それは人間獣化計画を行うものである」との言葉を紹介しています。

「人間獣化計画」とは、愛国心の消滅、悪平等、拝金主義、過度の自由、道徳軽視、3S政策、事なかれ主義、無気力、無信念、義理人情抹殺、俗吏俗僚の横行、否定消極主義、自然主義(本能への回帰)、刹那主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定などです。(「日本人に謝りたい」)

ここに述べられていることは、現在の日本の有り様そのものです。

マイケル・アームストロングの「日本人に感謝したい」の最後に、日本への警告として驚くべきことが書かれています。
この本は1881年に出版されたものですが、「国際金融資本は1980年代の後半にかけて突然トリックを仕掛けて日本を襲うだろう。そのショックは‘空前絶後’の経済ショックとなる」と書かれているのです。

この警告の意味がバブルの仕掛けであったことが、今にしてわかります。
バブルが国際金融資本によって仕掛けられたことは、その後明らかになっています。
日本の工業力が世界を圧倒し、アメリカ経済が凋落して行く中、死角の見えない日本経済のアキレス腱であったのが金融でした。

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バブルの仕掛けとして、国際金融資本は丁半バクチのように、上がる下がるだけを売り買いする裁定取引を認めさせ、さらにコンピューターによるプログラム売買を認めさせました。
このことがどのような意味を持つのか、当時想像できる日本人はいなかったでしょう。

日経225銘柄の内、浮動株の少ない銘柄(買えば上がりやすい株)を中心にコンピューターにプログラムし、3時の株式市場が引ける直前に買いを入れます。どの銘柄をいくら買えば、どれだけ日経平均が上がるかは、すべて計算されていました。
こうした作業を繰り返してバブルを膨らませ、バンバンに膨らんだところで売りを浴びせ、一挙に株を暴落させたのです。
この時に主要な役割を果たしたのが、ソロモンブラザースとメリルリンチで、数兆円規模の利益を上げたと言われています。
バブルの警告をしたマイケル・アームストロング自身も、莫大な利益を上げたはずです。

農耕民族である日本人は、罠を仕掛けることに罪悪感を持ちますが、狩猟民族であった欧米人は、獲物を獲るために罠を仕掛けるのは当然のことと考え、罪の意識はありません。陰謀論などというものではなく戦略です。

今、TPPという罠が仕掛けられており、日本はさらに深い泥沼に落ち込んでいくのではないかと懸念します。

日本の最大の敵は、今や洗脳された日本人そのものとなっています。
しかしネットの普及により、若い世代を中心に、戦争と戦後の真実が知られてきました。
あと10年か20年経って、これらの世代が日本の中心になってきた時に、日本の長い呪縛がようやく解けるのではないかと期待してます。


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日本の戦いとは何であったか(2)

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東京裁判

日本の戦後病理をもたらした最大の原因は、アメリカの占領政策にあります。
昨年末に下記のコメントを頂き、占領政策によって日本人が心の拠り所を失っていることを再認識しました。
東京裁判と、それに続く洗脳政策が何であったかを知ることは、日本の戦後病理を克服するために重要なことです。

コメントを頂いたのは、へリンガー・インスティテュート・ジャパンを主宰されるチェトナ・小林さんです。



「私はドイツ発祥の日本でまだあまり知られていない心理療法を紹介する仕事をしている者です。心理療法といっても、創始者の方は元カソリックの神父だった方で、その技法は宗教と心理療法の間に橋を架けたような少々不可思議な香りを持っています。
そのセラピーの要に、除外されている存在に居場所を与えることが多くの問題を解く鍵となり得るという点があります。

私は日本各地をワークショップのために廻り、例えば鬱や拒食症など様々な症状を持つ人の個人的な苦しみや悩み、問題を異なる視点から見ることができるようにするためのお手伝いをしています。

ここ数年ワークショップの現場で発現する事象として、個人的な問題の背後に除外されていたものが、実は、戦争のときに命をかけて国と家族を守って亡くなっていった祖父や、父親や、おじたちへの尊重であったり、誇りそのものが除外されているということが多々あります。 そのような事象に立ち会うことがあまりにも多くなってきたために、もっとちゃんと理解しなくてはいけないと駆り立てられるように、今年ミュージシャンであり本職がお坊さんという方を誘い、沖縄、広島、長崎でほぼ自費でワークショップを開催してきました。

また、ワークショップの中で出会う気高く、誇り高い軍人の父親、祖父、おじたちの姿と現代の日本人との間に、大きなギャップがあること進化のミッシングリンクではなく、何か退化のミッシングリンクのようなものがあることに気づきました。 それに関してネットで色々調べ探っていくうちにパックさんのブログにたどり着いた次第です。

私は戦後教育の成功例のような人間でした。
大東亜戦争という言葉を知ったのは3週間前、自虐史観という言葉を知ったのは10日ほど前です。
これまで地理歴史政治には一切興味を持てずに、テレビの影響をもろにかぶって今日に至りましたが、今、目から鱗が大量にはげ落ちていっている感覚にあります。

自分の中心の核となる感覚と照らし合わせると、今自分が感じていることがほぼ真実で間違いないだろうと思いながら、この危機感をどうしてよいのか、誰と話せばよいのか、仕事を通して私を知る人たちにとって、今自分が感じている感覚が片寄ったものとして映らないないためにどうしたらいいのか、考えあぐねているところです。

まずは、自分を映す基準としてパックさんの過去のブログを参考にさせていただいています。
パックさんのブログが存在していなければ、私は途方にくれ、孤独で、相当困っていたと思います。パックさんのブログと巡り会えたことに感謝しています。

(全文は「時の早さ」のChetnaさんのコメントをご覧ください。文中の赤字は私が付けたものです)


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東京裁判

戦前の日本人と今の日本人には、大きな断絶があります。チェトナさんは、それをミッシングリンク(進化の鎖の断絶)と表現されています。
日本人を断絶させたものは何か、なぜ断絶させられたのかを知ることは、現在の日本の病理を知るために極めて重要なことです。

チェトナさんは、「私は戦後教育の成功例のような人間でした」と書かれていますが、私自身が戦後教育の成功例でした。
天皇制は税金の無駄遣いであると考え、国歌が君が代であることが許せず、社会人となっても国歌斉唱の時は口パクで歌った振りをしていました。

ある時皇居の側を歩いていて、突然「天皇制は日本の救いである」との思いが心に浮かびました。
突然のことを一瞬いぶかしく思ったものの、それは有無を言わせぬ説得力で心に響き、天皇陛下に対する思いが一変してしまいました。

もし、自分にとっての「パウロの回心」とも言うべきこの体験が無ければ、国歌を歌うことを拒否した菅首相や、日本を軽んじる発言を繰り返す仙石民主党代表代理、あるいは天皇皇后陛下のご入場を立って待っていた秋篠宮ご夫妻に、「早く座れよ。こっちも座れないじゃないか」と無礼で傲慢な言葉を吐いた中井衆院予算委員長のように、いまだに反日的で自虐的な思考にからめとられていたはずです。

彼らの左翼的歴史観が形成された背景は、我がことのように理解でき、同時にその洗脳から目覚めることの難しさも理解できます。
戦前の日本及び日本人を否定する人に対して、その誤りの証拠をいくら挙げても、反日的、自虐的な思想がヒューマニズムと正義に基づくものであると信じている以上、理解してもらうことは困難です。

なぜ日本人が反日的、自虐的な歴史観を持つに至ったのか、その理由は東京裁判から始まる戦後の占領政策にあります。
占領政策は日本が再び欧米列強にとって脅威とならないために、日本人のバックボーンである道徳観や武士道精神を否定し、国への誇りや貢献を奪い取るものでした。

東京裁判(極東国際軍事裁判)が国際法に違法することは、GHQ(占領軍総司令部)自体が認識していました。
アメリカ憲法の第一条に書かれている、「法なければ罪なく、罪なければ刑なし」は刑法の基本であり、事後立法を禁止するものですが、ドイツを裁いたニュルンベルク裁判と東京裁判においては、それまで国際法になかった「平和に対する罪」「人道に対する罪」を事後立法し、戦争犯罪を裁いたのです。

東京裁判の11人の判事の中には、法律さえ知らない人間も少なくなく、法律の専門家はオランダ代表判事のレーリンク博士と、国際法の専門家であるインド代表判事のパール博士だけでした。

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パール判事(ラダ・ビノード・パール)

パール判事は「日本は国家として戦争犯罪をおかしておらず、また平和に対する罪など国際法上存在していない」として、日本人全員の無罪を主張しました。
パール判事の法理論上の批判に対抗できないGHQは、パール判事の法廷における意見書の朗読を禁じました。

レーリンク判事が到達した結論も、日本の戦いはアジアを西洋の植民地から解放しようとするものであり、開戦前の日本は連合国によって石油輸出禁止措置を取られていたため、戦争を回避して石油の在庫が底をついてから連合国の言いなりになるか、戦争に自国の命運を賭けるか、どちらかしかなかったと述べています。

連合国最高司令官であったマッカーサーは昭和26年にアメリカ合衆国上院の軍事外交合同委員会で次のように答弁しています。
日本は絹産業以外には固有の産物がほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油が無い、錫が無い、ゴムが無い、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれらの一切のものがアジアの海域には存在していたのです。
もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って、彼らが戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです
。(東京裁判「日本の弁明」pp564~565)

東京裁判で東条英機元首相などをA級戦犯として死刑に処したマッカーサーが、日本の戦争は自衛の戦いであったことを公の場で告白しているのです。


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ベルト・レーリンク判事

東京裁判の任を終え、レーリンク博士が日本を去る時に、GHQの参謀第二部長であったウイロビー将軍を訪問した時、ウイロビーは「この裁判は有史このかた、最悪の偽善であった。日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたならば、アメリカも日本と同様、戦争に訴えたに違いないと思う」と述べています。

東条英機なのどA級戦犯が、重大な戦争犯罪人の如くに扱われています。しかしB級戦犯は交戦法規違反、C級戦犯は直接実行した者であるのに対し、A級戦犯とは国際法に無かった「平和に対する罪」「人道に対する罪」によって裁かれた者です。
「法なければ罪なく、罪なければ刑なし」に照らし合わせれば、パール判事が無罪を主張するのは当然のことであり、勝者による敗者への、違法な復讐裁判であったことは明らかです。

GHQ内部からも東京裁判を批判する声が高まったため、日本人に裁判の正当性を納得させ、敗北と戦争責任を叩き込む「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(戦争犯罪周知徹底計画)が実施されました。
それは見事に日本人を洗脳し、様々な戦後病理を生み出しました。
そのことは次回に書きます。

〈参考〉
世界が裁く東京裁判ー外国人識者による「東京裁判」批判 (終戦五十周年国民委員会議編)ジュピター出版
「あるユダヤ人の懺悔 日本人に謝りたい」 モルデカイ・モーゼ著 日新報道
「日本人に感謝したい」マイケル・アームストロング著 日新報道

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日本の戦いとは何であったか

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坂井三郎氏

ゼロ戦のエース(撃墜王)として、世界に知られた坂井三郎さんの愕然とした体験を、石原慎太郎東京都知事が、文芸春秋12月号で紹介されていました。

ある朝、坂井さんが中央線に乗った時、前に座った学生の会話を聞き、あまりの事に次の駅で降りて心を静めたと言います。

「おいおまえ知ってるか、日本は昔アメリカと戦争をしたんだってよ」
「え、何、そんなの嘘だあ」
「馬鹿、本当の話だよ」
「ええ、マジか」
「マジだよ」
「で、どっちが勝ったんだよ」

坂井三郎さんの自伝「大空のさむらい」、「続大空のさむらい」には、自己を極限まで律し、日本を守るために戦った記録が淡々とつづられています。しかし、命を賭けて守ろうとした日本が、これほどまでに心を失ってしまったことを、坂井さんはどのような思いで見つめられていたのでしょうか。その心中は察するに余りあります。

(「大空のさむらい」は英語に翻訳されてアメリカでベストセラーになり、その後イギリス、フランス、イタリア、ノルウェーなどでも大きな反響を呼び、多くの手紙が坂井さんに送られてきました)

大空のサムライ―かえらざる零戦隊 (光人社NF文庫)大空のサムライ―かえらざる零戦隊 (光人社NF文庫)
(2003/04)
坂井 三郎

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この若者たちを無知だと笑うだけでは本質を見失います。
なぜこのような若者が生まれたのか、その背景には何があるのでしょうか。

先だって参加したある集まりでのことです。
日本兵によって弟二人が空中に放り上げられ、銃剣で刺殺されたと語るフィリピン女性のDVDを見た人が、日本人としてどのような贖罪ができるのか考えさせられたと発表していました。

この話が真実なのか疑問があります。少なくとも言葉通り受け取ることはできません。
二人の弟が殺されたのであれば、上の子は2歳以上でしょう。体重は10kgはあったはずです。それを放り上げて銃剣で刺すことなどできるのでしょうか。少なくとも一人で出来ることではなく、気違いじみた二人以上の日本兵が残虐を行い、周囲にはそれを制止する日本兵がいなかったことになります。

(「神は悪を許しているか」で赤ん坊を投げて銃剣で刺すドストエフスキーの小説の一節をご紹介していますが、この話しと無関係なのでしょうか)

会が終わった後にこの方に疑問を投げかけたところ、戦争中だからそのようなこともあったのではないかと言われました。
しかし戦争と言う極限状況の中でこそ、民族の本質が現れるはずであり、日本人にそのような残虐性があったとしたら、過去の歴史の中で同様の残虐が行われているはずです。

日本軍にまつわる話にはねつ造が少なくありません。しかし多くの人が戦時中の日本軍の蛮行と言われれば、無条件で受け入れてしまいます。
なぜそのように条件付けられてしまったのでしょうか。


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上記の写真は、米従軍カメラマンのジョー・オダネル氏が撮ったものです。
オダネル氏のこの写真についてのコメントを、「ねずきちのひとりごと」から引用します。


佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。

少年の様子はあきらかに違っていました。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。

足は裸足です。

少年は焼き場のふちまでくると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。

白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。
私は、背中の幼子が、すでに死んでいることに気づきました。

男たちは幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。

それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。
真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気づきました。
少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。


長崎に原爆が投下されたのは、昭和20年8月9日午前11時02分のことです。

原爆は浦上地区の中央で爆発し、長崎市を壊滅させました。

亡くなられた方々のご遺体を焼却しているところにあらわれた少年。

幼い弟(妹?)を背負い、はだしで、歩いてきた。

その子は、泣いちゃいけないと、精いっぱい、涙をこらえて、不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた。

こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライだったのです。(引用終わり)


戦前の日本人は、まさに子供でさえ立派に生きることを教えられていました。
戦争のさ中において、日本人は数え切れぬ感動の逸話を残しています。そのような民族が、人道にそむく事を平気で行ったのでしょうか。

日清戦争、日露戦争においては国際法学者を戦場に同行させ、世界から賞賛された日本が、大東亜戦争においては卑怯卑劣、残虐を平気で行える国に堕していたのでしょうか。

和を尊び、礼儀を重んじ、清廉で繊細な文化を作りあげてきた日本人が、戦中・戦前の一時期にだけ、鬼畜のような民族に成り下がっていたのでしょうか。

戦後の占領下で、日本人が二度と脅威とならないように、すべての責任を日本に押しつける、巧妙な洗脳政策が行われてきました。
現在、日本が抱える問題の多くが、その占領政策に起因するものです。

以前の記事「日本人は死んだか」でそのことを書こうとしましたが、ブログの許容を超えると考え中断しました。
日本が戦後語ることを避けてきた大東亜戦争(「太平洋戦争」は、戦後アメリカが意図があって使い始めた言葉です)の事実と、戦後の占領政策とは何であったかについては次回に書きます。

今日、1月14日は歌会始めです。
そのような日に内閣改造を行い、ご高齢の天皇陛下に任命式のご負担を平気で強(し)いる菅内閣に、日本人の心を失わせようとした洗脳政策の、見事な成果を見いだすことができます。

昭和天皇御製  
  あめつちの 神にぞいのる朝なぎの 海のごとくに波たたぬ世を







中国との相互理解に必要なこと

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Searchina

かっての日本と比較すると、最近の日本は悪いところばかりが目につきますが、外から見れば日本にはまだ立派な礼儀や習慣や心が残っているようです。

中国最大のサイト「Searchina」に、日本を訪ねた中国人が初めて知った日本のへの驚きと感動が報告されています。
彼らが一様に述べているのは、反日教育によって日本に良い印象を持っていなかったのが、日本訪問によって変わってきたことです。

中国や韓国は反日政策を行っているため、日本に反感や恨みを持つ多くの人がいます。
そのことに対して日本はきちんとした反論をして来なかったため、歪曲され、ねつ造された歴史が事実として定着しています。
日本を訪れ、日本の現実を知ってもらうことは歓迎すべきことですが、反論すべきことを毅然として反論しなければ、いつまでも相互理解は進まず、望ましい交流はできないでしょう。

戦後、日本のすべてが否定され今日に至っていますが、日本人自身が正しい歴史を知らなければ、反日政策に対して正しい反論を行うことはできません。

欧米列強の脅威を知った幕末の志士たちは、命を掛けて日本を守ろうとしました。
革命は抑圧された側が、抑圧した側に対して行うものですが、明治維新は支配階級と言うべき武士たちが、自らの特権を捨てて階級の無い社会を作りました。
世界の歴史上、空前絶後の出来事ですが、それが日本を守る最善の道だと判断したからです。

幕末の志士達は、イギリスの東インド会社が行った残虐(例えば、自動織機を売るため、おびただしいインド人織工の手首を切り落とした)や、アヘンによって中国人が廃人にされ、国を蹂躙された中国の実態を良く知っていました。
欧米列強の植民地政策との戦いは太平洋戦争に至り、日本は力尽き敗戦を迎えましたが、日本の戦いによって、アジア・アフリカの国々が独立できたことは事実です。

この間の出来事はネット上で調べることができます。是非ご確認ください。

「Searchina」に掲載されている、日本に来て感動した中国の人たちの感想をご紹介します。

中国から見た日本「恐ろしい日本人に学べ!」
「私はこれまでに一人の日本人とも接触したことが無く、日本人に対しても好印象は持っていない。私の日本人に対する理解は年長者から聞いた話や本や映画、テレビを通じて知ったことばかりである。
  ー略ー  
  書籍「醜い中国人」の作者、柏楊氏はかつて、「日本人は一人だけであれば虫のような存在だが、三人集まれば龍になる」といったことがあるが、これの正反対の存在が中国人である。感情抜きで日本人を見れば、我々中国人に欠けている多くの美点を日本人の中に見出すことが出来るだろう。

  1994年、広島で開催されたアジアオリンピックの閉会式終了後のことだった。スタジアムには閉会式を見るために6万人が集まったが、彼らが去ったあとにはゴミ一つ落ちていなかったという。これについて、世界中の主要紙が「恐ろしい!」と報じたものである。

  95年に阪神大震災が発生した際、ある銀行が被災者向けに無担保・無利子の融資を行った。融資の条件は名前と連絡先を記載することだけであったそうだが、この融資を受けた全ての被災者が返済したという。こういった部分こそが日本人は「恐ろしい」と言われる所以であろう。

  過去の日本人に対する感情を持っているため、我々は今日の日本人の姿を正しく捉えられていない。私は感情的になって日本人を恨み続けるよりも、冷静になって日本人に学び、自らを向上させるべきだと考える。敵であろうと味方であろうと、優れている箇所は学び、取り入れるべきだ。報復のための最も良い方法は相手よりも優れる存在になることである。」

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客室乗務員が語る日本人の素養の高さ
「大学で日本語を専攻した私の友人は、大学卒業後にアモイにある全日空(ANA)支店に就職した。このたび、彼女が出張で北京に帰ってきたため、私たちはしばらくぶりに顔を合わせることが出来た。彼女に仕事面で何が最も感慨深かったかを尋ねたところ、何件かの出来事を話してくれたのだった。

  全日空を利用するのは大部分が日本人だというが、ある時、東京行きの荷物を大阪に運んでしまうミスが発生したことがあったという。その荷物の持ち主であった男性は全日空にとっての上顧客であったため、社員たちは緊張した面持ちで男性に謝罪を行ったという。

  しかし、男性の反応は予想を裏切るものであり、穏やかな態度で社員たちの労をねぎらう言葉を発したのだという。友人が言うところによると、人は立場が高くなればなるほど姿勢は低くなり、そしてこういう人間こそが本当に成功することが出来るのだと語った。

  またある時、空港内でペットボトルを持ちながら走り回っている子供がいたという。彼女は子供に何か助けが必要かを尋ねたところ、その子供は「どのゴミ箱にペットボトルを捨てればよいか分からない」と答えたそうで、このような小さな子供でもゴミの分別という概念を持っていることに驚いたという。

  中国人が国外に出ようとしてもビザ取得が非常に難しいのが現実だ。しかし、日本人は同じアジア人だというのにビザの取得は非常に簡単であり、ビザ無しで訪問することが出来る国も多くある。これは日本経済によるものではなく、外国人が日本人の教養・素養を中国人よりもはるかに高く評価していることに起因するものであろう。

  人間の素養は行動一つ一つの細かいところに見え隠れするものであり、いくら素養を高いように飾って装っても最後には必ず露見するものだ。人にとって国籍は最大の名刺となると言っても過言ではないだろう。」


【「生卵」を通じて感じた日本人の恐ろしさ
「 仕事のため、私は愛憎相半ばする日本を訪れることとなった。日本に足を踏み入れて、まず驚いたのは日本人の秩序への意識の高さである。

  日本の道路では、気の向くままに車線変更する車などは見られなかった。交差点で対向車に出会えば、双方がほぼ同時に停車し、互いに譲り合っていた。横断歩道では、ほぼ全ての車が停車し、歩行者に道を譲るのであった。

  日本を訪れる前は中国国内での報道にあるとおり、物価が非常に高いのだと思っていたが、一人当たりGDPが中国より数十倍も多い国であるにもかかわらず、日本の物価が中国と大差ないのには驚いた。中国に比べ、交通費や外食費が多少高いくらいで、食材や洋服、日用品、車、電化製品などは意外と安かった。

  日本滞在中はホテルに泊まっていたのだが、朝食は日本食であった。日本人は生卵をご飯にかけ、醤油を加えて食べる習慣があるが、私は生の食べ物は嫌だったので、他のおかずだけを食べ、生卵は食べずに残していた。

  次の日の朝食にも同じように生卵があった。眉間にしわを寄せながら、何気なしに卵を触ってみると、今日の卵は熱いではないか。周りの客の様子を見てみると、皆は普通に生卵を食べており、私の卵だけが熱を通してあるようであった。

  私は生卵を食べないということを誰かに喋ったことは無く、ただ生卵を食べずに残しただけである。ホテルの従業員は私が生卵を食べない人間であることを見抜き、次回からは熱を加えた卵を供してくれたのである。

  この出来事は、私が日本で最も震撼した出来事であった。日本人は敬服の念を抱かせる民族であると同時に、何と恐ろしい民族なのだろう。」

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日本で暮らす中国人が帰国をためらう訳
「 私は今でも、十数年前の日本で暮らした生活を思い出すことがある。旅行で日本を訪れただけでは何とも思わないかもしれないが、ある一定の期間を日本で暮らしてみれば、恐らくはもう帰国したくないとの気持ちが芽生えていることだろう。

  日本滞在中、地下鉄から地上へ出てみると雨が降っていたときがあった。私は傘を持ち合わせていなかったのだが、それに気付いた日本人のご婦人が自分が持っていた傘に入れてくれたのである。私達はおしゃべりをしながら歩き、とても楽しく、そしてとても感動したのを覚えている。

  中国であれば見知らぬ人が助けてくれるなど思いもつかないことであるうえ、知らない人が近づいてきたら何か企んでいるのではないかと思うことであろう。

  外国での生活は物質面で満ち足りているということもあるが、最も大きいのは人間関係だと思う。煩わしさがなく、静かな生活を送ることが出来るのだ。

  中国人同士の人間関係は全て「利害関係」であり、話をするにも仕事をするにも「利害関係」であることを気に留めていなければならないため、非常に疲れてしまう。これこそが日本で生活したことのある中国人が帰国をためらう最大の原因ではないだろうか。」

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Searchina 四川大地震に対する日本の救援活動への感謝

大陸の中国人が知らない日本
「 まず日本の治安であるが、日本は世界で最も安全な国と言われている。しかし、近年は大陸出身者の増加により、日本の秩序・安全は下降線をたどっている。なぜなら中国人は日本でありとあらゆる悪事を働くからである。例えば、窃盗や詐欺、交通ルールの無視、ゴミのポイ捨てなどを挙げることが出来るが、まさに中国人として面汚しの事態である。

  また、日本では物を失くすのが難しいほどである。私が学校に通っていたとき、財布と携帯電話を教室に置き忘れてしまったことがあったが、翌日、教室には私の財布と携帯電話が置かれていたのだった。また、私はこれまで6回も財布を落としたことがあるが(注、ちょっと落とし過ぎですね)、その都度、一円も盗まれること無く私の手元に戻ってきている。ある時などは、財布を落としたことに気付いた日本人が私のところまで走り寄ってきて財布を手渡すと、そのまま去ってしまった。これには本当に驚かされた。

  私は風邪で入院したことがあったのだが、入院期間中、学校で共に学ぶ中国人学生はあまりお見舞いに来てくれなかった。中には一度も来てくれなかった人もいたが、私の身の回りの日本人の多くが見舞いに来てくれた。彼らは花やチョコレート、人によってはお金までも持参して見舞ってくれたのだった。

  また、私の学校の留学生が住む家が火事になったとき、日本人学生は彼のためにお金や物資を寄付していたのと対照的に、中国人留学生たちは全く無関心であった。多くの留学生たちは日本滞在中に「感動の涙」を流すことがあるが、それは日本には自国では体験できない人間関係があるからだろう。

  利己的で冷酷、法を守らず、他人をだますという往年の日本のイメージは存在しない。だから私は大陸の中国人たちに本当の日本を伝えたいと思ったのである。」



7月から中国人に対するビザの発給が緩和され、これまでの10倍以上の人が来日すると予想されます。
ゴミのポイ捨てやあたり構わず痰を吐き大声でしゃべるなど、マナーの悪さや治安の悪化が懸念されています。
経済効果を求める声ばかりが多いようですが、これを機に日本に対する正しい理解が進むことを願います。

日本が外国から評価され、愛されるのは、日本人の優しさや思いやり、礼儀正しさなどの心の豊かさに対してであり、いつまでもその心を失なってはならず、また子供たちにも伝えていかなければならないことを改めて思います。





国際有機認証「しらい田七人参」

日本の未来

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 中国 李鵬前首相

今から10年近く前、中国の李鵬前首相がハワード豪首相との会談で、「日本を作った人たちは、あと20年もすればいなくなる。その時、日本は放っておいても消えて無くなる」と発言したと言われています。その内容は、現在の日本の有様を見事に予言していました。

日本の現在の政治や経済や社会の混乱には、目をそむけたくなる思いがします。今年中に、日本のGDPは中国に抜かれることは確実で、いずれインドにも抜かれ、更にブラジルにも抜かれると予測されています。中国やインドは国土が広く、人口が多いから仕方ないと考えるのは、資源の無い、この狭い国土の日本が、知力と精神力で長年世界第二の位置を占めてきたことを考えれば、敗北主義的に感じます。

「ゆでガエル」の例えがあります。カエルを水にいれ、徐々に熱して行くと、カエルは自分の置かれている状況が死に至ると気づかずに、茹で上がって死んで行くというものです。本当にそうなのかは疑問ですが、日本人は豊かさの中で、お笑いとグルメとクイズとスポーツ番組に興じている間に、いつの間にか、ゆでガエルの状態で衰亡の道を辿っていたのでしょう。

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 マッカーサー日本占領連合国軍最高司令官

戦後の日本占領政策の中心は、戦前の日本人の価値観をすべて否定し、二度と武士道精神を発揮できないように教育することでした。それは3S(スリーエス)政策と呼ばれるもので、スポーツ、セックス、スクリーン(映画・テレビ)に夢中にさせ、思考力を奪い、骨抜きにするというものでした。
それは見事に成功しました。恐るべき巧妙な策略が、見事なまでに成功したのです。

以前の記事「日本人は死んだか」で、ユダヤの長老(ラビ)であるマーヴィン・トケイヤー氏をご紹介しました。
トケイヤー氏は、勤勉で和を尊び、親に対する愛、師に対する尊敬、友に対する信義、己に対する慎みなど、謙虚で心豊かな日本人の生き方に、人間の理想を見出しました。そして、それを日に日に失う日本人への限りない愛惜を込めて、「日本人は死んだ」という本を書きました。30年前の事です。今の日本をトケイヤー氏が見たら何というでしょうか。それより、過去の日本人が今の日本を見たら、嘆かわしさ、哀れさに言葉を失うことでしょう。

政治・経済・教育・マスコミ、すべての分野で戦後教育を受けた人たちが、日本の中枢を占めるようになりました。
真に日本の将来を考える政治家が極めて少なくなったことは容易に分かりますが、経済界に於いても、かっての東芝の土光さんのような、信念と哲学を持った気骨のある経営者は姿を消しました。(気骨という言葉さえ、死語になりつつあります)

問題なのは、政界や経済界だけではなく、この国全体が信義や価値観を失ってきたことです。
「坂の上の雲」で、福沢諭吉の、「一身の独立なくして、一国の独立なし」という言葉が紹介されていました。国民一人一人の集合で国が成り立っている以上、個人のレベルの集合が国のレベルであり、日本の現状は日本国民すべてが、信義や価値観を失った結果であると言えるでしょう。


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  最澄

天台宗の開祖である最澄が、こう言っています。
「国宝とは何ものぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて、国宝となす。・・・ 一隅を照らす、これ即ち国宝なり」
最澄は、金や物ではなく、真理や心の道を求める人たちが放つ心の光こそ、国の宝だと言うのです。
日本の現状は、人びとの心から放たれる光が少なくなって来た結果、闇に覆われ始めたからだと言えるでしょう。

坂道を登る時は、下を向いて頭を下げて登ります。一方、下る時は上を向いてふんぞり返って歩きます。日本人は坂の上の雲を目指して登っているつもりが、いつの間にか、ふんぞり返って坂道を下っていたのでしょう。
坂道はまだ下り始めたばかりで夜が近づいており、夜を照らすのは、人びとの心から放たれる光しかないことに、日本人はいつ気づくのでしょうか。




国際有機認証「しらい田七人参」

忘れられた偉人ーこんな素晴らしい日本人がいた(2)

前回の「忘れられた偉人」を先にご覧下さい。

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佐久間艇長(TBSブリタニカ)

少し長い遺書ですが、ぜひ一度お読みください。

沈没した潜水艇の中で、有毒ガスによる呼吸困難に絶えながら書いた遺書です。

このような日本人はもう現れないと思います。


<佐久間艇長の遺書>

「小官の不注意により 陛下の艇を沈め 部下を殺す、誠に申し訳なし、
されど艇員一同、死に至るまで 皆よくその職を守り 沈着に事を処せり

我れ等は国家のため職に倒れしといえども ただただ遺憾とする所は
天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃をあたうるに
至らざるやを憂うるにあり、
願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に
全力を尽くされん事を
さすれば我ら等一つも遺憾とするところなし、

沈没の原因
ガソリン潜航の際 過度探入せしため「スルイスバルブ」を締めんとせしも
途中チエン切れよって手にて之を閉めたるも後れ後部に満水せり
約二十五度の傾斜にて沈降せり

沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え電纜燃え悪ガスを発生 
呼吸に困難を感ぜり、
十四日午前十時頃沈没す、

この悪ガスの下に 手動ポンプにて排水につとむ、
一、沈下と共にメインタンクを 排水せり灯り消えゲージ見えざるども 
「メインタンク」は 排水し終われるものと認む

電流は全く使用するにあたわず、電液は溢れるも少々、海水は入らずクロリンガス発生せず、
残気は五百ポンド位なり、ただただ頼む所は手動ポンプあるのみ、
「ツリム」は安全のため、ヨビ浮量六百 モーターの時は二百位とせり、
右十一時四十五分
司令塔の灯りにて記す

溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、
余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば
その発展を望むべからず、
細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり、
世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、
されど我は前言の誤りなきを確信す、

一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、
この辺深度は十尋位なれば正しきものならん、
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す、
かかるときに困る故、
幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思う、

我は常に家を出ずれば死を期す、
されば遺言状は既に「カラサキ」引き出しの中にあり
(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ之を愚父に致されよ)

公遺言
謹んで陛下に申し上げます、
我が部下の遺族をして窮するもの無からしめ給わらん事を、
我が念頭に懸かるものこれあるのみ、

左の諸君によろしく(順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
 
一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(竜)
一、松村少佐(菊)(小生の兄なり) 一、船越大佐、 一、成田鋼太郎先生 一、生田小金次先生

十二時三十分 呼吸非常に苦しい
ガソリンをブローアウトせしつもりなれども、
ガソソリンにようた
一、中野大佐、
十二時四十分なり、」

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(クリックすれば画像が大きくなります)

佐久間艇長の恩師、成田先生の言葉。
「これを読みて、予は感極まりて泣けり。今泣くものは、その死を悲しめるにあらざるなり。その最期の立派なりしに泣けるなり。」

イギリスの『グローブ』紙.
「この事件で分かることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」

この遺言に感動した夏目漱石は、病床から佐久間艇長を讃える一文を寄稿しました。
与謝野晶子も10余首の短歌を詠んでいます。

   「海底の 水の明りにしたためし 
         永き別れの ますら男の文」

   「海に入り 帰りこぬ人十四人 
          いまも悲しき もののふの道」

この無私の心で書かれた遺言に対して言うべき言葉はありません。
付記したいのは、佐久間艇長だけではなく、他の13人の名も無き部下も、見事に死を受け入れていることです。
当時の日本人が、どれだけ立派な心の教育を受けていたかを示すものです。

参考:「第六号潜水艇
佐久間艇長の遺書全文


このブログはリンクフリーです。




国際有機認証取得、信頼の「しらい田七人参」

忘れられた偉人ーこんな素晴らしい日本人がいた

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丹養塾幼稚園児の素晴らしさで思い出した人がいます。
佐久間艇長です。

私が生まれたのは錦帯橋のある山口県の岩国市です。岩国港に近い山の中腹に記念碑があり、それが佐久間艇長の記念碑だと子供の頃に教えられました、しかし、その偉大さを知ったのはずっと後年になってからです。

佐久間艇長のことを知る人はほとんどいません。
忘れ去られた偉大な日本人のことをご紹介したいと思います。

明治43年、佐久間艇長の指揮する潜水艇が岩国の新湊沖で沈没しました。その頃、世界的に潜水艦事故が相次いでおり、潜水艦を引き上げハッチを開けると、乗組員がハッチの回りに殺到して、我先に逃げようとして死んでいるのが見つかっていました。

潜水艦事故は悲惨な死です。
そのため、ハッチを開ける際には駆けつけた遺族は立会いを許されませんでした。ところがハッチを開け中に入ると、艇長以下14名はそれぞれが持ち場に着き、自分の任務を最後までまっとうしながら死んでいるのが発見されました。
引き揚げられた潜水艇を検分した吉川中佐は、それを見て号泣し、泣き崩れたと言います。

更に驚いたのが佐久間艇長の遺書でした。

ガソリンが充満し、息苦しく意識が遠のく中で書かれた遺書には、部下を死なせてしまったことへの謝罪、部下が最後まで沈着に任務をまっとうした事、この事故が将来潜水艇の発展の妨げにならないよう願うこと、沈没の原因とその後の処置、最後に公遺言として、部下の遺族が生活に困窮しないことを明治天皇にお願いしていました。

その内容は、翌日の新聞紙上で発表され、更には世界に伝わり感動の嵐を巻き起こしました。
佐久間艇長の遺書のコピーと英訳は、ホワイトハウスの独立宣言の近くに展示されていました。
イギリス海軍では現在も潜水艦乗組員の範として伝えられています。

佐久間艇長の遺書は次回ご紹介します


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忘れられた偉人ーこんな素晴らしい日本人がいた(2)

前回の「忘れられた偉人」を先にご覧下さい。

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少し長い遺書ですが、ぜひ一度お読みください。

沈没した潜水艇の中で、有毒ガスによる呼吸困難に絶えながら書いた遺書です。

このような日本人はもう現れないと思います。


<佐久間艇長の遺書>

「小官の不注意により 陛下の艇を沈め 部下を殺す、誠に申し訳なし、
されど艇員一同、死に至るまで 皆よくその職を守り 沈着に事を処せり

我れ等は国家のため職に倒れしといえども ただただ遺憾とする所は
天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃をあたうるに
至らざるやを憂うるにあり、
願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に
全力を尽くされん事を
さすれば我ら等一つも遺憾とするところなし、

沈没の原因
ガソリン潜航の際 過度探入せしため「スルイスバルブ」を締めんとせしも
途中チエン切れよって手にて之を閉めたるも後れ後部に満水せり
約二十五度の傾斜にて沈降せり

沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え電纜燃え悪ガスを発生 
呼吸に困難を感ぜり、
十四日午前十時頃沈没す、

この悪ガスの下に 手動ポンプにて排水につとむ、
一、沈下と共にメインタンクを 排水せり灯り消えゲージ見えざるども 
「メインタンク」は 排水し終われるものと認む

電流は全く使用するにあたわず、電液は溢れるも少々、海水は入らずクロリンガス発生せず、
残気は五百ポンド位なり、ただただ頼む所は手動ポンプあるのみ、
「ツリム」は安全のため、ヨビ浮量六百 モーターの時は二百位とせり、
右十一時四十五分
司令塔の灯りにて記す

溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、
余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば
その発展を望むべからず、
細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり、
世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、
されど我は前言の誤りなきを確信す、

一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、
この辺深度は十尋位なれば正しきものならん、
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す、
かかるときに困る故、
幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思う、

我は常に家を出ずれば死を期す、
されば遺言状は既に「カラサキ」引き出しの中にあり
(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ之を愚父に致されよ)

公遺言
謹んで陛下に申し上げます、
我が部下の遺族をして窮するもの無からしめ給わらん事を、
我が念頭に懸かるものこれあるのみ、

左の諸君によろしく(順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
 
一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(竜)
一、松村少佐(菊)(小生の兄なり) 一、船越大佐、 一、成田鋼太郎先生 一、生田小金次先生

十二時三十分 呼吸非常に苦しい
ガソリンをブローアウトせしつもりなれども、
ガソソリンにようた
一、中野大佐、
十二時四十分なり、」

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佐久間艇長の恩師、成田先生の言葉。
「これを読みて、予は感極まりて泣けり。今泣くものは、その死を悲しめるにあらざるなり。その最期の立派なりしに泣けるなり。」

イギリスの『グローブ』紙.
「この事件で分かることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」

この遺言に感動した夏目漱石は、病床から佐久間艇長を讃える一文を寄稿しました。
与謝野晶子も10余首の短歌を詠んでいます。

   「海底の 水の明りにしたためし 
         永き別れの ますら男の文」

   「海に入り 帰りこぬ人十四人 
          いまも悲しき もののふの道」

この無私の心で書かれた遺言に対して言うべき言葉はありません。
付記したいのは、佐久間艇長だけではなく、他の13人の名も無き部下も、見事に死を受け入れていることです。
当時の日本人が、どれだけ立派な心の教育を受けていたかを示すものです。

参考:「第六号潜水艇
佐久間艇長の遺書全文