あけましておめでとうございます

ms6591.jpg

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い申し上げます。

正月寒波が来るとの天気予報がありましたが、全国的に穏やかな元旦を迎えられたのではないかと思います。
当地名古屋では、ほとんど風の無い、本当に穏やかな陽気の中で初詣ができました。

初詣に限らず、神社にお参りする時に心がけていることがあります。
それは願い事をせずに、ただ有難うございますと感謝することです。

10円や100円の賽銭、あるいは1000円や1万円の賽銭であっても、神様にお金をあげて願うことは取引であって祈りではありません。
また人の願いは多くの場合、出した賽銭をはるかに上回る身勝手なもので、取引として成立するものではありません。
お賽銭は、日本人の守り神である八百万の神々を祀る神社を維持するために出させていただくものと考えています。

心だにまことの道にかないなば祈らずとても神や守らん

正月は日本の行事の中で最も古く、仏教伝来前から続いている行事です。
正月は家に歳神様を迎える行事で、門松やしめ飾り、鏡餅を飾るのは、歳神様を迎え祝うためだそうです。
歳神様は1年の初めにやってきて、その年の作物が豊かに実り、家族みんなが元気で暮らせるように協力をしてくれるそうです。

皆様の家に歳神様が訪れ、今年が素晴らしい年になりますようお祈り致します。






スポンサーサイト

ちいさな不幸に感謝

b1f97a35-s.jpg


先々月、通勤用の車を置いていた駐車場から、突然来月いっぱいで立ち退いてほしいと連絡がありました。
自宅から20m位の近場で、雨の日や荷物がある時も苦労しないで済むとても便利な場所だっただけに、突然やってきた小さな不幸を嘆きました。

近隣の駐車場を探しましたが一杯で、歩いて6~7分の場所にある駐車場を借りることにしました。これまで歩いて1分も掛からない距離だったので6~7分でも遠く感じられ、これから駐車場を利用するたびに不便を嘆くことになるだろうと思っていました。

ところが、新しい駐車場に車を置いて自宅に戻るたびに、不満ではなく感謝の思いが湧いてくるのでした。それは今日一日、元気で仕事できて有り難いという思いであったり、道すがらのキンモクセイやギンモクセイの香りがうれしかったり、あるいはタバコを止めて体重増加が気になる中、多少でも運動になってありがたいなという思いであったり、様々な感謝の思いが湧いてくるのです。

なぜ感謝の気持ちが湧いて来たかといえば、普段当たり前だと思っているすべてのことが実は有り難いことで、人は様々なお陰に支えられて生きているのだということを、駐車場の一件であらためて気づかされたからでした。
そのことは、理屈では良く分っていることで、以前の記事「ありがとうの反対語」で書いたことでもあります。
しかし人間は当たり前に慣れると、失うまでその有り難さを感じることはできません。
生命の根幹となる空気や水や太陽に、あるいは自分自身の健康に感謝を忘れないことは困難なことです。

ところで、新しい駐車場がもっと遠く、例えば歩いて20分の場所だったとしたら、感謝するどころか、やはり不満を募らせたはずです。失ったものの有り難さを感謝しても、代わりに与えられたものに不満を抱けば、感謝した徳が消えるだけでなく不徳を積むことになります。そのことがわかっていても、納得できる範囲の中でしか感謝できないのが凡人です。

人は幸せや満足や快適さの中で気づくことはできません。
失ったものの有り難さを教えてくれるのが、少しの不便さ、少しの不幸であったら、それは幸いと言うべきだと思います。
少しの不幸の中で気づかなければ、さらに大きな不幸によって学ばなければならないこともあるでしょう。
気づきのきっかけを与えてくれる、小さな不幸に感謝したいと思います。





誕生日は母への感謝の日

illust768_thumb.gif

永六輔さんは、映画評論家の淀川長治さんと誕生日が同じだったそうです。
ある年の誕生日に、友人知人を招いてパーティーをすることになり、淀川さんを招待しましたが、淀川さんは、「誕生日は、母が陣痛の痛みに耐えて私を産んでくれた日です。私を産んでくれた母に感謝する日なので、母といっしょに過ごしたい。」と答えたそうです。

子供の誕生日は、母親が祝ってくれるものと考えますが、十月十日母親が胎内で育み、陣痛の苦しみに耐えてこの世に送り出してくれたことを考えれば、誕生日とは子供が母親に感謝すべき日でした。これほど単純なことを、淀川長治さんに言われるまで気付きませんでした。

淀川長治さんは、街中で年老いたお母さんを背負って歩いていたと言います。
石川啄木の、 「たはむれに 母を背負いて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず」という歌もあり、昔は母親を背負って歩くことは、親孝行の自然な現れでした。

但しこの歌については、いくら母の軽さに泣いても、三歩も歩けないというのは不自然だなと思っていましたが、啄木の妹さんによれば、啄木は戯れにも母を背負うような人ではなかったとのことで、想像で詠んだ歌のようです。

かつての日本において、親孝行は人としてなすべき第一の徳でした。中江藤樹は、近江にいる母に孝養を尽くすため、四国の伊予大洲藩を脱藩し帰郷しましたが、もし親孝行より大洲藩での職を大事にしていたら、近江聖人と呼ばれることもなく、歴史に名前を残すこともなかったはずです。

転勤で田舎に親を残して心配している人も多いでしょうが、人生の岐路で、選択の基準を親孝行に置いて後悔した人を見たことがありません。親を犠牲にして多少出世しても、そんなものは何の値打ちも無いことです。
今にして、そのことを痛感します。

母は病院に健康診断に行ったその晩に、病院で急死しました。
医療ミスだと考えるしかありませんでしたが、それも運命だと考え病院を追求することはしませんでした。
多くのものを与えられ、返せたのはほんの僅かでした。

花々を 世話する母と庭にいて 
      憂いを知らぬ遠き日のわれ

亡くなった母に感謝の言葉を伝えることはできないけれど、それでも次の誕生日には、育ててくれてありがとうと言ってみよう。


参考:聖人といわれた人物ー中江藤樹




トイレ掃除に参加してみた

Kai-3.gif

あの世に帰った時に聞かれることは、この世で人のために何をしたかだそうですが、この問いに答えることができない人間として何かしたいと思っていた時、公衆トイレの掃除に誘われました。

朝6時15分に現地集合なので5時過ぎに起床、家内の「うちのトイレ掃除もお願い」という言葉を背中に、あいにくの小雨の中を足取りも重く出発しました。
集合場所は大きな公園のトイレ。
集まったのは11名で、初めての参加は私一人でした。皆さん明るくてすぐに打ち解けます。
若い男女二人は、ある会社の研修で参加していました。

最後に来られた30代の男性は、何と埼玉から名古屋まで高速で6時間も掛けて来たとのことです。5時過ぎに起き、小雨で足取りが重いなどと思ったことを少し反省しました。
この方はみなさんと顔なじみだったので、何回も参加されていたのでしょう。どんな経緯か知りませんが、余程の意志と意識がなければ出来ないことです。

担当したのは男性用便所で、チームを組んだ相方は、会社の研修で参加した現代風の若者です。彼は何度も経験しているらしく、手慣れた作業振りでした。

この会の掃除は徹底しています。
小便器の折り返しの見えない汚れを落とし、便器を固定している足元のボルトカバーまで外して尿石を取ります。
洋式の大便器は蓋のボルトを外し、隠れた汚れを探し出してきれいにします。

力を入れて磨くために、片手でしっかり便器を押え、床を洗う時も片手をしっかり床に手をつき、力を込めてタワシでこすり上げます。
掃除に集中して来ると、顔を便器に近付けて細部の汚れを探しても、汚いという思いはありません。

掃除は原則として素手、裸足(あるいは長靴)で行い、便器の水だまりにも素手を突っ込んで磨きます。
「掃除に学ぶ会」に対して、素手では不衛生で感染の恐れがあるとの批判があり、こうした批判から、手に傷がある人や素手に抵抗がある人は、ゴム手袋をしてくださいと言っていますが、みんなが素手で掃除をしている中で、一人だけゴム手袋をするわけにはいきません。

トイレ掃除の模様は、「日本を美しくする会 掃除に学ぶ会 」の、高浜南中学ミニ勉強会ムービーをご覧下さい。

素手で掃除をする理由については、素手で触る方が汚れが確認できるからと言いますが、目視できない汚れを素手で確認して落とすことが、合理的な理由だとは思えません。
むしろ、素手で掃除を行ってきた人だけが分かる、何かの気づきによるものと思います。

掃除は2時間かけて終了し、手を消毒。みんなで感想を述べ参加費を払い解散しました。
ある方が、「今日は汚れが少なかったので達成感が無かった」と感想を述べていましたが、初心者には言えない言葉です。
参加費は掃除用具や洗剤などの消耗品の補充にあてるようですが、むしろ掃除をさせて頂いたことへの感謝と考えました。
掃除用具の並べ方、汚れに応じた用具の使い方、使った用具の洗い方、仕舞い方など、手順は合理的にシステム化されています。

以前からトイレ掃除で感じていたことは、便器に向かって、いつも汚い思いをさせてごめんなさい、使わせてもらって有難うと思いながら掃除をすると、汚いという感じがしないことです。
いたわりや感謝の気持ちの前では、ネガティブな感情は光の前の闇のように消え去るのでしょう。

トイレ掃除に参加して気づいたことは、「姿勢」です。
中腰の姿勢は不自然で疲れるため、早く終わらせたいと思うのが人間の心理ですが、腰を落とすことによって合理的な力の使い方ができ、おざなりで済まそうとする気持ちが無くなります。
それぞれの作業には、それにふさわしい姿勢がありました。
掃除の専門家である主婦の方から見れば、なんだ、そんな事かと思われるでしょうが、そんなことです。
普段何も考えず、習慣や惰性でやっていると気づかなかったことが、徹底的にやることによって見えてきます。
何に対しても取り組む「姿勢」が大事ですね。意識とは姿勢であることを再認識しました。

200px-Dogen.jpg

曹洞宗の開祖道元は、行住坐臥(ぎょうじゅうざがー生活のすべて)が修行であると説いており、『典座教訓』(てんぞ教訓)の中では、米や野菜の扱い方、調理の仕方などの心構えを述べています。

道元が食事も大事な修行であることを学んだのは中国でした。
彼が中国で修行をしていた時、椎茸を買いに来ていた寺の食事係(典座)の老僧と港で会います。道元はその老僧に、「食事の用意などは若い僧にさせ、あなたのような立派な方は、坐禅や仏道に専念すれば良いのではないですか」とたずねます。すると老僧は大笑いし、「若い方よ、あなたは修行とは何であるかが分かっていない」と言って去りました。

道元は、修行が朝起きてから寝るまでの、すべての生活の中にあることを悟ります。
学びとは、生活の中の「今、ここ」にあるのでしょう。

これから寒い冬を迎え、真っ暗な中をトイレ掃除に行けるか自信がありません。
その時は家内の言葉に従い、家のトイレ掃除をすることにします。

参考:「トイレにも心がある




はい、喜んで

不満はまわりにあるのではなく、心の中にある。

siberiaheidesu.jpg
強制収用所 早田貫一画伯のシベリア抑留鎮魂歌


以前、シベリアで抑留された日本軍兵士の記事を読みました。

敗戦後、65万人以上の日本兵がシベリアやモンゴルに抑留され、強制労働に従事させられました。
彼らは、極寒の中、わずかな食料で過酷な労働に従事させられ、ひたすら日本に帰れる日を待ち望みながら死んで行きました。
(アメリカの研究者によれば、100万人以上が抑留され、死者は25万4千人以上だと言われます)

直木賞を受賞した胡桃沢耕史の「黒パン俘虜記」は、強制収容所の地獄の日々を綴ったものです。僅かな黒パンとスープしか与えられず、栄養失調と病気の体で厳しい労働にかり出され、多くの仲間が泡のように命を落としてゆきます。
これほど読んだ後に心が重くなった作品はありませんでした。

そうした強制収容所の生活の中で、「自分たちは捕虜ではなく、日本兵だ」と誇りをもって強制労働に従事した日本兵たちがいたそうです。
彼らが与えられた作業現場で、女性将校の命令に対して、「はい、喜んで」と返事をし始めたら、女性将校は顔を赤らめて感激し、労働条件が良くなっていったと言います。
不安や絶望しかない中で、積極的につらい労働を受け入れる人間がいるなど、女性将校には想像もできなかったことでしょう。

siberiafusyo-1.jpg
病人・負傷者たち 

不平不満を言っていたことも、「はい、喜んで」と積極的に受け入れることができれば、それはいやなことではなく有難いことに変わるのかも知れません。

罰としてランニングをさせられたら不満しかありませんが、自分の能力を高めるためだと思えば、成し遂げた後の達成感があります。気持ちのあり方で、まるで結果が違ってきます。

私たちが生きていること自体が、この世と言う厳しい収容所で、つらい体験を重ねていると思えることがあります。
もし、シベリアの兵士のように、「はい、喜んで」と積極的に与えられた環境を受け取めることができれば、きっと人生は好転するのでしょう。

追記:ある方からシベリア抑留裁判が京都で始まったとの情報を頂きました。日本国政府がソ連に対し、日本兵を自由にお使いくださいと申し入れた文書が、旧ソ連崩壊によって出てきたとのことです。それが本当だとしたら、シベリアに抑留された人たちは日本国によって売られたことになります。


☆ご訪問いただき有難うございました
  リンクフリーです。ご連絡頂ければ相互リンクさせていただきます


短歌

ブログ内検索

QRコードメーカー



フリーエリア