言霊と元号

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今上天皇の譲位(生前退位)が平成30年までに行われる見通しです。
ご高齢の陛下にはゆっくりと今後の時間をすごしていただきたいと願う一方、高貴で仲睦まじい天皇皇后両陛下が表舞台から去られることを残念にも思います。

天皇が変われば元号が変わることになりますが、「平成」は言霊的に問題が多すぎたようです。
むしろ最悪の年号だといってよさそうです。

作家の丸谷才一さんは『元号そして改元』で、平成という元号の問題点について書いています。

≪・・・「中国の年号では平の字が上にくるものは一つもない。日本では、これ以前はただ一つの平治があるだけで、平治と定めるとき、中国の例を引いてもめたのだが、多勢に無勢だった。果せるかな、あの戦乱(注 平治の乱)が勃発。翌年1月、改元。

しかしわたしが平成をしりぞけるのはこのためだけではない。日本語ではエ列音は格が低い。八世紀をさかのぼる原始日本語の母音体系は、a,i,u,oという四つの母音から成っていたと推定される。(大野晋『日本語の形成』)

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日本語の形成

大野さんの説によると、このため後来のエ列音には、概して、侮蔑的な、悪意のこもったマイナス方向の言葉がはいることになった。アハハと笑うのは朗らかである。イヒヒとは普通は笑わない。ウフフは明るいし、オホホは色っぽい。しかしエヘヘは追従笑いだ。エセとかケチとかセコイとか、例はいくらでも。

なかんづくひどいのがヘで、例のガスを筆頭に、押されてくぼむのはヘコム、疲れるのはヘコタレル。言いなりになるのはヘーコラ、上手の反対はヘタ、ご機嫌取りはヘツラフ、力がないのはヘナヘナ、いやらしい動物はヘビ、と切りがない。
ヘイセイ(実際の発音はヘエセエ)はこのエ音列四つ並ぶ。明るく開く趣ではない。狭苦しくて気が晴れない。これでは『史記』の「内平らかに外なる」、『書経』の「地平らかに天成る」にもかかわらず世が乱れるのは当たり前だった。

・・・元号のせいで凶時がつづくなどと言うと、縁起をかつぐみたいで滑稽かもしれない。しかしあれはもともと呪術的な記号である。縁起ものだからこそ、平治のときのように、これはいけないとなると改元した。一世一元と定めた法律は、古代の慣行を捨てかねずにいながら、しかも古人の知恵を無視して、生半可に近代化している。早速、法律を手直しして改元すべきだろう。・・・≫

丸谷才一さんの見解は言語学者の大野晋さんに負うところが多いようですが、作家の加藤廣さんも『昭和への伝言』で、「平成」の問題点について次のように書かれています。


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≪「平成」の二文字・・・
「内平らかに外なる」(『史記』)
「地平らかに天成る」(『書経』)
からの引用だそうで、国の内外にも天地にも平和が達成されるという意味が込められているとのこと。

・・・(元号って、国の姓名判断みたいなものだろう。ならば支那=中国の出典などはどうでもいい。そんなことより日本の年号の歴史で、これまで「平」と「成」の二文字が、どう取り扱われていたのか。そのほうがもっと大事だろうに)
そう思ったボクは、早速歴史の本を引っ張り出し、おもしろ半分に調べてみた。そして驚いた。「平」も「成」もほとんど使われたことのない文字だったのである。

ちなみに平成の年号は、最初の年号の「大化」から数えて、百四十七番目に当たる。これまで年号に用いられてきた文字は七十二字。うち一回だけの使用文字が三十字。この程度なので、実際は四十字ぐらいが何度も繰り返して使われてきたようである。
その中で「平」の字は、天平、寛平、承平、平治、正平など十一回。そして、そのほとんどが、疫病の流行(天平)、将門の乱(承平)、武士の台頭と興隆(平治・正平)等々、天下大乱の時。以後忌避されたものか、六百年以上使われていない。「成」に到っては、一度しか使われたことがないのである。

二つあわせれば、「天下大乱成る」というわけでますます不吉きわまりない。
・・・困ったな、ろくな時代にならないんじゃないのかなーーそんな危惧が残った。

ではそういうお前たちの「昭和」はどうだったのか?
平成生まれの若い人たちに、そう問い詰められる前に、結論から言う。「昭」も初出、「和」は十九回。これもたいしたことはないのである。
・・・実際、昭和には、文化的にみても、平成の若い方々に誇れるようなものはなに一つなかった。いたずらに合法的に人殺しをするための文明だけが異常に発達し、よき日本の文化と自然まで壊してきたのではなかったか。
―国破れて山河もなしー


「平成」の元号を考えたのは陽明学者の安岡正篤(やすおか まさひろ)であると言われています。丸谷才一も安岡ではないかとほのめかしていますが、元号は縁起物なので昭和天皇崩御前に亡くなった安岡の案が採用されることはないだろうともいわれます。
昭和天皇崩御の後、元号に関する懇談会が開かれ、この懇談会にはメディア関係の大物や大学総長(専門はそれぞれ刑法学と病理学)が参加していたようです。
丸谷才一は、そんな人たちではなく、日ごろ言葉の使い方で苦労している、語感の鋭い、詩人、劇作家、小説家を入れればよかったのに、と述べています。

もし元号が「平成」でなかったとしても、バブル経済のツケは払わなければならず、東日本大震災も避けることはできなかったでしょう。
しかしながら日本人が毎日目にし口にする「平成」という言葉が、日本人の集合意識に影響しないはずはなく、もしそれが平成ではなく明るく力強いものであったとすれば、昭和が終わった後の時代の様相は違ったものになったはずです。

いにしえ人が「言霊の幸ふ国」と呼んだこの国ですから、近々現実となる改元において、未来に希望の抱ける元号が制定されることを願います。






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「少年時代」は夏の歌か

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井上陽水の「少年時代」は、いまや夏を代表する曲となっている。
日本人なら誰もが郷愁を覚える名曲だが、本当に夏の歌なのだろうか。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    「夏が過ぎ 風あざみ
    だれの憧れにさまよう
    青空に残された 私の心は夏もよう」 
  

風あざみは造語らしい。
夏が過ぎて秋になったが、青空を見る私の心は夏模様なのだと理解できる。
「だれの憧れにさまよう」、・・・なんとなく詩的な表現だが意味不明。
  
    「夢が覚め 夜の中 長い冬が
    窓を閉じて 呼びかけたままで
    夢はつまり 想い出の後先」 
   

夢から覚めたら冬の夜だったらしい。窓を閉じて呼びかけてきたのは「長い冬」だったのだろうか。親切な長い冬だ。
「夢はつまり 想い出の後先」、・・・「つまり 想い出の後先なのだ」、と言われても何がつまりなのかわからない。

     「夏祭り 宵かがり 胸の高鳴りに合わせて
    八月は 夢花火 私の心は夏もよう」
    

冬からいきなり夏祭りである。「宵かがり」、「夢花火」は陽水の造語だが、ここの文脈は珍しく意味が理解できる。
「私の心は夏もよう」は、夏が過ぎたけれど私の心はまだ夏模様というのではなく本当に夏なのだ。
 
    「目が覚めて 夢のあと 長い影が
    夜に伸びて 星屑の空へ
    夢はつまり 想い出の後先」 
   

長い影ができるのは冬だから、ここは冬のことだろう。しかし夜の星空に伸びる長い影っていったい・・・
普通の人はおかしいと思うだろうが、井上陽水はおおらかなのだ。

     「夏が過ぎ風あざみ 
    だれの憧れにさまよう
    八月は 夢花火 私の心は夏もよう」 
   

「風あざみ」は造語らしい。夏は過ぎたけど「八月の花火は楽しいな、夏はいいな~」と主人公は回想し、私の心は夏模様だと歌っているのだ。
「だれの憧れにさまよう」、誰が誰のあこがれにさ迷うのか、詮索してはいけない。

上記のように、この歌が夏の歌である証拠は何もない。はっきり言えるのは、主人公は冬の長い夜に目が覚めてしまって、夏はいいなといっているのだ。
にもかかわらず、この歌を聞いてだれもが夏をイメージするのは、さすが井上陽水というべきなのだろう。









広葉樹の恵みと日本人が失ったもの

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今年の春、山形の天童市と東根市の山々を見た時の感動は忘れられない。

やわらかい黄緑色の新緑に覆われた山の様子は息をのむほど美しかった。

 

戦後、焼け野原と化した日本に住宅を建てるため、おびただしい数の針葉樹が山に植えられた。日本人の徹底した仕事ぶりによって山は針葉樹に埋め尽くされたが、それらは現在手入れされない痩せた森林となっている。

しかし東北には美しい広葉樹が残っていた。

 

日本の文化は広葉樹林文化(照葉樹林文化)と呼ばれる。

縄文時代は落葉広葉樹林がもたらす豊かなドングリや栗、栃などの実によって、人々は争うことなく平和に暮らしていた。

縄文時代が1万5千年以上平和に続いたのは広葉樹林の恵みによってであった。多分、日本人の和を尊ぶ心の原点には広葉樹があったのだと思う。

 

高度成長期の頃だったか、「日本は戦争に負けて良かったか」という問いかけがよくなされた。当時は「民主主義になったので負けて良かった」という意見が大半だったが、もしその議論で日本が敗戦で何を失ったかが語られていたら、戦争に負けて良かったという意見は出なかっただろう。

 

敗戦によって衆愚政治としての民主主義と引き換えに日本人は多くのものを失った。

 

権利や自由の過度な主張、国を愛する心の否定、なんでも責任転嫁し自分は悪くないと思う反省の欠如、家族制度の破壊(大家族制度の崩壊が少子高齢化、地方の過疎化の原因となっている)、これらの背後にはGHQの日本弱体化計画があった。

さいわいにして和を尊び、礼儀を重んじ、慎み深く謙虚であること、まじめで勤勉でより高みを求める心はまだ日本人の心から消え去っていない。これらの美徳は、もしかしたら広葉樹の恵みによって縄文時代から日本人のDNAに刻まれてきたのかもしれない。

 

そういえば敗戦によって広葉樹の景観とともに街並みの景観も失われた。

戦後、GHQが日本の立派な家屋を接収したあと、柱にペンキを塗ったといわれている。文化のないアメリカではなく、もしフランスやイギリスに占領されていたのなら、もうちょっとマシな街並みになっていたかもしれない。

 

日本が敗けて良かったことなどないと、広葉樹の山々を見ながらあらためて思った。

 

 

日本の戦いとはなんであったか

日本の戦いとはなんであったか(2)

日本の戦後に行われたこと

童謡・唱歌は日本の宝 

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ブログを初めて8年経つと、過去にどんな記事を書いたのか忘れてしまいます。久しぶりに過去記事を見ると、結構面白い記事や参考になる記事があって、もう一度ご紹介しても良いのではないかと考えました。しばらく過去記事を再掲させていただきます。


「ふるさと」や「かあさんの歌」、「浜辺の歌」など、日本には誰でも懐かしさを呼び起こされる唱歌や童謡が沢山あります。これらの曲は主に明治の唱歌運動、大正の童謡運動などで作られたものですが、かっての日本人が子供の情操教育をいかに大事に考えていたかを物語るものです。

以前NHKFMで童謡唱歌の特集があり、懐かしい曲と貴重な解説をおもしろく聞きました。

「ずいずいずっころばし」の歌詞は何のことか、まったく意味が分かりませんでした。これは徳川三代将軍家光の頃に始まり240年続いた「茶壷道中」の様子を表したものだと言います。京都の宇治で摘まれた一年分の新茶を茶壷に詰めて、中仙道から江戸まで献上行列をしていました。

この行列はぎょうぎょうしく、行列が来ると戸をピシャンと閉めて家に逃げ込む様子を、「~茶壷に追われて戸っぴんしゃん」、行列が通り過ぎるとホットして外に出て喜ぶ様子を 「~抜けたらドンドコショ」、行列が通りすぎるまでは、たとえ親が呼んでも家から出てはいけ ことを、 「~おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでもいきっこな~しよ 」と歌っていると言います。
なるほどね。

野口雨情の「七つの子」の、~かわいい七つの子がいるからよ~は、7歳の子と7羽の子供の二つに解釈できます。しかし7歳のカラスは子供ではなく、またカラスは7つも卵を産みません。これは、昔7歳で「帯びとき式」をして、子供が一人立ちする祝いをしましたが、この7歳の子のかわいい様子と掛けたものだそうです。

その時を代表する作詞、作曲の才能が集まり、子供たちのために作品を作り上げています。これほど質の高い童謡、唱歌は世界に無く、日本の財産だと言えます。

「村祭り」と言う童謡は、市町村合併で村が消えた県では教科書から消えたとのことです。「村の鍛冶屋」も鍛冶屋が無くなったので教科書から消えています。
文化は民族のアイデンティティーです。
私達はこの財産をいつまでも大事に守り続けなければならないと思います。





日本人の敵

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日本に住んでいる外国人の知人が、なぜ日本のテレビにはあんなにオカマが出るのかと不思議がっていました。
いまの日本のテレビは異常というしかありません。

異常さは様々な場面に現れていますが、特に感じるのが平気でマネをすることです。
同じような番組、同じようなタレント、同じようなコメンテーター、節操の無い模倣に驚きます。
オカマの多さも模倣の現れです。

独自性を競う産業界や文化芸術の世界からは考えられないことですが、先般、海外でのスポーツイベントで、競技終了後に日本人記者たちが集まって、取材内容のすり合わせをしているとあきれられていました。テレビだけでなくマスコミ全体に模倣体質が蔓延しているようです。

小さなことですが、最近字幕で、「て」を「T」のように書くのがはやっています。このみっともない書き方は「志村動物園」で始めたもので、いやな字体だと思っていたのが、あろうことかマネする番組が増えてきたのです。

最近流行の「安心・安全」という言い方も違和感があります。安全であれば安心だし、安心なら当然安全なはずです。どちらかを言えば足りるのに、こういう重複した言い方がはやるのも模倣体質の結果です。

最近、「寄り添う」と言う言葉がマスコミに多用されています。本来はうつくしい言葉なのに、「被災地に寄り添う」、「弱者に寄り添う」などと使われると、せっかくの行為が薄っぺらなものに感じられます。
モンドセレクション金賞受賞みたいに、多ければ言葉の価値はなくなります。

料理番組の「味を調える」という言い方も、最近うんざりする言葉です。調味料で味をつけた後、最後に「味を調える」はずですが、最近は味をつける前に、いきなり「味を調えます」などと言います。日本語を大事にする気持ちがテレビ界から失われているのでしょう。

レポーターが取材先に小走りに入って行くのも軽薄なはやりです。取材内容を伝えるのがレポーターの役割であり、現場に走って入ろうが、後ろ向きに入ろうが、ほふく前進で入ろうが、そんなことは関係ないことです。


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セウォル号事件やナッツリターンに見られるように、韓国のマスコミは人民裁判の場となっています。日本のマスコミはそのことを、愚かな韓国マスコミという目線で報道しますが、しかしSTAP細胞などの報道を見ると、本質的にやっていることは同じです。自分が正義になり、相手が立ち上がれなくなるまで叩きます。日本人の美点であった、惻隠の情、思いやりの心はマスコミにはありません。

良質な番組は数えるほどで、「ガイアの夜明け」「未来世紀ジパング」「和風総本家」など、テレビ東京ががんばっているのが目立ちます。反日左翼的なNHKも、さすがに芸術番組やNHK特集などでは他の追随を許さない番組作りをしていますが、それにしても視聴料が高すぎます。

テレビ業界が模倣の氾濫となったのは、他の番組のマネをしていれば危険が少ないと考える下請け会社によって作られるためではないかと思います。そうでなければ、よほど無能な人間やプライドの無い人間がテレビ業界に集まっていることになります。

昔、評論家の大宅壮一がテレビを称して、「一億総白痴化」と断じましたが、先見の明に脱帽するばかりです。

新聞を読まず、本を読まず、ネットをしない人間にとって、テレビで放送されることがすべてであり、そこでコメントされることが正義です。
見たくなければ見なければ良いのですが、放置することは消極的な肯定となります。
おかしいと思う事は積極的に抗議をするため、下記の抗議先を携帯に登録しています。

○NHK
 ・ 0570-066-066(NHKふれあいセンター・ナビダイヤル)
   受付時間:午前9時から午後10時  
 ・メール  http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html    
○日本テレビ
 ・ 03-6215-4444
   受付時間: 午前8時30分から午後10時30分(年末年始を除く)
 ・メール  http://www.ntv.co.jp/staff/goiken/form.html
○TBS
 ・ 03-3746-6666
   受付時間:午前10時から午後7時  
 ・メール  http://www.tbs.co.jp/contact/ 
○フジテレビ
 ・ 03-5531-1111
   受付時間:午前9時30分から午後9時  
 ・メール  https://s1.fujitv.co.jp/safe/contact/index.html
○テレビ東京
 ・ 03-7470-7777
   受付時間:午前10時から午後9時(土日祝日は午後11時から7時)
 ・メール  https://www3.tv-tokyo.co.jp/enq/subscribe.do?id=00000B5

参考:日本語の「ハ」と「ガ」



「新解さんの謎」を読む

新解さんの謎 (文春文庫)新解さんの謎 (文春文庫)
(1999/04)
赤瀬川 原平

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かなり以前に阿川弘之が紹介していた、赤瀬川原平著「新解さんの謎」をブックオフで見かけたので買ってみました。
しかしこれは想像を超える代物でした。

「新解さん」とは三省堂の「新明解国語辞典」のことで、その説明や例文に漂う面白さを発見してゆく内容です。「新明解国語辞典」の編者の、生真面目で少し古めいた考え方がたくまざるユーモアとなって笑えます。

赤瀬川原平はある夜、「路上観察学会」の会員である若い女性から電話をもらいます。
彼女は「新明解国語辞典」の記述の奇妙さについて説明します。

「新明解国語辞典」の恋愛についての説明。

れんあい【恋愛】―する 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、できるなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる。(まれにかなえられて歓喜する)状態。「―結婚・―関係」

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歓喜する

私は変な気がした。読書のような気持ちになった。辞書なのに。

「何これ、いま見てるけど」
「凄いんですよ。凄いと思いません?」
「いや、たしかにこの通りだよ。ちょっとこの通りすぎるね」
「そうなんです。その感じなんです。こんな辞書ってほかにあります?」
「うん、合体ね。恋愛の説明に合体まで出るか」
「凄いんです」
「しかも出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら。この“出来るなら”というのが・・・・」
「そうなんです。真にせまるんです」
「出来るなら、ねえ。辞書ってここまで書くのかな」
「いえ、この辞書が特別なんです」
「ふうん、新明解・・・・」
「もう黙っていられなくて」
「たしかにね。“常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる”なんて、辞書にあるまじき細かさだな」
「もう文学です。訴えているんです
「そのダメ押しがまた(まれにかなえられて歓喜する)。これをわざわざ丸カッコに包んで出している」
「正確なんです」
「合体が、まれにかなえられて歓喜する、そうだったよなあ、恋愛なんて」
いけない。夜の十一時である。相手はまだ若い女性だ」
「それでわたし、たまらずに“合体”を調べたんです。229ページです」
積極的である。相手の方が先を行っている。私もあわてて後をついて行く。

がったい【合体】―する ①起源・由来の違うものが新しい理念の下(もと)に一体となって何かを運営すること。「公武―」②「性交」の、この辞書でのえんきょく表現。


「運営ねえ」
「運営ですよ」
「でも辞書とか、お役所仕事というのは、大マジメなところが即おかしかったりするもんだよ」
「そうなんですけど、ここではむしろ②です。“この辞書でのえんきょく表現”。何か辞書なのに、自己主張を感じませんか」
「たしかに匂うね」
「もう大変に匂います。わたし以前からこの匂いが気になっていて、最近ちょっと記録をとってみたら本当に凄いので、夜分すみませんでした。こんなお電話して」
「まだあるんですね」
「もうたくさんあるんです。明日すぐにお送りします」

あくる日、速達の郵便物が届いた。

【性交】
そりゃあたしかに、恋愛―合体ときたらこの言葉に進まないわけにはいかないだろう。

せいこう【性交】―する 成熟した男女が時を置いて合体する本能的行為。

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私はこの文中の“時を置いて”というのに感動した。時を置かずになしていたら、それこそ頬はげっそり落ちてふらふらになる。人生に一、二度はそういうことがあるものである。
一、 二度でなく、二、三度かな。いけない、私も新明解国語辞典みたいになってきた。
でもいいなあ、時を置いて。この親切な実感。一週間か。あるいは二日とか三日とか。人によっては一月、あるいは一年ということもある。私は七年という人を知っている。
いけないなあ、考えることがリアリズムになりすぎる。単なる辞書なのに。これは明解というより実感国語辞典だ。


―ここまで読んできたら、新明解国語辞典の面白さは赤瀬川原平の文章力によって増幅されているのがわかる。
この本はその増幅を楽しむものなのだ。

バカについての記載を見てみよう。

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ばか【馬鹿】記憶力・理解力の鈍さが常識を越える様子。また、そういう人。
[人をののしる時に一番使う語。公の席では刺激が強すぎるので使わない方がいい]⇔利口


私は読んだあと、思わず遠くを見つめた。
[公の席では刺激が強すぎるので使わない方がいい]
こんな親切な辞書があるだろうか。親切と言うよりおせっかいというか、いやいや、犯罪を未然に防ごうという心づかいは親切であろう。・・・・
なになに、報告によるとこれは第一版・第二版のもので、第三版以降はさらに変化しているという。


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公の席

ばか【馬鹿】[雅語形容詞「はかなし」の語根の強調形]
① ―な 記憶力・理解力の鈍さが常識を超える様子。また、そうとしか言いようの無い人。[人をののしる時に最も普通に使うが、公の席で使うと刺激が強すぎることが有る。また、身近の存在に対して親しみを込めて使うことも有る。例、「あのー(=あいつ)が・― ―(=女性語で、相手に甘える時の言い方)]


なるほど、いっそうの充実を見せている。問題は「女性語で」の項。じつはそのカッコの
上に「― ―」とあるが、これは単なる二本の線ではなくて用例なのだ。つまり
「馬鹿馬鹿」
ということらしい。漢字では感じがでないが、要するに
「ばかばか」
ということ。しかしここまできたら、
「いやん、― ―」としてほしかった。あるいは「ばか」の下に小さいカタカナの「ン」がつくこともある、という、よりいっそうの親切心も必要だろう。


―引用したらきりがないので止めますが、こうした言葉遊びの面白さは紙に印刷した辞書だから可能なのであって、パソコンやスマホでは全体の一覧性がないので趣が変わります。
そういう意味では、この本は失われつつある辞書の時代の思い出のような作品です。

以前、「舟を編む」について書いた記事で、パソコンやスマホの普及で大部な辞書の編纂は今後出来なくなるだろうと書きましたが、辞書や事典のレベルがその国民のレベルを反映しているとすれば、今後日本人の言語的素養が向上することは期待できないでしょう。

多分、本が売れずに書店の数が減少の一途をたどっている現状と、何を食べても「ジューシー」としか言えないテレビのレポーターたちの言葉の貧困とは無縁ではないはずです。
言霊の幸ふ国は、いまや貧困な言霊の国になりつつあります。



五木の子守唄は朝鮮由来か

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お盆が近づいてくると、「五木の子守唄」の哀調を思い出します。
日本の古謡の中で、「五木の子守唄」の寂しさは異質です。
中国地方の子守唄も陰旋律のさみしさがありますが、五木の子守唄の救いのないようなさびしさとは違います。
なぜ五木の子守唄の寂しさは際立っているのか、以前から疑問でした。

五木の子守唄」は秀吉の朝鮮出兵の折に連れて来られた陶工が五木に住みつき、彼らによって作られたという説があります。日本の古謡には珍しい3拍子であり、アリランやトラジと同じ3拍子であることから言われているようです。歌詞の「おどまかんじんかんじん」の「かんじん」が韓人であるとの説までありますが、韓国ができたのが戦後なのでこれはあり得ません。

「五木の子守唄」の寂しさの説明として、朝鮮由来説は感覚的に納得できますが、秀吉の朝鮮出兵の折に日本に連れてこられたとすれば400年以上昔であり、その後五木に住み着き、五木弁を話すようになっても尚、朝鮮的な感性がそのまま残るだろうかという疑問がありました。(最近、パク・クネ大統領が、千年たっても恨むと言っているので、すぐ水に流す日本人の感性で理解してはいけないのかも知れませんが)

また、陶工として連れてこられた人間が、五木村のような山奥に住み着くのは不自然ではないかとの疑問もありました。
薩摩焼の沈寿官さんは社会的な名声と地位を得て、その後朝鮮に帰る機会を与えられながら帰らなかったことを考えても、余程のことがなければ陶工たちが五木村に住み着くことはないでしょう。

「五木の子守唄」の寂しさや悲しさが、アリランに感じられる朝鮮的な感性ではないかという疑問は、五木村のホームページで正調五木の子守唄を聞いて氷解しました。元歌の感性に朝鮮的なものはまるでないのです。
(五木村のホームページで是非正調五木の子守唄をお聴きください)

Wikiによれば、戦後に古関裕而が採譜し、民謡歌手の音丸によってレコーディングされたとあります。採譜した「五木の子守唄」の元歌を、古関裕而が戦後の風潮に合わせ、哀切な曲調に編曲したと考えるのが正しいようです。
われわれが知っている歌詞もお座敷唄として編集されたものであり、つまり有名な五木の子守唄は古謡に題材を得て作られた、いわば戦後歌謡なのでした。

「お座敷唄」
おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 
盆が早よくりゃ早よもどる

おどま勧進勧進 あん人たちゃよか衆
よか衆ゃよか帯 よか着物

「正調五木の子守唄」
おどまいやいや 泣く子の守りにゃ
泣くといわれて憎まれる 泣くといわれて憎まれる

ねんねした子のかわいさむぞさ
起きて泣く子の面憎さ 起きて泣く子の面憎さ  以下略

中国地方の子守唄」は、岡山県井原市付近に伝わる子守歌を、1938年に山田耕筰が採譜編集したものだといいます。元歌がわからないのですが、山田耕筰の改編が加わっているとすれば、西洋音楽的に洗練されたものになっているでしょう。また1938年という時代風潮が反映されているかもしれません。

ねんねこ しゃっしゃりませ
寝た子の かわいさ
起きて 泣く子の
ねんころろ つらにくさ
ねんころろん ねんころろん

ねんねこ しゃっしゃりませ
きょうは 二十五日さ
あすは この子の
ねんころろ 宮詣り
ねんころろん ねんころろん

宮へ 詣った時
なんと言うて 拝むさ
一生 この子の
ねんころろん まめなように
ねんころろん ねんころろん

有名な二つの子守唄が、著名な作曲家によって手が加えられていたのは意外でした。
ちょっと調べれば長年の疑問が判明するのだからネットは便利です。

日本が貧しかった頃、幼い子どもが口減らしのため働きに出され、子守や雑用をさせられていました。
盆に親元に帰るときの喜びがどれほどのものであったか想像を超えます。
幼い子どもたちはそのような苦労の中でも決して親を恨まず、早く親を楽にしてあげたいと考えました。
家貧しくて孝子出づ
過保護の中から生まれるものは何もないことを痛感します。


<参考>
五木の子守唄
中国地方の子守唄




日本の色

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秋田 刺巻湿原


日本ほど色彩の豊かな国はありません。
せんだって、オバマ大統領が韓国を訪問した時の民族衣装での歓迎式典を見ながら、あらためて日本人の稀有な色彩感覚を思っていました。


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四十八茶100鼠(しじゅうはっちゃ・ひゃくねずみ)という言葉があります。
江戸時代、茶系の色だけで四十八色、鼠色だと100色もあるという意味です。実際に鼠色系は100近くあり、茶系色は四十八でなく60以上が同定できているようです。

その中には現在だと茶系やグレー系に入れない色もありますが、これだけ茶系と灰色系が増えた理由は、江戸時代後期の奢侈禁止令により、庶民が派手な色の着物を着ることを禁じられたため、地味な茶色と鼠色の中に色彩の変化を求めたためだといいます。

驚くのはその一つ一つの色に名前がついていて、しかもセンスが良いことです。
たとえば「城ヶ島の雨」の歌詞、“雨はふるふる 城ケ島の磯に 利休鼠の雨がふる”は、利休鼠色の雨が降るという意味ですが、利休鼠の名前の由来は、地味でくすんだ色が侘茶を想像させ、さらに利休を連想させたことによるものです。
たくさんの微妙な色合いを創り出し、それを再現できた技術力にも驚くほかありません。


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江戸時代の日本人の興味深いところは、浮世絵や歌舞伎や芸事を楽しむ一方で、徹底的にものを大切にしていたことです。
文春文庫のベスト・エッセイ集「片手の音」に掲載された、友禅職人の岩原俊さんの「貸しふんどしの話」は、日本人の物を大切にする心が如何に徹底していたかを示すものでした。

江戸時代、参勤交代で江戸屋敷づめになった単身赴任や独身の侍は、ふんどしの洗濯を下男にさせるわけにいかず、何日間に一度届けられる貸しふんどしを利用していたそうです。
こうしたレンタルのふんどしは、古くなってくたびれる前に業者が買い取り、小紋のデザインを藍染してから野良着に仕立てて東北地方で売っていました。

六尺ふんどし四本で野良着が一着、もんぺなら二本できたようです。こうして再生した野良着がぼろぼろになると、また集められて江戸に運ばれ、古くなった庶民の藍染の普段着などと一緒に洗濯したあと臼でつかれました。


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藍染

藍染は植物の藍に含まれるインディゴを発酵、酸化させて藍色にします。酸化した藍は元に戻らないので、臼でつくと藍の微粒子が繊維から離れ臼の底に沈殿します。そうして集められた藍の成分にニカワを混ぜて小指ほどの大きさに固めます。

それは藍棒と呼ばれ青色の染料になりました。水を入れた小鉢の中で藍棒を刷ると青色の水になり、薄めれば水色になります。
江戸時代、青色は藍棒によって得られていました。鉱物系の顔料としてはブルーの群青、グリーンの緑青がありましたが、大変高価だったため、高名な絵師の屏風絵や襖絵などにしか使えません。葛飾北斎や安藤広重の浮世絵の美しい青も、元々はふんどしを染めていた藍だったかも知れないのです。
但し、北斎の「冨嶽三十六景」など、後年にはオランダ船によって持ち込まれたベロ藍が使われています。

黄色は南方の植物、オトギリソウの樹液から作られていましたが、これを藍棒の水色と混ぜるとグリーンになります。
グリーン系の色はすべてこの組み合わせでできていました。

藍の色素を抜かれた木綿は、さらに臼で叩かれてこまかい繊維にされ、高級な紙の原料として使われていました。
現在でも木綿を叩解したパルプからボンド紙という高級印刷用紙が作られていますが、江戸時代の日本人の、物の命を使い尽くすもったいない精神と知恵には驚くほかありません。エセ環境意識を振りかざす現在とは比較を絶しています。

四十八茶100鼠に見られる同系色の多様さには、日本人の色彩に対する繊細な感覚に加え、やさしさ、おだやかさ、慎み深さという日本人の繊細な心が現れているように思います。
こんな国民は他にいません。失われつつある日本のすべてが、かけがいのない文化遺産です。


日本の伝統色

藍について




日本人と武道

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10年くらい前、テレビで柳生新陰流の立ち合いを見て驚いたことがありました。
相手の剣士が木刀を振り下ろすと、当時高齢であったはずの柳生当主がわずかに遅れて振り下ろしました。

先に振り下ろした木刀と後から振り下ろした木刀では、当然先に振り下ろした木刀が勝つはずです。ところがお互いの木刀が下に降りたとき、柳生新陰流当主の木刀は、相手剣士の木刀を上から制していたのです。言葉でその不思議な様をうまく説明できませんが、なにか物理法則に反するものを見たような驚きでした。

この時の印象が忘れられず、折に触れて思い出していたのですが、その柳生新陰流の剣法が、「活人剣(かつにんけん)」だと知ったのは、「致知」の3月号によってでした。
柳生新陰流第22世当主の柳生耕一氏が寄稿されていました。


柳生耕一氏


「普通に考えたら先に動いたほうが有利なのに、活人剣はなぜ勝てるのでしょうか。新陰流には、活人剣の技の一つとして相手が切りたくなるような状態をわざとつくり、相手が食らいついてきた瞬間、絶妙のタイミングで打つ、というものがありますが、このように相手の動きを予測し、こちらのシナリオに沿って相手を動かすのです。」

「殺人刀と活人剣が相まみえると、戦っている次元が違いますから、活人剣が負けることはありません。活人剣が「天下の剣」と恐れられる所以です。」

あの物理法則に反するような不思議な剣は、長年自分を統御してきた武術者が到達した、高い精神的境地によるものだったのです。

「自分の得意技に頼るだけでは、とても活人剣を操ることはできません。相手の動きを引き出すのが、先に述べた心の「位」です。相手の動きに自在に対するには、囚われを廃し、どのような時も心をニュートラルな状態に保っておくことが不可欠で、その意味でも心の練磨は欠かすことができません。」

柳生新陰流の流祖上泉伊勢守(かみいずみいせのかみ)は、柳生石舟斎に対して、活人剣を印可(許可)するのは一国一人の「真実の人」に限ると伝えています。
人を倒す剣の道の行きつくところが、「真実の人」というのが、究極を求める日本人らしいところです。

柳生石舟斎の言葉
「一文は無文の師、他流勝つべきにはあらず。昨日の我に今日は勝つべし」

解剖学者の養老孟司さんが、エッセイ集「涼しい脳味噌」の中で、武道家の甲野善紀の著書「剣の精神誌」について書いています。

『「茶道の一期一会が「順縁の出会い」なら、武道は本来「殺し合い」で、甲野氏の表現によれば、「逆縁の出会い」である。西洋でも、殺し合いは必要悪だが、日本だけは違った。
必要悪だと割り切り損ねた。そう甲野氏は言う。必要悪だと割り切れないから、「道」になり学問になる。』

必要悪と割り切れなかったことと、さらに必要悪の中にも真善美を求め続けるのが日本人です。
そのことは切ることを極限まで追求しながら、余分なものそぎ落として、武士の魂を凝縮したような美しさを実現した日本刀にも見ることができます。また、ただ飲むだけの茶を様式美に高めた茶道の中にも、真善美を追求する日本人の特性が現れています。

戦いを超越するためには、相手より数段強くなければなりません。平和憲法と武装放棄によって戦いが無くなると考えるのは、戦いを知らないお人好しな人間の錯覚です。
世の中には相手が弱いと思えば、嵩にかかって理不尽な要求をしてくる人や国があることを知らなければなりません。


謎の空手・氣空術: 合気空手道の誕生 (バウンダリー叢書)謎の空手・氣空術: 合気空手道の誕生 (バウンダリー叢書)
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畑村 洋数

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(2013/11/28)
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「気空術」という武術があります。創始者の畑村数洋師範はフルコンタクト空手(直接相手に打撃を与える空手)拳友会の会長ですが、理想の武術を求め続けて到達したのが気空術です。それは戦いを超越した武術で、相手を倒そうとする意識を捨てるだけでなく、むしろ愛することを求めます。

この武術は人間の生理的反応と力学を応用し、徹底的に力を抜くことによって相手を無力化しコントロールします。

気空術の特長の一つに、無痛の衝撃があります。
長年格闘技をしてきた知人が始めて気空術を体験した時のこと、畑村師範に気空術で打ってほしいと頼みましたが、相手の状態(精神的、エネルギー的状態)を見て、今打つと骨が折れるかも知れないと判断した畑村師範は断りました。しばらく練習して、知人のコンディションが上がったことを確認した師範は、ごくごく軽く知人を打ちました。その結果、知人は胸に穴が開き、肋骨が折れたかのような強烈な衝撃を受けたのです。

しかしそんなすごい衝撃にもかかわらず痛みはなく、それどころか、精神的な不調が続いていた知人は、その衝撃を受けた途端に一挙に意識が改善して、表情が晴れ晴れとしてきたのです。これはまさに「活人拳」と呼ぶべきものです。打たれて心身の不調が良くなる武術が存在するのです。

下に気空術の映像をご紹介します。軽く触れただけで相手が倒れるので、やらせではないかと思われるでしょうが、事実この通りです。




気空術は、力を抜けば抜くほど相手をコントロールできるので、女性でも年配者でも技を習得できます。むしろ闘いの意識がなく力まない女性の方が向いているとさえ言えます。
畑村師範は一見こわもての武道家ですが、明るく、謙虚で、思いやりがあり、私がここ数年お会いできたことをもっとも喜んだ人です。上泉伊勢守の言う、「真実の人」です。

私も気空術の初段を印可いただきましたが、練習のたびにその合理的な奥深さと、それを発見した畑村館長に驚きを新たにしています。
この活人武術が広く学ばれるようになれば、武道だけでなくスポーツまで変わってくるでしょう。

気空術ーそれは体で表現する芸術




もののあはれと秋

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子供の頃、一年で一番さびしかったのが夏の終わりでした。
いつも夏休みの宿題が残っていて、登校日の朝までやっていましたが、何年生の時だったか、さすがに反省して夏休みが始まるとすぐに宿題に取り掛かりました。しかし、この反省が続いたのはせいぜい1週間で、結局登校日の朝までやっていました。
勉強だけやっていれば良かった時代にもう一度戻りたいものですが、こういうことに気づくのは、いつも手遅れになってからです。

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」 

夏の終わりには、いつもこの歌を想い出して、子供心にも秋のさびしさを思っていました。
藤原敏行によって、立秋の日に詠まれた有名な歌ですが、この歌の背景には、立秋の日から風が変わるという詩作上の前提があったようです。

昔の日本人は、朝晩の涼しさや虫の声、木々の葉や雲の形など、わかりやすい変化によってではなく、顔をかすめる風の変化に秋が来たことを感じることができたのでしょう。
虫の声を右脳で聞く唯一の民族である日本人は、もののあはれを理解できる唯一の民族ではないかと思います。

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移ろいゆくものに、もののあはれを感じる日本人の心は、繊細な四季の変化に感応してはぐくまれたものでしょうが、その美的感覚が物質文明に浸食された現在の日本人の心にも残っているのは、いまだ残る四季の美しさとともに、もののあわれの根底にある優しさが、心の重要な位置を占めているからだと思います。

もののあはれを英語で表現すると、「complexd feelings of elegant beauty, delicacy and grief to nature and life.」となるようです。しかしこれだけ説明を重ねても、もののあはれの本質を知ることはできません。

以前、NHKBSで、「漂泊のピアニスト アファナシエフ もののあはれを弾く」が放映されていました。ソ連から亡命して、今パリに住むピアニストのワレリー・アファナシエフは、徒然草や源氏物語に感じるものあはれを心の拠り所に演奏するピアニストです。

彼は「もののあはれ」を感じる日本ほど、細やかな美的感覚をもった国はなく、その感性は世界でも類を見ないほど研ぎ澄まされていると言っています。

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今年の6月に、豊田市コンサートホールでアファナシエフの演奏会がありましたが、豊田市コンサートホールには能舞台があり、演奏会の後、「漂泊のピアニスト アファナシエフ もののあはれを弾く」で能の「夕顔」を舞っていた、金剛流家元の金剛永謹さんとの対談がありました。

能舞台の上手から、金剛永謹さんに続いて、右手と右足、左手と左足を同時に出す能の摺り足で入ってきたアファナシエフの姿を見て、この人はやはり過去世で日本人だったのだろうと感じました。
ドナルド・キーンさんやアファナシエフのような、もののあはれを理解し愛する人間は、きっと日本人の過去世を持っているのでしょう。






アファナシエフは「もののあはれを弾く」で、シューベルトのピアノソナタ21番を弾いていました。
西洋音楽でもののあはれが表現できるかどうかわかりませんが、モーツアルトではなく、「悲しくない音楽なんて知らない」と言ったシューベルトである点には共感します。
個人的には美しくて、優しくて、はかなくて、哀しい4つの即興曲の方に、よりもののあはれを感じます。



シューベルト 4つの即興曲第3番 ラドゥ・ルプー(ピアノ)


ご意見やご質問は、過去の記事のコメント欄からお願いします




丘をこえて

先日、藤山一郎の「丘をこえて」を、矢野顕子がカバーした曲がテレビで流れていて、その時初めて歌詞を見たのだけれど、歌詞の格調の高さや天真爛漫な明るさ、明日を信じて疑わない前向きな姿勢に、当時の世相が窺えて興味深かった。

この曲が作られたのは昭和6年(1931年)だが、当時の日本人は、きっと何の疑いもなく未来を信じることができたのだろう。そうでなければこのような歌は生まれないし、人々に受け入れられることはなかったはずだ。

丘を越えて 行こうよ
真澄の空は 朗らかに晴れて
楽しい心
鳴るは 胸の血潮よ
讃えよ わが青春(はる)を
いざゆけ
遥か希望の 丘を越えて

丘を越えて 行こうよ
春の空は 麗かに澄みて
嬉しい心
湧くは 胸の泉よ
讃えよ わが青春を
いざ聞け
遠く希望の 鐘は鳴るよ

作詞:島田芳文 作曲:古賀政男





同じ藤山 一郎の歌う「青い山脈」も、ずっと明るい曲だと思っていたのだけれど、あらためて歌詞を見ると、昭和24年の戦後の世相を色濃く反映している。

「古い上衣よ さようなら さみしい夢よ さようなら」、
「雨にぬれてる 焼けあとの 名も無い花も ふり仰ぐ」という歌詞には、苦しい過去に決別し、明日を信じて生きようとする、当時の日本人の思いが溢れている。

服部良一の明るい曲に隠れて聴き逃していたが、日本人の悲しいまでのひたむきさ、真面目さ、優しさが、歌謡曲の中でさえ懸命に歌われていたのだった。

若く明るい 歌声に
雪崩は消える 花も咲く
青い山脈 雪割桜
空のはて
今日もわれらの 夢を呼ぶ

古い上衣よ さようなら
さみしい夢よ さようなら
青い山脈 バラ色雲へ
あこがれの
旅の乙女に 鳥も啼く

雨にぬれてる 焼けあとの
名も無い花も ふり仰ぐ
青い山脈 かがやく嶺の
なつかしさ
見れば涙が またにじむ

父も夢見た 母も見た
旅路のはての そのはての
青い山脈 みどりの谷へ
旅をゆく
若いわれらに 鐘が鳴る

作詞:西條八十、作曲:服部良一、唄:藤山一郎・奈良光枝




日本人が、「丘をこえて」のような、天真爛漫な明るさを取り戻すのは、高度成長期を迎えてからだった。
大阪万博のテーマソング、「世界の国からこんにちは」は、三波春夫の明るく晴れ晴れとした歌声が、万博という祝祭空間にピッタリで、日本中に明るく響いた。日本の前途をさえぎる雲はどこにもなかった。

こんにちは こんにちは 笑顔あふれる
こんにちは こんにちは 心のそこから
こんにちは こんにちは 世界をむすぶ
こんにちは こんにちは 日本の国で
1970年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう

作詞:島田陽子 作曲:中村八大 




この後の日本の転機と言えばバブルだが、バブルを象徴する歌として思い浮かぶのが、ちびまるこちゃんの「おどるポンポコリン」だ。
ここにあるのは、明るさを通り越したお祭り騒ぎ、狂乱の時代を象徴するにふさわしい、賑やかな乱痴気騒ぎだ。


なんでもかんでも みんな
おどりをおどっているよ
おなべの中から ボワっと
インチキおじさん 登場
いつだって わすれない
エジソンは えらい人
そんなの常識 タッタタラリラ

ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
ピーヒャラピーヒャラ おへそがちらり
タッタタラリラ
ピーヒャラピーヒャラ パッパパラパ
ピーヒャラピーヒャラ おどるポンポコリン
ピーヒャラ ピー お腹がへったよ

作詞:さくらももこ 作曲:織田哲朗 




さて、バブルがはじけて20年の停滞と大震災を経た日本で、今何が流行っているのだろうか。
AKB48にも興味がないし、最近の歌を聴かないのでまったくわからないのだけれど、もう一度、「丘を越えて」のように、 天真爛漫に明日を信じる歌が流行る日本になってほしいと切に願う。



最後に、「千と千尋の神隠し」の主題歌を、フランスの聖歌隊が合唱している動画をご紹介します。
最近聴いて感心しました。





争いのなかった日本

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もうかなり前、あるローカル線に乗っていた時のことです。
4人掛けの席の窓際に男性2人が座っており、私はその隣に座っていました。
しばらくして、若い方の男性がもう一人に話し始めました。

「国選で何人もの弁護をしましたが、裁判が終わってお礼に来た人は一人もいませんでした」
それに対して年配の方がこう答えました。
「そんなもんだよ。お礼に来るような人間なら、悪いことをしないから」
二人は弁護士でした。

それを聞いて、なるほどと納得するとともに、弁護士とはなんと因果な仕事であることかと同情を禁じ得ませんでした。世の中には何年もかけて司法試験を目指す人が大勢いますが、人間の暗い部分、醜い部分に係る仕事のどこが良くて一所懸命に勉強するのか、弁護士になりたいと思ったことのない私には理解できません。

争いごとの根底には人間の自我や欲望があり、それらの自制を学ぶのが躾や教育です。
小さい頃から人の生きる道を教えられてきた日本人にとって、嘘をついてはいけないことや人に迷惑をかけてはいけないことは当たり前のことですが、世界を見渡せば、それは決して当たり前のことではありません。

日本人は古代から温和で調和を愛する性格であったようです。聖徳太子が「和をもって尊しとなす」と教えたからではありません。
1万6000年前から3000年前までの縄文時代、人を殺す武器を持たなかったことは、日本人が如何に争いごとを避ける民族であるかを物語っています。

八戸市~1
合掌土偶

青森県八戸市の風張1遺跡から、両手を合わせた土偶が出土しています。縄文後期の出土品で、合掌土偶と呼ばれて国宝に指定されています。
この土偶が、本当に祈りを表しているのかどうかわかりません。しかし世界中で祈る時になぜ手を合わせるかというと、左手と右手を合わせて、陰陽を調和させることが祈りの前提になるからです。
平和を愛し、調和を愛した縄文人なら、祈りのために自然に手を合わせたとしても不思議ではありません。

江戸は人口100万人を擁す世界最大の都市でしたが、この大都市を取り締まるのに、南町奉行所、北町奉行所を合わせて、僅か与力50人、同心が200人でした。他に非公認の岡引が、同心一人につき二人がいましたが、いかに犯罪の少ない安全な町であったかがわかります。

「行列のできる法律相談所」という番組があります。話し合いでの解決でなく、訴訟を勧める番組で、本来の日本の社会にはなじまないものです。
「人の振り見て我が振り直せ」「七たび探して人を疑え」など、昔の日本人は諺で生きる知恵を教えてきました。人を責めるより自分を振り返って人間性を高めれば、争いの無い調和された社会になります。
昔の日本には弁護士はいませんでした。弁護士のいない世界が理想です。






本の断捨離は

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昨年、蔵書のほとんどとLPレコードをすべて捨ててしまった。捨てた後の喪失感からいまだに立ち直ってないので、本の断捨離を考えている人には、早まるな、捨てるのはいつでもできる、死んでからでも遅くないとお伝えしたい。無論、邪魔な本なら別です。

これまでも何回も本を処分してきたが、今回は数千冊を古紙回収に出してしまった。学生時代に買った本の中には、当時の下宿代に近いものもあって、貧乏学生がどうして買えたのかわからない。食費を切り詰めて買ったはずはないので、親に仕送りをお願いしたのだろう。親に感謝しなければならないことが、思い出すたびに増える。

捨てた理由は、もう読まないだろうと言うことと、身辺を簡素化したかったからだが、多少身辺の風通しが良くなった意外に、得られたものは何もなかった。

本を読むにはエネルギーが必要で、若さのエネルギーによってしか読めない本がある。また本には読む旬があり、若い時に読まなければ、その値打ちや影響力が大きく減じて、折角の真価が発揮できない本がある。科学系の本を含めて、多くの本が若い人に読まれて価値を発揮する。

本はその内容に応じた気を出していて、良書からは良い気が出ている。ツン読にも意味があるのが、本の功徳の一つだ。
しかし言葉は波動だから、一方で悪書からは悪い気が出ている。悪書はすみやかに処分した方が良い。

学生時代からベストセラーは読まなかった。読むべき多くの古典があるのに、ベストセラーに手を出す余裕が無かったからだが、それは正しい選択だった。若さのエネルギーを失った今、もしドストエフスキーを読もうとしたら、登場人物の名前と人物関係を覚えるのに辟易して、多分途中で投げ出してしまうだろう。
 
処分した本は、ブックオフには持って行かず、廃品回収に出した。ブックオフでは、本の価値が、新しいか古いか、きれいか汚いかで決まるので、古新聞以下の価値しかないだろうと考えたからだった。
ブックオフの出店が増えるに従って、稀こう本(稀覯本)が捨てられる運命にある。便利さには、いつも文化破壊の側面がある。

LPレコードは、大事にしていた50枚位を、LPしか聴かない知人に強制的に引き取ってもらい、他は全部捨て捨てたが、愛聴盤が命を永らえていることが救いになっている。
先日、「心に従って生きる」でご紹介した知人に会った時、本を90%捨てた話をしたら、もったいないと唸っていた。
彼の本棚に並んでいる本の傾向は私と似ているので、今から思えば、一声掛ければ良かったと悔やまれる。

CDとLPを比べたら、音の厚みや繊細さでLPが上回っている。CDのフォーマットが、デジタル技術が未熟な頃に決まってしまったためだ。
レコードの時代、しょっちゅうオーディオ装置をいじり、少しでも音が良くなると喜んでいた。ウイーンフィルやロンドンフィルの音がようやく満足に鳴りだした頃、CDプレイヤーを買ったのだが、その貧しく耳触りな音に失望した。
しかしCDプレイヤーを何台か買い替え、アンプとスピーカーもCDの耳障りな音をマスキングするものに替え、やがて簡便さがLPレコードを駆逐した。便利さはここでも文化を破壊した。

ビデオはDVDに置き換えれば良いのでほとんど処分した。問題はカセットで、去年亡くなった音楽評論家の吉田秀和さんが解説した、NHKFMの「名曲の楽しみ」のカセットが相当数ある。これを処分しようか迷っているのだが、今のところ、捨てるのは死んでからでも遅くないと自分に言い聞かせている。

ところで少し前まで、電車の中では多くの人が本か新聞を読んでいた。今はほとんどの人が携帯に見入っている。
このことが日本の将来にどのような影響を与えるのだろう。




卑怯者は安全なときだけ居丈高になる

 「卑怯者は安全なときだけ居丈高になる」  ゲーテ

安全なときだけ居丈高になる姿が、日本のあちこちに見られます。

マスコミや雑誌は些細なことで政治家を叩きますが、それは政治家から反撃されないことがわかっているからです。
子供のいじめに対しては、弱い者いじめは許されないと論じるマスコミが、タレントのような弱い立場の人間のプライバシーは平気で無視し、ゴシップを報じます。
しかし一方、小説家のスキャンダルや不倫は一切報じません。無論それは小説家がみんな品行方正だからではなく、報じれば原稿の依頼や出版ができなくなるからです。安全なときだけ居丈高になるのがマスコミです。

学校教育におけるモンスターペアレントも、安全なときだけ居丈高になります。
学校や先生をいくら批判しても反論が来ることはないし、自分や子供の立場が安全だとわかっているので、無理難題を押し付けます。
モンスターペアレントを作った理由の一つは、マスコミが些細な事を大袈裟に報道し、学校や教師を委縮させたからです。

企業に対するクレーマーも、安全なときだけ居丈高になります。消費者からのクレームに対し、企業が反論することは余りなく、安心してクレームをつけることができます。その結果、お詫びの品をもらったりすれば、小さな事にまで居丈高にクレームをつけるようになります。

人権派と呼ばれる人たちもそうです。従軍慰安婦を糾弾する人たちは、いくら日本を批判しても報復が来ることはないので、安心して正義感を満足させることができます。
しかし過去の問題で日本を糾弾しても、今現在、暴力によって売春を強制され、苦しんでいる女性たちを救うための活動は、決してしません。なぜなら、現実の問題に首を突っ込めば、暴力団から報復される恐れがあるからです。
人権派の活動は、自分の立場が安全なときだけに限ります。

しかし偉そうなことを言っている私自身が、安全なときだけ居丈高になります。
以前、電車の中を歩き回り、暴力団の名前を出して乗客を怖がらせていた男がいました。その男が私の前の座席に座り、タバコを取り出して吸おうとしたので、「禁煙だ」と注意をするといきなり蹴ってきました。私より小さく、たいして強い男ではなかったので、取り押さえて次の駅のホームに放り出しました。その時、車内で拍手が起きたのですが、私の心は沈んでいて、拍手の方を睨んでいました。

その理由は、ひとつは放り出した男が、あの駅で暴れていないかという心配と、もう一つは自分の行動が、相手が弱いとわかっていたからとった行動に過ぎず、もし凶器を持っていたり、自分より強そうだと感じたら、そのような行動をとらなかったはずだったからです。中学、高校時代に空手をやっていたので、相手のレベルは見当がつきます。
残念ながら、英雄的行為も卑怯の裏返しに過ぎなかったのです。

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ミッション・バラバ

ミッション・バラバというクリスチャンの団体があります。元暴力団だった人たちが、キリスト教に目覚め、布教のために作った集まりで、中には組長だった人もいます。
クリントンの招待でアメリカの昼食会に招かれ、背中の入れ墨を見せた時、会場からスタンディングオベーションが起こったと言います。
何回かこの人たちとお会いする機会がありましたが、暴力団だった時、みんないつ殺されるかわからないという恐怖心で生きていたと言います。人間は本質的に弱い存在です。


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水師営の会見

「卑怯者は安全なときだけ居丈高になる」、という言葉の対極にあるのが武士道精神です。
大義のために身命を投げ出す武士道精神には、真の強さがあります。その強さは、教育と躾と鍛練によって作られました。
この強さをもっとも恐れたのがアメリカで、戦後の占領政策は日本人から武士道精神を奪うことにありました。

このブログで何度もご紹介している、「国際派日本人」の近着記事で、日露戦争の乃木大将が紹介されていました。
乃木大将は司馬遼太郎の「坂之上の雲」で、日本軍兵士を大量に死に追いやった、無能な将軍として描かれていますが、事実はロシア軍が攻略に3年かかると自負していた要塞を、5ヶ月で陥落させた名将です。

記事を引用します。

『不思議な一葉の写真がある。日露戦争中、日本軍とロシア軍の幹部が仲良く肩寄せ合って並んだ記念撮影である。あまりにも自然に親しげにしているので、あたかも同盟国どうしの軍事演習での記念写真かのように見えるが、それは違う。

 これは両軍合わせて約8万7千人もの死傷者を出した旅順攻囲戦でロシア軍が降伏した後の水師営(すいしえい)の会見での記念写真である。通常、降伏した側は帯剣は許されないが、明治天皇からの「武士の名誉を保たしむべき」との聖旨を受けて、ステッセル将軍以下、軍装の上、勲章をつけ帯剣していた。

 同地にはアメリカの従軍映画技師もいて、この会見を映画撮影したいと申し入れていた。しかし、乃木希典(のぎ・まれすけ)将軍は敗軍の将にいささかも恥辱を与えてはならないとこれを許さず、この一枚の記念写真だけを認めたのである。

 会見の模様は、この写真とともに全世界に報道された。武士道精神に基づく乃木のステッセルへの仁愛と礼節にあふれた態度は、世界を感銘させた。世界はわずか5ヶ月での旅順要塞の陥落に驚愕し、またこの会見に感嘆した。

 この6年後、乃木はイギリス国王戴冠式に参列される東伏見宮依仁(よりひと)親王に東郷平八郎とともに随行してイギリスを訪問したが、イギリスの一新聞は「各国より多数の知名の士参列すべきも、誰か東郷、乃木両大将とその光輝を争いうる者があろう」と報じている。

 その後、乃木はフランス、ドイツ、オーストリア、ルーマニア、トルコなどを歴訪したが、ある欧州人は「彼がほとんど全欧州諸国より受けた王侯に対するがごとき尊敬と希にみる所の賞賛」と形容している。』

是非全文をご覧ください
このような武士道精神に基づく日本軍の心を打つ美談は、枚挙に暇がありません。


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乃木大将

南京大虐殺や従軍慰安婦などというとんでもない捏造を、鳩山というオメデタイ元首相が信じるほど、戦後の占領軍のプロパガンダは完璧でした。
戦後堕落したはずの日本人でさえ、大震災の折、世界から賞賛されました。
武士道精神を備えた、戦前、戦中の日本人が、鬼畜のような所業を平気でするとは思えません。


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NHKの大河ドラマ、「八重の桜」で、会津藩の「什 (じゅう)の掟」が紹介されています。

同じ町に住む会津藩士の子供たち十人前後で集まりを作り、そこで教えたのが「什の掟」で、この掟に背かなかったかどうかを毎日反省させました。

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

最後の「ならぬことはならぬものです」という言葉に、断固たる強さと清々しさがあります。今日本が最も必要としているのは、へ理屈に対して、ならぬことはならぬと断ずる強さであり、それを体現した武士道の復活であると信じます。


参考:アメリカ人青年は"Father Nogi"と父のごとくに慕っていた乃木大将をいかに描いたか?

  :私情を吐露しつつ公の為に立上がった日露戦争当時の国民

  :ロシア人捕虜の墓を護る松山の人々




日本人と唐辛子

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京都吉兆

七味唐辛子に日本人の知恵が現れているのではないかと考えたのは、一味唐辛子が出てきてからです。
唐辛子はただ辛いだけで風味がありません。コロンブスがメキシコで発見し、ヨーロッパに持ち帰った時は、コショウのような風味が無いため受け入れられず、江戸時代に日本に入って来た時も、繊細な日本料理には合わないため、観賞用として栽培されたそうです。

その後、うどんなどの香辛料に使われ始めた時も、その風味の無さに我慢できず、山椒、黒胡麻、ちんぴ、麻の実他を配合して、七味唐辛子にしたのではないかと思います。そこに日本人の味覚の鋭さと知恵が現れています。

しかし七味唐辛子も十分風味があるとは言えないのに、その後の改良工夫がなかったのは、日本人の知恵が足りなかったのではなく、唐辛子に対する思い入れが少なかったからでしょう。
一味唐辛子は七味唐辛子の工夫を否定するものですが、激辛ブーム以降、日本人の味覚は低下したのではないかと思います。

尚、これが七味唐辛子だと感心させられるものがありますのでご紹介します。
やげん堀七味唐辛子


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京都吉兆

日本文化すべてに共通する価値観は美しさです。料理は美しくなければならず、それは料理の手順や器や盛り付けなど細部に至るまで要求されます。
味が美しいと書いて「美味しい」と読みますが、その言葉の中に日本人の感性が現れています。身体が美しいと書いて「躾」と読むのと同様、規律や規則性の中に美しさがあると考える日本人の特質だろうと思います。

過日、娘がIKEAで包丁を買ってきました。デザインの面白さで買ったようですが、その切れなさは笑いが出るほどでした。IKEAに限らず、世界で絶賛される日本の包丁と比較すれば、どの国の包丁も切れません。
包丁には日本人の美意識と英知が結集しています。

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西洋の包丁は両刃ですが、日本の包丁は片刃です。日本料理は陰陽の考えを基本にしており、刃がついている方を陽、ついていない方を陰と考えます。刺身は刃(陽)で切られた面を返して、表に向けて盛りつけます。
陰陽五行では、偶数は陰、奇数は陽と考えます。刺身を盛る時、陰数の四角い器に盛る時は、3切れ、5切れなど陽数で、ふぐ刺しのような数がわからない場合は、陽である丸い器に盛るのが基本です。

日本人の陰陽の考え方の中心にあるのは調和です。料理の手順、器、盛り付け、あるいは部屋の調度などの全てが調和して料理は完成すると考えます。
フランス料理の食器、盛り付け、味のハーモニーは、日本料理にもっとも近いのではないでしょうか。
世界の108のミシュラン三つ星店のうち、1/4が日本にあるのも当然のことです。
調和を基本とする和食の本質を、いつまでも大切にしてほしいと思います。

丸谷才一さんのエッセイ、「あの無思想に燃えるもの」の中で紹介されていた、現代女流の俳句をご紹介します。

「思想などなし唐辛子赤きのみ」 諒子

日本料理の陰陽の考え方は記憶で書いたので間違っているかも知れません。
ご指摘をいただくために、コメント欄を開けておきます。





言葉は民族性

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言葉は時代と共に変化します。「当たり前」と言う言葉は、「当然」が変化したものであり、「新しい(あたらしい)」は、「新たし(あらたし)」が変化したものです。

言葉の変化を承知していても、最近若い人がインタビューに答えて、「~しているんで」とか、「~と思うんで」と言っているのが気になります。
「~していますので」、あるいは「~と思いますので」と礼儀正しく答える若者はいません。

先のロンドンオリンピックでは、どの選手も、「勇気と感動を与えたい」と言っていました。これは目上の者が目下の者に対して使う表現ですが、それが非礼であることを注意する監督やコーチはいなかったのでしょうか。もしかしたら敬語の感覚が、急速に乱れてきたのではないかと思います。

最近の中国や韓国の言葉づかいを見ると、外見は日本人と似ていても、その内面性はまったく別ものであることがわかります。かの国の為政者たちは、従軍慰安婦や領土問題が嘘であることを知りながら、平然と嘘をつき、日本を貶めながら利益を得ようとします。
不正や嘘を嫌い、損と知りながら正直であろうとする日本人のメンタリティーは、彼らとはまったく無縁であることを肝に銘じなければならないでしょう。


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今年7月、欧州合同原子核研究機構(CERN )が、ヒッグス粒子がほぼ発見されたと世界同時発表しました。存在が証明されたわけではなく、その内容は2~3年前からわかっていた事であるのに、ほぼ確実だと大々的に発表した背景には欧州の経済危機があります。

欧州合同原子核研究機構(CERN )の年間の研究費は800億円に上り、欧州経済危機の中で研究費を確保することが困難になっていました。予算を確保するためには成果を強調する必要があり、そのために仕掛けられたのが今回の発表のようです。

それを悪いと言っているのではなく、むしろ国際化の中で日本も見習わなければならないことだと思います。
日本人は謙遜を尊び、自己宣伝を嫌います。巧言令色少なし仁、言葉に出さずとも真実はいずれ明らかになると信じています。
このことは素晴らしいことですが、一方で上手に発表する技術が養なわれなかった原因でもあるでしょう。

日本の素晴らしい家電が苦戦しているのは、直接的には円高の影響ですが、海外メーカーのように、新製品を宣伝するために、アルバイトに夜中や早朝に並ばさせて、それをテレビ局に取材させるような、偽りの演出を嫌う体質も影響しているのではないでしょうか。

その意味では、余り丁寧語や尊敬語にとらわれず、テレビカメラの前で堂々と自己宣伝ができる若者たちが増えたことは、もしかしたら良いことなのかも知れない、と思うようにしています。





源氏のトラウマ

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丸谷才一さんのエッセイ、「後朝(きぬぎぬ)」は『源氏物語』を題材にしたものですが、最近読み返してやはり感心しました。
長い引用になりますがご紹介します。

*後朝(きぬぎぬ)とは、互いに衣を重ねて共寝した翌朝、それぞれ別れるときに身につける衣服のことです。



『後朝』

『源氏物語』夕顔。十七歳の年の秋、光源氏は久しぶりに六条の御息所を訪ね、一夜をすごす。御息所は二十四歳である。
霧の濃い朝、源氏の君は御息所の侍女に何度もせき立てられ、眠そうな様子で、嘆き嘆き帰ることになる。(帰るところを人目につかぬようにするのが作法)
中将といふ侍女が格子を上げて、お見送りなさいませといふ気持ちらしく几帳をずらしたので、女君は頭をもたげて視線を外に向ける。植え込みが色とりどりに咲き乱れてゐるのを素通りしかねてたたずむ源氏の君の姿は比類の無い美しさである。

車に乗るため中門廊へゆかうとすると、中将が見送りに来る。紫苑いろの表衣(うわぎ)に薄絹の裳を結んだ腰がなまめかしい。源氏の君は振り返って、御息所の位置からは見えない、外側の欄干に中将を座らせ、じっと見つめて、

咲く花に
心が移ると
言われるのは心外だが
折らずに過ぎるのは辛い
今朝の朝顔

「さてどうしたものか」と手を取ると、中将はいかにも馴れた態度で、

朝霧の
晴れるのも待たず
お立ちとは
花には
気のないらしい様子

と、女主人の代わりといふ心で返歌を詠む。
大野晋さんと二人で行った『源氏物語』輪読のとき、(これをまとめたのが『光る源氏の物語』上下)、このくだりで、大野さんから問ひ詰められ、わからなくて困った。

大野 光源氏は眠そうな顔で六条御息所のところから帰ろうとしました。この先のところ、「中将のおもと御格子一間(ひとま)上げて、『見たてまつり送り給え』とおぼしく後几帳ひきたりやれば」。そこ、どうですか。
丸谷 どうですかって・・・・・。
大野 中将の御許は、六条御息所に向かって御格子を一間上げて。
丸谷 見送りなさいと言って、几帳を横にずらしたんでしょう?
大野 なのに?
丸谷 「御髪(みぐし)もたげて見出だし給へり」というのは、起き上っただけだと。
大野 そう。まだ、寝ているんですよ。これ、どういう意味ですか。
丸谷 ・・・・・。
大野 つまり、六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。
丸谷 あ、そうか、ぐったりしていた。うーむ。
大野 起きられないから、彼女は頭を上げるだけで源氏を見送ったというんです。それほどであったのに、源氏はまた中将にちゃんとこれだけ働きかけるバイタリティーを有するということが皮肉のように書いてある。
丸谷 おっしゃるとおりです。
大野 「御髪もたげて見出だし給へり」、これだけで作者はその一晩を全部表現した。こういうところが時々あるんですね。

まるで、出来ない学生が演習でしごかれてゐる図で、写してゐて厭になるが、それでも敢えて書き写したのは、わたしの鈍感浅薄な読み方が在来の「源氏物語」解釈を代表してゐるからである。素人はもちろん玄人だって、たいていの現代日本人はわたしのような調子で読み、大事なところを見逃してゐた。しかし作者は、なまなましい描写を行間で行ってゐて、それを当時の、おそらく百人もゐなかったと思われる読者たちはきれいに読み解き、しきりに面白がった。それが近世以降、駄目になったのである。
  -以下略ー


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まず紫式部の表現力と、それを教えてくれる大野晋さんの読解力に感心します。
そして当時、『源氏物語』の読者が100人以下だったと言われて、なるほど、紫式部は宮中の僅かな読者を想定してこの傑作を書いたのだと気づかされます。むしろ知識と教養のある特定の読者を意識しているが故に、僅かな瑕も許されなかったのでしょう。

ところで『源氏物語』が分かっているようなことを書いていますが、残念ながら通読したことがありません。
高校時代の古文の時間にいやと言うほど泣かされたので、源氏は自分の手にはおえないというトラウマがあります。

以前、アメリカのある研究所にいた先輩を訪ねた時のこと、研究助手のアメリカ人が、不定冠詞「a」が母音の前では「an」になることを知らなかったと聞いてびっくりしたことがあります。しかし、文法を知らなくても自由に読み書きができるのに、文法は必要なのでしょうか。少なくとも日本の教育は、文法に偏りすぎているのではないでしょうか。

文法について、楽しく学んだと言う人は余りいないでしょう。
高校時代の古文の時間は、下二段活用とか、サ行変格活用とか、大半が眠気を誘う授業でした。
当然楽しいはずがなく、何も覚えていません。

文法を教えるのではなく、もし引用した大野晋さんのような授業だったら、源氏の本当の面白さを知ることができたのではないかと思います。
但し、当時の高校生は、「六条御息所の愛執が深いというのはこういうことでしょう。朝、起きられないんですよ。 」と解説されてもその意味が分からず、せっかくの紫式部の表現力や大野先生の深い理解も無駄に終わったかも知れません。

今から思えば「古文」と言うタイトルからして、教育の方向が間違っているように思います。学ぶべきは瑣末な文章の解釈ではなく、「古典」に現れるかっての日本人の情緒や考え方や言葉の美しさであるはずです。
和歌や枕草紙や徒然草などの古典に興味を持ったのは、ずっと後に日本と言う国の文化に関心をもってからでした。

「野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて・・」、秋には必ず思い出して感心する一節ですが、世界で始めての小説が、内容においても比肩し得るものの無い傑作であったことを理解する知識が無いのが残念です。

かっての日本人は凄かった!とあらためて思います。







テレビと映画のこと

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過日、ある役者さんと話をしましたが、長年芸を養ってきた人たちが、不況によって厳しい状況に置かれているようです。
この方も付き人の給料を払うのが大変なほどギャラが下がっており、出演した映画のギャラも未払いになっていると言われていました。

不況によりどの企業も厳しい状況にあり、ギャラが下がることは止むをえません。
問題は、最近のテレビが吉本興業やジャニーズ事務所に席巻され、本物の芸を持った役者の活躍の場が奪われていることです。
どのチャンネルも、お笑い、クイズ、グルメ番組で、出演者も同じような顔ばかりです。

売れているタレントを出すのはテレビ界として仕方の無いことですが、余りにも見識の無い、安易なタレントの起用が目に付きます。
製作者として恥ずかしくないのだろうかと思いますが、残念ながら視聴者もそのような番組に慣らされてしまって、視聴率が稼げることも原因です。


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テレビと似た現象が映画界にもあります
昨年公開された「ヴィヨンの妻」はカナダの映画祭で最優秀監督賞を取っただけあって、見終わった後に余韻が残る佳作でした。
舞台となる戦後の貧しい時代の雰囲気を良く表現しており、松たか子も破滅的な夫を受け入れ、献身的に支える妻を魅力的に演じていました。(この人は興味の無い女優でしたが、見直しました)

主役の浅野忠信は売れっ子で多くの映画に出演していますが、この映画では献身的な女房を裏切り、浮気に走る救い難い男を見事に演じており、この虚無的な雰囲気を出せるのは、彼以外に考えられないと思わせる演技でした。

脇を固める役者も演技派を揃えていましたが、酒場の女を演じる広末涼子は、なぜ男が献身的な女房を裏切ってまで彼女との浮気に走り、ついには心中未遂に至るのか、それを共感させる女の魅力や情念が感じられませんでした。
広末涼子の批判をしましたが、彼女の責任というより、人気を優先させる製作者の問題です。


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映画が好きで昔から良く見ました。心に残る映画はほとんどが昔の映画です。
思いつくままに挙げれば、「ローマの休日」、「サウンドオブミュージック」、「ウエストサイドストーリー」、ヒッチコックの「めまい」、「シェーン」、ローレンス・オリビエの「ハムレット」「ロメオとジュリエット」、「第三の男」、「シベールの日曜日」、黒澤明の「生きる」などなど、切がありません。
最近では、「ショーシャンクの空に」や「グリーンマイル」が良く出来た映画でした。


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ローマの休日」でグレゴリー・ペックが、コツコツと靴の音を響かせ去っていく最後のシーンは、叶わぬ恋の思い出と、それをを忘れようとする男の思いが、静かに、見事に表現されていました。
ちなみに、「男のロマン」なる安っぽい言葉に抵抗を感じます。「ロマン」は中世の騎士物語が語源でした。
「そなたか、それとも死か」、これならロマンです。

ローマの休日」は、オードリー・ヘップバーンが人生で一番美しく輝いた時を捉えた、奇跡のような作品でした。
ローマンホリデイ、まさにロマンです。

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昔の映画は、なぜ心に残るのでしょうか。
昔の映画でまず気づくのが、人間を描いていることです。
人間の愛、喜び、悲しみ、勇気、感動は、時代を越えて人の心を打ちます。
最近の3Dや派手なアクションは、見ているときは楽しくても、その場限りで心に残りません。

人が求めているのは感動であり、そのことをテレビや映画の製作者はもう一度思い返し、良い作品を、その作品にふさわしい演技者で製作してほしいと思います。

映画のことを書き出すと切がありませんので結論にします。
結論
ローマの休日」が、やはりNo.1。

(追記)
今日、「マイケル・ジャクソン King of pop」の上映を見てきました。
内容は淡々としたドキュメントで、歌も踊りもありません。
これは失敗かなと思いながら見ていましたが、見終わった後に、感動と言っても良いほどの暖かい気持ちに包まれていたのは意外でした。

優しい声で静かに話す姿は、King of popとは無縁なもので、稀有な優しさに満ちた人間でした。
極貧と父親の暴力に耐えて育った生い立ちが、彼を優しくしたのでしょう。
慈善事業に熱心だったのも、子供たちを救いたいと言う本心からだったと信じます。

マイケル・ジャクソンの実像を知ることのできる映画でした。
機会があればご覧下さい。




国際有機認証「しらい田七人参」

桜の歌人 再掲

咲きかけた桜が、冬のような寒さにとまどっています。
花冷えという言葉がありますが、桜の時期に冬のような寒さを体験したのは初めてのことです。
この気候は2008年に太陽活動が弱まり、100年振りに太陽黒点が消えたことが原因だと思われます。
(地球の寒冷化については、「情報を疑うー地球は寒くなる」をご参照ください。)

ともあれ、今年も桜が咲いてくれたこと、健康で桜を見ることができたことを、喜び、感謝したいと思います。

4月中に書かなくてはいけない論文があり、しばらく新しい記事が書けません。
昨年の記事、「桜の歌人」を再掲させていただきます。

新緑の頃に、また記事を書きたいと思いますが、皆さまのブログは、できるだけ訪問させていただきます。

追記
「ねずきちのひとりごと」というブログがあります。
過去の日本人の高潔さ、優しさ、無私の心を表す様々なエピソードが紹介されていますが、この中の「真実の物語・・・ウズベクスタン」で、シベリヤに抑留された日本人墓地に、1300本の桜が植えられている理由が紹介されています。日本人は素晴らしい民族であったことを、再認識させられます。

パラオ・ペリリュー島の戦い」は、感動の秘話です。人にこのエピソードを話すたびに、涙が出ます。是非、ご覧ください。


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ナショナル・ジオグラフィクスより
(私の実家の近く、岩国市の錦帯橋周辺の桜です)



櫻ばな いのち一杯咲くからに 
       いのちをかけて われ眺めたり  ー岡本かの子ー



春の喜びを伝える桜ほど、日本人に愛され続けた花はありません。

本居宣長の、「しきしまの やまと心を人とはば 朝日ににほふ山桜花」は有名ですが、寒い冬が終わり、桜の花と共に、いのちあふれる春を迎えた喜びが感じられません。観念的な歌だと思います。
一茶の俳句、「日本は はいり口から 桜かな」の方が、素直に桜を愛する日本を歌っています。



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ナショナル・ジオグラフィクスより

               ぶらんこや さくらの花を 持ちながら  一茶

  

桜を詠んだ代表的な歌人は、何と言っても西行です。

西行の歌には、桜の開花が近づいてきた時の心のときめき、咲いた桜とともにある喜び、咲いた桜がいつはかなく散るのか、気がかりで仕方の無い心の様が、素直に切実に詠われています。
恋人を歌っても、西行が桜を歌ったほどには歌えないでしょう。

次のように歌う西行のこころは、日本人なら良く理解できるのではないでしょうか。


吉野山 こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり

たぐひなき 花をし枝に咲かすれば 桜に並ぶ木ぞなかりける

花見れば そのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける

春風の 花を散らすと見る夢の さめても胸のさわぐなりけり

眺むとて 花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ

いざ今年 散れと桜を語らはん なかなかさらば風や惜しむと

梢うつ 雨にしをれて散る花の 惜しき心を何にたとへむ

西行の桜への哀切な思いは、桜の花の咲く下で死を迎えたいとの歌に集約されています。
ここまで桜を愛した歌人はいなかったでしょう。
そして西行のこの願いは、旧暦如月の頃に死を迎え、遂げられました。


願わくは 花の下(もと)にて春死なん そのきさらぎの望月の頃




国際有機認証「しらい田七人参」

実朝の銀杏

TKY201003100137.jpg Asahi.com

3月10日、鶴岡八幡宮の大銀杏が強風で倒れました。
この銀杏の倒木から、思い浮かべたのが実朝でした。

実朝は源頼朝の二男として生まれ、母は北条政子、12歳で鎌倉三代将軍に即位し、建久三年(1192年)、28歳(満26歳)の時、八幡宮の参拝を終えて帰るところを、この木に隠れていた、甥の公暁(くぎょう)によって暗殺されました。

暗殺に至る前、黒い犬が前を横切り、鳩がしきりに鳴いて、不吉な兆しがあったといわれ、実朝も何かを予感したのか、庭の梅を見て、「出でいなば 主なき宿となりぬとも 軒端(のきば)の梅よ 春をわするな」と詠んでいいます。

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実朝は優れた歌人でした。
22歳から28歳までに詠んだ歌は、金槐和歌集として編纂されており、百人一首には、「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」が選ばれています。
正岡子規は「歌よみに与ふる書」で、柿野本人麻呂以来、最も優れた歌人だと評しています。

「大海の 磯もとどろによする波 われてくだけて さけて散るかも」
雄大で力強く、しかも繊細な歌です。
「縮み志向の日本人」という韓国人の書いた本で、この歌が日本人の縮み志向を表す例として挙げられていましたが、残念ながら表面的な見方です。

大海から押し寄せる荒々しい波が、岩にあたり砕け散る様子を、遠景から身近に引き寄せ、細部を拡大して見せる表現は、映画のクローズアップ手法を先取りする斬新なもので、しかも僅か31文字で完璧に表現しています。
実朝の以前にも以後にも、これほど見事な描写を知りません。

「今朝みれば 山も霞みてひさかたの 天の原より 春は来にけり」 
「桜花 咲きてむなしく散りにけり 吉野の山は ただ春の風」
「箱根路を われ越えくれば伊豆の海や 沖の小島に 波の寄る見ゆ」

西行の切実な感情移入と異なり(しかし、桁外れの説得力を持った)、実朝の叙情には、暖かく穏やかな眼差しを感じます。

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「ものいはぬ 四方の獣(けだもの)すらだにも あなれなるかな 親の子を思ふ」
「妻こふる 鹿ぞ鳴くなる小倉山 山のゆふぎり 立ちにけむかも」 
「いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子の 母を尋ぬる」

実朝の歌には、もののあわれに対する優しさと暖かさが溢れています。
「いとほしや 見るに涙もとどまらず 親もなき子の 母を尋ぬる」と詠ったのが、時の将軍であることに感銘を受けます。

「身に積る 罪やいかなる罪ならむ 今日降る雪と ともに消えなむ」

おそらく将軍としての立場から心にそむくことも成さざるを得ず、悔いることがあったのでしょう。
実朝の無垢の心で生きようとするひたむきな思いが、素直に詠われています。

小林秀雄の「実朝」は次の言葉で締めくくられています。
『山は裂け 海はあせなむ世なりとも 君にふた心 わがあらめやも
金槐集は、この有名な歌で終っている。この歌にも何かしら永らえるのに不適当な無垢な魂の沈痛な調べが聞かれるのだが、彼の天稟が、遂にそれを生んだ巨大な伝統の美しさに出会い、その上に眠った事を信じよう。ここに在るわが国語の美しい持続というものに驚嘆するならば、伝統とは現に眼の前に見える形ある物であり、遥かに想い見る何かではない事を信じよう。』

小林秀雄は、実朝の歌の中心にある無垢な心を鋭く指摘していますが、実朝を語り、日本語の伝統を語る小林秀雄の言葉にもまた、美しい言葉の伝統があります。

実朝の歌に接した時、無垢な眼差しで写し取られた情景が我々の心に投影され、その美しい言葉が心に響くのであれば、確かに800年の時を経た今も、日本の文化の伝統は我々の心の中に生きていると言えるでしょう。

1000年生きながらえた銀杏が、はかなく倒れた様子に、日本の現状が重なって見えます。しかし、日本という土壌には、歴史で培われた根が生き続けており、再び1000年を経た後も、変わらずに生き続けていることを願わずにいられません。

(補記)
昨夜、実朝の記事をアップしようとして削除してしまいました。さすがにがっかりして、そのことを愚痴のように書いたところ、記事が1970年の日付でアップされているとコメントを頂きました。
こんなブログを丁寧に読んで頂いている方がいることに驚くとともに、心から感謝します。

鶴岡八幡宮の銀杏は、風速7~8mの風で倒れました。台風のような強風でもないのに、なぜ倒れたのか、いぶかしく思います。明治の東京遷都の時に、伊勢神宮の神木が風も無いのに倒れたと言われます。その事を思わせる出来事でした。

征夷大将軍であった実朝が、無垢な魂を持った歌人であったことは、稀有のことです。
パデレフスキーというピアニスト、作曲家が、ポーランドの首相になったことがありますが、絶対的な権力者である将軍とは、意味が違います。

日本人はそのことを不思議とも、有難いことだとも思いません。
慧眼の小林秀雄もそのことに触れていませんが、「実朝」が書かれた昭和初期には、日本人とはそのようなものだと、あたりまえに捉えていたのでしょう。

鶴岡八幡宮の銀杏の倒木に、かっての日本人の素晴らしさを思いました。




三島由紀夫の憂国

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三島由紀夫の「葉隠入門」に、こんな文章があります。

「・・・男性ファッションが、女性ファッションを凌駕するごとくに盛大になったのは、けっしていまが初めてではない。・・・元禄時代の華美な風潮は、衣装のみならず、持ち歩く刀のデザイン、鍔(つば)や小柄(こづか)の意匠にまで、こりにこった華美な流行が人びとの心を魅惑していた。菱川師宣(もろのぶ)の「風俗画巻」の華やかな風俗を見るだけでも、町人文化の華美に影響されたその時代の奢侈(しゃし)が想像されよう・・・」

「・・・また「葉隠」が口をきわめて、芸能にひいでた人間をののしる裏には、時代が芸能にひいでた人間を最大のスターとする、新しい風潮に染まりつつあることを語っていた。・・・」

まるで現在を語るようです。元禄時代も人びとは今日と同様に安逸をむさぼり、華美を好み、芸人がスターとなっていたのです。

「葉隠」は、そんな江戸時代中期(今から約300年前)の風潮に危機を感じた、佐賀鍋島藩藩士、山本常朝(じょうちょう)が武士の心構えを述べたものでした。(「葉隠」は山本常朝の語ることを聞き書きしたもの)

片思いこそ至上の恋だと語る葉隠の「忍ぶ恋」は、当時の節操のない男女間の風潮を心よく思わなかった山本常朝が、自らが理想とする恋の本質を述べたものでしょう。
「恋の至極は忍恋と見立て申し候。逢ひてからは、恋の長(た)けが低し。一生忍びて思ひ死にするこそ、恋の本意なれ」

徳川の250年に亘る平和な治世の中、安逸をむさぼっていた日本人が、幕末の国難になぜ立ち向かうことができたのか、それを日本人の中のDNAだと見ることができれば幸いですが、そうではないでしょう。
武士たちは、安逸の中でも、一旦事あれば、身命を賭して立ち上がる覚悟を忘れずにいました。

戦後日本から武士道精神が失われて行き、いずれ日本的精神が死滅することを危惧した三島由紀夫は、昭和四十五年(1970年)11月25日、市ケ谷の陸上自衛隊東部方面総監部においてクーデターを試み、果たせずに割腹自刃しました。

憲法を改正し、自衛隊を軍隊にするために立ち上がれと言う彼の言葉は、マスコミや識者から、時代錯誤の狂信的な行動であると断じられました。自衛隊を軍隊にすれば武士道精神が復活できると考えた三島の行動は、短絡的であり錯誤があります。しかし、今にして分かるのは、日本的精神を失えば日本の未来はないと憂いた彼の先見性です。

三島由紀夫の、「諸君は武士だろう。諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ」と叫ぶ声は、自衛隊員の怒号にかき消され、耳に届くことはありませんでした。もし届いたとしても、その言葉に耳を傾けるものはいなかったでしょう。

彼ほどの知性が、そのような行動でクーデターを起こせると考えたはずはなく、たとえ犬死であっても、日本の危機に一命を賭す覚悟だったのでしょう。
三島の著書、「憂国」に、予言的な記述があります。
「・・・自分が憂える国は、この家のまわりに大きく雑然と広がっている。自分はそのために身を捧げるのである。しかし自分が身を滅ぼしてまで諌めようとするその巨大な国は、果たしてこの死に一顧を与えてくれるかどうかわからない。それでいいのである。ここは華々しくない戦場、誰にも勲(いさお)を示すことのできぬ戦場であり、魂の最前線であった」

三島の行為は、日本のみならず世界でも気違いじみた行動と見られていましたが、その中でフランスはいち早く三島の行為に、祖国に殉じる戦士の姿を見ていました。


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竹本忠雄氏

フランス文学者の竹本忠雄氏の「パリ憂国忌」にこう記されています。
『文芸フィガロ』
「25年このかた、全世界を通じて、自分の祖国の解放独立に挺身した戦士たちが出現し、何百万という人々が彼らをヒーローとしてその信念の継承につとめてきた。このヒーローの名をミシマに拒絶することが、どうしてわれわれに許されようか? 彼の自殺の、いささか「文学的」環境は、その自殺の偉大性、意味をも、けっしてわれわれの目に軽減せしめることはないのである・・・」

東条英機他、A級戦犯の処刑に立ち会った花山信勝師の「平和の発見」のフランス語及びイタリア語翻訳者、ピエール・パスカルの言葉。
「あの日、1970年11月25日、〈夷荻の君臨〉に対して相変わらず不感症のまま日本が、黙々として世界第三位の産業大国となりつつあったとき、ユキオ・ミシマは、その儀式的死によって、みずからの祖国と世界とに対して喚起したのである。この世にはまだ精神の一種族が存し、生者と死者のあいだの千古脈々たる契りが、いまなお不朽不敗を誇りうることを。
己の存在を擲ち(なげうち)、祖国に殉ずることによって、もって護国の鬼(le remords de cette patrie)と化さんと、生の易きに就くよりも、かかる魂に帰一することの方を、ミシマは望んだのであった・・・」

「三島の自己供献が行われた市ヶ谷の丘が、かってそこに帝国陸軍の中枢のあった土地であること、しかしそれ以上に、残酷にも連合軍がわざわざこの地を選び、愛国心のゆえに戦犯を裁いた場所であることーこのことを指摘しなかったヨーロッパと海外の新聞記事は一つもなかった・・・」(ほんとうに「ひとつもなかった」だろうか?)

ピエール・パスカルが三島に献じた短歌。

 この血もて 龍よ目覚めよその魂魄(たま)は 
         吠えやつづけむ わが名朽つとも (竹本忠雄訳)

イタリアの「イル・テンポ」誌に掲載された「東京のハラキリ」と題するマギナルド・パヴェラの記事。
「ともあれ、私はここに告白する。これらの恐るべき秘密をもってわれわれ諸外国の人間のみならず自分たち自身をもいまなお驚嘆せしめる能力をもった一民族にたいして、自分は羨望の念を禁じえない、と。われわれのあいだにもなるほどさまざまの神秘は存在している。しかもそれはこんなに物騒でもない。しかし、日本の、このミシマの自刃に比べると、そんな神秘など、はるかにずっと老いぼれた感じを免れないのだ。いや、じっさいにそれらは、おいぼれてしまっているのである!」

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アンドレ・マルロー

作家でフランスの文化相を務めた、アンドレ・マルローはこう語っています。
「三島については、これはあまりにも偉大な現実的証しというほかありません。そこには偉大な伝統が息づき、儀式がものをいっている。この行為の意義は甚大と言わなければならない!」
「切腹とは死ぬことではない。死を行うことである」

フランス人の日本人にまさる三島の死への評価について、竹本氏はこう記しています。
「いかにも、フランスにあってしばしば私は実見したことであったが、武道や神道、禅、密教にいたるまでの日本の精神性の諸領域の導師たちに対して、フランス人子弟が寄せる尊敬の念たるや、見ていて感動をもようさせられるほどのものだったのである。なまなか、こんにちにの日本人では、及びもつくまいと思わせられるほどに。そのような基盤なくて、現代日本人の自刃行為にたいして寄せられるかくも深い理解はありえなかったことかもしれない。」

三島由紀夫の自刃については、日本では右翼や一部の愛国的な意見を除いて、評価する意見はほとんどありませんでした。
今回、三島の「葉隠入門」と竹本忠雄氏の「パリ憂国忌」を再読し、三島の狂気のような自己犠牲の行為が、40年以上前に日本の死に至る病巣を鋭く見据え、それを気づかせるためのものであったのだと気づかされます。

われわれを生かしている命はすべて神の命であり、自殺であれ切腹であれ、自らの命を絶つことは神への最大の冒涜で許されることではありません。しかし三島由紀夫が大義のために捧げた一身は、神の義を実現するための殉教に似て、無私の行為ではなかったかと、絶望的な混乱にある今の日本を見て思わずにいられません。

  散るをいとふ  世にも人にもさきがけて
              散るこそ花と 吹く小夜嵐  ー 三島由紀夫 辞世






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清廉の文化

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伊勢神宮 Wikipedia

日本人の清廉さの起源を考えて、すぐに思い浮かんだのが禊(ミソギ)でした。

禊は、神の前に出るために、水で心と体を清めることです。 日本人が古来から大切にした、清潔、簡素、正直などの特性は、心身やまわりの穢れ(ケガレ)を清め、虚飾を排して神の前に立つための条件でした。

日本人がこのような考えになった背景には、至る所に美しい森と清流があった、日本の豊かな自然環境が関わっていたはずです。

山形在住のアメリカ人、ダニエル・カールさんが、初めて新幹線に乗った時、川の多さに驚き、東京から大阪までいくつ川があるか数えようとして、余りの多さに途中で止めたと言います。
日本は国土の70%が山で、山から海までの距離が短いため、きれいな川に恵まれています。しかし、平野の多いアメリカやヨーロッパには、あまり川がありません。

日本では昔、トイレを清潔にするために川に張り出して作り、厠と呼びました。 しかし、パリではフランス革命までは家の窓からオマルの糞尿を路に捨てていたため、汚くて臭くて歩けませんでした。
ベルサイユ宮殿にもトイレが無く、庭や宮殿内で済ませていたと言われています。(ヴェルサイユ宮殿の水はセーヌ川から引いています。何kmあるのでしょうか)
風呂に入る習慣も無く、貴族でさえめったに風呂に入らなかったため、香水を必要としたのでしょう。

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ヴェルサイユ宮殿 

この背景には、豊かな水に恵まれている日本と、川の少ない国との違いがあるでしょうが、清流に恵まれた国は他にもあるのに、なぜ日本にだけに穢れをそそぎ、清廉簡素を尊ぶ神道が生まれたのでしょうか。
特別なことには特別な理由があるはずです。思想と言うべきこのような習俗には、神は過剰な装飾を嫌い、清廉さの中に宿るとの考えがあったはずであり、その教えを説いた精神的指導者がいたはずです。

神道には仏陀やイエスのような大指導者がいなかったというのが定説です。しかし、古事記に書かれていることがすべてフィクションであるとすれば、何の目的で大事に語り継がせる必要があったのでしょうか。
アマテラスと呼ばれるような精神的指導者が実在し、その教えを語り継いでいたのが、何百年、何千年かの内に、伝言ゲームのように神話となったと考える方が自然です。


昭和初期に日本に来たドイツ人の建築家、ブルーノ・タウトは、桂離宮の余分な装飾を排除した簡潔な美に感動し、「泣きたくなるほど美しい」建築と賞賛しています。(日本美の再発見ー岩波新書)
日本建築は、御所や離宮のような最高位者の住居においてさえ、過剰な装飾を嫌い、簡潔な清明さを追求するものでした。このような簡潔さに美を求める心は、31文字に思いを込める和歌にも現れています。


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桂離宮 Wikipedia

無論、装飾を極める美もあります。ヨーロッパの王朝建築や文化がその典型です。日本人はそのような美の豊かさや豪華さに憧れてきました。しかし、日本人が過去から培ってきた、簡素・清廉の美は、日本人しか成し得なかった一方の美の極致です。私たちは自らの文化の価値を見失っていないでしょうか。


著名な作家であり、フランス国営文化放送プロデューサーとして紫式部から三島由紀夫まで多くの優れた日本文化を紹介した、オリヴィエ・ジェルマントマ氏の言葉を、国際派日本人養成講座よりご紹介します。

「世界のひと握りの人間が死に金を積み上げて、その上にどっかとあぐらをかき、たらふく食って身動きもならないありさまであるのにひきかえ、何億という老若男女が飢えて、食する物なき惨状なのであります。かと思えば、先進諸国では、暴力、人種間の怨恨、強姦、麻薬などが増大する一方、日本でさえその例外ではないのです。これが「進歩」でしょうか。現代人をして守銭奴以外の何者かたらしめるためには世界は日本を必要としているのです。」

「比叡山を歩いている途中、驟雨に見舞われ、駆け込んだ旅館で食事のもてなしを受けた。見れば、中央に、一匹の焼き魚が、小舟の姿に似せてぴんと反りを打たせ、周囲に漆器の小鉢が点々と配されています。その一つ一つに、野菜、根菜、山菜のたぐいが盛られ、まるでブーケのよう。(中略)最後に添えられた林檎は、何の変哲もない代物が、ここでは皮を剥ぎ、刻まれて、花咲ける姿と化しているのです・・・・・。


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midoriさん お借りします

なんだ、つまらない、と皆さんはお考えかもしれません。これほどの調和も、あなたがたにとっては文字通り日常茶飯事でありましょうから、西洋人にとっては日常生活の中にかくも素朴にして強力な美を見いだすことが、いかに深い悦びであるか、それをお伝えできないもどかしさに私は苦しむのです。

これほどの能力を生来身につけていながら、皆さんは、ただそれを当然のことと見なし、いかにそれが豊饒を約束するものであるかに気がついておられない。より大きな、心の豊かさを求めるうえに、このように素朴な小径ありというのに、そして日本民族の、かかる天性をもって、これをさししめすことで、どんなにか皆さんは、二十世紀末の人類を救済しうるのに、と思わずにはいられません。」
  (日本待望論、オリヴィエ・ジェルマントマ、産経新聞社)


フランス文化はこの100年、世界を圧倒してきました。そのフランスが今も尚、最も日本文化を理解しているのは、華やかな自国文化の対極にあって、簡素、平明に見えながら、実は巧緻を極める日本文化の本質を、鋭く理解しているためでしょう。もしかしたら我々以上に。




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人を敬う言葉

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yumiさん お借りします

最近、若い人が「勇気をもらう」、「元気をもらう」という言葉をよく使います。
「勇気づけられる」、「元気づけられる」という言葉に慣れた耳には何か違和感があります。

なぜ違和感があるのでしょうか。文法的には、「勇気をもらう」が他動詞で、「勇気づけられる」が自動詞ですが、どうもそのような事ではなさそうです。

「もらう」の反対は「あげる」です。目上に対してあげるとは言いません。誰かにあげる、誰かからもらうという言い方は遠慮のない間柄を示します。「勇気をもらう」という言葉の違和感は、その人に対する敬意が感じられないことにあるようです。もし、「勇気を頂いた」であれば違和感はないでしょう。

若い世代の言葉の変化は、総じて人間関係の距離感が縮まっていることの表れのような気がします。
年齢や地位に対して遠慮や気兼ねがなくなり、その結果として屈託のない表現に変化しているのでしょう。
そのことは必ずしも悪いことではありませんが、年長者を敬う心が薄れ、日本語の特徴である豊かな謙譲語や尊敬語が失われてゆくとすれば寂しいことです。

最近、若い人たちがインタビューに答える時に共通する言い方があります。
たとえば、「今日の試合はどうでしたか」と聞かれてこう答えます。
「今日は勝ちたいと思っていたんで、勝ててうれしいです」
思っていましたので」と丁寧に答える若者は、ほとんどいなくなりました。
たまにスポーツ選手が丁寧な答え方をしてるのを聞くと、ホッとします。その代表が山下泰裕さんです

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先だって、このようなことを考えていた時、読売新聞の編集手帳にこんな記事が載りました。

「ドイツのソプラノ歌手エリカ・ケートさんは言葉の響きや匂いに敏感であったらしい。歓談の折に語った比較論を「劇団四季」の浅利慶太さんが自著に書き留めている。
イタリア語を「歌に向く言葉」、フランス語を「愛を語る言葉」、ドイツ語を「詩を作る言葉」と評した。
日本語はー浅利さんの問いに彼女は答えたという。「人を敬う言葉です」(文芸春秋刊「時の光の中で」)

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一昨日、甲子園の高校野球中継で実例に接した。横浜隼人(神奈川)戦に完投した花巻東(岩手)菊池雄星投手の勝利インタビューである。
「これまでも練習試合で対戦し、ずっと横浜隼人のようなチームになりたかった。今日勝てて、少し近づけたかなと思う」
選抜の準優勝投手で、屈指の左腕で、文句なしの快投を見せた直後で、多少の大口は許されるだろうに、
この言葉である。
実を言えば小欄は郷土の代表、横浜隼人を応援していたのだが、負かされた悔しさはどこかに消えていた。
言葉は、人の心を潤す魔法の水だろう。・・・・。」


☆ リンクフリーです。ご連絡頂ければ相互リンクさせていただきます




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日本人は死んだか

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角館伝承館のつつじ 角館観光協会


娘が地下鉄の駅で若い女性のホームレスと会いました。最初、後ろから見た時は、50歳位だろうと思われたのが、切符を買って振り返ったところ、そのホームレスは二十歳過ぎの女性でした。足は裸足で真っ黒で、その姿に思わず涙が出たと言います。


その話を聞き、二十歳過ぎの若い女性が乞食に身を落とすまで、どれだけつらい経験をしたのだろうか、あるいは、路頭に迷い救いを求めた時、誰も救けてくれなかったのだろうかと、暗澹たる思いになりました。


中年以上の人が人生に敗れ、希望を失い、ホームレスに身を落とす光景はめずらしくありません。それは悲惨なこととは言え、その人たちにはそれに至る人生の戦いがあったはずです。しかし、二十歳過ぎの、人生を始めたばかりの女性が希望を失い、生きることを放棄するなど、かってこの国にはなかったでしょう。


生まれ育った厳しい環境の中で、たとえ犯罪に手を染めることがあっても、希望と尊厳を失わない限り、道は開けるでしょう。しかし乞食になることは、希望を失い、価値観を失い、人間としての尊厳を捨てたことであり、生きる意味を失ったことになります。
いや、そうではなく、すべてを捨てたと見えるこの女性も、心の中には捨てきれない大事なものがあるはずです。それは愛だと思います。もし無償の愛がこの女性の心に届けば、希望が生まれ、人生は生きるに値することに気づくはずです。日本人はきっと彼女を見捨てないと思います。


今から30年位前にユダヤ教のラビ(長老)である、マーヴィン・トケイヤー氏が書いた、「日本人は死んだ」という本があります。衝撃的な題名ですが、トケイヤー氏はこの本の前書きに、「最近数年、ますます募る私の日本に対する友情と敬意、日本そのものの中で失われようとしている日本的な認識や評価を惜しむ気持ちを著書として世に出した。それは日本人に対する私の心を込めた忠告であり、祈りでもあった」と書いています。


トケイヤー氏は、勤勉で和を尊び、親に対する愛、師に対する尊敬、友に対する信義、己に対する慎みなど、謙虚で心豊かな日本人の生き方に、人間の理想を発見しました。そしてそれを日に日に失う日本人への限りない愛惜を込めてこの本を書いています。
それから30年、日本人は死んだのでしょうか。


フランスに在住されているparismidoriさんから、「敵国に尊敬される武士道」の記事にコメントを頂きました。日本を客観的に見たご意見ですので、勝手ながらご紹介させて頂きます。

「こんにちは。おくればせながら、前回、今回の記事をじっくりと読ませていただき、まず感動いたしました。そして、嬉しく思いました。 フランスの人も日本人とみると、時折、サムライ、ブシ、ゼン(禅)などの言葉を投げかけてきますが、恥ずかしながら私にはその心がはっきりとはつかめずにおりました。
また、以前にこちらで扱われた桜の花を愛でる歌の特集にも同じように感動しましたが、一方、その眼差しの深さ、情緒なども現代日本からはどんどん薄れているような気がしてなりませんでした。
どうやら今の日本では、美しいもの、善なるもの、美徳なるものを茶化したり、真面目であることが馬鹿にされがちとも聞きますが、それはとても残念なことだと思います。
海外にいれば、そんな日本でも、その仕事ぶりは依然として正確で丁寧、責任感や勤勉さの優位は明らかです。 まだ遅すぎないと思います。深遠な精神性とともに、日本人の誇りを次の世代にも伝えられたらと心から願います。略」


parismidoriさんのおっしゃるように、 日本人の心を次の世代に伝えなくてはなりません。まだ間に合います。
10年近く前、名古屋で起きた水害のボランティアに参加したことがあります。そこには驚くほどの数の金髪や茶髪の若者たちがいて、一所懸命に働いていました。
日本人の中に眠る美しい心、優しい心が、人々の困難の中で目覚めることを知りました。
希望は残されているはずです。


(追記)
今回の記事は内容を大幅に削除してアップしました。削除した部分は、日本人がなぜ心を失ったのか、あるいは日本の家族制度や社会がなぜ崩壊したのか、その原因はどこにあるかというもので、戦後の日本占領政策に係わる部分です。この部分を書き始めるとブログの方向性が変わって行くと考え、削除しました。
戦後占領政策で行われた「日本弱体化計画」は、それを立案した一人で、ルーズベルトのブレーンでユダヤ教のラビである、モルデカイ・モーゼ氏が書いた、「日本人に謝りたい」という本に詳しく書かれています。

☆ご訪問いただき有難うございました。




ヘレン・ケラーの恩人 、 塙 保己一(はなわ ほきいち)

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    塙 保己一       ヘレン・ケラー

ヘレン・ケラーが昭和12年に初めて来日した時、まっさきに渋谷の温故学会(塙保己一の学問を継ぐ研究所)を訪問して、保己一の木像に触れ、「私は塙先生のことを知ったお陰で、障害を克服することができました。心から尊敬する人です」と、感謝の言葉を述べています。

塙保己一は盲目でありながら大学者となり、「群書類従」と言う有名な古典全集を編集刊行しています。
「群書類従」は、古今・新古今、源氏物語、神皇正統記などなどを編集した、1270種、530巻666冊に及ぶ大変な労作です。これらの膨大な文献を、目が見えなかった保己一が学ぶためには、いったいどれだけの努力を要したのか、想像を絶します。

群書類従」をクリックして、是非目録を確認してみてください。この目録を見て感嘆しない人はいないはずです。我々目が見える人間が、この内何冊を読めるでしょうか。
無論、点字など無い時代です。保己一はおそらく誰かに読んでもらい、それを脳と心に刻み付けたのでしょう。

以前ご紹介しました、日本一の知恵工場と言われる、㈱タニサケさんが「歴史と人物に学ぶー上田三三生著」という小冊子を出しています。この中から塙保己一(はなわ ほきいち)をご紹介します。

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現在の埼玉県児玉町に生まれた塙保己一は、3歳で眼病にかかり、7歳で失明しました。針やあんまを身につけようと江戸に出ますが上達せず、代わりに学問が好きだったことを認めてくれた師匠や回りの人の手助けで学者の道を志します。血のにじむような努力の結果、水戸藩や幕府の後援を受け、和学講談所という、今で言えば国学研究所を開き、多くの弟子を育てます。

「群書類従」は、我が国の古い貴重な文書が、写本のままで一部しかなければ、焼けたり紛失したりする恐れがあるので、印刷(木版)して全集のかたちにし、後世に大切に伝えようとする保己一の発案でした。

保己一は独力で巨額の費用を工面して、四十数年の歳月をかけ完成します。
水戸光圀「大日本史」は、二百六十年の歳月と、数千人の協力によってできた大事業でしたが、こちらは盲目の学者ひとり(もちろん支援者はたくさんいますが)の力による、「大日本史」に劣らぬ大仕事でした。

今の大学にあたる和学講談所の経営や群書類従出版の功績を認められて、保己一は総検校(盲人の最高位)となり、農民の出身ながら旗本並の待遇を受け、将軍にお目見えを許されました。

かって保己一が源氏物語の講義をしていた夜、風のため灯かりが消え、弟子たちがあわてて、「先生、ちょっとお待ち下さい」と申しました。事情を知った保己一が言うには、「さてさて目明きとは不自由なものだなあ」

「群書類従」の版木は、17,242枚で国の重要文化財に指定され、今も温故学会に保存されています。

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17,000枚余の版木の一部

ヘレン・ケラーは三重苦(盲聾唖)を克服して、大学まで卒業し、障害者の福祉に貢献した人です。どうして塙保己一のことを知っていたのでしょうか。

電話を発明したグラハム・ベルは、祖父・父・本人と三代続いた唖者教育一家でした。ヘレン・ケラー6歳の時相談を受けたベルは、家庭教師としてサリバン女史を紹介し、両親に保己一のことを語って聞かせました。

ヘレンが生まれる少し前のこと、ベル博士のもとで学び、塙保己一について詳しく博士に話した日本人留学生がいたのです。井沢修二という青年で、後に文部省高官・教育者(信州高遠藩出身、音楽教育や吃音、盲唖教育に力を注ぐ)として著名な人です。「紀元節」の歌の作曲者でもあります。

へレンが感動したように、保己一の話に今も励まされ、勇気づけられる多くの人がいるに違いありません。
文政四年(1821年)七十六歳没

塙保己一のエピソード  ・記憶力  ・集中力  ・怒らぬ誓い  ・保己一の死後


ヘレン・ケラーが来日した時、ある日本の女性と会っています。中村久子さんです

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中村久子さんは幼い頃に脱疽にかかり、両手両足を切断しました。近所の子供たちから「だるま」と呼ばれ、外に出られないほど残酷ないじめに会いました。母親は久子さんが将来一人になっても生きて行けるように、厳しく何でも自分でやらせ、口で針に糸を通し、縫い物までできるようにしました。見世物小屋で、口での裁縫を見せ、暮らしていたこともあります。

こうした人間が味わう最も厳しい人生の中で、

「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。

生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。

すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」


との人生観に至りました。

日本のヘレン・ケラーと呼ばれていますが、ヘレン・ケラーは中村久子さんと会い、「私より不幸な人、しかし私より偉大な人」と語っています。

現在、日本のマスコミは差別用語を使わず、ハンディキャップのある人たちを傷つけないようにしています。
思いやりは人間として大事なことですが、弱者と言う言い方は、能力や可能性を制限するものです。
塙保己一にしろ、中村久子さんにしろ、厳しい環境に打ち勝ち、偉大な人間になりました。
特別な人かも知れません。しかし意思の力と向上心で、人間はここまで強く、ここまで偉大になれることを示してくれました。
真の強者です。

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*リンクフリーです。





ノーベル賞授賞式を日本語で通した益川さん

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ノーベル物理学賞の益川さんが受賞式を日本語で通しました。益川さんを見ていると「偏屈者」という言葉が浮かんできますが、自分を飾らない正直な人なのだと思います。日本語で通されたことも返って好意的に見られました。
このことをNHKラジオが、「国家の品格」の著者でお茶の水女子大学教授の藤原正彦さんにインタビューしていました。

藤原さんは偏らない意見を述べる方で、今耳を傾けなければならない代表的な日本人だと思います。
(藤原正彦さんの意見は以前のブログ、「韓国メディアが分析する日本の基礎科学の成功」でもご紹介していますのでご参照ください。)

藤原正彦さんのコメントです。

「益川さんは留学経験がなく、日本の理論物理学のレベルの高さを証明しています。益川さんは英語が話せないことを、まったく卑屈に思っていません。ヨーロッパではイギリス以外、英語が国際語となっていることを不快に思っています。言葉の侵略は文化の侵略です。」

「数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を1954年に受賞した小平邦彦さんは、アメリカのプリンストン高等研究所に18年いましたが、英語は余りしゃべれませんでした。しかし小平さんが何かしゃべろうとすると、まわりの人たちが背をかがめ、小柄な小平さんの意見を聞き逃すまいと真剣に聞いていました。」

「英語は道具であって、話せること自体に意味はありません。小学校からの英語教育を90%の人が肯定していますが、そうなれば英語50%、日本語も50%しかできない価値のない人間になります。
日本語が100%か、英語が100%でなければ専門分野を追求することはできません。日本語で古典や文学や芸術を深く知る方が、英語ができることより価値があります。」

「たとえ軍事や経済力で世界を500年支配したところで、尊敬される国にはなりません。尊敬を集めるのは文化や芸術です。」


要は人間性です。いくら外国語ができても人間的に価値がなければ、どこの国に行っても相手にされません。
教育の原点は豊かな人間性を作ることです。このことを考えずに英語教育に夢中になっても、世界から相手にされない人間を作り出すだけです。

大麻は本当に悪者か(続き)

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今回はヘンプ(大麻)のプラスチックや食品用途についてご紹介します。

フランスにヘンプ繊維を生産しているSANECOという会社があります。
7~8年前、その会社の人が来日した折に訪ねて来られました。その時、ベンツを始めとするヨーロッパの自動車メーカーが、すでにヘンプを自動車のプラスチック代替に使い始めていると言っていました。

ヘンプをそのままではなく、プラスチックに混ぜて使います。ヘンプはかって帆船の帆や係留ロープなどに使われていたほど強靭で、ヘンプを使うとプラスチックは耐衝撃性が向上すると共に、生分解性が早まるため短期間で土に返すことができます。
量産自動車のさきがけであったT型フォードの初代モデルはヘンプ・オイルで走るように作られており、自動車自体にもヘンプが使われていました。



ヘンプの種子にはたんぱく質と脂肪が豊富に含まれており、優れた油をとることができます。この油には2種類の必須脂肪酸が含まれています。ヘンプを大量に栽培すれば、紙や衣服やプラスチックの原料になるだけでなく、食品としても様々な用途があり、今後の食料危機に対応できます。(七味唐辛子にはヘンプの種子が入っています)

ヘンプの実は大豆に匹敵する栄養があります。下記の図はその比較です。
(画像をクリックすれば拡大します)

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ヘンプが分る55の質問』より転載 

ヘンプが食料として重要であることが、旧約聖書のエゼキエル書に書かれています。

「汝らに奇跡の草を授げよう。これでこの土地から飢餓はなくなるだろう。」

仏陀が厳しい修行をしていた時、大麻の種を食べて命を保ったとの言い伝えもあります。

ヘンプは一年草で唯一、雌雄があります。イチョウの雌雄は知られていますが一年草ではありません。
草の中で特異な存在であり、ヘンプから様々な医薬品が取れる時が来るはずです。

ヘンプの栽培が増えることによってオイルやプラスチック、合成繊維など、影響を受ける業界があります。しかし、ヘンプを正しく使うことによって、人類は様々な恩恵を受けることができます。

ヘンプは痩せた土地でも、寒冷地でも栽培できます。ヘンプ(大麻)をマリファナとしてとらえず、神から人類に与えられた貴重な植物として見直したいと思います。





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大麻は本当に悪者か

ヘンプ

早稲田、慶応、同志社などの学生が大麻を吸って逮捕され、話題になっています。大麻はタバコほど人体に害が無いと言われ、米国立医薬研究所でのテストによってもそのような結果が出ています。
しかし、大麻が日本の法律で禁止されている以上、その法律が適正でないとしても遵守する義務があるのでその論議は置きます。
Drug classification: making a hash of it?

大麻は数千年前から人類に繊維や食物として貢献してきた大変有用な植物であり、特にこれからの時代に重要性が増してくる植物です。
尚、ここでは大麻をヘンプと呼びます。大麻は本来カナビス又はヘンプと呼ばれていましたが、いつの間にかメキシコでの呼び方である「マリファナ」に変えられました。

私自身の大麻(ヘンプ)との係わりは、非木材パルプの世界一のメーカーであるスペインのCELESAとのつきあいからでした。この会社の女性営業部長が大の日本びいきで、自分は過去世は日本人だったと確信している人でした。日本各地の神社仏閣に参拝して、記念のスタンプを集めていました。


話しはそれますが、一時期のケナフブームで笑うしかないエピソードがありました。

ケナフブームの折、ある大手の会社が工場にケナフを植えました。ケナフは成長が早く二酸化炭素を吸収するためです。ところがケナフは1年草です。冬になると枯れてしまい、燃やせば二酸化炭素が出ます。
困った会社はケナフで紙を作る事にしました。紙にするにはまずパルプが必要です。
パルプ会社にケナフを持ち込み10tのパルプを作ってもらいました。この単価がキロ1000円でした。当時、木材パルプが80円の時代です。

そして、このパルプを製紙会社に持ち込み紙にしてもらいましたが、できたケナフ紙の値段はキロ1400円です。当時の上質紙の価格は120~130円でした。
この会社はできたケナフ紙で名刺を作り、「この名刺はケナフで作られています」と書いて、二酸化炭素の削減に貢献していると宣伝したことでしょう。一体、紙にするまでどれだけのエネルギーを使い、Co2を排出したことでしょうか。

ヘンプは様々な利点や特徴があります
・生育期間が100日程度で生産性がずば抜けて高い。
・同じ面積であれば木材パルプの4倍の収穫量が得られる。
・生命力が強く、農作物が育たない地域でも栽培が可能。
・病害虫に強く、栽培に農薬や化学肥料を必要としない。
・繊維が長く強靭なため、強い紙ができる。
・成長が早いため炭酸同化作用で二酸化炭素を固定する。

 
麻は身近な所では紙幣や辞書用紙の他、パスポートや証券用紙などにも使用されます。
大麻が一番多く使われるのは皮肉にもタバコの巻紙です。

次回は食料やプラスチック原料他のヘンプの驚くような利点と、そんなに優れている大麻がなぜ悪者になったかを述べます。

参考:「マリファナの歴史
カナビス・アタディハウス
カンナビス・メド

大麻取締法変革センター


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童謡と唱歌は日本の宝

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先日、NHKFMで童謡唱歌の特集を放送していました

「ふるさと」や「かあさんの歌」、「浜辺の歌」など、日本人なら誰でも懐かしさが呼び起こされる唱歌や童謡が沢山あります。これらの曲は主に明治の唱歌運動、大正の童謡運動などで作られたものですが、かっての日本人が子供の情操教育をいかに大事に考えていたかを物語るものです。

曲の解説もおもしろい話がたくさんありました。

「ずいずいずっころばし」の歌詞は何のことか、まったく意味が分かりませんでした。これは徳川三代将軍家光の頃に始まり240年続いた「茶壷道中」の様子を表したものだと言います。京都の宇治で摘まれた一年分の新茶を茶壷に詰めて、中仙道から江戸まで献上行列をしていました。

この行列はぎょうぎょうしく、行列が来ると戸をピシャンと閉めて家に逃げ込む様子を、「~茶壷に追われて戸っぴんしゃん」、行列が通り過ぎるとホットして外に出て喜ぶ様子を 「~抜けたらドンドコショ」、行列が通りすぎるまでは、たとえ親が呼んでも家から出てはいけ ことを、 「~おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでもいきっこな~しよ 」と歌っていると言います。
なるほどね。

野口雨情の「七つの子」の、~かわいい七つの子がいるからよ~は、7歳の子と7羽の子供の二つに解釈できますが、しかし7歳のカラスは子供ではなく、またカラスは7つも卵を産みません。これは、昔7歳で「帯びとき式」をして、子供が一人立ちする祝いをしましたが、この7歳の子のかわいい様子と掛けたものだそうです。

「村祭り」と言う童謡は、市町村合併で村が消えた県では教科書から消えたとのことです。「村の鍛冶屋」も鍛冶屋が無くなったので教科書から消えています。短絡的な発想です。

その時を代表する作詞、作曲の才能が集まり、子供たちのために作品を作り上げています。これほど質が高い童謡、唱歌は世界に無く、日本の財産だと言えます。



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Tag: 童謡

韓国メディアが分析する日本の基礎科学の成功

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日本人のノーベル賞受賞者が4名もいたことについて、優秀な韓国人がなぜ金大中の平和賞以外、ノーベル賞を取れないのかと、悔しさとうらやましさを隠さない韓国メディアがありました。

その中で、韓国人がノーベル賞を取れない理由を冷静に分析した記事がありました。 言葉と創造性について、日本の国語教育を考える参考にもなる分析ですのでご紹介します。



「日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。
基礎科学、特に物理学のような分野は物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思考が重要だ。深みがあり独創的な思考をするためには、たくさん思考せねばならない。

そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。南部教授は小学校のときに理科の時間に感じた興味が彼を科学者に導いたという。
基本概念はどうすればきちんと身につくか。 理解しやすい言語で科学を説明することから始まるはずだ。

日本は初等・中等過程はもちろん、大学でも日本語で科学を教える。そのため、西洋で発達した科学を日本語に訳すのを当然の基礎過程だと考えている。

漢字文化圏である東洋4国があまねく使っている「科学」「化学」「物理学」などの用語自体が、アルファベット圏言語を自国語で把握しようとした日本の知識人たちによる翻訳の所産だ。「素粒子」「陽子」「電子」などの用語も、すべて日本人が作ったものだ。

そのおかげで、日本人にとって世界的水準で思考するということは世界で一番深く思考するということであり、英語で思考するということではなくなった。これは外国語が苦手といわれる日本人たちが基礎科学分野でノーベル賞を多く取っていることや、益川と小林の研究が日本の大学から誕生したことにもよく現われている。

一方我が国は、小学校・中学高校過程では科学の基本概念をきちんと把握する教育をしないで、大学に入ると突然英語で科学を教える。

名門大学であればあるほど、理学部・工学部・医学部の物理・化学・生理学などの基礎分野に英語教材が使われる。内容理解だけでも不足な時間に外国語の負担まで重なっては、韓国語で学ぶ場合に比べると半分も学べない。韓国の基礎科学は外国に留学に行くことを初めから想定して教えているわけだ。 」



日本で幼児や小学校低学年から英語を教える親が増えています。このことについて数学者の藤原正彦さんが、言葉は手段に過ぎず、語る内容が無ければ無意味であること、その内容は国語教育によるしかない、と国語教育の重要性を訴えています。

<小さい時からの英語教育がネイティブの英語を身につける一番効果的な方法である>、との意見に対しては、「その意見も正しい、しかし正しいことは沢山ある、その優先順位を考えなければならない」と述べ、子供の時にきちんと母国語の教育をすることが考えること、感じることすべての基礎になると言われています。

藤原正彦さんはアメリカの大学で数学を教えていました。「若き数学者のアメリカ」や「日本人の品格」など、たくさんのエッセイがありますが、その思考能力や洞察力は、作家の新田次郎を父に、藤原ていを母に持ち、両親から豊かな国語教育や情操教育を受けたことにあります。

考えること、感じること、創造することなど、すべての根底に言葉があります。
空気が読めないことを「KY」と言ったり、不快なことをすべて「むかつく」と表現する日本人は、やがて英語はしゃべれても、独創性を失い、感受性を失って、ノーベル賞どころか、あらゆる創造力から無縁の国民になるかも知れません。