街の灯

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カンヌ映画祭で、是枝裕和監督の『そして父になる』が審査員賞を受賞しましたが、三池崇史監督の「藁の盾」は大ブーイングを浴びました。やはりと言うしかありません。私もその場にいればブーイングしたでしょう。
というのは、新聞評を見て「藁の盾」を見に行ったのですが、あまりにもお粗末な出来だったので、最後まで見ずに出てしまったからです。


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ストーリーは少女が異常者に殺され、その富豪の祖父が、犯人を殺してくれたら10億円を進呈すると呼びかけたため、犯人護送中に様々な人間が襲いかかり、それを意に反しながら刑事たちが守るという荒唐無稽なものです。

と言っても映画はもともとフィクションの世界であり、荒唐無稽は問題ではありません。
「藁の盾」の問題は、少女を殺した犯人に対する怒りや憎しみや嫌悪感を感じさす演出が不十分で、感情移入ができないことにあります。感情移入ができなければ虚構は成立しません。
犯人役の藤原竜也には異常性が不足しており、童顔の藤原竜也を起用した時点で、この映画は失敗しています。

この映画がカンヌのコンペティションに参加したと聞いて、「やめろ!」と思ったのですが、日本での評判は意外にもそれほど悪くなく、私の感覚がカンヌの観客に似ているようです。と言うことにしておきます。

「藁の盾」についてスペースを取り過ぎましたが、映画が時代を越え、国を超えて愛されるためには、心から心へ伝わるヒューマニズムが必要です。

チャップリンの「街の灯」のラストシーン、手術を受けて目が見えるようになった花売り娘が、ルンペンのチャップリンに小銭を握らそうとして手を取った時、そのルンペンが自分の恩人であることに気づきます。この3分程のシーンを撮るのに、342回のNGが繰り返され、撮影には1年以上を要しています。製作日数534日のうち、なんと363日がこのシーンの撮影に費やされたのです。(NGは700回以上とも言われています)

チャップリンの完全主義を物語るエピソードですが、NGのたびにセリフがそぎ落とされ、最後に残ったのは、たった三つの短いセリフです。


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チャップリンの手を取り、驚いたように見つめる花売り娘は、「あなたでしたの」(you?)とチャップリンに言い、チャップリンは「見えるの?」(You can see now ?)と答えます。娘は「はい、見えます」「Yes I can see now」と答え、喜劇は感動的に終わります。

「あなたでしたの?」、「見えるの?」、「はい、見えます」、この短いセリフの、なんと美しく雄弁なことでしょうか。
この映画のタイトルが、「街の灯」(City lights)と名付けられた意味が、この時わかります。
灯りとは、心を照らす灯りだったのです。

まだご覧になっていない方は、youtube をご覧ください。



チャップリンの両親は1歳の時に離婚します。10歳で地方劇団に入り、12歳の時、父親はアルコール中毒で死去、母親は心の病で入院したため、チャップリンは孤児院で生活するこになります。

この生い立ちの悲劇性は、エディット・ピアフの生い立ちの厳しさに似ています。
演劇や歌や絵画を表現するためには、幸せや愛に対する満たされぬ思い、あるいは心の内に秘められた恨みや怒りの感情が、より良いもの、より美しいものを求める情熱に変わることが必要なのでしょう。

人は生まれる環境を、自分で選んで来ると言われます。
チャップリンは映画製作のために、厳しい環境を選んで生まれてきたのではないか、そんな気がします。






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丸谷才一さんの死に思うこと

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丸谷才一さんが亡くなりました。
小説については熱心な読者ではなかったけれど、日本語に対する評論や知的で軽妙な随筆の長年の愛読者でした。あの名エッセイがもう読めなくなったことを残念に思います。

丸谷さんの専門は英文学でありながら、万葉、古今、源氏などの古典の広範囲な勉強量と、漢文の素養、さらにあらゆる分野に対する知的好奇心のすさまじさに、いつも圧倒されていました。
今後、このような人が出て来ることはもうないでしょう。
なぜなら、テレビやパソコンや様々な情報に囲まれて暮らす現代人が、「本を読むことが人生で一番立派なことだった」という、読書一筋の人生を送ることはもはや不可能だからです。
昔の日本人は偉大だったと思うことしきりですが、丸谷さんは偉大であった日本人の、最後を飾る一人であったような気がします。

作家の辻原登さんが、読売新聞に寄稿した記事が心に残りました。

「いま、二葉亭四迷、森鴎外、夏目漱石、尾崎紅葉にはじまる「日本近代文学」の巨大な山脈が、私にみえる。これほどくっきりその姿を捉えたことはなかった。
丸谷才一さんが亡くなったからだ。丸谷才一という作家がその眺望を邪魔していたのではなく、彼がその山脈の最後の山塊を形成していたからだ。それは、ため息が出るほど美しい山容だ。
終わったのだ、と私はつぶやく。
・・・・中略・・・・
私たちの「日本近代文学」は、世界に誇る文学山脈である。それは、英文学山脈、仏文学山脈、独文学山脈、ロシア文学山脈に匹敵する規模と高さを持ち、日の光、月の光を浴びて輝くさまは崇高でさえある。
非ヨーロッパ地域で、唯一、日本においてだけ、なぜかくも豊饒な「近代文学」の稔がもたらされたのか。記紀万葉より江戸期に至る千二百年に亘る和文、漢文による豊かな文学地層があったからで、先に挙げた先達たちはみな、そのぶ厚い地層から出て、ヨーロッパ近代文学と出会うことでそれが可能となったのだ。日本古典と漢文古典とヨーロッパ近代文学との幸福な出会いが、日本列島で奇跡的に実現した。
丸谷才一は、その出会いの最後の体現者、主峰のひとつだった。

丸谷才一の死によって、「日本近代文学」の命脈は尽きた。あとには、荒涼とした、うすら寒い光景が広がっているばかりだ。どんな細道を行けばよいのか。・・・・・」

読売新聞編集手帳より
「丸谷才一さんが音楽学校で英語を教えていた頃の逸話が、まことしやかに伝わっている。丸谷さんの声があまりに大きいので、隣の教室で合唱の授業をしていたクラスが離れた教室に避難したという。合唱も打ち負かす伝説の大声をじかに浴びたのは、3年ほど前である。食事をご一緒した折、質問をした。村上春樹さんの小説が芥川賞の選に漏れたとき、丸谷さんは選考委員でしたね。いま顧みて、「しくじった!」という感想をお持ちですか?」。
「僕が!僕が、ですか?」。空気が震え、グラスのワインが波立った。
「Aだ」。丸谷さんはある作家の名前を挙げた。「Aが村上の才能を恐れて受賞に反対した。僕と吉行(淳之介)はAに抵抗したが、力が及ばなかった」。30年も前の選考会を昨日のように振り返り、血をたぎらせる。日ごろ穏やかな紳士だからこそ、大音声の爆発がサマになった。洒脱なエッセーなどで親しまれた丸谷さんが87歳で死去した。・・・・」

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昨年、丸谷さんが文化勲章を受章した祝宴の写真に、丸谷さんが英語を教えていた桐朋学園の教え子、小澤征治さんと、音楽評論家で桐朋学園の創立者の一人であった吉田秀和さんが愉快に談笑している姿が映っています。
今年5月、吉田秀和さんが亡くなり、今、丸谷才一さんが亡くなりました。
知の巨人たちが育つ豊かな土壌が、いつまでも日本に残ることを心から願います。





心を震わす音、 シューマンのヴァイオリン・ソナタ

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  ロベルト・シューマン

「人間の心の深奥へ光を送ること、これが芸術家の使命である。」
                          ロベルト・シューマン


このところ、シューマンのヴァイオリン・ソナタのCDを毎日聴いている。
会社の行き帰りの車の中で聴き、家に帰ってからも聴いている。これほど繰り返し聴いた演奏はない。

ヴァイオリンはクリスチャン・フェラス、この美しい音を何と表現したら良いのだろうか。
心を震わす音、というしか思い浮かばない。
フェラスのビブラートの美しさとグリッサンドによる音の揺れが、シューマンのヴァイオリンソナタの魅力を際だたせる。
1960年代半ばの録音だが、フェラスのヴァイオリンの美しさを十分に伝えて何の不足もない。

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http://www.hmv.co.jp/product/detail/3541482

1番のソナタの最初の1音が鳴り始めた時に、心は共鳴を始める。もう演奏から離れることができない。
シューマンは1番の出来に満足できず、40日後に2番の作曲に取り掛かり、僅か1週間で完成させた。
情熱的で激しい2番の方が評価は高い。だが、むせび泣くように弾き始めるフェラスの1番を聴けば、どちらが傑作かなどとは考えない。どちらも心に響く。

現在のヴァイオリニストは2番を激しく弾く。それも感動的だ。しかし過剰な情熱は、繰り返し聴くことを拒否する。
フェラスの弾く2番には抑制した情熱と静かな祈りがある。
2番の第3楽章の初めに、バッハのコラール「主よ、深き淵よりわれ汝を呼ぶ」のテーマがピチカートで演奏され、ヴァイオリンで繰り返される。フェラスの演奏は、優しく静かで祈りに満ちている。

シューマンはこの頃失意の中にあって、主の救いを求めていた。しかし芸術家にとって、失意は創作意欲を失わせるものではない。シューマンの失意は内なる情熱を駆り立て、満たされない現実はヴァイオリン・ソナタの傑作を産んだ。

演奏にもの足りないものは何もない。しかし満されていてさらに愛を求める恋人たちのように、聴き終わってすぐにまた聴きたくなる。それを100回以上繰り返した。

深き淵より
ルオー「深き淵より」

シューマンはライン川に身を投じ、助けられた後サナトリウムに収容され、46歳で狂人のレッテルを貼られて死ぬ。
投身の理由は分からない。愛する妻クララとブラームスの不倫が原因ではないかと言われているが、はっきりしているのはシューマンと言う才能が2度と帰らなかったことだ。

1982年、クリスチャン・フェラスも49歳で自らの命を絶った。
美を求め、美に殉じたシューマンとクリスチャン・フェラスの魂の深奥に、神の光が届くことを祈らずにはいられない。

フェラスの演奏を感傷的に語り過ぎたかも知れない。しかし心を奪われることはなんと甘美なことだろう。
シューマンとショパンの生誕200年の年がもうすぐ終わる。


個人的な思いです。コメント欄を閉じています。

<追記 ショパン・ノクターン>

ショパンのノクターンについて触れておきたいと思います。
おびただし数の録音があり、それぞれの良さがありますが、一番気に入っているのはクラウディオ・アラウの演奏です。
初めて聴いた時、あまりに感銘を受けたので、ワルツ、マズルカ、エチュード、ポロネーズ他、アラウの演奏するすべてのショパンのCDを買ってきましたが、結局、一番良かったのはノクターンでした。
ショパンの甘美さ、憂い、哀しさをしっとりとしたテンポで弾きながら、しかしそれに耽溺しない知的な眼差しを感じます。
あるピアニストにこのCDを紹介した時、「何で知らなかったのだろう」と言っていました。

今年のラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日と題する音楽イベント)はショパン特集でしたが、どの会場も満員でした。
ショパンは社交界の寵児となり経済的にも恵まれた人生でしたが、生誕200年の年に於いてもやはり幸せな音楽家でした。

ショパン:ノクターン集ショパン:ノクターン集
(1996/06/05)
アラウ(クラウディオ)

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皇后美智子様の御歌

美智子様

皇后美智子様の詠まれる、高貴で慈愛に満ちた美しい和歌にいつも感動します。
たおやかで優しい大和言葉でつづられた御歌(みうた)を拝見するたびに、このような方を皇后陛下として戴く日本の幸せを思うと共に、和歌という短詩に四季と人生を詠みこんできた日本人の美意識に感嘆します。

美智子様の、すべての人々のしあわせを願う美しく祈りに満ちた御歌が、筑波大学名誉教授で長年フランス文学を研究されてきた竹本忠雄先生と、作家で日本文化に造詣の深いオリヴィエ・ジェルマントマさんなど、フランス文化人たちの協力でフランス語に翻訳され、「セオトーせせらぎの歌」として出版されています。

竹本忠雄先生が「知致」に寄稿された記事をご紹介します。



皇后宮美智子さま 祈りの御歌

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                          竹本忠雄氏


 語らざる 悲しみもてる 人あらん
 母国は青き 梅実る頃


これは皇后美智子様が≪旅の日に≫と題して平成十年にお読みになった御歌(みうた)で、宮内庁によって次のような註が付けられています。

「英国で元捕囚の激しい抗議を受けた折、『虜囚』となったわが国の人々の上を思われて読まれた御歌」と。

平成十年5月26日、両陛下のお乗りになった馬車がバッキンガム宮殿に向かう途中、イギリス人の下捕虜たちが「背向け」行為という非礼をあえてしました。このことから皇后様は、「敗れたるゆえに、去る対戦時、虜囚となったわが国人は、悲しみも語りもしえず、いかに耐えていることであろう」とご心情をお寄せになりました。

この御歌を初めて新聞紙上で拝見したとき、私はひじょうに大きな感動に打たれました。皇后様のようなお立場の方が、これほどの透明な抒情と憂国の至情を併せてお示しになるとは思いもよらなかったからです。
しかも、ご自身の内面の世界を詠われた「上の句」と、自然を捉えた「下の句」が見事に調和し、その明転とでも申しましょうか、闇から光に視線を転じるかのような、えも言われぬ美しさに心底魅了されたのです。

長年フランス文学を研究する一方で、深層から日本の文化・伝統を世界に伝えて日本への理解を深めたいと念願して、非力を振るってきましたが、皇后陛下の限りない霊性世界の深さを、御歌の翻訳をとおして少しでも伝えられるならばと考えて、ついにはパリに五年あまり移り住んで、フランス語訳に取り組むこととなりました。

皇后様となられてからのもう一つの大きな変化は、世界で起こる大きな出来事、歴史、抑圧された人々の心情などに一層の注意を払われ、思いを分かち合う御歌を多く読まれるようになっていったことです。

 湾岸の 原油流るる 渚にて
 鵜は羽博(はばた)けど 飛べざるあはれ

 窓開けつつ 聞きゐるニュース 南アなる
 アパルトヘイト法 廃されしとぞ

 被爆五十年 広島の地に 静かにも
 雨降り注ぐ 雨の香のして


私がとりわけ感動させられたのは、平成十三年に詠まれた次の御歌でした。

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 知らずして われも撃ちしや 春闌(た)くる
 バーミヤンの野に み仏在(ま)さず


それより二十年前に皇后様は、アフガニスタン御訪問中に、広大な仏跡、バーミヤンをお訪ねになって、二体の巨大な磨崖仏が、「異教徒」によって顔面を削り取られて立つ様に衝撃を受けて作歌されていました。ここではさらにタリバンによって破壊された光景をテレビでご覧になってショックを新たにされています。しかし、世界中でいったい他の誰が「われも撃ちしや」と声をあげたことでしょうか。
出来事への世界の無関心が、結局はこの惨状を招いたのではなかろうか、自らもその責任を免れない・・・・との深い内省のお言葉なのです。

・・・・多くの深刻な出来事をご自身の問題として受け止める。これ以上高い道徳の姿勢というものは考えられますまい。美智子様はそれが自然におできになるお方であり、御歌の内面の美の輝きとして出ていると言えるのではないでしょうか。

皇后美智子様の御歌を西洋に伝えることは、私にとって単なる「翻訳」ではありませんでした。こよなき日本語をこよなき外国語に移すことはすなわち、言霊の橋を架けることであり、その背後には、「日本的霊性」が如何にして異文明に伝わりうるやとの難問が控えているからです。

翻訳に着手したのは平成十三年からのことで、古巣のパリにおいてでした。フランス語の言霊はフランスでなければ働かないと考えたためです。
そして、皇后さまの許しと宮内庁のご協力を得て、「瀬音」から四十七首、それ以降の作歌から六首、あわせて五十三首を、皇后様のお目通しを経て、日仏翻訳陣を立てて訳させていただくことになりました。


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最大の難所は、最後の五十三首目、平成十六年の歌会始で発表された「幸」と題するお作品でした。

  幸(さき)くませ 真幸(まさき)くませと 人びとの
  声渡りゆく 御幸(みゆき)の町に


紛れもない名歌であるゆえに、みだりな訳は一語もゆるされず、しかも、「さき」「まさき」「みゆき」と、
さながら鶯の谷渡りのように転じる音色を、どういう訳にしたらいいのか。第一、「幸」という御題をどう訳すか。
議論百出となりましたが、これはただの個人的「幸福ーハッピネス」ではないという点では、皆同意見でした。

幸い私は、平成十四年の歌会始の儀にお招きを受け、このお作品が天皇陛下の御製に先立って朗読されるのをその場で拝聴しその感動を抱き続けておりましたので、その時の御製、

 人々の 幸ねがいつつ 国の内
 めぐりきたりて 十五年経(へ)つ


を翻訳グループに紹介し、「この御製は皇后様の御歌とアンサンブルをなすものです。陛下が表明されているのは、ひとえに道徳的高みからの国民の幸福ということであり、ご自信については無私の御心が表現されているのです」と説明しました。

するとメンバーの一人が感動してこう言ったのです。
「分かった。その幸は《 フェリシテ=至福 》だよ! 《 幸くませ 真幸くませ 》は 《 至福を 高き至福を 》と訳したらどうだろう」と。

まさに、言霊の橋が架かった瞬間でした。こうして3年の月日をかけてすべての翻訳を訳し終わりました。

翻訳者として私は、「セオトーせせらぎの歌」の調べが、文化的背景のまったく異なるヨーロッパでどのような音色を響かせるであろうかと楽しみにしていましたが、本が出るや、反響は予想を超える深いものがありました。またそれはフランスだけに留まらず、遠くアフリカのアンゴラにまで広がっていきました。

フランスのシラク大統領からは次のような賛辞を頂戴しました。
「この御本には、和歌の持つ息吹の力と、魂の昂揚力とが、絶妙に表されております。おかげをもちまして、
かかる世界に目を見開かされました」

ここに簡潔に言われた「和歌の持つ息吹の力と、魂の昂揚力」-、これこそは私が最も伝えたかった、皇后様の御歌の言魂をつうじての大和心にほかなりません。
人々の心に「橋を架ける」、皇后様の悲願のほんのわずかでも、もしこれで果たせたならばと、喜びを噛みしめた次第でした。

知致」2008年12月号


こうして完成した仏訳御歌撰集『セオト-せせらぎ の歌』が、2006(平成18)年5月にパリで出版された。それはたちまちフランス語圏の人々の心に届いた。

パリ大学文学部(ソルボンヌ)の準教授で気鋭の文学者フラ ンソワ・ド・サンシュロン氏は、こう評した。
これらすべてのお作品から立ち昇る馥郁(ふくいく)たる香気、みずみずしい繊細さ・・・しかり、抑制、慈悲、祈り・・・今上陛下の皇后美智子様の御歌を拝して思 い浮かぶ言葉はこれなのである。

ジュネーブの銀行家で、仏・独・日の文学に造詣の深いピエール・ジェグリー氏は、竹本氏あてに感想を送ってきた。

・・・月光、陰影、露、霧・・・。ポエジーは、これらの希有なる詞章より静かに浸みとおってきます。永遠の日本が、皇后様の御姿をかりて送りよこした贈り物でなくして何でしょうか。すなわち、神々より下された・・・。

・・・私はまた、こうも考えざるをえません。 一人のお方のトータルな存在に、どれほどの神秘と試練
が、かつ、たとえようもない心情の高貴が秘められているか、『セオト』一巻は、まさにこのことを証していると。
まことに、慈悲と、パルタージュ(痛みを分かつこと) 以上の、心情の高貴がありえましょうか。

皇后様のお歌からフランスの人々が感じ取ったものは、異国情緒ではなく、彼ら自身が近代化の過程で忘れ去っていた精神の高貴さだった。

フランスの文化界で、哲学者として一家をなしているフィリップ・バトレ氏は、季刊誌『反文学』2006年秋季号に『ル・ボー・タン----晴』を発表して、こう述べた。

・・・一人の皇后のお出しになったこの詩集に、エキゾチックなものは皆無である。 それどころか、これらの詩は、きわめて親しみやすいも のばかりなのだ。 ただし、四季の秩序と、心のたゆたいを歌うことに秀でた、この上なき高貴なるお方によって親しみふかくされた、ということが大事なのだが。

西洋においても、その昔、スペインのカスティリア王国の賢人王アルフォンソのごとく、・・・そのような世界を啓示してくれた王侯も無きにしもあらずだったが、いまは遠い物語となってしまった。
ところが、ここに素晴らしいことに、このような詩の妙音が、日本では今日まで存続していたのである。

2007(平成19)年7月1日、パリのキオスクにいっせいに並んだ隔月誌『新歴史評論』は、「サムライの日本」特集と銘打って、表紙には甲冑姿の武士を掲げた。同誌主幹ドミニック・ヴェネール氏が『セオト』に感動して、この特集を企画したのだった。氏は巻頭論文「日本-華と鋼鉄(はがね)」でこう述べた。

本誌日本特集号を編むにあたり、編集子は、今上陛下の皇后美智子様の『セオト』を再読三読させていただいた。 背の君、今上陛下に至るまで、日本の歴代天皇は、神話の伝える太陽女神アマテラス以来、なんと125代にもわたって万世一系を貫いてきたのだから、驚きである。自らの過去を忘却否定するのに躍起の国、フランスの子らたるわれら、こう聞いて、ただ、茫然自失のほかはない。

そしてまさに、この黙示録的爆撃(原爆投下)から50年目、1995年に、皇后は限りなき抑制をこめて次のように歌っておられるのだ。

 被曝五十年 広島の地に 静かにも 
 雨降り注ぐ 雨の香のして


その前年のことであった、皇后が、それより半世紀前、硫黄島の死闘で日本軍将兵が玉砕をとげたことを偲び、こう手向けられたのは。

 慰霊地は 今安らかに 水をたたふ 
 如何ばかり君ら 水を欲(ほ)りけむ


もう一首、終戦(1945年)記念日に詠まれた御作品を掲げよう。

 海陸(うみくが)の いづへを知らず 姿なき 
 あまたの御霊(みたま) 国護(まも)るらむ


ヴェネール氏は、論文をこう結んでいる。
嘆きなく、憾(うら)みなく、涙なし。 いや、涙は、われら読者の眼に溢れざるをえないのだ。
一語一語の重み、わけても「あまたの御霊 国護るらむ」 の喚起する感動に・・・。
これらの調べこそ、つつましき情感をもって歌われた永遠の大和魂への讃歌なのだ。どうしてわれら、これに感奮なきを得よう。懶惰(らんだ)に眠るヨーロッパ諸国の民族魂を目覚ませるべく、あらゆる逆風に抗して挺身しつつあるわれらとして・・・。

天皇皇后両陛下のお歌
国際派日本人養成講座

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日本のすべてを否定する戦後教育を受け、私は20代まで「君が代」が歌えず、いつも歌うふりをしてごまかしていました。皇室番組は大嫌いで、天皇制は税金の無駄遣いとさえ思っていたのです。

ある時、皇居を歩いていて、突然天皇は日本の救いであるとの思いが湧き、何が救いなのか見当がつかないまま、天皇陛下に対する思いが一変しました。
今にして思えば、日本の文化、言霊、祭祀、つまり日本的価値観の中心に天皇陛下がおられたのです。
天皇制について多様な意見がある日本ですが、このことは否定できないはずです。


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桜の歌人

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櫻ばな いのち一杯咲くからに 
       いのちをかけて われ眺めたり ー岡本かの子ー 


春の喜びを伝える桜ほど、日本人に愛され続けた花はありません。

本居宣長の、「しきしまの やまと心を人とはば 朝日ににほふ山桜花」は有名ですが、寒い冬が終わり、桜の花と共に、いのちあふれる春を迎えた喜びが感じられません。観念的な歌だと思います。
一茶の俳句、「日本は はいり口から 桜かな」の方が、単純に素直に、日本人が昔から桜を愛していたことを歌っています。

桜を詠んだ代表的な歌人は、何と言っても西行です。

西行の歌には、桜の開花が近づいてきた時の心のときめき、咲いた桜とともにある喜び、咲いた桜がいつはかなく散るのか、気がかりで仕方の無い心の様が、素直に切実に詠われています。
恋人を歌っても、西行が桜を歌ったほどには歌えないでしょう。

次のように歌う西行のこころは、日本人なら良く理解できるのではないでしょうか。

吉野山 こずゑの花を見し日より 心は身にも添はずなりけり

たぐひなき 花をし枝に咲かすれば 桜に並ぶ木ぞなかりける

花見れば そのいはれとはなけれども 心のうちぞ苦しかりける

春風の 花を散らすと見る夢の さめても胸のさわぐなりけり

眺むとて 花にもいたく馴れぬれば 散る別れこそ悲しかりけれ

いざ今年 散れと桜を語らはん なかなかさらば風や惜しむと

梢うつ 雨にしをれて散る花の 惜しき心を何にたとへむ

西行の桜への哀切な思いは、桜の花の咲く下で死を迎えたいとの歌に集約されています。
ここまで桜を愛した歌人はいなかったでしょう。
そして西行のこの願いは、旧暦如月の頃に死を迎え、遂げられました。


願わくは 花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃








歌の前の平等

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石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出づる春に なりにけるかも ー 志貴皇子

石ばしる 垂水の水の はしきやし 君に恋ふらく 我が心から  ー 詠み人知らず

万葉集は8世紀に大伴家持などが編纂しており、4500首の短歌や長歌が収められています。柿本人麻呂、額田王、大伴家持などの歌が有名ですが、世界にない際立った特徴があります。

それは天皇や貴族、高官などと並び、名も知れぬ人達の歌が、詠み人知らずとして収録されていることです。その中には娼婦の歌もあったかも知れません。

天智天皇の、「紫のにほへる 妹をにくくあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも」や、持統天皇の、「春過ぎて なつきたるらし  しろたへの ころもほしたり あまのかぐやま」 と一緒に、詠み人知らずの歌が平等に扱われています。
これは古来日本人が、歌と言う芸術の前には、天上人であろうが乞食であろうが、地位や職業や財産や男女の区別無く、ただその歌のできばえだけを公正に評価していたためです。

このような世界に例のない「芸術至上主義」がどうして生まれたのでしょうか。
四季に富んだ気候風土から生まれた日本人の鋭い美意識とともに、もしかしたら言霊信仰が係わっていたのかも知れません。

祝詞に見られるように、言葉の力を日本人は良く知っていました。大和言葉の成り立ちには深い世界観があり、耳障りな言葉がありません。生命と書くより「いのち」と書いた方が、優しさやいとおしさが感じられます。
万葉かなは、漢字をアルファベットと同じ表音文字として使っています。日本人が漢語を積極的に受け入れなかったのは、言霊の違う外来語を受け入れることが出来なかったのでしょう。

古代社会にも階級や支配がありながら、歌の世界だけに差別がなかった理由は、誰が語る言葉であっても美しい言霊は、心に響き、人を感動させ、愛を伝えることができると考えたためではないかと思います。

このような「歌の前の平等」が、「歌会初め」として現在も受け継がれているのでしょう。


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すばらしい演奏家

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今日、すばらしいバイオリニストの演奏が聴けました。

フィリップ・コッシュと言うベルギーのバイオリニストです。若くしてルクセンブルグ管弦楽団のコンサートマスターに就任し、リエージュのコンセルヴァトワールの教授を勤めています。
美しい音で有名な、巨匠グリュミオーに師事していたせいか、なめらかで暖かく、しかし躍動的で力強い、誠実な人柄が伝わる演奏でした。
「芸術は人なり」の言葉を思い出します。

有名で人気がある芸術家だけが優れているわけではなく、たとえばゴッホの絵が生前まったく売れなかったように、本物でも商業主義に見出されない芸術家がたくさんいます。

世界指折りのバイオリニストの一人にギドン・クレーメルがいます。コッシュさんの演奏を聴く少し前に彼の演奏を聞きました。無論素晴らしい演奏でしたが、感銘を受けたのはコッシュさんの演奏です。

このような素晴らしいバイオリニストの演奏が聴けない音楽環境が残念です。

白井博隆さんも大のクラシックファンで、会うと良く音楽の話をします。中国に出張した折は、驚くほど安価なクラシックのDVDを買ってくるとのことで、もうほとんど入手したと言っていました。(中国製・・でも格安のDVDはいいですね)

体の栄養や休息と同じように、心には感動と言う充足が必要だと、改めて感じた演奏会でした。


グールドの弾く、バッハ「パルティータ第6番 ホ短調 BWV 830」です。

 




 


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日本人が失ったもの

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音楽の幼児教育で世界的に有名な、スズキメソッド(才能教育)の創始者である鈴木鎮一先生の著書
「愛に生きる」の中に感動的な逸話があります。
今から40年以上前、チェロの巨匠、パブロ・カザルスがスズキメソッドのコンサートを訪れた時の話です。
日本人が失ったもの、そして、日本人が完全に失ってはいけない、大切なものが何かを教えてくれます。

ー400名の子供たちの生き生きしたヴァイオリンの演奏ー

「おお・・・おお・・・」
老巨匠の驚きの目とともに、その口から続けざまに感嘆の声が漏れています。そしてご夫妻の感動は、やがて子供たちがヴィバルディやバッハの「二つのヴァイオリンのための協奏曲」を演奏するに及んで、その頂点に達したのでした。
先生が泣いておられる・・・目に涙を浮かべ、口をへの字に結んで・・・ 

子供たちの演奏が終わり、私がカザルス先生のそばに立って、お聴きいただいて、どうもありがとうございました、とまだいい終わらないうちに、先生の両手がわたしを抱きしめました。無言のまま、先生の涙がわたしの肩をぬらす・・・
いくたびわたしは、子供たちの、このような無心の、みごとな生命のほとばしりに泣いてきたことか。いま、その高い生命の音の前に、七十五歳の偉大な老先生が・・・それはいいようもない荘厳な瞬間でした。

それからカザルス先生は、夫人とともに、ステージの子供たちのところに歩いていかれました。 
先生はマイクに向かわれました。そして、感動にふるえる声を張り上げて、
「みなさん、わたしはいま、人間が遭遇することのできる、もっとも感動的な場面に列席しています・・・」

「いま、ここで、私たちが見聞きしたことは、外見的に見られた事態よりも、はるかに重要な意味をもっていると思われます。
私たちは、世界のどこにおいても、このような限界にまで示された愛情と誠実の心を見ることはできない。
私たちがこの国を訪れて、いつの瞬間にも感じたことは、よりよい世界への心の要求が示されていることでした。
とくに私に強い印象を与えたのは、人生のもっとも高貴なものに対する追求でした。
おとなたちが、この子どもたちのような幼い時期から、高い心と高貴な行いで、人生の第一歩を踏みださせる、なんとすばらしいことであるか。しかも、その方法は音楽なのです。音楽で訓練し、音楽を理解させる・・・。

音楽は、ダンスをするためのものではなく、また、小さな快楽を求めるためのものでもなく、人生にとって、もっとも高いものです。おそらく、世界は、音楽によって救われるでしょう」

「私はいま、先生たちやご両親に、ただ「おめでとう」というばかりでなく、わたしの心からなる賛美と、心からなる尊敬と、最大の祝福を贈ります。そして、もうひとこと、こう申し上げるしあわせを感謝します」

「日本は行動・産業・芸術の面で偉大であるばかりでなく、日本は、“心の心である”ということです。
そうしてこの心は、いま人類がなによりも第一に・・・第一に必要とするものであります」



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