なぜ人を殺してはいけないのか

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「なぜ人を殺してはいけないのか」と子供に聞かれた時、どう答えたらよいでしょう。
文部科学省が、「なぜ人を殺してはいけないのか」という子供からの質問に対する模範回答を作ろうとして、うまくまとめることができなかったと言います。

宗教のプリズムを通せば、対立する異教徒を殺すことは正義であり、神の名のもとに多くの命が奪われました。
戦争と言う大量殺人も、ジュネーブ条約で国家間の紛争解決手段として認められており、大東亜戦争(太平洋戦争)において、勝った連合国側は正義となり、原爆による殺りくでさえ正当化されたのです。

結論を言えば、この世の善悪、価値の全てが相対的であり、神という絶対的な存在を持ちださずに、人を殺してはいけない理由を提示することはできません。

なぜ人間を殺すのが悪なのかと言えば、人間には魂があり、その魂は神の光だからです。
光を否定すれば、自らが闇に落ちます。
近世まで世界中で、神仏と霊魂、天国と地獄の存在が信じられてきました。良いことをすれば天国に行き、悪いことをすれば地獄に落ちる、だから殺人を犯してはならないのだと。

現在、日本の殺人事件は、年間1000件余りと言われますが、実際はその30倍以上の殺人が行われています。
その殺人とは自殺です。
自殺は被害者が本人であるため、法律で禁止されているわけではなく、悲しいことであっても、殺人のような悪とは考えられていません。しかし自殺は殺人であることを認識する必要があります。
なぜこのように自殺が増えたのかと言うと、死ねばすべてが終わるという唯物論に支配されているためです。


天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」天国と地獄―アラン・カルデックの「霊との対話」
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アラン カルデック

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全世界で400万部以上売れた、アラン・カルデックの「霊との対話」ー天国と地獄―に、自殺をして地獄で苦しむ霊たちが紹介されています。信じるかどうかは自由ですが、死後の世界を前提にしなければ、殺人や自殺を抑止する根拠は無くなります。

「霊との対話」-天国と地獄―からご紹介します。

―公衆浴場で自殺した身元不明に男性―

―いま、あなたはどこにいますか?
「分かりません……。ああ、私がいまどこにいるのか教えてください」
「私はまだ生きているのですか…。棺桶の中で窒息しそうです」

≪彼の魂は肉体から離れたとはいえ、今だに混乱したままである。地上で生きていたときの感覚が強くて、自分が死んだとは思えないのである≫

―どうして自殺などしたのですか?
「では、私は死んでいるのですか……。いや、そんなことはない……。まだ、体の中にいますから……。私がどれほど苦しいか、あなたがたには分からないでしょう。ああ、息が詰まる! 誰か、優しくとどめを刺してくれないだろうか?」

―いよいよ自殺をしようとしたとき、ためらいはなかったのですか?
「とにかく死にたかったのです……。疲れ果てていたので、休息が欲しかった」

―「将来のことを考えて思いとどまる」という可能性はなかったのですか?
「私には、将来は、もはやありませんでした。希望をすっかり失っていたのです。希望がなければ、将来のことなど考えられません」

―生命が失われる瞬間は、どんな感じがしましたか?
だいたい、私の生命はまだ失われていません……。私の魂は、まだ体につながっています。ああ、蛆虫(うじむし)が私の体を食っているのが感じられる!」

―死が完了したとき、どんな感じがしましたか?
「死は完了しているのですか?」

≪死んで間もない人が、自分で死んでいるのかどうかも分からない状態になるということは、実に頻繁に観察される。特に自分の魂を肉体のレヴェル以上に向上させなかった人の場合には顕著である。
この状態は、いずれにしても、つらいものである。上の例では、蛆虫が体を食っている感覚があるだけに、苦痛はより激しいものとなっている。さらに、その状態は、彼が命を縮めた年数分だけ続くことになるので、いっそう、つらいものとなるだろう。

ルーヴェ・フランソワ・シモン―身投げをした男性

≪以下のメッセージは、一八六三年二月十二日にル・アーヴルで行われた霊実在主義者の集いにおいて、自発的に降ろされた霊示である≫

「ああ、これほど長いあいだ、これほどひどく苦しんでいる悲惨な者に、どうか哀れみを! 
ああ、空虚……。空虚の中を落ちていく、限りなく落ちていく、ああ、助けてくれ~!

神様、私はとても悲惨な人生を送りました。哀れな人間でした。特に、老いてからは、いつも飢えに苦しみました。だから酒に溺れ、すべてを恥じ、すべてに嫌悪を感じていたのです……。もうこれ以上、生きていたくなくなり、身を投げました。

ああ、神様、何という恐ろしい瞬間! いずれにしても、もうすぐ死ぬはずだったのに、どうして自分から死を選んだのだろうか!?
どうか祈ってください。もうこれ以上、空虚がのしかかることに耐えられません。このままでは体が砕けてしまいます。どうかお願いします。あなたがたは、自殺によって地上を去った人間が、どれほどの悲惨を経験するか、よくご存じです。

≪その後、調査をした結果、一八五七年、七月二十三日の新聞『ル・アーヴル』に、次のような記事が掲載されているのを見つけた。

『昨日、四時ごろ、桟橋を散歩していた人々は、悲惨な事故を目撃して心を痛めた。ある男性が、塔から見を投げて岩の上に落ち、血まみれになっているのを発見したのである。年老いた曳(ひ)き船(ふね)人夫で、アルコール中毒の果てに自殺したものと見られている。名前は、ルーヴェ・フランソワ=シモンという。遺体は、コルドリ街の娘の住まいに運ばれた。享年六十七歳』

この男が死んでから、やがて六年がたとうとしているのに、この男は相変わらず、「塔から落ち、体が岩に激突する」という体験を繰り返している。目の前に広がる空虚を見ては繰り返し恐れおののいているのである。体が落下する恐怖に、絶えずさらされているのだ。それも六年ものあいだである。それは、あとどれくらい続くのであろうか? 彼には、それはまったく分からず、そして、そのことが、さらに苦悩を深くしている。これは、地獄の業火の苦しみに匹敵すると言えるかもしれない。
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現在、いじめによる子供たちの自殺が絶えません。
そのニュースを聞くたびに、彼らが今いるであろう暗く厳しい世界に心が痛みます。
子供たちは、いじめによる地獄のような日々から逃れるために自殺をします。
しかし自殺によって苦しみから逃れることはできず、むしろ百倍も苦しい世界に落ち込むことになります。
そのことがわかれば、自殺を問題解決の手段に選ばないはずです。
子供たちに、魂が永遠であることを知ってほしいと願います。
身近で自ら命を絶った子供がいたら、どうかその子のために祈って下さい。


「音の世界からあの世を考える」
「死の瞬間、死後の様子」 





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