人生二度なしー森信三の教え

これの世の 再びなしといふことを いのちに透(とお)り知る人少な


sinzo_1.jpg
  森 信三 先生


しつけ3原則 

「ハイという返事」 「朝のあいさつ」 「はきものを揃え、椅子を入れる」

この3つの根本的なしつけを、遅くとも小学校低学年までにやれば、他のしつけはできるようになる。



戦前、戦後を通じて、日本の教育界最大の人物と言われるのが森信三先生です。その気迫に満ちた実践教育は、教育界に留まらずあらゆる分野の人々に、今尚、感銘と影響を与え続けています。

神戸大学教育学部で森信三先生の教えを受けた、村上信幸氏の「人生二度なし」を元にその人となりと教えをご紹介します。

森信三先生は明治29年、現在の愛知県知多市で生まれました。京都大学(大学院)哲学科を首席で卒業し、神戸大学の教授を務めたと言うと、苦労を知らない順風満帆な人生のように思われます。
しかし、幼少の頃より常に厳しい現実生活に直面し、困難と挫折を繰り返しながら実践教育を確立し、平成四年、96歳で亡くなられました。

お祖父さんは第1回の国会議員で、愛知県会議長を16年間勤めていますが、お父さんが坊ちゃん育ちのお人好しですべての財産を失い、絶望したお母さんは幼い信三たちを残し実家に帰ります。
信三は2歳の時に貧しい小作農家に養子に出されました。

尋常小学校4年生を終了し、全校1500名の高等小学校に入りトップの成績を上げますが、貧しい家計で中学校に進学することができません。師範学校に入るには年齢が足らず、昨日まで全校生徒に号令を掛けていた母校で、授業開始の鈴を鳴らし教室の掃除をする用務員として働くことになります。

しかし、養父母は律儀で実直で愛情深く信三を育てます。経済的に貧しく、心豊かな環境が人を作るとすれば、森信三先生を作ったのは、この家庭環境であったと言えます。

数え歳13歳の正月、お祖父さんが一遍の詩を筆で書いて信三に渡し、「これが読めるか」と聞きます。「これは頼山陽という学者が、お前と同じ13歳の正月に詠んだ詩だ。お前もしっかりしなさい。」と漢詩に返り点を付けて意味を教えます。

十有三春秋          (この世に生まれて13年)
逝くものは水の如し      (時流れ、人もうつろう)
天地始終なく人生生死あり (天地は永遠なるも、人には死あり)
いずくんぞ古人に類して   (いかにして名をあげ)
千載青史に列するを得んや (歴史に名を残そうか)

同じ13歳の少年が新年の決意としてこれほどの詩を詠んでいるのに、自分は読むことさえできない。その恥ずかしさと悔しさが学問への決意となります。

愛知第一師範学校を首席で卒業すると、県内の小学校に赴任します。生涯を小学校の教師として全うしようと考えていましたが、その才能を惜しむ多くの人の助言や篤志に支えられ、広島高等師範学校に入学します。卒業後、1年間大阪の阿倍野女学校に奉職し、その後京都大学に進みます。
この間の学資は親戚や実業家の篤志に拠りました。

京都大学を首席で卒業した後、大阪天王寺師範学校教諭に着任します。天王寺師範学校には足掛け13年在職し、この間に書いたのが名著「修身教授録」です。


その後、副学長の懇望で満州の建国大学教授に赴任します。
しかし、6年目に終戦を迎え、戦争犯罪人としてソ連軍から呼び出しを受け、6日間拘留されました。
シベリア送りを覚悟した時、通訳の青年が、「先生、このような動乱の時ですが、お体を大事にして、研究だけは続けてください」とささやきました。建国大学の教え子でした。
しかし、ソ連将校の釈放の条件は、週2回出頭し、隠れている旧軍人を密告せよと言うものです。

そのようなことはできないと、零下20度の厳寒の中に新京を脱出しますが、食料もなく生死をさまよい、凍死、餓死寸前のところで命を取り止めます。
このとき改めて、「躾、たしなみ、道徳、倫理というものは、ある程度の経済基盤があってこそ可能だ」と思い知らされます。
日本に帰られた森先生は、その後、農業大学、神戸大学で教えられ、退官後は年間200回から250回の講演をされました。

森信三先生の教えの柱に、「腰骨を立てる」があります。
一日一日を有意義に生きるためには心を燃やし、己を律することが必要です。しかし、人間はいつもその緊張感を持続できません。

「観念というものは、シャボン玉のようなものでね。一度は『よし、やろう』と張り切っていても、すぐにしぼんでしまうものです。これはどんなに意思の強い人でもどうしようもないことですよ。
時間の経過とともにしぼんでいく決意をどのように持続するか、それには『腰骨を立てる』ということしかないのです。
心身相応の原理で、人間の心と体は切っても切れない、密接に結びついたものですからね。
心の緊張感を保とうと思うなら、体の緊張感を保たねばならないのです。」

森信三先生の講義は次のように気迫と情熱と信念に満ちたものでした。

「『石も叫ばん』という時代ですよ。いつまで甘え心を捨てないのですか。この二度とない人生を、いったいどのように生きようというのですか。教師を志すほどの者が、自分一箇の人生観、世界観を持たなくてどうするのです。眼(まなこ)は広く世界史の流れをとらえながら、しかも足元の紙くずを拾うという実践をおろそかにしてはなりませんぞ」

「教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事なんです。しかし、それをあたかも岩壁にノミで刻みつけるほどの真剣さで取り組まなければならないのです。教師がおのれ自身、あかあかと火を燃やさずにいて、どうして生徒の心に点火できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。民族の文化と魂を受け継ぎ、伝えていく大事業なのです」

森信三先生を足早に紹介しましたが、とても全体像を伝えることができません。
下記をご参照ください。

修身教授録一日一言
森信三の世界
森信三先生の名言
森信三
森信三一日一語



☆ご訪問いただき有難うございました
  リンクフリーです。ご連絡頂ければ相互リンクさせていただきます


スポンサーサイト