吉田松陰から思うこと

sonjyuku-kanban0.jpg
 松下村塾     
    
知人と話をしていて話題が吉田松陰に及び、考えたことがあります。

吉田松陰は29歳で刑死しましたが、松下村塾を開いた2年間で、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋、木戸孝允(桂小五郎)、山田顕義(日本大学・国学院大学の創立者)、久坂玄瑞他、多くの人物を育てています。

なぜこのようなことができたのか。
これまでは単純に、吉田松陰がすばらしい思想家だったからだろうと考えていました
しかし、そうではなく、かっての日本の教育システムが人を育てていたことに気づきました。きっかけは6歳児の書いたお別れの言葉の記事でご紹介した丹養塾幼稚園でした。

この幼稚園で行われていたことは、教育がどれだけ重要で、どれだけのことができるかを教えてくれます。
そして大事なのは、かって、日本中の寺子屋や私塾で同じような教育が行われていたはずだということです。

いくら吉田松陰が立派な思想家であっても、2年間でできることは限られています。松陰の門下生たちは、寺子屋や私塾で基礎的な考え方や知識を学んでいました。人間的な生き方の基本が身についていたからこそ、松陰の教えを吸収できたのです。

そして、明治維新に必要な人材が長州(山口)に集中していたのではなく、たまたま薩長連合で長州が明治維新の中核になっただけであり、もし他の藩が中核になっていたとしても、同様の人材が活躍していたでしょう。それほど日本の教育水準は高かったのです。(山口の人、すみません。私も山口出身です)

日本に武士道精神が一番根付いたのは明治時代でした。士農工商が廃止され、廃藩置県で職を失った多くの武士が教員になりました。当時、教員の80%が武士だったといわれています。

日露戦争で、世界最強と言われたバルチック艦隊がバルト海を出航した時、それを見た沿岸諸国の人々は、その大艦隊が一隻も帰って来ないなど考えもしませんでした。
相手はわずか50年前に黒船に驚いた日本です。大国ロシアに勝つことなどありえない話です。

bot_01.jpg
日本海海戦

武力の戦いであれば結果は見えていました。
日本に勝利をもたらしたのは武力ではなく、知力を尽くし、誠を尽くし、義を尽くして国を守ろうとする日本人の無私の心でした。

「忘れられた偉人ーこんな日本人がいた」でご紹介した佐久間艇長に、無私の心とは何かを見ることができます。

過去の日本の教育を、軍国教育と決め付けるのではなく、優れたところを冷静に見る必要があります。





スポンサーサイト