忘れられた偉人ーこんな素晴らしい日本人がいた(2)

前回の「忘れられた偉人」を先にご覧下さい。

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佐久間艇長(TBSブリタニカ)

少し長い遺書ですが、ぜひ一度お読みください。

沈没した潜水艇の中で、有毒ガスによる呼吸困難に絶えながら書いた遺書です。

このような日本人はもう現れないと思います。


<佐久間艇長の遺書>

「小官の不注意により 陛下の艇を沈め 部下を殺す、誠に申し訳なし、
されど艇員一同、死に至るまで 皆よくその職を守り 沈着に事を処せり

我れ等は国家のため職に倒れしといえども ただただ遺憾とする所は
天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃をあたうるに
至らざるやを憂うるにあり、
願わくば諸君益々勉励もってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に
全力を尽くされん事を
さすれば我ら等一つも遺憾とするところなし、

沈没の原因
ガソリン潜航の際 過度探入せしため「スルイスバルブ」を締めんとせしも
途中チエン切れよって手にて之を閉めたるも後れ後部に満水せり
約二十五度の傾斜にて沈降せり

沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え電纜燃え悪ガスを発生 
呼吸に困難を感ぜり、
十四日午前十時頃沈没す、

この悪ガスの下に 手動ポンプにて排水につとむ、
一、沈下と共にメインタンクを 排水せり灯り消えゲージ見えざるども 
「メインタンク」は 排水し終われるものと認む

電流は全く使用するにあたわず、電液は溢れるも少々、海水は入らずクロリンガス発生せず、
残気は五百ポンド位なり、ただただ頼む所は手動ポンプあるのみ、
「ツリム」は安全のため、ヨビ浮量六百 モーターの時は二百位とせり、
右十一時四十五分
司令塔の灯りにて記す

溢入の水に浸され乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、
余は常に潜水艇員は沈着細心の注意を要すると共に大胆に行動せざれば
その発展を望むべからず、
細心の余り萎縮せざらん事を戒めたり、
世の人はこの失敗を以てあるいは嘲笑するものあらん、
されど我は前言の誤りなきを確信す、

一、司令塔の深度は五十二を示し、排水に努めども十二時までは底止して動かず、
この辺深度は十尋位なれば正しきものならん、
一、潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す、
かかるときに困る故、
幸い本艇員は皆良くその職を尽くせり、満足に思う、

我は常に家を出ずれば死を期す、
されば遺言状は既に「カラサキ」引き出しの中にあり
(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ之を愚父に致されよ)

公遺言
謹んで陛下に申し上げます、
我が部下の遺族をして窮するもの無からしめ給わらん事を、
我が念頭に懸かるものこれあるのみ、

左の諸君によろしく(順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中将 一、藤井中佐 一、名和少尉 一、山下少将 一、成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
 
一、小栗大佐 一、井出大佐 一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(竜)
一、松村少佐(菊)(小生の兄なり) 一、船越大佐、 一、成田鋼太郎先生 一、生田小金次先生

十二時三十分 呼吸非常に苦しい
ガソリンをブローアウトせしつもりなれども、
ガソソリンにようた
一、中野大佐、
十二時四十分なり、」

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(クリックすれば画像が大きくなります)

佐久間艇長の恩師、成田先生の言葉。
「これを読みて、予は感極まりて泣けり。今泣くものは、その死を悲しめるにあらざるなり。その最期の立派なりしに泣けるなり。」

イギリスの『グローブ』紙.
「この事件で分かることは、日本人は体力上勇敢であるばかりか、道徳上、精神上にもまた勇敢であることを証明している。今にも昔にもこのようなことは世界に例がない」

この遺言に感動した夏目漱石は、病床から佐久間艇長を讃える一文を寄稿しました。
与謝野晶子も10余首の短歌を詠んでいます。

   「海底の 水の明りにしたためし 
         永き別れの ますら男の文」

   「海に入り 帰りこぬ人十四人 
          いまも悲しき もののふの道」

この無私の心で書かれた遺言に対して言うべき言葉はありません。
付記したいのは、佐久間艇長だけではなく、他の13人の名も無き部下も、見事に死を受け入れていることです。
当時の日本人が、どれだけ立派な心の教育を受けていたかを示すものです。

参考:「第六号潜水艇
佐久間艇長の遺書全文


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忘れられた偉人ーこんな素晴らしい日本人がいた

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丹養塾幼稚園児の素晴らしさで思い出した人がいます。
佐久間艇長です。

私が生まれたのは錦帯橋のある山口県の岩国市です。岩国港に近い山の中腹に記念碑があり、それが佐久間艇長の記念碑だと子供の頃に教えられました、しかし、その偉大さを知ったのはずっと後年になってからです。

佐久間艇長のことを知る人はほとんどいません。
忘れ去られた偉大な日本人のことをご紹介したいと思います。

明治43年、佐久間艇長の指揮する潜水艇が岩国の新湊沖で沈没しました。その頃、世界的に潜水艦事故が相次いでおり、潜水艦を引き上げハッチを開けると、乗組員がハッチの回りに殺到して、我先に逃げようとして死んでいるのが見つかっていました。

潜水艦事故は悲惨な死です。
そのため、ハッチを開ける際には駆けつけた遺族は立会いを許されませんでした。ところがハッチを開け中に入ると、艇長以下14名はそれぞれが持ち場に着き、自分の任務を最後までまっとうしながら死んでいるのが発見されました。
引き揚げられた潜水艇を検分した吉川中佐は、それを見て号泣し、泣き崩れたと言います。

更に驚いたのが佐久間艇長の遺書でした。

ガソリンが充満し、息苦しく意識が遠のく中で書かれた遺書には、部下を死なせてしまったことへの謝罪、部下が最後まで沈着に任務をまっとうした事、この事故が将来潜水艇の発展の妨げにならないよう願うこと、沈没の原因とその後の処置、最後に公遺言として、部下の遺族が生活に困窮しないことを明治天皇にお願いしていました。

その内容は、翌日の新聞紙上で発表され、更には世界に伝わり感動の嵐を巻き起こしました。
佐久間艇長の遺書のコピーと英訳は、ホワイトハウスの独立宣言の近くに展示されていました。
イギリス海軍では現在も潜水艦乗組員の範として伝えられています。

佐久間艇長の遺書は次回ご紹介します


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