子供を花のように愛する日本

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ウラジオストクに集合した出港前の孤児たち


以前、日経新聞に載った遠野のカッパをご紹介しましたが、同じ6月18日の日経新聞に、駐ポーランド大使、田辺隆一さんの書かれた記事が載っていました。
概略をご紹介します。

「18世紀から123年間、周辺国に国土を分割されたポーランドは、何度も蜂起するが失敗し、多くがシベリアに追放された。1917年、ロシア革命の混乱で、シベリアにおけるポーランド人孤児・児童の生活は、飢餓と寒さの中で悲惨な状況に追い込まれていた。

当時、独立を回復したばかりのポーランドからの支援要請に応じたのは、唯一日本政府だった。
1920年から22年にかけて、1歳から16歳の765人の子供たちを救った。存命者はいないと思ったが、昨年マリア・オルトフェノバさん(96歳)との出会いが実現した。

シベリアから大阪に逃れ、看護を受けた後、離れ離れだった両親とワルシャワで再会した。
日本の人が、優しく膝の上に乗せてくれたことや、看護婦さんに良くしてもらったことを覚えていると言う。
日本人は彼女にとって幸運のシンボルである。
覚えている歌があると言って「もしもし亀よ」を懐かしそうに口ずさんだ。

現在ポーランドには1300人の日本人がいる。オルトフェノバさんは「そんなにたくさん」と驚いた表情を浮かべると、大きな声で「バンザイ」と叫んだ。
いつまでもお元気で国交90周年の両国の関係が、さらに深まるのを見守ってほしい。」


月刊誌、「致知」の今年3月号に、福岡県立太宰府高等学校教諭、占部賢志さんが、「子供を花のように愛する日本」と題して、ポーランド孤児救出の偉業を述べられています。

歴史の「いのち」―時空を超えて甦る日本人の物語歴史の「いのち」―時空を超えて甦る日本人の物語
(2002/06/10)
占部 賢志

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「・・・ロシア革命の嵐に巻き込まれたシベリア在住のポーランド人は、赤軍に追われ難民と化してしまいます。シベリア鉄道の乗車を拒否された上に、飢餓や伝染病が蔓延。さらには極寒の中、各地に親を亡くした孤児たちが出現したのです。
この事態に直面したウラジオストック在住のポーランド人はせめて孤児だけでも救おうと「救済委員会」を結成します。
会長にアンナ・ビュルキェヴィッチ女史、副会長にはアンナ・ヤクブケヴィッチ医師が就任して救出活動にとりかかりました。

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ポーランド児童救済会幹部(中央:会長アンナ・ビルケウィッチ女史))

・・・・各国にも救済を懇願したものの、はかばかしい回答は返ってきません。万策尽きたアンナは、海を隔てた日本に一縷の望みを託してやって来ます。
大正9年(1920年)6月18日のことです。(上記の日経記事は6月18日付)

東京の外務省に出向いたアンナは嘆願書を差し出し、
『我々は祖国から離れ離れになり、いまだに何の助けも得られません。このまま冬が来ると、子供たちの命が奪われることは明らかです。
子供を花のように愛する日本が、彼らの命を戦争の不幸から救って下さるよう、私は切に願っています。』

彼女の訴えを聞いて胸を打たれた外務省は、わずか17日で受諾し、ただちに日本赤十字社が中心となって救援活動に入ったのです。
当時シベリア出兵中だった帝国陸軍の兵士たちも孤児救出に協力しています。

7月22日には救出した孤児56名の第一陣をウラジオストックから福井県の敦賀に運び、そこから東京に保護しました。
最終的には756名を救出、東京、大阪に収容して治療に当たっています。

この孤児たちの中には腸チフスを発症している幼子も交じっていました。容態は重く手遅れに近い病状でしたが、弱冠21歳の担当看護婦が付きっきりで看病しています。
しばらくたって、奇跡的に回復の兆しが現れたのを見届けて彼女は倒れました。

この子が死ぬのなら、せめて自分の胸の中で死なせてやろうと夜も抱いて寝ていたため、みずからが腸チフスに感染していたのです。
この女性は日本赤十字社神奈川県支部の看護婦で、救援チームに進んで参加した新潟出身の松沢フミという方です。
彼女はみずからの命を捧げて幼子の孤児を救ったのです。
このように大正時代の日本人は孤児のために献身し、756名を一人として死なせはしませんでした。

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孤児たちと日赤の看護婦

やがて健康を取り戻した孤児たちは、祖国ポーランドに送り届けられることになりました。
第一陣の50名ほどの孤児が横浜港から発つ時のことです。孤児たちは見送りの人々にしがみついて離れたくないと泣き叫んだと言います。
世話をしてくれた日本人は幼子たちにとって父や母のような存在になっていたからです。

見送る多くの日本人は子供たちに向かって、『君たちは元気で勉強に励み、大きくなったら偉大な祖国再建のために役立つような人になるんだよ』と、切々と励ましています。
これに対して、埠頭に並んだ孤児たちは感謝を込めて、国歌『君が代』を歌いだしたそうです。滞在中に習い覚えたのでしょう。
幼い彼らが涙を流して歌う『君が代』の調べが埠頭に流れました。・・・」

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神戸港から帰国のため乗船する孤児たち

写真はすべて「人道の港 敦賀ムゼウム」からお借りしました。

続く

ポーランドはショパンを生んだだけで人類に貢献していると思っています。
コペルニクスやキュリー夫人もポーランド出身ですが、科学的発見は、遅かれ早かれ誰かがします。
ショパンの曲はショパンにしか書けません。

ノクターン 遺作 嬰ハ短調
誰の演奏か分かりませんが、ポーランドの農村風景が入っています。

CDを聴かれるのであれば、クラウディオ・アラウの演奏がお薦めです。
ショパン:ノクターン集ショパン:ノクターン集
(1996/06/05)
アラウ(クラウディオ)

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